44-気まぐれとバグ

 コンビニを出た涼音の歩き方は明らかに変だった。


 僕が初めてここに来た頃ような歩き方、虚ろな感じでフラフラと左右に蛇行しながら歩いていく。

 僕が初めて彼女に会った頃には確かにこんな歩き方をしていた。だけれど最近はいつも手を繋いで歩くのが当たり前になっているし、しっかりと普通に歩く事が多かった。

 今の彼女は僕の手を求める事もなく……、いや僕なんか居ないかのようにフラフラと一人で家に向かって歩いている。



 僕は様子を見る為に5m~10mくらい後ろをついていった。

 時々彼女は後ろを振り向いて、僕の存在を確認してる事に安堵する。良かった、僕の事を忘れたり、僕の事を知らない人格が出てきてるわけではなさそうだ。

 涼音はその後も時々後ろを振り返って、少し離れてついてくる僕を確認しながら自宅マンションまでフラフラと歩き続けた。



 部屋に入ると疲れは果てたかのうようにリビングの床に座る。

 その位置はいつもの場所ではなくて、お部屋の隅の方だった。


「涼音?……それとも別の人?」

 彼女の隣に腰を降ろして聞いてみる。


「……りん。」

 彼女の声はソフトな大人の声であった……、ピュアの声をもっと大人っぽくしたようなね。


「僕の事は知ってる。」

「樹さんですよね、……あとは何もわからない……。」

「そうか、りんさんか。 僕の事はわかるんだね?」

 彼女は大きく頷いて、その反動で顔にかかる長い髪を手でかきあげた。


「頭の中に他に誰かいるの感じない? その身体にはりんさんみたいな人が何人もいるんだよ。」

「……よくわかりません。 気がついたら歩いていたので……。」


「そうか、仕事終わって帰宅したところだからね。疲れてるんだよ。」

「……そうだ、夕飯作るから休んで待っていて。」

「はい、嬉しいです。」

 そう返事をする彼女の顔には初めて笑顔が浮かんでいた。



 それは、僕にとっては気まぐれだったのかもしれない。

 涼音(主人格)や他の人格の事を知らなくても、僕の事は知っていたのだから以前から存在した人格かもしれない。経験的には、内側から涼音を支える人格達は「気がついたらここにいた……」系の発言はあまりしない。


 普段なら、一時的に表に出て来た人格かなと思い、積極的には関わらないのだけれど……。よく知らないけど、異質な感じや悪意も感じないし、疲れて歩いてきたのだから食事を振舞ってあげようくらいの感覚。

 本当に僕にとって、それは気まぐれだったのかもしれない。



 キッチンで調理していると、彼女はリビングからチラチラ覗いてくる。

 僕はそれに気付いて、言葉を発せず笑顔で答える。

 彼女も僕の笑顔に気付くと、笑顔で返してくる。……可愛いね。


「お待たせ、さあどうぞ!」


 僕が勧めると、彼女は椅子に座ってテーブルの上を見回して、少し困ったような表情になる。

 親子丼とサラダなのだけど、好みに合っていかなったかな?

 心配してると、彼女はお箸を両手に1本つづ掴み不器用に丼ぶりの前に構えた。


「あ、ごめんお箸使えないのね。 待ってて。」

 僕は彼女の手から箸を受け取り、食器棚の引き出しからスプーンとフォーク取り出して彼女に渡した。普通に大人っぽい雰囲気だから油断してました、お箸使えない人格けっこういるんだよね。

 ……親子丼で良かった、これならスプーンやフォークでも食べれるからね。


「ありがとう。」

 彼女はフォークとスプーンを見比べて、そしてスプーンを掴んだ。

 文字通りスプーン柄をぎゅっと握っている、幼児が慣れない手つきでスプーンを掴んで食事する感じ。

 僕はすぐに席を立って、キッチンペーパーを取りに行った。そしてキッチンペーパーを彼女の膝の上と、テーブルに敷いた。


「こぼしても気にしなくていいから、好きなように食べてね。」

 彼女は大きく頷き、少しだけポロポロこぼしながらも嬉しそうに食べている。

 長い髪も邪魔になるみたいで、頻繁に左手でかきあげている。


 声と口調だけで判断したのは間違いだったのかな、意外に彼女の年齢設定は幼いのかもしれないね。


「ねえ、りんさんは何歳?」

「二十歳です。」

 スプーンを動かす手を止めて、彼女は満面の笑みで答えてきた。

 ちょっと年齢が意外だったけど、彼女にとってはコレが初めての食事かもしれないし、こういう事もあるよね。


 食事を終えると、少し汚れたキッチンペーパーを丁寧にたたんで「ごちそうさまでした」と言ってくれた。こんなところは大人なんだよね。


「そろそろ、眠くなってきたんじゃない?」

 そんな僕の問いに彼女は大きく頷く。


 涼音の生活サイクルでは、仕事から戻ったら休憩(一眠り)なのだから、当然だろうね。

 横になって身体をクッションに任せる彼女。僕はその隣で眠るまで頭をナデていた。



 時々こんな気まぐれしちゃうんだよね。

 記憶の断片と話した後なんかもそうだけど、変なモノや異質な感じのしないものは、僕が「眠りなさい」と声をかけると皆素直に眠りに入る。そして何も異変が無ければ、その後ではレギュラー人格か涼音が普通に覚醒する。

 

 基本的に、僕は涼音の中の存在する人格達のほぼ全員を好きなのだ。



 予想通りなんだけど、後で涼音に確認してみたら、りんの事は知らないし認識できないと言っていた。本当に涼音の頭の中には、どれだけの人格達が眠っているんだろうね。

 ついでに、僕の料理をりんが食べた事を知ると、苦情言われた気がするけど、聞かなかった事にしよう。その夜の「かまって!かまって!」攻撃がいつもいより激しかったのも気のせいだということで。



 その夜、涼音が眠った後でまたミラーが出て来た。

 時間は短かったけど、あのニヤニヤした気持ち悪い顔には嫌悪感を感じる。

 同じ涼音の中の存在なのだろうけど……、コイツはバグとかウイルスとか涼音や琴音が呼んでる存在だと思うけど、実際には僕には何もできないし、有効な情報も何も得られなかった。コイツは本当に何がしたいのだろう?


  ……そして、その時の僕は琴音の意味深な言葉を忘れていた。





 翌日。


 僕は涼音を勤務先の最寄り駅まで送り出してそのまま帰宅の途についていた。

 相変わらず通勤客で人の多いホームから人目も気にする事なく大きく手を振る彼女、いつ見ても大胆だなって思う。……それは素直な感情表現かな。

 僕は遠慮がちに胸のあたりまで手を上げて、小さく手を振るのがやっとだった。

 ……そう、僕と違ってやっぱり彼女は素直なのだ。




 その日の涼音は退勤時間が遅くなっていた。……珍しく残業があったらしい。

 僕達は生米の駅に到着した時から音声チャットを開始している。


「おつかれさまー!今日も頑張ったね。」

「うん、今日も2時間くらいしか寝なかったよ! 褒めて!」

「だから、それ褒めるとこじゃないから……。」


 涼音はそのまま牛丼店に向かった。夕飯ですね、僕がいないと彼女の食事なんてこんなものね。肉食娘め。

 会話こそしないけど、音声チャットは繋ぎっぱなしなので、周囲の音は丸聞こえ。 店員との定型的なやりとりで、彼女がよそ行き声と口調なのに思わず笑ってしまう。その作ったような声と口調がピュアに似てるなって思えたのは気のせいかな。



 帰宅する彼女の靴音が聞こえてくる。意外にマイクって感度良くて、靴音とかはっきり聞こえるんだよね。靴音からすると彼女は元気に歩いているようだった……。それは、少し安心できる音。


「夜道怖いよー! 怖いよー!。」

 ワザとらしい彼女の声。


「大丈夫、こうやって音声接続してるでしょう!。」

「何でお父さんいないのよ!娘に何かあったらお父さんのせいだからね!」

「ちょ!それ酷い言いがかり!。」

「何よ、お父さんがまた直ぐに帰っちゃうから悪いんでしょ!。」


 声と同じで靴音も元気に響いている。


「……そろそろ羽尾ラーメン?」

「!!嘘、どうしてわかるの?」

「何度その道を一緒に歩いたと思ってるんだよ、靴音と時間見れば簡単に想像できるの。」

「えー!やだ、それ気持ち悪い、ストーカーだ!!」

 実際に二人で何度も一緒に歩いた道、そして周囲の街の音の聞こえてくるし、ある程度は何処を歩いているか想像つくんだよね。逆にいえば、想像つくくらい二人で一緒にその道を歩いてきたということ。


「ストーカーなんてしてないだろ、靴音と時間でわかるの!」

「だから、それ気持ち悪いってば!」

「気持ち悪いって酷いな。一緒に何度も歩いてるから判っちゃうのは仕方ないだろ。」


「ほんと、すぐに帰っちゃうんだから、娘大切じゃないの!?」

「大切にしてるから、今だってずっと音声チャット接続しっぱなしだろ!」

 こんな会話からは、由比がバグって僕を責めた時の言葉とダブるのを感じる。

 やはりバグってたとはいえ、由比は涼音の本心を代弁してたような気がする。

 それでも……、こんな会話をしていられるってことは、彼女に何も起きてないってことで安心なのだけれどね。



 異変は部屋に入ってからだった。


 部屋に入って荷物を置く音が聞こえた直後から静寂が始まった。

 仕事で疲れたので、いつもの休憩に入ったのかなと思っていると動いているような物音がする。


「涼音……、涼音さん」

「はい……、あなたは誰?」


 また人格交代かな?。口調は少し前に聞いたような気がするのだけれど思い出せない。僕の記憶ってポンコツね、彼女の記憶力を分けて欲しい。


「僕は樹、あたなのお父さんみたいな存在だよ。」

「私のお父さん……?あれ私って名前なんだっけ?」


 別人格かなと思って話を進めると、別人格ではない気がしてきた……。

 そう思えたのは、話してるうちに彼女は少しづつ思い出してきているからだ。

 また、記憶喪失……、記憶喪失って癖になるのだろうか?

 他の人格も呼び出せないし、日付や時間すら認識していない彼女。

 今までの本人の記憶喪失では、自分の端末を操作したり食事やトイレという生活する上での基本的な記憶はあったように思うけど、今回はそれすら失念してるみたい。


 いつぞやの「どうして座る必要があるの?」と言って部屋で立ち尽くしていた人格に似ている。今回も立つとか座るって概念さえ初めは消失していた。

 僕にしてみれば、座らせたり横になることで睡眠状態に誘導できた方が、涼音を覚醒させやすいし安心でもある。睡眠という行動が今出ている人格のリセット(交代)になる事が多いからだ。


 会話してるうちに、実際の両親や妹のこと、失念してた日付や時間や生活のことも思い出してきていた。


 会話を続けながら、僕はある事に気付き始めていた。

 バグった由比の言葉が涼音の本心の代弁であるならば……、そして今のこの状況……。「お父さんだけいればいい」という彼女がよく口にする言葉……。

 僕が彼女の部屋に居ずに離れていることが、彼女の中でストレスになってきてるのではないだろうか。

 カゴの中の鳥は、その狭い世界の中から唯一身近にいた僕という存在がいないと、不安で壊れそうになるということかな……。


「……ばいばい。」

 突然そんな声が聞こえたかと思うと、物音が遠くなる。

 たぶん通話していたマイクを外したのだろう。

 こうなると音声チャットのみで繋がった今の状況では面倒な事になる。

 そして何より『ばいばい』という彼女の言葉が突き刺さった。


 離れたところから会話するような声が聞こえてくるけれど、マイクが遠すぎて何を話しているのかわからない。よくわからないけど二人で会話してるような気がする。

 それでも、少し間隔を開けながら「涼音!」と声をかけ続けていた。


「……あれ……、お父さんの声が聞こえるような気がする……。」

「涼音! ここにいるよ!」

「ヤバいなー私、ついに幻聴まで聞こえるようになっちゃった。 アハハ…。」

「……」

 また声が遠ざかってしまったけど、今の声は間違いなくいつもの涼音だと思う。

 結局、その後は僕の声が聞こえていたか、聞こえてないか判らないけど、僕は無視され続けた。


 

 物音が止んだ0時頃……。


「樹さん、いますか?」

 落ち着いた大人の女性の声は琴音だった。


「今は主は昏睡状態です、他の人格もいません。」

「私が落ちれば、誰も出て来れないので、また眠り続ける事になるでしょう。」

「そうなんだ……。」

 僕は琴音に、さっき自分が思い至った事……、自分が少しでも離れると彼女のストレスが増大するのではないのかという事などを語った。


「樹さんのせいじゃないと思いますよ、ても、やはりこのまま放置はできませんね……。」

「先日も言いましたが、これからも主の事を宜しくお願いしますね。」

「うん、僕にできることは何でもしていくよ。……これまでもそうしてきたつもりだけどね。」


「はい、じゃあ私も戻りますね、主はまた昏睡状態になってしまいますが……。」

「樹さんも眠って下さいね。……主は朝には普通に目覚めると思いますから。」

「……そうか、琴音さんがそう言ってくれるなら安心だよ。いつもありがとう。」

「眠ろうと思うけど、何があるか分からないから、回線はこのままにするね。」

「はい、おやすみなさい。」

 そしてまた静寂が訪れた。


 僕は間接照明に照らされた薄暗い部屋で、紅茶を入れ直す為に席を立った。

 ティバッグを入れたカップにお湯を注いで戻って来た時に、携帯端末のメッセージ着信音がなった。送り主は予想通り涼音の端末。


――――――――――

我が主、さようなら

――――――――――


 これはどういうこと?

 涼音が僕に「さようなら」?

 違う、違うと思いたい……、じゃ琴音?。

 僕は繋ぎっぱなしの音声チャットに向かって「涼音!」「琴音!」と連呼した。

 メッセージでも『どういうこと?』と返信した。

 

 ……でも何も答えは返ってこない、静寂のままだった。

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