53-涼音の本流

 土曜日の夕方になってから刻美がでてきた。


「おまたせーしましたー!涼音の記憶の修復も終わったよ。」

 仕事をやり遂げたからだろうか、刻美の声は明るかった。


「そうか!!ついに直ったんだね。」

「疲れたわー!!」

 そう言いながらも彼女の声は開放感からかとっても嬉しそう。


 それにしても、思ったより早かった。

 また1週間くらいかかるのかと思っていたから。……早いのは良いんだけどね。


「じゃ、涼音を起動するよ。」

 起動って、ほんとうに涼音ってパソコンのソフトか何かなのかよ。

 だんだん涼音がパソコンソフトとかAIであっても納得しそうな気がしてきた。

 中で『ピコッ!』とか音がしてそうな気がする。


 ……


 キョロキョロを周囲を眺める涼音。


「おかえり涼音。」


 彼女は僕をじっと見つめてくる。

 そして口にした言葉は……。


「……誰だっけ?」


「え!! 僕だよ、樹だよ、おとーさんでしょ?」

「え?」

 見つめ合う二人。

 えっと、これと同じような事が何度かありましたよね。

 これって、記憶喪失なんじゃ……。


 僕が打ちのめされたような感覚を覚えていると、彼女の表情が変わった。


「ごめーん。戻すの間違っちゃった。」

 刻美に代わって、やっちゃった顔してる。


「すぐに戻すから待っててね。」

 おいおい、どういうミスだよ。僕の今のショックも元に戻して欲しい。

 こういうミスってするものなのでしょうか?

 もしかしてワザとやってませんか刻美さん?

 そして、涼音のソフトウエア説が高まるんですけど。


「おはよー お父さん!」

「おかえり!」

 うん、この雰囲気ブレイカー。

 僕の直前の気持ちを木っ端みじんに破壊するこの声は涼音に違いない。

 やっと涼音が戻ってきた。


 僕は涼音を思いっきり抱きしめる。……こういう展開って一体何度目?



 復活した涼音は僕が今まで見てきた通りの普通の涼音だった。


「いやー酷い目にあったわ。」

「大変だったね。」

「頭の中の私の身体は継ぎ接ぎだらけ、まるでフランケンだよ。」

「そんな状態なのね。」

 申しわかないけど、継ぎ接ぎだらけの涼音を想像してみると、僕まで笑ってしまいそうになる。


「うん。酷いんだよー。さっきまで頬から手首が生えてたような気がするし。」

「それを見て、みんな笑ってたような気がするし……。」

「大変だったみたいね、みんなが突貫で頑張って直していたみたいだしさ。」

 ごめん涼音。それは気がするじゃなくて多分本当。変な状態に身体のパーツをくっ付けられて由比とかが笑っていたのが真実。……言わないけどね。


「てか、お父さんどうしてココにいるの?」

「あー、何も覚えてないよね。今日は土曜日。そして木曜日の夜に……。」


 僕は木曜日の夜からのことを大雑把に話した。

 涼音は自分をバラバラにした由比やましろの事を責めることはなかった。

 切り刻まれる時の感覚とか怖さはなかったのだろうか?あるいは怒りとかは?


 そういえば、涼音は自分の頭の中で起きた事への感情の動きが少ないような気がする。

 頭の中の事だけじゃなくて、自分じゃない誰かがとった行動やその結果を意識してか無意識か無視できてるような気がする。


 例えば、先日僕の似顔絵らしきものをバラバラに切り刻んでパソコンの周囲にばら撒いていたけれど、彼女はそういうのを全く気にしてない感じだった。目に入らないわけないのにね。汚部屋状態になっていてもあまり気にならないのは、そういう無視が働いてるのかもしれない。



「それから、ピュアが出会い系サイトとか退会してたよ。」

「ええ!!」

 彼女は慌てて自分の携帯端末を手に取り確認を始める。

 僕の説明をポーカーフェイスで聞いていた彼女が、大きなリアクションとるのはソコかよ。


「うぅぅ、酷いなーもう少しでゲーム機貰えるくらいポイント貯まっていたのに。」

「そんな目的でやってたのかよ。」

「アタリマエでしょ、こんなのゲームと一緒よ。」

「はぁ、まぁ同じようなものか。そこで君にお熱上げてた馬鹿男共を可哀想に思うけどね。」

「いいじゃん!!夢見てお金払ってるようなものでしょ。」

「相手だってゲームみたいな気持ちで、釣れればラッキーくらいだと思うよ。」

「私は釣られないけどね。」

「そりりゃそうだろうけどね。」


 出会い系はゲームみたいなものということで、出会いが目的じゃないってことね。そこでポイント稼いでゲーム機欲しかったのか。ギリギリ許せる範囲かな。

 わからなくはないけど、それって彼のような存在の前で堂々とやらないで欲しいな。いや、堂々とはやっていなかったか、コソコソやっていたのをピュアがバラしたようなものだよね。


「まあいいや、面倒だけどポイントなんかすぐに貯まるし。」

 彼女はコレにすら怒ったりすることはない、さっと受け入れてしまう。

 ……って、僕の前で出会い系を再開する宣言ですか。こういう感覚が判らない。

 彼女にしてみれば、さっき聞いた言葉のままが真実。ゲーム感覚で会ったりする気はなくて、ポイント稼いでゲーム機を入手できればいいのだろう。


 そして、彼女は僕に嘘はつかない。優しい嘘は何度かあったけどね。

 聞けばなんでも答えてくれるし、聞いてない事までアカラサマに言ってくれる。

 嘘つかれまくりで疑惑という苦しみの中で過ごしてるカップルも少なくないだろうから、そういう意味では彼女との関係は悪いものではないのだろうけど、いろいろ刺さってくることが多いんだよね。


 それは裏表がないっても言えるかもしれない。そりゃ裏人格(鏡)なんてものが別にいるのだから、彼女は究極に裏表のない素直な人(人格)と言えるのかもだ。




 その夜は、僕のお気に入りの少し古いアニメを配信サイトで見ていた。

 二人で床に横になり、お菓子とミルクティのペットボトルを用意して一気に1期分を消化する。

 タブレット端末の決して大きくない画面を見ながら、沢山登場するキャラクターを見ながら「これ由比に似てるー」とか気になる情報を教えてくれる。


「由比ってこんな感じなのかー。やっぱりかわいいね」

「ぶー!なによこのロリコンのヘンタイ!」

「なんだよ、いいじゃんか、可愛いのを素直に可愛いって言ってるだけだろ。」


 物語の筋にあってるかどうか不明な長いタイトルのこのアニメ。珍しくバッドエンド風の終わり方なんだけれど、好きなんだよね。

 ヒロインの必殺技は自爆攻撃、それはいつか訪れる運命。

 限定された未来の中でヒロインは幸せを求めていくのだけれども……。

 最後に自分は幸せなんだって気付いて、愛する人を守る為に自爆攻撃をして消えるという話。


 ……これはバットエンドなのかハッピーエンドなのか。個人的にはハッピーエンドって思えるけど、それを言うと疑われるかな。

 だって自分は幸せって思えて、愛する人を守る為にそのままフリーズ(死)できるんだよ。フリーズしないとこの先、喧嘩するかもしれないし、もっと嫌な別れ方するかもしれない。……ゴメンナサイ、私コワレテイマス。


 そうなんだよね、幸せとか不幸って気付きの問題なんだよね。

 誰でも幸せになれる……気付ければね。

 そして僕のような終わりを見つめる人間には、自分の好きな人を守る為に自殺攻撃をするという展開は理想的でもある。


 涼音はこのアニメの終わり方に不満があったようだけど、最後の転生したかのような演出に騙されて少し機嫌を直している。それが転生じゃないのを知ってるのは原作読破組みね。原作を知らないとミスリードして来るアニメ作品は少なくない。世の中怖いよ。


 初めの頃、僕が涼音を守る為に大胆な行動を取ったのは、そうした生き様もあったからかもしれない。……僕は僕の為に生きれないから。究極の依存性格かもしれない。


 ……なんてね。理想ではあるけれど、今の僕はこの物語のヒロインのようにはできない。だって、リスクを恐れて自殺攻撃できないでいるのだから。


 僕は弱虫だね。




 その後火曜日に帰るまで、彼女は僕に甘えまくった。

 帰宅を火曜日の朝にしたのは、月曜日の夜にサロン(美容室)の予約が入っていたから。

 やっぱり、綺麗になった彼女を誰よりも先に見ておきたいからね。

 僕と二人っきりで過ごす時の涼音はティアが戻る前と変わらず、二人はバカップルを続けている。

 いろいろ迷いや疑惑が生じても、こうして二人っきりで過ごしていると、杞憂だったのだなと思えてしまう。……後になって考えると、そう感じてしまう事が僕の望みであり、僕の目を曇らせていたのだけれどね




 最近感じていた変化やギャップの答えをくれたのは琴音だった。


 僕が都宮に帰宅してからの涼音は、少し前のように眠り姫になっていた。

 音声接続はしているけれど、彼女は眠ってばかり。やっぱり僕が窒息しそう。

 そんな日が続いたある深夜のこと、僕は琴音と話していた。


「貴方なら大丈夫かと思っていたのですが……。」

「どういうこと?」

「主はあなたの事を好きになりすぎましたね。」

「うん?窒息してるってことかな?」


「貴方がいる時の主と、今こうして離れている時の主は違うのです。」

「主は主で変わらないのですが、貴方がいない時の主の時間が増えています。」

「そうだったのか……。」


 考えてみれば、僕は少し前までほぼ同棲に近い状態でいつも近くにいた。けれど、最近は週末にしか行っていない。時間の比率でいったら僕のいない時間が多いのは明らか。

 だけどさ、毎日たぶん8時間くらいは音声通話を接続しているし、週末には会いに行くようにしてるのだけれど、それでも不足ということなのだろうか。


「僕がさっさと涼音の近くに住んでしまえば良いのだろうけどね、生活のベースを移すというのは簡単じゃなくてさ。」

 僕は自分が考えていた涼音のリスクのことを伏せて言い訳をしていた。


「そうですよね。私としてはどちらも主なのでかまわないのですが、貴方が苦しそうなので余計な事を話してしまいました。」

「ううん、僕は痛いの慣れてるしさ……。教えてくれてありがとう。」


 半分嘘である。痛いのには慣れてる筈だけどれど、僕はその痛みでボロボロになってきてるのを最近感じていた。

 そして、琴音が伝えてくれた事を、教えられるまでもなく、なんとなく感じていた事だった。



 予想はしていたけれど、琴音に教えてもらったことにより、僕のその予想が正しいことが証明されてしまったようなもの。

 本当は僕にとってそれは間違いであって欲しかったもの。

 それを突き付けられてから、僕は涼音の事を再考する日々になっていた。



 たぶん、涼音は涼音のまま解離している。『僕がいなくても大丈夫な涼音』がいる。琴音の言うのは、その涼音の存在が大きくなってきているという事だろう。

 

 僕は初めの頃にコレに近い事の可能性を予測していた。

 もし涼音が雪村(当時の彼)と同居する事になったら、涼音は彼との同居専用の人格を作り、自らは潜るだろう事を可能性として予想していた。

 その予想が違った形で現実のものになってきたにすぎない。


 最近の僕は、『僕が見ている涼音は、仕事の耐えがたいストレスや雪村へのストレスからの退避人格』の可能性すら考えていた。

 彼女にとって大きなストレスだった職場からは解放された。雪村との関係からも解放された。それなら、僕の見ていた涼音はもう存在理由がないのかもしれない。唯一存在理由が残っていたとしたら、それは、その人格が僕を好きだという事かもしれない。


 22歳の涼音、僕の見てる涼音が記憶ロストで仕事に行けなかった時に、交代して仕事に行ってくれたあのポジティブな涼音がわずか数ヶ月前の涼音なのだ。


 3歳から現在までの記憶の断片と話してきた僕は、彼女の年代(時期)ごとの涼音という人格の性格などの大きな変化の流れを知っている。その流れからいったら、残念ながら22歳のポジティブな涼音の状態が今あるべき涼音だとわかってしまう。


 解離性同一性障害とは、明確な別人格ができて、それらが独立した自我や記憶を持って行動するから同一性が保ててないように見えるなんてのは、一つの状態に過ぎない。


 自分の中の様々な感情やストレスで次々と解離していくこともあるのだ。

 好きな人に会えなくて淋しいな、辛いな……。それはすぐに解離してしまえる。

 楽しいゲームを消されちゃった、イヤだな……。それはすぐに解離してしまえる。

 少し前にもあった、眠いな、遊びたいな……涼音はそんな些細な感情の葛藤でさえ解離していた。

 ……そしてそれらは、ボーダレスに切り替わっていく。


 彼女が感情的になる事が少ないのは、そして自分や自分に近い存在がしたことを無視できるのは、解離してしまうからなのだろうと思えた。日々感じる様々な感情の中でイラナイモノはすぐに解離して置き去りにしてしまえるのだろう。……長い間身体(頭)に染みついた自己防衛の手法。


 『同一性障害……、同一性が保てない障害……その原因が解離』


 皮肉なことに、

『同一性が保たれているのは、解離側された側の人格や記憶と感情なのかもかもしれない』


 そして何よりもショックだったのは……。

 自分の分析の結果だった……。 

 『僕の大好きな涼音は本来の涼音の本流ではない』

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