S10-解離性同一性障害と記憶について

解離性同一性障害と記憶に関する考察です。

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 作中、『記憶の約束』から『かごの中の鳥』にかけて記憶喪失が多発しましたので、解離性同一性障害と記憶について書いてみます。



 初めに書いておきます。

 以下に書いた事が、全ての解離性同一性障害の方に当てはまる事だとは、私は考えていません。人間に個性があるように、症状にだって個性があるでしょうから。

 さらに重要なのは、私は医者などの専門家ではありませんので、正確性の保証はしません。

 ……第三者である私が、解離性同一性障害をどう考えているかという個人妄想、ファンタジーだと思ってください。




 作中のはじめから書いていていますが、涼音は記憶力が驚く程に良いです。

本人曰く、教科書や問題集は丸暗記できる。お気に入りのテレビや映画をいつでも脳内で動画再生できる。思い出も動画再生できる。

……それどころか、中の人(別人格)は、娯楽として記憶の中の映画や、街ブラを楽しんでると言ってます。中の人(別人格)が「今日は映画を見に行く」なんて言ってたりするのですよ。


 それで私は記憶力の良さが解離性同一性障害の特徴なのではと調べましたが、逆に解離性健忘など、忘れる事ばかりが書かれていて、記憶力が良いなんて記載がさっぱり見当たりません。




 作中にも書いてありますが、記憶力の良さは表向きはそれが有利な事であるように感じられます。当人も少し頭が良いくらいの自覚で、症状として認識されないのかもしれません。……意外な無自覚。

ある治療経験者の言葉を借りれば「忘れるということを知らない状態」。

もちろん、忘れたい事もあるから、それは諸刃の剣ですけどね。


 逆に、忘れすぎてしまったら、それは別の病気ってことになります。

でも、反復される事の少ない記憶は徐々に薄れていくものだと思います。




 解離性健忘……解離は記憶が飛ぶとか、記憶喪失になるという症状、こちらは少し調べれば簡単に出て来る一般的な症状です。

健忘という、忘れてるかのような記述に少し疑問を感じます。

忘れてるのではなくて解離しているだけの気がするのですよね。


 本人がアクセスできない領域に記憶が解離しただけ。

あるいは、別の記憶領域を持つ人格が表に出て行動してた場合も、本人の記憶としては空白が生じますので、これも解離性健忘ということになるのでしょう。




 仕組みは判りませんが、解離された記憶は鮮度を保持したまま残ると言われてます。

フラッシュバックからショック状態に陥りやすいのは、トラウマ記憶が鮮度そのままに残っていて、それを思い出すか、思い出す事を強く拒否するからだと思います。

いつでも追体験できてしまう鮮明な記憶……フラッシュバック。



 さて、トラウマ記憶などが鮮度を保ったまま残ると考えれば、解離性同一性障害の特徴としての、記憶力の良さという点にもつながってくると思います。


 記憶力が良いのは、無意識に記憶を次から次へと解離させて、鮮度を保持したまま残してるからではないでしょうか?。

本人(本来の記憶の持ち主)は、少しのキッカケでその解離記憶を思い出せるのだろうと考えます。


 自分で思い出せるなら解離じゃないと考えるかもですが、解離記憶に全くアクセスすることができないなら、トラウマ記憶のフラッシュバックで苦しむなんて事もないと思います。

つまり、きっかっけがあれば、解離記憶にもアクセスできるという事になると考えます。


 ただし、完全に記憶を別にする別人格が表に出ていて、別人格の行動によって保持した記憶には、主人格が簡単にアクセスとはいかないようですけどね。


 解離した記憶へのアクセスがうまく行かない人達の場合は、『記憶力が良いなんでとんでもない、むしろ悪いです』という自覚になると思います。

(こちらの方が多数派かもしれません。)

アクセスできないだけで、覚えてるとは思うのですけれどね。

あるいは、比較的に解離の頻度が少なくて同一性が保ててる人とも言えるかもです。


人によって解離のされ方や頻度が異なると思うので、必ずしも解離性同一性障害の方全てに当てはまるものではないのでしょうね。

逆に、解離性同一性障害の方の中には、たまに驚く程記憶力が良い人がいますよ、程度の少数派かもしれません。



 記憶が鮮度を保持されて残されているという点では、私は身をもって体感しています。

作中で『記憶の断片』(内在性解離?)と話していたと書いてあるように、過去記憶と数えきれない程お話をしてきます。

それらの記憶の断片の自覚は『Now』なのです、3歳の記憶の断片でさえ『Now』として話してくるのです。その内容は詳細ものです。

こういった記憶の断片との対話は、医療的には専門医やカウンセラーが行う分野かもしれません、だとすると、このことは専門医達が実体験として認識してると思います。



 これで、優秀な記憶力と解離性健忘が両立するように思います。





 さて、作中の涼音は何度も記憶喪失に陥りますが、記憶が多数に解離して保持されてるなら、特定の記憶を本人から切り離すのも容易な事だと思います。

人格化までされなくても、解離健忘するのでしょうからね。


 例えば、作中の樹と仲良かった記憶を解離させて、主人格だけがアクセス拒否状態。

他の人格は、個別に樹との記憶を持っているので影響は少ない。

樹と仲が良い事が、嫉妬という感情を呼び起こす。……嫉妬ってストレスですよね。

ストレス的な事をアクセス不可領域に切り離すって、解離性健忘らしい状況だと思えます。


 つまり、作中で何度も発生する記憶喪失は、一種の解離性健忘だと考えられます。



 さて、人格とは記憶とは何のでしょう?

人格なんてのは、自分だと認識する記憶の集合体なのかもしれません。……自我ですね。

作中に記憶を管理する刻美という存在が登場します。

月乃は涼音が認識できる人格達のまとめ役……リーダーのような存在です。

人格にリーダーが存在するなら、解離した記憶のまとめ(管理)役がいても不思議ではない気がします。



 それにしても、記憶(経験)が人間に及ぼす影響は大きいのでしょうね。

全ての嫌な記憶(経験)を取り除いた作中でピュアと名付けた存在は、性格が別人でしたから。後には別人格として解離したような気がしますが、当初それを別人格だと思わなかったのは、嫌な記憶以外は本人と同じ記憶を持っていたからです。



 人間の記憶は不思議すぎます、謎すぎます。

どうやって覚えるのか、何故忘れるのか、何故忘れないのか……私にとっては不思議なことです。

もしかすると、全ての人間が記憶を解離する仕組みを保持してるのかもです。

全ての人間は、その仕組みを持って生まれたのかもです。


 解離性同一性障害の自覚や発症が、大人になってからという事も少なくありませんが、多くの専門的な解説では幼少期のトラウマによって無自覚な中にも始まってると言われています。

大人になってから自覚・発症しても、その根本原因は幼少期のトラウマが原因だとかね。


 私には、この幼少期に発症するというのが鍵だと思えます。

人間は皆、生まれた時に解離の仕組みを可能性として持っていて、幼少期にそのスイッチが入らなければ捨てていく能力じゃないかなと思えます。


 ほら、幼少期に天才児、大人になったら凡人とかって珍しい話でもないですよね。

そこまでいかなくても、小さいお子様の不思議な行動を発見した事はありませんか?

幼少期には、人間はいろいろな可能性を秘めているのだと思います。


 もう一つだけ、私はこういった問題を正常とか異常で区別するのが嫌いです。

だから障害という言葉を使う事にも抵抗があります。

私達が正常と言っているのは単なる多数派なだけってことはないでしょうか?

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