42-ピュアとお猿さん

 ピュアはあの夜のように、本来の涼音が戻らない事に悲しむ僕を癒してくれた。

 素直なピュアには捻くれた僕も素直になってしまう。素直に今の不安な気持ちを悲しみを言葉で伝えている。音声チャットなので声しか聞こえないけど、僕はピュアに抱きしめられているような感触を感じている。


 おかしいね……。

 記憶を欠落させてるピュアに比べたら、僕は社会的経験を持った大人の筈なのに……、ずっとずっと大人の筈なのに……。その時の僕は、まるで母に甘える子供のようにピュアに甘えていたのだと思う。

 優しい時間はそのまま空が明るくなるまで続いた。




 空が明るくなってきた5時半頃、無慈悲な時間の流れは現実問題を突き付けてきていた。


「まだ誰も戻らない?」

「はい、まだ誰もいません。」


 試しに涼音はもちろん月乃の名前も呼んでみるけど覚醒してくれない。

 いくら新しい派遣先が内定しているとはいえ、彼女が仕事を休んだりするのは致命的な事になる。正式なモノではないのかもしれないのだけれど、『契約解除警告』により5月の締め日までは休む事ができないのだから。


「今日は私が出勤します、お仕事の事はある程度わかりますので。」

 ピュアはそんな僕の心配に、自ら仕事に行くと宣言してきた。


 純粋なピュアが22歳涼音を1日で陥落させたアノ職場に出勤して大丈夫なのだろうか……。

 しかし、どんなに心配だろうと今はピュアに任せるしか手段がないというのも現実だった。


「じゃ、お願いするよ……。何かあったらすぐに連絡すること。」

「はい。」

「……それから、今日は無理だけど明日には僕も行くから、それを励みに頑張って!」

「嬉しいです! がんばれそうな気がします。」


 本当は、直ぐにでも彼女の元へ行って、近くで支えてあげたいけど、先約があるので無理。社会の中で生活するというのは、ほんとうに不自由なものだと思わずにはいられなかった。





 10時休憩時間。


――――――――――

仕事は思ったより簡単で大丈夫です

個性的な方が多い職場ですね

――――――――――


 ピュアからのメッセージを見て少し安心する。

 涼音のストレス要因でもある人間関係を、『個性的な方が多い』と書いてくるピュアに頼もしささえ感じてしまう。



 12時お昼休み。


――――――――――

お猿さんだと思えばかわいいですね

眠いので少し眠ります

――――――――――


 『個性的な方』から『お猿さん』と表現が変った事に思わず笑ってしまった。

 過保護や心配性ってダメだね、ピュアはこうして逞しく仕事してるじゃないか……。心配しないで送り出す事も大切だったのね。

 1時前にもう一度メッセージを交換して、寝過ごしてない事を確認した。ほぼ徹夜明けだからね。




 3時休憩時間。


――――――――――

お猿さんたち うるさいです

動物園だと思えば気になりません

――――――――――


 ピュア……。君は逞しい、大丈夫だね。

 僕が間違っていた、ピュアは強い子でした。



 18時前終業。

 僕はピュアと音声チャットを接続して、「お疲れさま」と労いの言葉をかけていた。


「午後に眠くなって、おトイレで10分のつもりが30分近く寝てしまいました。」

「昨夜はほぼ徹夜だったし、しかたないよね。」

 同僚を『お猿さん』と言う彼女にも驚いたけど、眠いから寝てきたとか……。この逞しさはなんだろう。


 ピュアは僕の心配をよそに、いろいろな意味で強い子でした。

 そう、トラウマ系の嫌な記憶が無いだけで、ピュアだって20年以上生きてきた涼音なのだと改めて考え直していた。

 人を最初の印象だけで決めつけちゃいけないと反省です。

 

いつの日か……、涼音が多重人格を治療した結果がピュアなら、それでも良いんじゃないかとすら思えていた。


 ピュアは1日頑張った自分へのご褒美ってことで、イタリアン系ファミレスで夕飯を食べて帰宅の途についた。

 さすがにファミレスや電車の中では会話こそしなかったものの、帰宅まで音声チャットは接続しっぱなし。ファミレスでの注文の様子や、電車内のアナウンスとかが聞こえて来ると、離れていても一緒にいるような不思議な感覚になれて面白いね。


 駅に到着すると、歩いて帰宅するピュアと他愛ない会話を楽しんでいた。

 息を切らしながら一生懸命歩いてる様子が目に浮かんで微笑ましくなる。




 ピュアが帰宅して着替えを済ませた直後の事だった。

「あのですね……、涼音さん戻っていますよ。」

「え!?」

 不意に聞こえたピュアの言葉に僕は驚いた。


「えっと、ごめんなさい……。」

「実は生米の駅に着いた頃から涼音さんも他の方達(別人格)も戻ってきています。」

「え!本当に?」

 まさかの生米駅アラームが今日もまた機能していたのかと思ってしまった。


「はい……、涼音さんはまだ眠っていますけれど、起こせると思いますよ……。」

「月乃さんが、『樹さんが壊れそうだから、もう少しこのまま癒してあげて』と言っていたので……。言うの遅くなってごめんなさい。」


「そうだったのか……、月乃がね……。」

 ……何度目だろう……、僕やこうやって何度も中の人達(別人格)に優しい嘘をつかれたりして癒されてきた。

 ほんとうに中の人達はみんな良い人過ぎて、優しすぎて……涙が出そう。


「どうしますか? 起こしますか? もう少しこのままでも良いのですが……。」


 みんなの優しさ、ピュアの優しさに僕は守られ癒されていたのかな……。

 直ぐにでも涼音と話したい筈なのに…、僕はこの優しい時間をもう少しだけ味わいたいと考えた。


「うーん、せっかくだから後30分だけこのままで……。」

僕は、この優しい時間の追加リクエストをしていた。




「おはよう!お父さん」

「おかえり、涼音。」

 涼音はいつもように元気に覚醒した。

 いつも思うのだけど、落ちてた時に心配していた事を考えると、場の雰囲気や緊張感を壊すテロリストに感じてしまう。


「こら! 心配したんだからな、…今回はほぼ1日だ。」

「ごめんってば……。」


 その後で僕は彼女に昨夜からの事を簡単に話した。

 みきちゃんの事には触れずに、ショックで落ちて全然覚醒しなかったこと、ピュアが現れた事、そしてピュアが代りに出勤してくれた事を説明した。

 涼音も聞いてこないし、みきちゃんの事を今言う必要はないだろう。


 ただし……、涼音が大切にしていたSOAのあのパーティーはもう終わりかもしれなし。たぶん覚えているとは思うんだよね。1日かけて自分の中で整理・消化してきたのかもしれない。だからこのタイミングでも「私はお父さんだけいればいいの」と言ってくるのだろう。


 記憶も大雑把に確認してみたけれど、とりあえず問題無はさそうだった。

「後は何か変わった事ない?」


「うん、大丈夫!」

「……あ!でもね、最近またバグってる気がするんだ、ウイルスがいるようなね…。」

 今度はウィルスときたか。

 本当に涼音の頭の中はパソコンなんじゃないのかなと思ってしまう。


 詳しく聞くと、ドロップ事件の前のようなバグが時々いるのは感じてるんだけど、何かそれが涼音の人格の奥底に無理やり入って来きて、既に何かいるような気もするという事らしい。

 抽象的すぎてさっぱり判らないってのが正直なところだけど、琴音の話を聞いていたので、彼女の言ってたのがソレかなって考えてみた。

 ……やっぱり判らないんだけどね、ほんと具体的に何か表面に出てこないと対応できない自分が情けないって思える。……理解できてないってことだからね。


 数分前までは、ピュアには明日行くって言ってたけど涼音が覚醒したので取りやめようかなって考えていた。だけども、やはり近くに行ってみようと考え直した。


「ピュアに約束したから、明日またそっちへ行くよ。」

「ピュアに約束したからって何よ! ぶー!ぶー!!」


「ピュアに嫉妬するなよ!……今日だって仕事代わってもらったのに。」

「……ポンコツ娘に逢いたいから行くんだよ、……ってことで許せ。」

「なんかその言い方イヤ! ぶー!ぶー! ……でも待ってるよ。」



 不安材料はある筈なのに、昨夜と比較するなら今日は平和な夜。

 ふっと少し前に涼音が言っていた言葉を思い出した。


『私だったら、こんな面倒な女、絶対付き合いきれないわ。』

『お父さん、よくこんなポンコツ娘から逃げ出さないね。』

 ……まったくその通りだよね、思い出した言葉に苦笑したくなる。

 自分でも本当に恋愛なのか迷う事もあるし、彼女の持つ性質からのあるリスク考えてしまう事もある。けど、こんな涼音だからこそ他の男なんかには任せられないし、僕が近くにいべきだよね。大切な存在なのだけは間違いないのだから。



「ねぇお父さん、娘はどうしたら娘から卒業できるの?」


「現実をしっかりと受け止めて、逃げ出さない事かな。そうなったら、対等なパートナーとして認めようかな。」

「……それでも娘なのは変わらないかもだけど。」


「うん、私頑張る。」


 前日ほぼ徹夜だったこともあり、二人共その晩は早めに眠りについた。




 翌日


 夕方のカフェには、あらゆる年代、あらゆる属性の人達が集ってるように感じる。

 人の人の距離は近い筈なのに、不思議と個人の空間が保てる不思議な場所。

 電車の中では他人の事を電車の一部みたいに考えて、感心を持つ事を排除してるけど、カフェでは人間がたくさんいると感じられる、電車の中と違って人の話し声、ざわめきも大きいけれど、それでも個人の空間が確保できる場所。マナーというやつかな、それぞれに世界を作り入らせない、他人の世界に入らない。

 人恋しくて誰かの近くにいたいけど、自分の世界に入ってきて欲しくない自分にとっては快適な空間。


 お店のロゴ入りの白いティーカップのには底は少しだけオレンジ色に染まっている。


 もう、そろそろかな……。

 僕は少し早めに着いてしまったので、鶴見のカフェで涼音からの連絡を待っていた。生米まで行ってしまうと、時間を潰す場所が少ないから二駅手前の鶴見で降りてカフェに入り浸っていたのだ。


「お父さん、お待たせ!」

 彼女は仕事用のバッグを僕にアタリマエのように預けて注文カウンターの列に向かって歩きだす。

 さてと……、お父さん業の始まりかな、彼氏のようなものだけど……どっちなんだ? ……両方かな。


 笑顔でカフェラテを運んでくる。

「今日は頑張ったじゃないか、娘のままココに来るなんて。」


「エヘヘ、でしょう!……なんてね、……今日も午後少しだけ月乃に代わってもらってたの、終業のチャイムと同時に目が覚めたよ。 褒めて!」

「それ褒めることなのか?」


 彼女は5月一杯で今のストレスの塊のような職場から移動出来る事が決まってはいるけど、相変わらずのようだ。

 仕事や同僚の愚痴を聞きながら、時々自分のタブレットに視線を落としつつ彼女がカフェラテを飲み終えるのを待つ。ピュアは同僚をお猿さんだと思ってたみたいだけど、涼音は一応彼らが人間に見えてるのね。


 こうやって外にいる時は少ないのだけれど、彼女の部屋で一緒にいると、いろいろな事が起きるんだよね。それは部屋にいる油断からなのか、疲れている夜間だからなのかよくわからない。

 僕が来るのを待って、何かがわざと問題を起こしてるんじゃないかという気さえする。


「あのさ、帰りはりさちゃんに代わってもらっていい?」

「うん、いいけど……、どうして?」


 僕はりさとの「今度お外にも連れてってあげるね」という随分前の約束を思い出していたののだ。彼女の了承を得てりさを呼び出す。


「約束通りお外だよ、これから一緒に帰ろうね。」

「うわぁ!りさはじめて!。」


 二人で手を繋いでカフェを出て電車に乗って帰りの途につく。

 終始キョロキョロと周囲を興味深そうに眺める彼女……中身幼女・23歳だけど150cmの小柄な体。

 キョロキョロ周囲を眺める女の子の手を引いて歩くのは、長身の中年のおじさん……。絶対コレ犯罪者香が強く漂ってるよね。


 以前に涼音と夜遅くにコンビニに買い物に行く為に手を繋いで歩いていたら、途中でパトカーが二人の横を10秒くらい徐行して走った事があったのを思い出した。

 声すらかけられなかったけど、ぱっと見はやっぱり犯罪者に見えるのだろうね。

 その後に二人で「ドキドキした」とか笑い話にしてたけどね。


 それでも彼女(りさ)は嬉しそう、笑顔を見ていると嬉しくなる。

 今度は由比ちゃんにもお外見せてあげよう考えていた。

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