39-記憶の地雷
キッチンのコンロの周辺にキッチンペーパーを敷き詰めてと……、フライパンセットをしてと、……これでいいかな。
「やるよーおいで!」
「はーい! 今いくね。」
涼音はリビングの床で、携帯端末に没頭していた涼音は、端末を置いて、キッチンへと駆け寄って来る。
そんな遠くないんだから、走らなくていいのに……。
ほんと娘はお肉大好きな肉食女子だね。え?意味が違うって……、気にしない、気にしない、本来の意味だって彼女は持ってるのかもしれないのだから。
狭いキッチンのコンロの前に、普段は盛り付けに使ってる折り畳み式のテーブルをセットする。キッチンが狭くて盛り付けに苦労していた僕が、ついネット通販でポチっと購入してしまったものだ。
ほんと、狭いキッチンなんだよね……、所詮一人暮らし用のお部屋だから仕方ないのかもだけど、もう少し広さがあればと、いつも思う。
これから一人暮らしご用達、キッチン焼肉をするのだ。
世間はゴールデンウィークに突入してるけど、皆が大連休になるわけじゃない、涼音もその例に漏れずカレンダー通りに出勤となる。
それでも待ちに待った連休開始、その夜に僕はココ(涼音の部屋)に戻って、キッチン焼肉のセッティングをしていた。
少し火力の弱いIH調理器は不満だけど、油はねの汚れ防止に周囲にキッチンペーパーを敷き詰められるのは後の清掃を考えると助かる。さすがにガスの炎じゃ、この手法はかなり危ない。
……さぁ焼肉、焼肉。
狭いキッチンでテーブルの前に身を寄せ合うように、二人で乾杯!。
「おつかれさまー! ウェルカム 連休!」
「おつかれさまー! やっときた連休!」
「お酒、口ほどに強くないんだから、あまり飲むなよ。」
「わかってるってば! 大丈夫だよ。」
僕も缶ビールを一気に喉に流し込む。……うん、やぱっぱり最高!。
フライパンでお肉焼いてるので、けっこう油が跳ねる、当然のごとくお肉のお世話をする腕には止めどなく油跳ね攻撃が襲い掛かる。……ってことで鉄板奉行は僕役割、……ほら僕はゲームでも盾役だからね。
トングで肉の手入れをして、焼けたお肉をキッチンペーパーをひいた大きめの取り皿に並べてる。フライパンで焼いてるから、キッチンペーパーに油を吸わせるくらいで丁度良いんだよね。
その取り皿から、二人はそれぞれの小皿に注がれたタレに漬けて、お肉を口へ運ぶ。
白いご飯に、タレを付けたお肉をのせてっと……、うんやっぱり焼肉は美味しい。
新しく買ったわけじゃないけど、いつの間にか僕のご飯茶碗も決まっている。
……彼女は基本一人暮らしってこともあって、食器がペアに揃ってるものは程んどない、逆にその個性的な食器のおかげで、いつの間にか僕の食器も決まっていた。
同棲してるつもりは無いのだけど、実質同棲生活みたいな状態になっていた……。それは1っか月前には想像すらしてなかったこと。
やってることは、実質主夫……。いやお父さん?、もしかすると下僕かな(苦笑)。
連休といっても、僕らは特に二人でお出かけする予定はない。
涼音は美白命ってことで、紫外線の強いこの時期に積極的にお出かけするタイプではないんだよね。……可愛いを維持する為には、いろいろ努力が必要ってことらしい。
なので、連休に来てはみたもものノープラン。
二人は、ほぼこの部屋に引きこもり生活って事になるだろう。
記憶の方は、過去の男性関係以外はだいたい思い出してるようで、ほぼ生活には支障ないレベルになっている。
それでも、時々、記憶の地雷を踏んだかのように思い出す事があるのだろう、何度かショック状態に陥る事がある。……たぶん、ショック原因の多くは雪村の記憶。
仕事中や外出中にショック状態になったという報告はない、それがないのは助かる、やはり自宅でゆっくりしてると、記憶の地雷を踏む事が増えてしまうのかな。
夕食後には、涼音はお風呂に、僕は洗いもの。
お風呂からは、いつもの何を言ってるかよくわからない、独り言のようなものが聞こえる。ほんと、いつも思うけど何話してるんだろうね、僕の噂話でもしてるのかと思うのは、自意識過剰すぎなのかな。
僕が自宅に戻ってSOAにログインしてた時には、涼音もログインしていたのだけど、こうして僕がまたココに来ると、ログインする気が起きないという。
それはそれで、二人でノンビリできる時間が増えるから良いのだけれど……。
「私は、お父さんだけがいればいいの!」
彼女のその台詞は、普通なら喜ぶべきところだろうけど、彼女のいろいろなことを見てきた僕としては素直には喜べない。
……なんて考えてる間に、涼音が携帯端末を掴んだまま固まってる。
……これは落ちたな。
最近では、もう慣れてしまってるから、慌てる事もなく彼女の肩を抱き、耳元に魔法の言葉を囁きかける。
「1年目・二人の夜」
彼女は、すぐに覚醒してくれた。
このくらい短時間では、本人も眠っていた感覚にはならずに「おはよー!」って覚醒ではない。
たぶん、悪夢を見て目覚めたかのような、気持ち悪さが残っているのだろう。彼女は虚ろな目をしたままゆっくりと僕を見つめてくる。
僕はそんな彼女の頭をポンポンして、「おかえりなさい」と声をかける。
それは、いつもの事になりつつあった……いつも、……少し多すぎないか?。
外出中や勤務中はそんな事ないのに、何がそれを誘引するのだろうか?。
ノンビリ自宅でくつろいでいると、自分の記憶の地雷に触れる機会が多い?
……はじめはそう考えていた。
僕は気付いた、彼女が自宅で落ちる時の多くは、自らの携帯端末を持っている時だということに。
……これは……。
「月乃さん、出てこれる?」
思い立って月乃を呼んでみた。
「はい、呼びましたか?」
すぐに、冷たく冷静な声が返ってくる、ほんとうにいつの間にか、別人格を呼び出すことも、手慣れたものになっていた。
「以前、雪村からのメッセージとかは見れないようにしていたよね?」
「はい、……その後に主は雪村のメッセージを自分でブロックしてた筈ですが……。」
メッセージじゃないとすると、あれかな?
「SNSとかはどうなってるの?」
「……たぶん、そのままだと思います、……少なくとも、私は何もしていません。」
それだ!それだ!……彼女は自分でSNSを開いて閲覧してる時に、雪村の投稿が目に入ったのだろうと思った。
「涼音が頻繁に落ちるのは、SNSとかで雪村を発見してしまうからじゃないの?」
「そういえば、この部屋にも雪村の物や服が残ってますよ。……あのシャツもそうですし。」
彼女の指さす方を見ると、目立つところにシャツがハンガーに掛けてあった。
これじゃ、彼女が自宅で頻繁に落ちる訳だ、自宅には記憶の地雷が沢山転がっていたのだ。
しかも、散らかった汚部屋のあちこちに、荷物とゴミに埋まるように雪村を思い出すような物が転がってるような状態。この部屋はまさに地雷原、地雷だらけだったのだ。
しかし、今はまだ何もできない、涼音は表に出ていなくても覚醒している、何か行動を起こせば、涼音の目の前でトラウマ発掘大会になりかねない。
僕は月乃と相談して、次に涼音が落ちたら地雷除去の大掃除をする事にした。
「涼音は今の話聞こえてるかな?」
「大丈夫ですよ、主は単純ですから……、樹さんの事を信頼しきっています。」
オイオイ!まるで僕が何か悪事を働くか、騙してるようなモノ言いはやめてくれないかな月乃さん。100歩譲って、僕が悪人顔で会話する鏡(裏人格)に、そういう言い方されるなら、仕方ないっても思うけど、月乃に言われるとすごく複雑なのだけれど。
こうして、地雷除去作業は、次に涼音が落ちた時に実行することになった。
……今は、少しでも彼女を安定させたいのだ。
問題は、次の落ち方……、月乃達別人格が覚醒可能な状態で落ちるかどうかだね。
23時過ぎ
僕はいつもの椅子に座って、紅茶を飲みながらタブレット端末でニュースチェック。涼音もいつもの定位置で、お菓子をつまみながら携帯端末で何かしてる。……ゲームかな、SNSかな?
この二人で過ごしていても、過度に干渉して来ないのが心地よいんんだよね、それはきっと彼女も同じだろう。
……最近少しだけ「かまって」攻撃が増えた気もするけど。
不意に彼女は、少し苦しそうな声を出して、倒れ込んだ。
……地雷踏み抜き、ショック落ちキタ!。
僕はすぐに彼女に駆け寄り、上半身を抱き起す。
「月乃さん、出てこれますか?」
「……はい、大丈夫です。」
良かった、出てこれた。
月乃に彼女の携帯端末を操作してもらい、雪村のアカウント・サブアカウントをSNS上でブロックやミュートの操作をしてもらう。
僕は直接画面を見るのを遠慮して、いつもの席に戻ってその様子を眺めている。
涼音はSNS中毒みたいなところもあって、多数のサービスにアカウントを所持してるので、簡単ではなさそうだ。彼女は床に座ったまま、何度も首をかしげて、考え込むようなそぶりを見せながら、端末の操作を続けている。
記憶領域が違うので、ダイレクトに涼音のSNSアカウントを全て把握してるわけではない。おそらく、後ろから見えていた画面の記憶から、SNSを発掘し、雪村のアカウントらしきものをブロックしたりしてるのだろう。
多重人格をどう考えるかにもよるけど、顔認証や指紋認証などのあらゆる生体認証は、同じ生体(身体)を共有する別人格にとっては無いのに等しい。
パスワードや暗唱番号にしても、直接記憶ではなくても、主人格がパスワードを入力する様子を、内側から視覚として見ていたりすることもあるのだろう。
月乃自信は、主のプライベートに関わらない主義だと言っていたけど、いざこうして必要に迫られれば、涼音の持つプライベート情報なんて、何でも探っていけるのだろうね。
記憶領域を共有できる桜花からすれば、秘密なんてものは存在しないのかもしれない……。逆にそうであるから、今回は桜花には協力を依頼したなかったんだよね、記憶の共有ということは、桜花のした事も共有される可能性が高いからね。あくまでも、そっと消しておきたかったのだ。
涼音のプライバシーの塊である携帯端末の操作を、月乃にお願いする事になったのは、僕として少し引っかかるモノはある。
結局のところ、月乃達を別人格と認知しながらも、同一の人物でもあるという認識を、自分がお願いした事への免罪符にしていた。
そして、やはり僕にはその操作する画面を覗き込む事には抵抗を感じて、遠くからっ見守っているのだ。
信頼は裏切れない……。必要以上に干渉してはいけない。
「判っているものは、全部ブロックしました。」
彼女が僕にそう報告するまでに、すでに10分以上経過していた。
「じゃ、次は雪村に関係ある物を集めて。」
「はい、わかりました。」
彼女はすぐに立ち上がり、散らかった部屋の中を発掘しながら、物を拾いはじめる。
見ると、けっこうな量がある。はじめは捨ててしまおうかと思っていたけど、勝手に捨てるのには、やはり気が引ける。
とりあえず、彼女が滅多に行かないであろうと予想される旅行、それに使うと思われるキャリーバックを引っ張り出して、その中に収納する事にした。思ったよりも量が多くて、小さなキャリーバックはパンパンになっている。
「おつかれさま!」
「いえ、大丈夫です……、主の為ですから。」
彼女は、涼音の時には滅多に座らない椅子に腰を降ろす。
僕は、そんな彼女に労いを込めて、冷たいミルクティーをコップに注いだ。
主の為か……、僕は涼音以外の多重人格を知らない、涼音の中の人格達は、なんだかんだ言っても涼音(主人格)を立てて、そして支えてると思う。
少なくとも、僕がよく会話するレギュラー人格達はそうだと思う。
……あの鏡(裏人格)でさえそう思える。それだけに涼音も何かあると他の人格達に頼って(逃げて)しまうのかもしれないけど。
とにかく、これで携帯端末内と部屋の中の地雷のお掃除は完了した。
彼女(月乃)が一服のミルクティーを飲み終えるのを待って、涼音を覚醒させる。
「涼音、戻ってきなさい、……『1年目・二人の夜』。」
……
覚醒しない、……二度三度繰り返すけど戻ってこない。
落ちてる時間が長くなったから?
あるいは……、落ちてるとはいえ、月乃の知覚を通して数々のトラウマ物品に触れた事で、ダメ押しを受けた…?
ダメ元で………。
「二人で過ごした雨の朝。」
「……樹さん、おはようございます。」
涼音とは違う柔らかい声のピュアが覚醒した。
ピュアへの魔法(暗示)の方が強力なのかな……、暗示は素直な方がかかりやすいと聞いた覚えあるしね。
「おはよう、ピュアだよね。」
「はい、ピュアです。」
彼女はニコニコしていて、呼び出された事が嬉しそうだ。
「本来の涼音が落ちたままで、なかなか覚醒してくれないから、試しに呼んでみたんだ。」
「そうですか……、私が起こしてきましょうか?」
彼女はちょっぴり残念そうな顔をするけど、すぐに僕にとっては嬉しい提案をしてくれる。
「そんな事ができるの?」
「はい、たぶんできると思います。」
少なくとも、最初のピュアは涼音から記憶が抜け落ちた存在だと思っていたけど、今のピュアはどんな存在なのだろう?
他の人格とはちょっと違うので、僕は意識してピュアをあまり呼び出さないようにしていたのだ。
鏡を呼び出して、影響が他の人格に及ばない事は確認済みだけど、それでも何か他の人格にも影響がありそうな気がするんだよね。ピュアは解離したような気がするけど、涼音の記憶喪失状態の再現なのだから。
それからもう一つ別に理由もあるんだけれど……。
「……ううーん……おはよう!お父さん。」
そして、涼音はあっさりと覚醒した。
涼音が落ちた時に、新しい覚醒手順ができたのかもしれない。
直接起こせないなら、ピュアを呼び出して、ピュアに起こしてもらう。
なんとなくだけど、別人格が起動できるような落ち方で、直接涼音を覚醒できなかった時には、この方法がいけるのかもしれない。
……ゲームで言うなら、新しいスキルを獲得しました状態かな。
それにしても、汚部屋………。
とりあえず地雷の撤去は済んだし、最近は別人格が部屋を荒らしてる様子もない。
この連休は、お部屋のお片付けしようかな、……言ってなかったけど、僕は整理整頓されたお部屋が好き。
でも面倒な事は大嫌い……、最近、自ら面倒な事に巻き込まれている気がするのは、……気のせいだよね。
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