34-不安と戸惑い

 さて、危険な爆弾(雪村)に釘を刺しましょうかね。


 記憶を無くしつつも、別人格達のサポートで、なんとか仕事を休む事なく頑張っているけど、雪村(彼もどき)が涼音に何かアプローチすれば、一瞬でそれが壊れかねない。

 今の僕達は、ギリギリの綱渡り状態なのだ。不安要素は少なくしたい。


 僕は、雪村に文書で引導を渡すつもりでいた。

 ……涼音と別れさせるつもり。会って会話なんかすると、彼のループして先に進まない話法で疲れそうだし、曖昧にされそうなので、文書でケリをつけることにした。

 雪村は、友人に弁護士がいるとか言っていたし、涼音の婚約の事などを相談しているらしかった。弁護士に相談される事も想定しておこう。


 まずは文章に織り込むべき点を書き出してみる。


――――――――――

雪村からの連絡により、涼音は度々ショック状態に陥いっていた。

それにより涼音の欠勤が増えて、勤務先より契約解除警告を受けている。

週末の雪村からのメッセージで遂に多くの記憶を失った。

雪村の記憶も喪失している。


よって、涼音を保護・サポートする立場の人間として、交際不能と判断。

交際関係解除と、涼音への直接干渉の禁止を要望する。


今後、この要望を無視して、涼音がショック状態になり、それにより勤務先から契約解除された場合は損害賠償を請求する。


涼音には、記憶にない人(雪村含む)からストーカー行為などを受けた場合は、直ちに警察に相談するように指導してる。


不服や問い合わせがあれば、僕を通して連絡すること。

僕を通す理由は、直接コンタクトを受けると彼女がショック状態になるから。

必要なら医師の診断を受けて、診断書も用意する。

必要があれば、更に代理人(弁護士)を立てる用意がある。

――――――――――


 たかが、男女交際にここまで……。でも隙を見せずに一気にケリをつける為。

 雪村は以前に、涼音の事を友達の弁護士に相談していると言っていた。……そんな情報を僕にくれるから、僕は隙なく対応する事にしたのだ。情報ってのはとっても大切なのだよ、雪村君。



 かみ砕いて言うと……。

 涼音ちゃんは雪村君からメッセージを貰うとショック状態になって仕事できないの、それでクビ予告受けちゃった。

 それで会社クビになったら損害賠償請求するよーって脅し。

 涼音の周りをうろついてたら、警察に言いつけちゃうよーって脅し。

 ついでに、雪村君のせいで記憶喪失になっちゃって、雪村君のことなんか覚えてないから交際なんか無理!!もう連絡もしないでね!。

 文句があるなら僕に言ってね……、でも争うなら、どんな手段を使っても争うからね。



 今の涼音に見せてもショック誘発するだけで、何の判断もできないだろうから、月乃に草案を見せて、これに相手が対抗して来た場合の手段も説明した。

 もちろん、診断書や弁護士なんてのは、こちらの覚悟を示しただけで、最悪にならなければ利用する気はない。


「……これでかまいません。」

「味方だから良かったけれど…、やっぱりあなたは、敵にすると怖い方ですね。」

「あれ、月乃さんは僕の敵になったんじゃなかったっけ?」


「……あの時も、簡単に雪村とのよりを戻されてしまったじゃないですか。」

「私は、簡単ではないと思っていたのに。」

「そのせいで、今の面倒な状況になってるんだけどね…ごめん。」


 よし、月乃(別人格代表)の了承は得た。




 草案を、ギチギチの固い文章を仕上げて、雪村にメールで送信した。

こちらとしても、弁護士とか面倒だから勘弁してもらいたいところだけど、どうなるかな。


 念の為、メールを送信する時に、メールサーバーとの通信内容を直接キャプチャ。それをプリントアウトして、封筒に入れて簡単に封印して自分宛てに普通郵便で送る。内容証明よりは弱いけど、単に「メール送りましたよ」よりは証拠能力が高くなるだろう。

 通信データのキャプチャは、ゲーム攻略してる僕にとっては、日常的にやってること。たぶん、それが必要になる事はないと思うけど、あくまでも『念の為』ね。


 いろいろ重なって、ついに雪村を切り離す機が熟したって事かな、熟した機は逃さない。




 翌日から涼音の勤務は基本、月乃と桜花、予備で月斗という形で再スタートした。

 僕も、勤務先の最寄り駅まで送り迎え。……そして、この状態でも涼音は夕方の生米駅になると人格交代して表に出て来る……。生米アラーム健在です。


 涼音曰く

「寝てたわけじゃないもーん、私だって自分の記憶探し頑張ってたもーん。」



 実際に、言葉通り記憶探しに頑張ってくれていたようだった。

 2日後には、涼音は仕事関係の記憶はほぼ戻り、3日目からは涼音本人が勤務するシフトに戻った。

 それでも半日くらいで落ちてしまって、先週のように、途中で他の人格に交代することになる。これは記憶喪失の影響ではなく、職場でのストレスのせいだと思う。

 ……22歳のやる気に満ちていた涼音を1日で陥落させた職場ですからね。



 そして、記憶も順調に回復していった。

 やはり記憶喪失は一時的なものという事だろう、ただ消失したティア・ドロップが大きく関わっていた部分……、過去の交際に関する記憶は殆ど戻っていない。

 時々、何かのきっかけで思い出してショック状態に陥る事はあるけど、僕の新しい技『抱きしめキスからの耳元囁き作戦』で落ち着かせる事ができるようになったので、大きな問題にはなってない。


 ゲームSOAや仲間達の記憶もほぼ戻っていたけど、やはりプレイする気分になれないという。


 ティアの入れ物である空(から)を作る為に、声と聴覚を捧げた時雨は、入れ物が壊れた事により、声と聴覚が戻っていた。これは、想定外の嬉しい出来事であった。でも、その声は以前とは違って、ハスキーになっていた。以前の凛とした声、実は大好きだったけど、ハスキーも悪くないです。



 雪村からは、メールを送ってから3日後に返信が届いていた。


――――――――――

もう、いろいろ疲れた

交際終了でいいよ

これまで僕があげた物を返して

僕も全部返すから

――――――――――


 これで、雪村も切れたことになる。

 しかし、最後までコイツは……。面倒だけど返事しておくか……。


――――――――――

常識的な事なので、ご存じだとは思うのですが

プレゼントは、渡した時点で所有権が相手に移ります

それ以外に涼音が預かった物がありましたら、リストにしてお知らせください

涼音は記憶を失っていますので、客観的に納得できる内容でお願いします

――――――――――


 ……たく、面倒な、僕は面倒な事は大嫌いなのに。



 表向きは、大きな問題もなく全てが順調に推移してるように見える……表向きはね。


 深夜、僕は美理と話していた。


「雪村と……、たぶん別れが成立したと思うよ。」

「そのようですね。」


 ベットの上で、二人は目を合わせる事もなく、淡い間接照明に浮かび上がる天井を見ながら話している。二人の会話の空気は重く沈んでいる。


「初めて会った時に言ってたよね、僕が全てを解決する鍵を持ってるって……。」

「ねえ、美理さん……、僕達は本当に問題の解決に向かっているのかな?」

 表向きとは別に、僕の中には大きな不安が育っていたのだ。


「どうでしょう?……こんな展開になるとは、私も思っていませんでしたし。」


「……今の主は、本当に主なのでしょうか?」

「やっぱり、そう思うのか。気付いてるよね……、そうだよね、気付くよね。」

「たぶんね……その疑問は正解だと思う……。」


 やっぱり美理も気付いているのだ、今の涼音が本来の涼音でないことに、それは僕も感じていたことだった。


「でも、こうなったら、戻れないし……。進むしかないよね。」

「……そうですね……。」




 金曜日の21時過ぎ。


「……って訳で、桜花(涼音)さんは今、SOAプレイできる状態じゃなくってさ……、良くなったら戻るから、それまで待っててあげてね。」


「桜花ちゃん、お大事にー」

「桜花姫、早く戻ってこいよー!」

「いつきさん、桜花をよろしくね。」

「桜花ちゃん がんばってー!」


 僕はやる気のない涼音(桜花)に代わって、彼女のパソコンから自分のアカウントでSOAログインしてパーティーメンバーに、リーダー桜花(涼音)のお休みの理由を説明していた。……記憶喪失には触れずに、ちょっとPTSDに陥ってるということにしいる。……実際にSOAの事は思い出しているしね。


 そんな僕の隣で、桜花は無言でゲーム画面を眺めている。

 その表情は、大切な仲間を見て懐かしむという感じではない。


 せっかくログインしたので、僕は桜花(涼音)のいないSOAでパーティープレイを2時間くらい楽しんだ。……いや、2時間くらいで気付いたから、早めにログアウトしたのだ。楽しむ僕に対して、退屈そうに眺める彼女の表情は、どんどん不満げになっていたから。……これはきっとアレだ。


「お父さん、私のパソコンで遊ばないで!」

 ログアウトすると、直ぐにこう言って頬を膨らませている。


「だって、ほら涼音、この前は具合悪くなって突然ログアウトしたんだよ。それからログインしてないから、みんな心配してると思ってさ、皆に報告しただけだよ。」


「報告だけじゃないもん!遊んでいたでしょう!」

「だって、ほらせっかく僕も久々にログインしたし……。」


「やだ!……私をかまって!……かまって!かまって!」

 僕を睨みつけながら、子供のように訴える。

 そんな涼音を抱き寄せて、頭をナデナデした。



 やれやれ……、これは嫉妬だろう……。とっても判りやすい嫉妬。

 思い起こしてみれば、記憶を失う以前……、僕達が直接会ってから、僕が彼女の前で他人と仲良く何かをするというのは初めての事だった。

 今の彼女の頭の中には僕しか居ないような状態でもあるし、仕方のないことかな。

 嬉しくあり、可愛いくもあるけれど……、本当にこのままで良いのだろうか?


 その後も、僕がいつもの椅子に座ってニュースや株価をチェックしていると、椅子の目の前の床にペタっと座って僕を見上げながら、「かまって!かまって!」と膝を揺すってくる。


 結局、僕はその後はずっと彼女とお話をしたり、動画を一緒に見たりして過ごした。そして愛し合って眠りについた。……彼女はね。僕はすぐに眠ることはなく、その後も記憶の断片と語ったり、他の人格ともお話していた。



 僕がココ(涼音の部屋)に来はじめていた当初は、二人とも他人と同じ空間で長い時間を過ごす事が苦痛だったのに、それがない事に驚きと不思議を感じつつも、心地よさを感じていた。お互いのする事に過度な干渉をせず、好きな事をできる。

 僕は自分の世界に集中していても、彼女と同じ空間にいることを感じる事ができる……、不思議な安心感と心地よさ。

 ふっと自分の世界から戻ってみると、彼女がいるのだ。それが当たり前で心地よかった。

 でも、今は……。



 美理との会話が思い出される……。

『今の主(涼音)は、本当に主なのでしょうか?』

 ドロップの事件から約2週間か……。僕も緊張の連続だった。

 ……自分でも今まで気付いていなかった、僕はずっとこの2週間、緊張していたのだった。……疲れているのかな?……窒息しそうになってるのかな?

 彼女の仕事サイクルも安定してきたし、来週は1度帰ろうかな……。



 事件は週末に起きる……。この僕と涼音のサイクルに、僕はもっと注意しておくべきだったのかもしれない。



 土曜日。


 ゆっくりと二人で午前中を過ごして、僕はお昼過ぎに食材の買い出しに行って来ると告げて部屋を出た。昨夜感じた窒息感、僕は買い物ついでに少し一人でお散歩するつもりでいた。


 ゴールデンウィーク直前、若い緑の木の葉が、高い太陽から降り注ぐ日光を透過して、光る木の葉になっている。……それは、緑が濃くなる夏になってしまうと感じる事ができない、今だけ感じる事ができるもの。そう……、見るというより感じる……。若葉と光のコラボレーション。


 ああ、やっぱり気持ちイイ!。

 僕の気分はすっかり、青空のようになっていた。



 僕は、いつもよりゆっくりとスーパーで食材を買い込んでいた。

 玉ねぎ、人参、ピーマン、じゃがいも、あっ大根も…、えっと日持ちする野菜はこんなものかな、日持ちしない葉モノは最低限っと……。卵はっと……うーん…この安いのでいいや。娘(涼音)は肉食だからな……肉は少し多めにと……!!お豚バラ少し安い、ラッキー……!え!ラム安売りしてる、珍しい…ゲット!。


 食材を買い物カゴに入れる度に頭の中では、次々と作る料理のイメージが更新されていく、この脳内作業も僕にとっては楽しい娯楽。


 僕がマンションの涼音の部屋に戻ったのは、出発してから3時間くらい過ぎてからだった。


「ただいま……、戻ったよ」

 ドアを開けていつものように声をかける。

「おかえりー」といういつもの返事はない。……寝ちゃってるかな?



 涼音はほんとうに頻繁に寝るのだ、それは記憶喪失以前から事……。彼女の頭はたぶん、別人格の存在もあって普通の人より頭の負荷が多くて、頻繁に休憩を必要としてるのだろうと僕は考えていた。お出かけしていて帰って来た直後の休憩、SOAプレイ直後の休憩、それ以外でも、彼女はふっと気付くと眠ってる事が珍しくない。



 キッチンに食材をおいてリビングに行くと、彼女は床の上で胎児のように丸くなり横たわっていた。

 僕は変な違和感を感じて、すぐに声をかけてみる。

 ……返事はない、身体もピクリとも動かない。

 慌てて彼女の呼吸と脈を確認した……、良かった生きている。眠ってるだけか。

 何がどう違うのかはわからない、でも何度も見て来た彼女の寝姿を、死んでる?って思ったのはこれが初めてだった。


 床にワンピースパジャマだけでピクリとも動かず眠っている彼女に、僕はそっと毛布を掛けた。

 ……死んだように眠るとは、まさにこの事か……。なんて考えながら僕は、いつもの椅子に座り、床で眠る彼女を見下ろした。


 ……やっぱり普通じゃないよね。

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