―5― 裏返った砂時計

48-ループのはじまり

 記憶の巻き戻し事件から2週間が過ぎていた。


 時々、涼音という存在の定義に疑問を持ちつつも、僕には穏やかな時間だと感じられいる。……結局のところ、僕には今見えてる涼音が一番大切なのだから。

 そして窒息しそうな空気を感じたりもするけど、少しつづ解放することを覚えていければいいやってノンビリ考えてもいた。



 週末、涼音と鶴見で待ち合わせをしている。

 JRと私鉄の駅の間にある交番付近で、他の人邪魔にならないように通路の端によって携帯端末を操作しながら彼女を待っている。


 ふっと、小柄な女の子が駆け寄ってくるのに気付く。

 来たかな……。僕はタブレット端末を急いでバッグに押し込んで、顔の横に手の平を上げて応える。


「お父さん!おまたせ。」

「お!、おつかれさま、今日もかわいいね。」

「言われなくても知ってる!」

 女の子はドヤ顔で僕を斜め上に見上げる、僕はそれを斜め下に見ついめている。

 仕事帰りだと言うのに、涼音はニコニコととっても元気そう。…良かった。



 今日は彼女の人生初体験、回転寿司を一緒に食べるを実行する為にココで待ち合わせをしていた。

 僕は彼女が当然のように渡してくる重い通勤バッグを受け取り、彼女と手を繋いで夕方の街へと歩み出す。

 この時期は19時でもまだ空にはまだ明度が残り、グレーの空を暗い靑が飲みこもうとしている途中。街の灯りがキラキラと激しく自己主張をはじめている……そんな時間帯。



「あれー? お寿司回ってないよイメージと違うー!!」

「最近は、お寿司が回ってる回転寿司はどんどん減ってるんだよ。」


 案内されたテーブルには、ファミレスのようなラミネートされたメニューが置かれていて、テーブルの隅には液晶のタブレット端末が注文を待ちかまえている。

 小皿や湯飲みなどの食器は少し高いとろこにまとめて置かれている。

 お店によって微妙に違うお茶用のお湯の給湯、お店によって微妙に違う注文方法。

 タブレット端末でネットショッピングをするかのようにお寿司の注文をする。やがてテーブル横のコンベアに乗って寿司がテーブルまでやってくる。


 そんなアタリマエのようなことを、彼女は楽しく興味深そうに眺めている。

 ちびっ子を代表して、由比にも体験してもらった。……楽しそう。


 厨房に行けばロボットが寿司を握ったりしてるのだろうし、考えてみたら最近聞く機会が減った言葉、『ハイテク』の塊だよね。

 新鮮な感動や驚きがあるのがアタリマエなのかもしれない。


 大人になると、経験やら経験から生じる前知識(偏見)から、驚きと感動の機会が減っていく。

 アタリマエをアタリマエのままで思考停止して何も考えない、心も動かない。

 それはいつしか人間にまで及ぶ、優しさや理解しようとする心さえフリーズする。

 身近な人までステレオタイプで括ってしまう……、みんな違うのにね。

 ……そして誤解する、誤解してるかもという可能性にすら気付かない。



 意外だったのは、辛いのがすごく苦手だという涼音が、ワサビは大好きだったということ。確かに唐辛子系の辛さとワサビの辛さは別モノだよね。僕もワサビは大好き。

 お弁当のお寿司についてくるような小さなワサビのパックを、二人で大量に使いまくっていた。たぶんお皿1枚にワサビパック1つくらいの量。

 今日来た回転寿司の場合は、基本サビ抜きなのでついついワサビの使用量が増えちゃうんだよね。





 涼音のマンションについたのは21時近くだった。

 部屋はほとんど荒れてはいない、この一週間も無事に過ごせたようだ。……これも僕の週末の定期チェック項目になりつつある。


 荷物を置いて、ささっと部屋着に着替える彼女。

 僕も荷物を置いたりジャケットをハンガーにかけて、いつもの椅子におちつく。


「とりあえず、今日も1時間くらい休憩する?」


 彼女にいつもの外出(仕事)休憩落ちを提案すると、意外な答えが帰ってきた。


「うーん、今日はゲームするから、お父さんはいつものように待っていて。」

「あれ、珍しいね。 いいけど……。」


 彼女は急いでパソコンゲームを起動する。

 どんなゲームをするのだろうと眺めていると、その画面には見覚えがあった。

 見覚えがあったどころじゃない、それは僕達が毎日のように頼んでしたSOA(ソード・オブ・アスガルド)だった。


 SOA…、それは僕達の出会いの場でもあり、涼音がそのぺーティーメンバーとともに大切にしていたゲーム、ティアの喪失や、ポテ君やみきちゃんの事件もあり休止していた筈のゲーム。


 その画面を見た僕は、パソコンを操作する彼女の後ろに駆け寄り声をかけた。


「SOA再開してたの?」

「うん!新しいアカウント作ってやってたの。」


 何でもないことのように言う彼女に、僕は少しショックを受けた。

 僕達の出会いの場でもあるのに、彼女はゲームを再開したとか、新アカウントを作ったとか一言も僕に言ってなかったからだ。

 複雑な心境の中で彼女の座る椅子の背もたれに手を置いて、画面を眺め続ける。

 そこには、さらに衝撃的な事が表示されていた。


 新しく作ったアカウントのパーティーメンバーには、僕達の仲間だった松風や男爵 の名前があったから……、かつての仲間はパーティーに誘っているのに、僕には声もかけなかった……。

 嫉妬や怒りが入り混じった感情が頭の中に大きく膨らむ。


 理解と感情の整理がついてない間に、ゲームは開始されていた。

 ゲームチャットが声を拾うので、何も言えない……。

 僕はそっとその場を離れて、いつもの定位置の椅子に座ってゲームを楽しむ彼女を眺め続けていた。

 画面は見えないけど、その音声は数ヶ月前のSOAプレイ時と同様に楽しそうなものだった。

 その楽しそうな音声の一つ一つが僕の心をムチ打つように感じられた。


 ……どうして、……どうして、……どうして。



 23時頃、彼女はゲームを終えると休憩落ちに入った。

 パソコンの前で椅子に座ったまま幽体離脱したかのように脱力している。

 以前なら、そんな彼女を椅子から降ろして、床のクッションの上に横にしていたのだけれど……。今の僕には、それができなかった……、そんな休憩落ち状態の彼女を定位置の椅子に座って眺めていただけだった。


 1時間くらいで目覚めた彼女は、椅子に座った僕の目の前の床の上に腰を降ろして、「かまって!かまって!」と僕の膝を揺らしながら見上げてくる。

 僕はそれを無表情で見下ろしていた……。今の感情を表に出したら、たぶん怒りになるだろうから、僕は無表情・無反応という鎧で自分を抑えているだけだった。


 数分後には、彼女は僕の異変を察したのだろう、僕から離れて部屋の隅のクッションに腰を降ろして僕を虚ろな目で眺めている。

 このままにしておけば、数分後には彼女は落ちるだろう事も判っていたけど、僕は何もしなかった。……できなかった。楽しくゲームをした後での、僕への『かまって!攻撃』は、さらに僕の感情を逆なでしていたのだから。


『私はお父さんだけいればいい』あのセリフは何だったの?……いや、そこから脱却しなきゃならないことはわかっていた……。じゃこれは望んでいた事?

 ……これは嫉妬? ……醜いエゴ? ……この感情は消すべき?

 ……自分で、どう対応して良いのかわからない。



「お父さんは、どうして主のことをかまってくれないの?」

 やはり涼音は落ちたのだろう、由比がキツイ視線を僕に真っ直ぐに向けて声をかけてきた。


 由比の声は、僕の心を一瞬にして落ち着かせた、いや子供のように感情に翻弄されていた僕を大人へと押し戻していた。

 ……たぶん、大人の人格が出てきて同じ事を言っていたら、僕の心は子供のまま鎧を脱がなかっただろう。交代したのがちびっ子達で……由比で良かった。


 僕は由比の傍に行って、彼女の頭を撫でた。

 僕に撫でられながら、彼女は表情を一切変えずに僕を睨み続けている。

 ……本当に由比は真っ直ぐなんだ……、涼音の本心を代弁するのも由比の役割なのかな……。

 真っ直ぐな由比を感じると、僕も真っ直ぐ向き合わなくちゃって思うんだ。


「由比、ごめんね……。」

「僕ね……、恥ずかしい話……たぶん嫉妬だと思うんだ。」

「ちょっと大人げない感情持ってしまってさ……。」

「……それは涼音のことを好きだからなんだ。」

 そこまで言うと、やっと彼女の表情が緩んできていた。


「ちゃんと涼音に自分な素直な気持ちをぶつけて話すから……。」

「由比、涼音を起こしてきてもらえるかな。」

「うん、待ってて!」


 数秒後に彼女の目からキラキラした光が消えて、虚ろな目に戻っていた。


「涼音……。」

「うん。」

 虚ろな目で僕を見上げてくる。


「涼音には素直に真っ直ぐに僕の気持ちをぶつけるって決めたんだ。」

「……だから嫌な事を言うかもしれなけれど聞いてね。」

 涼音はゆくりと大きく頷く。

 

 僕は素直に自分の気持ちを語った……。

 僕達が大切にしていたSOAを、涼音が僕に何も言わずに新しいアカウントで始めたていた事がショックだったこと。

 以前の仲間である松風や男爵はパーティーに誘ったのに、身近な存在の筈の僕には 何も声をかけてくれなかった事がショックだったこと。

 それらの行動が悪い事だとは思わないけれど、僕の中で嫉妬が芽生えたこと……。

 結局のところ涼音を好きだということ。


 彼女は何度も頷きながら聞いてくれた。


「どうして僕を一番最初に誘ってくれなかったの?」

「……だって、お父さんと一緒だったら息抜きできないと思って……。」



 僕には、さっきまでの出来事よりも、涼音のこの返事の方がショックだった。

 ……それは、理解できる気持ちなのだけれども……。

 僕が涼音と仲良くなり始めた頃の雪村(元彼)との関係を思い起こさせるから……。


 これはループのはじまり……。繰り返す。

 ……そう心に強く感じだ。

 そしてループの先には、以前から僕が考えていたリスクがある。


「私、SOAのアカウント消すよ、やめるよ!。」

 椅子に戻った僕に、涼音は見上げながらそう訴えてきた。


 それは僕の嫉妬という醜い感情が待っていた一言。

 ……けれども……。

 僕はその本心とは別の言葉を発していた。

「いや、SOAのアカウントはそのままで……、続けなさい。」


 僕は経験的に知っていたのだ、他の人の行動を禁止しちゃいけないことを……。


 だって、自分でやりたいからやったんだよね。

 自分のやりたい事を我慢するのはストレスになる。……ストレスは今の涼音には少しでも少なくしてあげたい。

 やりたいという気持ちは消えはしない、我慢できなくなったらどうするか?

 ……それは、隠れてやる。……やっていなくても、僕が疑ってしまう。

 隠れてやられるなら、誤解をして疑ってしまうのなら、見えるところでやっていてもらった方が良い。……それが自分を棘(イバラ)の中に放り込む事だったとしてもね……。

 僕は痛いのは慣れてる筈、これまでずっと棘の中にいたようなものなのだから。


 ……そして、僕は彼女がかごの中の鳥から脱却することを願っていたのだから。

 こんな形になるとは思っていなかったのだけれどね。


 ……そう、やはり僕達は窒息していたんだね。



「でも、僕はそのパーティーには参加しないよ。」

……本当は参加して一緒に遊びたいのだ。


 彼女の『息抜きにならない』という言葉のせいもあるけれど、それには僕のプライドや意地のようなものが含まれていた。松風や男爵の後に僕が参加なんて……、そんな僕の薄っぺらなプライドと意地だった。



「好きで大切に想うから、嫉妬しちゃったんだ。 ごめんね。」

 僕のこんな言葉を聞いて、彼女は表面上はご機嫌になっていったのだけれど、心の奥底には別の何かも育っていたのだろう。それはたぶんお互いにね……。




 翌日のお昼ごろ、少し微妙な空気をまといながらも僕と涼音は平和な週末の土曜日を過ごしていた。お茶とお菓子を、そしてお互いの時間。


 イラストの仕事を真剣な表情で続ける涼音、テーブルでお茶を飲みながらタブレット端末で知的好奇心を満たす僕。僕達の週末の二人のアタリマエな時間。


 いつの間に交代したのだろう、時雨が久しぶりに声をかけてきた。

「樹さん、お久しぶりです。」

「本当に、お久しぶりだね、珍しいね。」


 彼女はイラストを描いていた手を止めて、僕の方を振り向いていた。

 凛として時雨らしい表情だった。決して大きく感情を顔に表す事はないけれど、微笑してるのがわかる。


「琴音が小さくなってしまったので、私が頑張ってるんですよ。」


 そういえば、時雨は鏡に作られた人格で、不思議な力を持っているのだった。

 涼音からは認識できない、時雨という鏡の領域の人格。


「やっかいなモノが出てくるかもしれませんので、注意してくださいね。」

「やっかりなモノ?」

「えー、やっかいなモノです……琴音みたいに説明上手じゃなくてごめんなさいね。」

「いや、琴音さんはいつも抽象的にしか教えてくれなかったから大丈夫だよ。」


 時雨は、それだけを伝えたかったみたいで、すぐに消えていった。

 涼音は記憶のチョイ飛びとかは慣れっこなのかな、気にすることもなく作画を開始している。


 時雨は琴音の代わりに僕に伝えにきたのか……。

 琴音から何か忠告を受けた後には、必ず面倒な出来事が起きていた。

 今回は何が起きるのだろう?


 思い当たる原因は幾つかあるのだけれど、何が起きるのは全く予想できない。

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