49-閉じ込められていた者

 イラストの仕事を続ける涼音、僕も定位置の椅子に座りタブレット端末を眺めている。

 でも僕のは画面を眺めているだけで別の事を考えている。



 記憶の巻き戻し事件の時は、彼女が自分の醜い嫉妬心を嫌った結果だった。

 それを消さなくていいよと言った自分を、今になって愚かしく感じていた。

 自分が昨夜感じたのは醜い嫉妬心だと自覚してしいる。この気持ちを消さないで持ち続けるというのは辛い。……僕は彼女にソレをしろと言ったのだ。


 自分は本当に愚かだね。

 全然理解できていかなった、自分が同じような気持を持った今、自分の無理解が痛い程よくわかる。

 でも、あの時の彼女は嫉妬心を消す為に、僕と仲良くなった記憶を全て消して巻き戻していた。

 あの時に、この嫉妬心を残して良いと言う以外にどんな解決策があったのだろう。



 ……あったのだ、少なくても嫉妬心を緩和する方法はあった。

 僕が覚悟を決めて、ココで涼音と同居すると宣言すれば良かったのだろう。


 僕はそうするつもりはある。……だけど踏み出せないでいた。

 景気が悪いことを言い訳にして、積極的に動いていなかった。

 それは、彼女との関係にリスクをずっと感じていたからだ。

 今の自分の生活ベースをや仕事を捨てて彼女の元に来る事への、決して小さくないリスク。



 そのリスクの根本にあるのは彼女の若さだった。

 若いって良いね、選ぶべき選択肢が多いし、新しい選択の為に自分を変えていく時間もある。

 だけど、僕にとってはそれがそのままリスクだと感じる。


 仲良くなって間もない頃、当時付き合っていた雪村の婚約誤解について彼女はこう言っている。

『23歳の小娘がさ、付き合って一ヵ月で誕生日に指輪貰ったからって、普通は婚約だなんて思わないでしょう?付き合ってるんだから、その時は一緒に暮らせたらいいなとか言うのって当たり前でしょう。』

 この言葉は、いろいろな意味で僕に忘れられないモノになっていて、彼女に感じるリスクの原点だ。


 彼女は自分を小娘だと思っている、その立場的なものを含めて。

 そして、それを武器にして自分の気持ちのリセットを正当化したのだ。

 僕のパートナーでいること、ずっと一緒に暮らそうとか約束を持ち掛ければ、彼女はすぐに約束してくれると思う。

 でも、その約束に何か意味があるだろうか?、同じように『小娘がさ……』と言われたら終わりになる。


 少なくても、彼女は僕の目の前でそれを言ってのけたのだから、ソレについてはその時から信用がなくなっていて、それをリスクだと感じていたのだ。



 

 それからもう一つ。

 これは最近になって感じてきたリスクなのだけれども……。


 22歳の涼音……、記憶を無くした時に代わりに仕事に行ってくれた22歳の涼音は、今僕が見ている涼音とはあまりにも印象の違う女性だった。

 たぶん、雪村と出会い付き合い始めた頃の涼音の記憶であり、当時の彼女そのものだろう。

 僕が仲良くなり始めた頃の涼音は、すでに今の涼音だ。

 今ならわかる、雪村には彼女が変ってしまったように感じたのではないのだろうか。


 解離性同一性障害……、同一性の障害なのだ……。

 別人格なんてその症状の一つにすぎない、同一性がなく変化してアタリマエなのだ……。


 僕は最近、何をもって涼音を涼音だと思えば良いのかわからなくなってきている。

 今現在、僕と仲の良い涼音が別の涼音に変化しないと断言できるわけがない。

 他の解離人格との関係は概ね良好だと思う、それがこの先も続くのか……今の主人格は主人格のままなのか何の保証もない。


 これが最近加わった新しいリスクだ。


 ……本当はね、判っているんだ。

 僕は、彼女の過去の記憶の断片とほぼ毎晩のように語ってきているから。

 彼女がどんな性格でどんな事を考えながら生きてきたのか、概要はわかるんだよね。

 彼女は……主人格は概ね2度……いや3度変化してきたんだよね。それは例えれば、りさが美緒に、美緒が桜花に代わるような変化。そして、僕と仲良くなった涼音は最初の状態、たぶん今となっては不安定な涼音。





「何かでてきた…。」

 涼音は確かにそう呟いた。


 その次の瞬間から彼女は激しく咳き込み始めた。

「どうしたの?大丈夫」

「ゲホッ!ゲホッ! ヤバイ奴が出て来ようとしてるの…ゲホッ!」


 ゲホッ! ゲホッ!うぅつぅぅ…ゲホッ!

 苦しそうに咳き込み続ける。


 ……これは、初めて別人格が出て来た時、りさが出てきたときと同じだ。

 彼女は何かが出て来るのを必死に抑えてるのだろう。苦しい咳は収まる気配がない。

 りさが初めて出た同じだ。


「何が出てきても大丈夫、僕がなんとかするから出してもいいよ。」

 彼女は激しく咳き込みながらも頷いた。


 ゲホッ…………。


 静かになった彼女は、虚ろな目で立っていた。……それは一瞬のこと。

 彼女はキッチンへ向かう。僕は慌ててその後を追う。

 キッチンで包丁を手に取る彼女、僕はその腕を掴み包丁を掴む指を強引に開く。

 ガチャ! 音をたてて流しに落下する包丁。

 

 ここまで1分にも満たない短い時間。


「まおか?……やめなさい!おちついて!」

「ヤダ!僕は死ぬんだ、死にたい!死なせて!」


 彼女を引きずるようにリビングまで引っ張って、強引にいつものクッションの上で座らせて、そのまま後ろから身体を束縛する。


 最近のまおは、切りたい衝動が起きるとカッターを振るえる手で持ったまま僕を見つめてくるようになっていた。それは、僕に止めて欲しい、抱きしめて欲しいのだと訴えているのだと判るようになっていた。

 でも、今の彼女は『僕』と言った、これはまおじゃない。


 昨日の夜に時雨が教えてくれた『やっかいなモノ』とはこれのことか……。



「離せ!僕は死ぬんだ!離せよ!」

 男の子?これはドロップ?……いや違う、ドロップはもっと細い声だった。


「どうして死にたいの?」

「……みんな怖いんだ!どう接したら良いのかわからないんだ!」

「だから死んで終わりにするんだ。」


 言ってる事はドロップに似ていると思ったけど、でも人と接し方が分からないという。

 逆に考えれば、人と接したいって事、……ドロップはそんな事を言わない。


「離せよ!痛いんだよ!……死んでやる!」

 激しく抵抗する為に、かなり力を入れて拘束していた。


「わかった、僕を納得させられたら死んでもいいから、少しだけ話そう。」

「話してくれるなら、君を信頼して手をほどくよ……君を押さえつけたりしない。」


 彼女は観念したのか、抵抗する力を抜いてくれた。

 僕はゆっくり力を緩めて彼女を拘束していた腕をといて、彼女の横に座り直した。



「君の名前は?」

「……月也。」

 あれ、この名前ってもしかしたら……。


「月乃とか月斗って双子じゃなくて三つ子だったの?」

「ううん、僕は双子じゃないけれど弟だよ……。」

「そっか、僕は月乃さんとか月斗とも仲が良いんだよ。」

「……そんな事は知らないし関係ない、僕はお姉ちゃんに閉じ込められていたんだよ。」

「ヤバイ奴だからって言わて、死にたいだけなのに。」


 月乃達に弟がいるなんて、月乃も涼音も言った事がなかった。

 ましろに封印されていたドロップと状況が似てる……。


「死にたいか……、君はまおみたいな存在なのかな?」

「違うよ。まおは涼音の代り、僕は僕の意思で死にたいんだ。」

 

 まおのこと、そして月也は自分の意思でということ、よくわかる。

 しかし、状況が本当にドロップと似ている。


「僕はね、君は知らないだろうけど、涼音の中にはもう一人君とそっくりな子がいてね、そいつと語り合った事があるんだ。」

 

 僕は雪斗にドロップと話した時の事を教えた、ドロップがどうなったかは伏せておいたけど。



「僕はドロップの死にたい気持ちがわかった……、実のことろ僕も死にたいんだ、死ねないからその時が来るのを待ってるだけなんだ……。」

「いや、実はもう死んでるのかも……、僕は自殺失敗者だからね。」

「すごく気持ち良かったよ、全ての事を受け入れて感謝したい気持ちになった。」

「その時の心地よさが死の入口だと思ったから、僕はそれを待ってるだけなんだ。」

「どうして僕は失敗しちゃったんだろうね……。」


「君だって今回が初めてじゃないんだろ、だからこそ閉じ込められていたのだろ?」

「何度も失敗してきたんだろう?」

彼女は頷いて、また遠くを眺めるような目になる。


「僕もだけれど、死だけを望むのならもっと確実に死ねる方法はあるんだよね。」

「どうしてそれが出来なかったのか、失敗したのか……。」


 ……


「死にたいって気持ちは本物、それは否定しないよ。」

「……死ぬのが怖いって気持があったんじゃないかな?」

「その証拠に、君…涼音も、そして僕もまだ生きている。」


「死を怖がる気持ちをバカにしたりはしないよ、これは生物の本能なんだからね。」


「……でも、死にたい。」

 彼女はそう呟いた。


「うん、僕も死にたい……でも僕は待つ事にした。」

「ねぇ、生きてるって何だと思う?」

 彼女は虚ろな目をしたまま何も答えない。


「変わるって事だと思うんだ、……良くも悪くもね。」

「あのまおだって変ってきてるよ、最近は刃物を掴んでも切らないんだよ。」

「……月也だって変われると思うんだ。」


「死にたいって気持は、たぶん君のコアだろうから変らないと思うけれど……。」

「けれど、君だって生きてるから、いろいろなものに接したり、見たりしたら何かは変っていくんじゃないかな。」


「僕は人とどう接したら良いかわからない、……それに、閉じ込められているから何も見えない。」

 全てを諦めてるように彼女は呟くように言葉を吐き出す。


「月乃酷いね、それじゃ月也が変われる筈ないじゃん、ずっと死にたい気持ちのまま閉じ込めておくなんて酷い姉貴だね。」

 無言で彼女は真っ直ぐ虚ろな目で何かを眺め続けている。



「うーん、人と接しろとは言わないよ、他人と接するとか僕だって苦痛に思うし。」

「けれども、見ていて欲しいな、……僕が月乃に言って外に出れるように、見えるようにしてもらうよ。」

「……そうだね、死にたいと思ってる僕がどう生きてるか、どう君達に接しているか見て欲しいかな。」

「信頼してとか、友達になってなんて言わない、ただ見ていてくれるだけでいい。」


 僕は隣から彼女の肩に手を回して抱き寄せた。

「僕ら、たぶん、そんなに違わないから……。」

 彼女は何も答えることもなく、僕の肩に頭を寄せていた。

 ……いつしか彼女は眠りについていた。

 彼女の身体を横にして頭を膝の上にのせて頭を優しく撫で続けた。



 月乃・月斗そして月也……、責任感と罪悪感、怒り、そして自殺か……受動、解放、消失。姉弟(きょうだい)なんだね、それぞれが違うモノを持たされてるけど、全く無関係ではない気がする。




 しばらくしてから月乃を呼び出していた。

 膝枕をしたまま彼女を見下ろして報告をする、彼女も今の二人の姿勢に興味など無いか、それがアタリマエといった雰囲気。


「……月也と話したよ。」

「はい、先程月也を幽閉しました。」

 月乃は、まるで何も感心がないかのような無感情に告げて来る。


「時々でいいから、月也を幽閉から出してやってくれないか。」

「お断りします!。」

 彼女は驚いたかのような表情で強く即答してきていた。


「でも、このまま閉じ込めておいたら、月也は何も変われないだろう。」


 月乃は身体を起こして、僕を睨みつけながら言葉を発する。

 それは強い意思をその目で表現しているかのように。

「絶対にダメです、お断りします!」



 月乃は実際に、僕なんかより涼音の事をそして月也の事も知っている。

 その月乃にここまで強く言われるというのは、ダメな事なのだろうけど……。


「返事はしないでいいから、話だけ聞いてくれ。」

「みんなに厄介な奴って言われていた まおだって、最近は変ってきたのは知ってるだろう。」

「月也だって、変っていけると思うんだよね。……僕の話を聞いてくれたよ。」

「人との接し方がわからないと言ってた月也は、ちゃんと僕の話を聞いてくれたよ。」

「だから、外に出せないならせめて、外を覗ける窓を作ってくれないか……。」

「返事は今はいらないよ、せめて外を見せてあげて何かが変わればいいと思ってる。」

「……弟のことだから、これ以上は口出ししないよ。」


 月乃は表情を全く動かす事なく、僕の言葉を黙って聞いていた。

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