35-純粋な記憶

 土曜日の午後


 お父さんがお出かけしたお部屋で、私は一人で自分の頭の中を散歩していた。

 最近、毎日している自分探しのお散歩。

 ほとんど思い出したと思うんだけど、何か大きく欠けてるような気がするんだよね。……気になるー。


 時々、変な色した塊も覗いてみるんだけど、その先は何も覚えていない、気がつくとそこには何もないし、何を見たのかも覚えてないんだよね。本当は少しだけ判る、悪夢を見た後のような嫌な気持ちだけが残っているから。

 でも、そんな時はお父さんが抱きしめてくれてること多いから、だから安心する。


 本当は、何だったのかすごく気になるんだけど。


 気になる、気になる、気になる。

 怖い……、怖い……、怖い……。


 ほかの子(別人格)が、私の身体で何をしてるのか判らないのは怖いけど。

 自分の記憶が、何か大きく欠けてる気がするのは、それよりも何倍も怖い。


 いつだって、自分が判らない事が一番怖い。


 それにしても、お父さん遅いなぁ……。早く戻って来ないかな。

 お父さん帰ってこないと、娘グレちゃうよ。

 ほんと時間かかりすぎ!、戻ったら絶対文句言ってやる。

 娘グレちゃおう!



 お父さんいないと暇すぎ、早く帰って来ないかな。

 SNSでも見て暇潰そう。


 ……へー、このバンド、来週ライブやるんだ、以前は■■と毎回行ってたけど、おかしいな行かなくても良い気がする。……アレ?誰と行ってたんだっけ?

 えっと次は……。ギャハハハハ何これ!超ウケル!!

 ……えっと次は雪村……。えっとコイツ誰だっけ?


” 雪 村 ”

 ■■■■!■■■■。

 ■■■■■!!

 ■■!■■■!!

 


  ……お父さん…たすけ……いない……。






 土曜日16:30


 僕は椅子に座ってニュースチェックをしている、時々床で眠る涼音に視線を投げながらね。本当にピクリとも動かないな、やっぱりこれ普通じゃないよね。


 彼女の元に行って、声をかけて身体を揺さぶるけど、やはり反応がない。

 うーん困った、眠り姫でもやってみるかな……。僕は眠ってる彼女の上半身を起こしてキスをしてから、耳元に息を吹きかけるように「涼音、起きなさい」と囁いてみた。

 次の瞬間、彼女の体に力が戻り、開かれた瞼がふわっと開いた。

 眠り姫作戦が本当に効くとは思わなかった……。あれ、いばら姫だっけ?。


「うーん……、樹さん……おはようございます。」

「おはよう!」

  彼女は眠そうに目を擦りながら上半身を起こす。本当にただ眠りから覚めだだけみたいにね。

でも、あれ?樹さんって……そして、この声……違う。


「あれ、君は誰?」

「え?樹さん……、私です」


「え?、えっと……。」

「涼音です、忘れないでくださいね……。酷いですよ。……どうかしたのですか?」

 すごいソフトな声、そして口調……。りさを大人にしたような声。

 今までなら、別人格だとすぐに判断しただろう、だけど、その時の僕は何故かこの声の主を涼音ではないと否定できなかった。……それは直感。


 起き上がってクッションに座り直す彼女。

「ちょっと眠り過ぎちゃったかな、頭が少しぼーっとしています。」

 やっぱり声も口調も全然違う……ソフトで良い声。


「涼音さんは、別人格?」

 感じた疑問をそのまま口にしてみた。


「え、別人格って、どういうこと?」

 彼女は、多重人格であることを知らなかった。


 また記憶喪失?……不安になった僕は、彼女の記憶を確認する為にいろいろ聞いてみた。


 多重人格だという事は全く記憶になく、頭の中に誰かいるような感覚もない。

 仕事の事は覚えている。……これは安心材料。

 さらに、僕の事だけじゃなくて、両親や学生時代のクラスメイトの事も覚えてる。

 過去に男性と付き合った事がなく、それどころか男性の友達は誰もいないという。

 友達に限った事じゃなく、クラスメイトも女性限定で覚えてる状態。

 そして、僕が最初に付き合った男性だと言う。


 さらに、自分の部屋を見て、

「汚い部屋ですね、嫌になります、後で片づけますね。」と言い出す。

 今まで、この汚部屋を自ら片付けようとした人格は1人もいなかったというのに。

 本当にコレ涼音?……いや僕の中で、何かがコレは涼音だと感じさせている。


 ……また新しいパターンだ。……それならば、人格の確認しなきゃ。


「君の頭の中には、何人も自我を持つ別の人格がいるんだよ。」

「えー!!それってすごい事ですよね、本当にそうなんですか?」

 不安がるでもなく、素直に驚いてる様子の彼女。


「ちょっと呼び出してみるから、僕の声を、頭の中に届けるようにイメージしてね。」

「はい! かわりました。」

 すごい素直で良い子の気がしてきた……。いや涼音がそうじゃないってわけじゃないけど。


「月乃さん、出てこれる?」

「……呼びましたか?」

 いつも通りの月乃がでてきた、いつもの声、いつもの冷たい口調、このいつもと同じだってことが、今の僕にはとっても嬉しい。


「あ、良かった、今の涼音さん。今ね……、ちょっと声違うんだけど、たぶん涼音さん本人だと思う人格が覚醒してるんだけどね。」

「多重人格の事を全く覚えてないし、頭の中に誰かがいる気もしないというから、心配してたんだ。」


「……何かショックがあったようです。」

「私は大丈夫ですが、少し中でも変な事になってまして……。」


「変なこと?」

「何人か人格が消えたり、入れ替わってたり……。私は大丈夫ですけど。」


「あ、確認忘れてた、月乃さんの記憶は大丈夫?」

「はい、全く変なところはないと思います。……それより他の人格が……」


 月乃さんには全く問題ないけど、頭の中も何か大変な事になっていて、忙しそうだった。

 月乃が存在して、記憶も問題ないという確認はしたので、涼音さんに代わって貰う事にしたけど、多重人格の自覚のない涼音が、ちゃんと出てこれるのだろうか?。


「涼音さん、出て来れる?」

「はい」

 良かった、簡単に代われた。


「今、君の頭の中の月乃さんって人と話してきたよ、何か感じた?」

「うーん、よくわかりません。」

「少しだけ時間が飛んだような気がします。……自分の名前を呼ばれる直前がプツって途切れてるような……。そんな感じがしました。」

 そう言って、申し訳なさそうに首をかしげる彼女、今更ですが可愛いんだけど。


「じゃ、試しに目を閉じて、頭の中で強く『月乃さん代わって』て念じてみて。」

「はい、やってみます。」

 うん、彼女は素直だ。

 そして、あっさりそれは成功した。

 出てきてもらって悪いんだけど、忙しそうだから直ぐに戻ってもらった。……ごめんね月乃。


「なんとなくわかりました。」

「……不思議な感じがします。……すごいですね私。」

 なんか、彼女は素直に驚きつつ笑顔で喜んでる。


 多重人格だなんて思ってなかった人が、自分の中の別人格をあっさり呼び出せたら、驚いたり、怖がったりしないのだろうか……。

 ううん、僕はなんとなく判っていた、彼女はすごく素直で、起きた事をそのまま素直に受け止めているだけなのだ……。偏見とか疑惑が全くない。本当に、こんな素直な子見た事ないってくらい、素直だなって感じ。

 何の偏見もなく、素直に目の前の事を受け止める事ができるなら、自分の中の不思議(多重人格)さえ、そのまま受け入れる事ができるんだ……。


 それでも、これは僕は今まで見て来た涼音ではないので、何度か「涼音!涼音戻って来て」と耳元で囁いたりするけど、彼女はそんな僕の事を見て、不思議そうに首をかしげるだけ。

 ついに、僕は彼女にとっては酷だろうけど、「今の君は、その身体の本当の持ち主じゃない、別の君がいるんだ」と訴えていた。

 彼女はそれすら、少し悲しそうな顔をして「そうなんですか、なんかごめんなさい。」と謝ってくるだけ、彼女自身の自覚もなく、どうする事もできないようだ。


 さらに、僕が夕飯を作る時には、「お手伝いしますね。」と言い出してくる……。「いいよ、ゆっくり休んでいて」って断ったけどね。

 涼音が今までそんな事を言い出した事は一度だってない。


 由比の真似して「おまえー、だれだー!!」って叫んでみたくなった。

 ……正直に言います、ハッキリ言ってこの子、僕の好みにストライクです。



 今の涼音の可愛い声にデレデレしていると、突然、冷たい声に代わった……月乃が交代したようだ。


「樹さん、中の情報をお伝えしますね。」

「美緒と桜花が消失しました……。それから……」

「美雪が入れ替わったようです、普通の人になってます。」


「え、普通って……?」

「ですから、その……、淫乱とかじゃなくて、普通の女の子になってます。入れ替わったのだと私は考えています。」

 美雪って今までは普通じゃない認定だったのね、美雪さん今度僕が慰めてあげるね。……普通の意味での『慰め』ね。


「そちらはどうですか?」

 月乃から質問された。


「りさちゃんは、ちゃんといる?」

 僕はふっと気になていた事を聞いてみた。……年齢は違うけど、りさとピュアは雰囲気がどこか似てるんだよね。


「はい、りさはいますが、それが何か?」

「今の涼音さ……、すごい素直で良い子なんだ、そして雰囲気がりさちゃんに似ていたから、もしかしたらって思ったんだけど、違うみたいだね。」

「そうなのですか……。」

「あっ、雰囲気が似てるだけで、今の涼音さんは普通に大人の女性っぽいよ。」


 月乃は情報交換を終えると、また涼音と交代した。



 その後も僕は、可愛い涼音と話続けて、いろいろ判ってきた。

 彼女は男性との交際はおろか、男性の友達の記憶が全くない、クラスメイトに男性が居たような気がするけど思い出せないという。その結果、キスすらしたことないという。そして、友達にイジメを受けた経験もないという。


 彼女の記憶は、まるで女子だけの学校で大切に培養されたお嬢様状態だった。

 どうりで、僕のハートを……、訂正、素直で良い子って感じるわけだ。

 聞いてはないけど、たぶんレイプの記憶もないと思う。そして男性経験も記憶にない……。だからその結果、男性体験の集大成みたいな美雪が入れ替わって普通の女の子になってしまったのだろう。


 それなら、JK美緒が消えた原因も想像できる。美緒はたぶん高校生だった頃のイジメからの退避人格だった可能性がある。イジメの記憶がない今の涼音には、美緒が存在する理由がないのだろう。


 ……美雪はなぜか普通の人になって転生したっぽいけど、意外にあの人の存在って強いな……。それとも美雪には、他にも何か存在理由があるのかな?


 つまり、今の涼音は、たぶん子供の頃からの嫌な記憶を捨て去った、純粋培養されたような涼音さんだ。りさに雰囲気が似ているのも、これで納得できる。

 僕は、りさという幼女人格は、幼い頃に憧れた涼音の姿だと思っていたから、あるいは幼い頃の退避人格だったのだろう。


 今、僕の目の前にいる涼音は、涼音自身のある種の憧れ、あるいは、彼女が忘れたいモノを全て忘れた状態、ある意味彼女の願いが叶った状態。りさが傷つくことなく、そのまま大人になったようなものかもしれない。とにかく、嫌な過去の記憶のほとんどを除去した涼音が、今僕の目の前にいる涼音。


 これは別人格なのだろうか?……違うのかもしれない、別人格なら美緒が消えたり美雪が変わったりする事はないように思えるから。

 記憶喪失のニューパターン? 週刊記憶喪失 第3号、バージョン3?

 それとも、やはり特別な形の別人格?

 

 だんだん、何をもって涼音本人の人格と考えれば良いのか、判らなくなってきた。



 たぶん、今目の前にいる涼音は、今の瞬間は幸せなんだろうな……。

 そのまま、生きれたらいいのだろうな……。


 でもね、わかるんだ。

 僕は汚い社会で、いろいろなモノを見ながら生きてきたから、わかるんだ。


 今の涼音は、とっても純粋で、素直で、素敵で幸せだと思う。

 でも、この純粋培養されたかのような素直さで現実社会に触れたら、きっと彼女はすぐに悲しい現実を知る事になり、傷ついていくだろう。……純粋なだけに小さい事で簡単に壊れてしまうかもしれない。


 ごめんね、涼音……。

 僕には、今の涼音が傷つかないように完全に守り続ける力はないんだ。


 僕は純粋な涼音に伝えた。

「やっぱり、今を生きるには……」

「全部じゃなくてもいいから……、辛い事、社会の汚い所を見てきた涼音じゃなきゃダメなんだ……。」

「やっぱり、僕が今日まで見てきた涼音じゃなきゃダメなんだ。」

「それが、本当の涼音なんだ。」

「本来の涼音に帰って来て欲しい。」


 涼音は、そんな僕の訴えを悲しそうな顔で聞いて、そして話終わって泣きそうになってる僕を抱きしめてて呟いた。


「ごめんなさいね……、私が『あなたの涼音』じゃなくて、ごめんなさい。」

「でも、私にも、どうしたら『あなたの涼音』になれるのか、わからないの……。」

「ごめんなさい……。」


 僕は彼女に抱かれたまま、彼女の胸から顔を上げた。

「ごめんね、君は何も知らないのに、八つ当たりしたみたいで……。」

「今の涼音は素直で純粋で、とっても素敵だよ……。今の涼音、大好きだよ。」

 一瞬唇を重ねて、再び甘える子供のように彼女の胸に顔をうずめて、目を閉じた。


 ……僕は、どうしたらよいのだろう?


 外には優しい春の雨が降りはじめていた。

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