S3-月乃さん
『32-週刊記憶喪失』のショートストーリー
(フィクション成分5%)
――――――――――――
自動販売機で買ったばかりのミルクティーを一気に飲み干して、神田駅の改札前に立っていた。
間もなく、仕事を終えた涼音がやってくる筈。
朝元気にここで「大丈夫!いってきまーす!」と元気に手を振って仕事に向かった涼音は、あっさりお昼前に落ちてしまい、月乃と桜花の人格で仕事をしていた。
数分前に「終業、これから向かいます」と、たぶん月乃が書いただろうメッセージを受け取っていたから、もうまもなく彼女はやってくる筈である。
ダークスーツを着た小柄な女性がこちらに向かって歩いてきた。
「お疲れ様でした、……えっと……」
「ありがとうございます、月乃です。」
「おつかれさま、やっぱり涼音は落ちたままなのね。」
「はい、眠っています。」
僕は彼女から仕事用の重いバックを受け取り、二人で改札に向かって歩き出す。
そんな僕の右手に、彼女の手が触れた感触を感じた。
あれ、ちょっと意外、……月乃が僕に手をつなぐ催促してくるなんて……、僕は一瞬戸惑ったけど、そのまま彼女の手を握り、改札へと向かった。
電車の中でも、つり革に掴まる僕の身体に身を寄せている。
僕には、この月乃の行動が意外すぎた………。
彼女はいつも冷静で感情を見せない、その声は冷たく感じる程だ。
その対応に僕は、はじめの頃は月乃に嫌われてるかもって考えていたほどなのに。
男性はおろか、他人に頼ったり慣れ合ったりしない人だと思っていたのに……。
最近になって、それなりに信頼されてきたのかなって、やっと思えてきたばかりなのに、こんな風に寄り添ってくるなんて、想像したことすらなかった。
『怖いけど、信頼できる人』それが、僕の彼女に対する正直な気持ち。
これは意外性のギャップというやつかな、僕は今、月乃のことが可愛いらしく思えている。
……友人自殺の責任感から生まれたという彼女、そしてアノ涼音をずっと支え続けてきたのだ、きっと常に強く冷静である必要があったのだろう。
そう思ってたら、本当に可愛い頑張り屋さんに見えてきた。
思わず、つり革を掴んでいた手を放して、彼女の頭を軽くポンポンしてみた。
苦情言われたり、睨まれるかと思ったけど、彼女は少し僕に視線を向けただけで、また電車の中の人と同化するように、無表情で僕に寄り添ったまま真っ直ぐ前を向いている。
乗り換えの品川駅で、彼女は自販機でドリンクを買って一気飲みしてる。
うーん、その姿はサラリーウーマン。
「はあぁー 疲れました。」
「ほんと慣れないのに、お疲れさまでした。」
「まったくですよ、主あっての私達ですから、仕方ないのですけどね。」
月乃の声質はいつも通りだけど、少しいつもより感情が感じられる気がする。
「疲れたろ、軽くうどんでも食べていく?」
「それでも良いのですが、私はお蕎麦のほうが好きなんですよね。」
「え!なんだ涼音がうどん好きって言ってたから…、実は僕も蕎麦の方が好きなんだよね……、蕎麦にしよう!。」
「あら、嬉しいですね、じゃ行きましょう。」
月乃と二人で肩を並べて蕎麦をすする事になるなんて、思ってもみなかった。
疲れてるだろうからと、この先は快速ではなく普通で帰ろうと提案して、赤い電車に乗り込んだ。
予想通り、座席にゆっくり座る事ができる。
隣に座った月乃とは膝の上で手をつないで、そして彼女は、そのまま僕の肩に寄りかかって眠っている。僕が、「この先は眠ってようが、誰(別人格)が出て来ようが、ちゃんと連れて帰るよって」言ったのもあるけど、本当に寝てしまうとは思ってなかった……月乃って実はかわいいのね。
完全にギャップ萌えというやつでしょうか……僕って浮気性?イヤこれって浮気なの?
考えてみたら、月乃と僕は涼音を支える同志のようなものだよね。
僕には月乃の苦労は判るし、月乃も僕の苦労を……判ってるかな?
最近、いろいろあって疲れてるし、たまには月乃と一緒に帰宅するのも新鮮でいいかな、リフレッシュってやつね。……これは自分の言い訳なのか?……自己分析する自分に嫌気がさしてくる。
電車は生米の駅に滑り込む。
月乃は車内放送で到着を知ったのだろう、しっかり起きている。
あとは、月乃と手を繋いでゆっくりマンションまで歩いて帰るだけ。ほんとうに、たまにはいいよね、と浮気男特有の思考に陥っていた。
ホームに降り立ち、手を繋ごうとした時だった。
「おはよー!樹さん」
ヲワタ!!
―fin
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