30-涙のしずく

 土曜日の午前中。

 僕と涼音は、休日をゆっくりと過ごしていた。


「樹さん」

「……えっと、あれ時雨さん?」

 時雨の声は琴音と似ていて、ちょっと判別しにくい。そして、時雨の方から僕に声をかけるのはこれが初めてだった。


「みーが復活したので、一応、お知らせしますね。」

「今、私のところに居ます。」


 僕は、また驚く事になった。

 時雨の話によると、小さな みーの欠片を時雨がみつけて再生させたらしい。

 由比の時も不思議だとは思ったけど、改めて時雨の不思議な能力に驚くことになってしまった。


 鏡(裏人格)達の言う事を信じるならば、時雨は僕が主人格だと思ってる涼音と同じ立場……鏡(裏人格)の直系って事になる。

 そして鏡は、時雨の声には不思議な力があるような事を言っていたし……。



「みーと交代できる?」

 一刻も早くみーに謝りたかった。


「できますが、記憶があるかどうかは、わかりませんよ。」

 ……そうか、由比の時も聞いた、ましろの時にも聞いた事だった、一度消えた人格が復活しても、以前の記憶があるかどうかは判らないのた。


 それでも………。


「うん、それでもかまわない、交代してもらえる」


 交代したみーは、記憶が完全ではなく、言葉も失い、また「みー」としか言えなくなっていた。でも、筆談が可能らしく、自らホワイトボードを手に取り話してくれた。


” 忘れてる事もありますが、だいたい判ります ”

” 今18歳です、以前は25歳でした 嬉しいです ”

 ……聞いてもないのに年齢の事を言ってくる、本当に嬉しいんだね……女心かな?


 僕は、自分の事、ましろの事を謝罪した。


” 気にしないでください 私も記憶が曖昧 ”

” きっと、余計な事を言ったのでしょう ”


 僕のせいで死んだようなものなので、心が痛い。

 月乃の言うように、生まれる事、消える事への特別な感情がないのだろうか。


「そうか……僕は、みーが言葉を話せるようになって嬉しかったんだ。」

「また話せたらいいね。」


” いいえ もう言葉はいりません ”

” 言葉を話せる事で、考えなくても良い事を考えたくない ”


 ……みーは、本当は全てを覚えてるのじゃないのだろうか?。

 覚えてるからこそ、みー本来の言葉を持たない存在に戻ろうとしてるような気がする。



 涼音にみーの復活を報告すると、涼音も復活に気付いていたらしい。

 時雨は認知できなくても、時雨と同じ場所にいるというみーは認知できるらしい。由比は時雨と融合した後、時雨を認知できるようになってるし……。存在する領域が違うのかなと考えていたけど、人格相互の認知は関係性など『つながり』が大切なのかもしれない。



 お昼過ぎ。

「あー!もうヤダ! なんなのよ!」

 涼音は、雪村からの誘いのメッセージへの対応に悲鳴をあげなら対応していた。

 土曜日だからね……、雪村としては彼女に逢いたいのだろうな。

 僕が言うのも何だけど、気持ちは判る……気持ちはね。


 そして、ついに雪村から電話がかかってきた。

 僕は、さすがに会話を聞いちゃいけないかなと、そっと音をがしないように注意しながら部屋の外に出た。


 外のお天気はとっても良い、4月後半、この頃になると、日差しに暑ささえ感じる。


 10分くらい後に、音をたてないように、そっとドアを開けて部屋に戻る。

 耳をすますけど、会話してる様子はない。電話は終わったかなと、音を立てないようにそっとリビングに向う。

 そこには、電話機を目の前に置き、虚ろに魂が抜けたようになってる涼音が座っていた。


「涼音! 涼音! どうした! 大丈夫か!」

 僕は駆け寄って、彼女の肩を掴んで、大きな声をかけて揺さぶるが反応がない。

 魂の抜けた人形のように、揺さぶられるままになっていた。

「涼音! 涼音!」


 彼女の身体に急に力が戻り、キッと冷たい瞳で僕を見上げる。

「涼音……?」


「月乃です。 まったく……困った事になりました。」

「あとは、私に任せてください。」

「私が雪村に電話します。」


「何があったの?」

「……裏切りのようなものですね。」

「私が電話しますので、任せて頂けますか?。」

「うん、わかった、よろしく頼むよ。」


 電話を手に持つ彼女を後に、僕は再び部屋の外に出た。


 10分くらい後に、そっとドアを開けてみると、まだ話が続いているようなので、再び僕はドアを閉じた。

 さらに10分後、そっとドアを開けると、まだ会話が続いている。長いな……。僕はため息をつきつつ、またそっとドアを閉めて外に出た。


 すごいな、普通の会話ならまだしも、月乃に責められるような会話を続けられたら、10分も耐えられずに根を上げそうなものだけど……。月乃に責められたり意見されたら、僕には10分も20分も耐えれる自信がない。……そういえば、雪村は会話がループして話が先に進まない奴だったのを思い出した。月乃もその会話ループの蟻地獄にハマってるような気がした。


 そして、その予想は当たっていた。

 結局、月乃は30分くらい雪村と話続けて、ぐったり疲れていた。

「もう嫌!疲れた。」

 月乃にそんな台詞を吐かせる雪村君……君はある意味すごいよ。


 そして、気になる事も言った。

「マズいですね、今のショックでアレが復活しそうです。」


 以前、琴音から聞いていたアレのことだろう、でもその時は詳しく尋ねることはなかった。そして、忘れそうになった……。涼音もすぐに覚醒して、明るさを取り戻したからかな。懸念事項が頭から抜けていた。

 あの月乃相手に30分も話し続けて、月乃に「疲れた」と言わせた雪村マジすげー!って二人で笑いながら話せるほどに、涼音は元気を取り戻していたのだから。




 午後3時頃。


 それは唐突だった。


「やばい!バグってる……。」

「アレが起きちゃった……。」

 突然、涼音はそう言ってカクっと落ちた、まるで魂が抜けたように…。


 そして…。

「うっ、……ぅぅぅぅ……」

「もういい、みんな嫌い、死ぬ、死ぬ、死ぬ…。」

彼女は泣きながら呟きだした。


「ぅぅぅ……ぼくは何もしてないのに、皆嫌いだ、みんな消えちゃえばいい。」

「ぼくなんか、消えちゃえばいいんだ。」


 まお?……、違うこれは、この声は……まるで男の子のようだと感じた。

 彼女はフラリと立ち上がり、キッチンへ行く。


 僕は、彼女が包丁を掴む前に阻止して、強引にリビングまで引き戻す。

「どうして? ぼくは死ぬ みんな嫌い もういやだ。」

 彼女はそう言いながら激しく抵抗する。


「まって!話そう!…君の名前は何?」


「……ぼくはドロップ。」

 彼女は僕の呼びかけに応じてくれた。


「どうして死にたいの?」


「だって、みんなでぼくをイジメルんだ…ぼくは何もしてないのに……。」

「みんなティアばかり大切にして……元は同じだったのに……。」

 いきなり、ティアの名前がでてきた事に僕は驚いた。



 僕は話しを聞き続けた。


 ドロップはティアと同じ存在だったらしい。

 ドロップはイジメられていた。だから、みんなを嫌いになった、この世界を嫌いになっていた。


 こんな自分は、いらないものだと思った。自分も嫌いになった。

 消えちゃいたいって思った。死にたいなって思っていた。

 でも、自分では何もしなかった、ただそう思っていただけ。


 何もしてないのに、みんなは「ドロップは悪いモノだ」って言ってイジメる。

 何もせずに、じっとしてただけなのに……ただ死にたいて思っていただけなのに。


 ティアだって何もしないで、じっとしていただけなのに……。

 ドロップだけが「悪いモノだ」って言われてイジメめてくる。

 自分だけがいつもイジメられるんだ。


 みんな大嫌い。

 みんな、いなくなればいい。

 自分も、いなくなればいい。


 ましろに封印されて、長い間一人っきりで暗いとこにいた。

 やっと今、暗闇から目覚めることができた。

 みんな大嫌い、何もしてないのにイジメルから。

 今度こそ、死んでしまおうと思った。


 ……ドロップの訴えは、こんな内容だった。



 自殺衝動があまりに強い。

 ちょっと油断したら、すぐに自殺してしまいそうな状態。

 僕は彼女を抱きしめて拘束している。


 途中で涼音の人格を呼び出すが、覚醒しない。他の人格も試すけど覚醒しない。

 最後の手段と、鏡(裏人格)を呼び出すが、それさえ無駄だった。

 涼音の身体は、完全にドロップに支配されていた。


 これがアレの正体だったのね、……ドロップか……。



 もし僕が、いきなりドロップに会っていたら、それは危険な思念の塊で、取り除べきモノと認識して攻撃(イジメ)していたかもしれない。

 でも、僕はドロップよりも先にティアに出会っていた。


 ティアの名を聞いた時に、単純に綺麗な音、綺麗な響の名前だと思っていた。


 でもドロップに出会って判った、それはtear(涙)だったのだと、そしてドロップはdorop(しずく)、そうteardrop(涙のしずく)という二つで一つの存在なのだと理解できた。

 小さい頃からイジメに受けていた彼女(涼音)の心を表現するかのような、悲しい名前『ティアドロップ』。


 ドロップの言う、ティアと同じ存在だったというのは、そういう事だろう。

 そして、ティアとドロップは同じ根を持ちながら、相反する望み『人の拒絶』と『人恋しさ』、それが分離して生まれたのだろう。


 たぶん、幼い頃から受けていたイジメ……。

 イジメの苦しみと憎しみ持って生まれたのがドロップ。

 イジメられて孤独だった寂しさから、人恋しい気持ちを持って生まれたのがティアなのではないだろうか。

 ティアドロップの根は「イジメられていて孤独だった」という事。


 そしてドロップの言う通り、彼らは何も行動はしてない。

 ドロップは「嫌い、消えちゃえ」って想い続けていただけ。

 ティアは「さびしい、離れないで」って想い続けていただけ。

 二人は何もしてない……想い続けるだけ。


 たぶん、ティアもドロップも僕が今まで接してきたような人格達とは違う、もっと心の奥底の、あるいは全体に根をはる存在で、涼音全体に影響のある思念のようなものだと感じられた。

 二人とも純粋に想い続ける、純粋すぎて個々で見るとバランスが悪い。

 でも二人が一緒に存在すれば、バランスが取れるのじゃないだろうか……。

 『人嫌い』と『人恋しい』の天秤。


 残念ながら、過去のましろ達は、僕のような気付きには至らなかった、あるいは気付いてもネガティブなドロップだけが害になると判断して消そうとしたのだろう。

 ティアの影響に翻弄され続けて、それについて考え続けていた僕だから気付けたのかもしれない。




 僕は、彼女を強く抱きしめた。

「僕は君をイジメないよ、君の辛さがわかるよ、だから抱きしめるよ。」


 それでも、泣いてる少年のような声で「みんな嫌い、死ぬ」と言い続ける彼女。


「僕は君をイジメないよ、君が存在して良いと思うから、君を抱きしめるよ。」

「僕は君を好きだよ。僕は君を大切な存在だと思ってるよ。」

 僕は何度もそんな事を言いながら抱きしめ続けた。


 やがて、彼女の身体から抵抗の力が抜けて、涙で頬を濡らしながら泣き続けていた。

 ドロップが覚醒してから長い時間……30分以上過ぎていた。


 僕は抱きしめていた手をほどいて、隣に座りなおし、肩を寄せ合い肩を抱いた。

 彼女は涙を流しながら虚ろに宙を眺め続けている。僕も同じく宙を眺めた。


「僕はね、ティアと話した事があるんだよ。」

「ティアもね、イジメられてはいないけど、やっぱり苦しんでいたよ、さびしい、さびしいって。」


「僕から見るとね、君もティアも、極端でバランスが悪いんだよね、バランスが悪いから辛くて、苦しいんだと思うんだ。」

「二人が一緒にいたら、もう少しバランスが取れると思うんだ。」

「今感じてる苦しさが、少し薄れるか、少し変わると思うんだ。」


「僕は、君とティアは離れてちゃいけないと思うんだ、二人は一緒にいるべきだと思うんだ、融合なんてできるか判らないけど、二人は一つになるべきだと思うんだ。」


「できるかどうか判らないけど、君が助けて欲しいと思うなら、僕はドロップを助ける為に頑張るよ。」

「だって、君の事を僕は好きだし、大切に想うから。」


 彼女は一言も発せず涙を流して、宙を眺めながら、静かに僕の話を聞いていた。

 肯定してるのか、否定してるのかも僕にはわからない。

 ……でも、想いが伝わったような気がする……。


 また、長い時間が過ぎていた……。

 僕は、再び彼女の正面に座り直した。

 そして、彼女の虚ろな目を真っ直ぐ見つめて声をかけた。


「涼音を返して欲しい……。」


 彼女の返事はなかった、表情も動かなかった。

 数秒後、カクっと彼女から力が抜けて涼音が帰ってきた。


「涼音? 涼音だよね?」

「んー、……おはよー!お父さん!」


 寝ぼけた声が帰ってきた。場の空気を破壊する天才かよ!

 ……ほんとうに、この子は……、ほんとうに、この子は……。

 僕は涼音を思いっきり抱きしめた。




 何が起きたか全く覚えていない涼音に、ドロップが現れた事、自殺しようとするソレを止めて説得したことを説明した。


「僕の説得、ドロップが受け入れてくれると良いのだけど……。」

「……うん。」


 僕はましろを呼び出した、ダメ元でドロップを封印したという過去をましろが覚えていないか聞いてみたかったのだ。


「おとうさん、なあに?」

「ドロップの事を覚えてる?」

「うん、ましろ おぼえてるよ!。」

 覚えていた、記憶を完全に無くして転生したわけじゃないらしい。


「ドロップはね、すごくつよかったの、ましろ たいへんだったの」

「ドロップをどうして攻撃したの?」

「ドロップは わるいモノ みんな いってたの」

「だから、ましろ がんばったの。」


「つよくて たおせないから ましろ がんばって ふういんしたの」

「そのときに ちからをつかいはたして しんじゃったの」


 ……ましろが、自分を犠牲にして、ドロップを封印したってことか……。

 まるで、由比の時みたいだなって思った。


「ましろ ちいさい かけらになって くらいとこに ころがってたの」

「ころんって」

「そしたら おかあさん(涼音)のこえがきこえて ましろ うまれたんだ。」


 なるほど、ましろは欠片になって、どこかに転がっていたら、涼音の願い聞きいて転生したってことね。


 もしかすると、人格達は簡単には消滅しないのかもしれない。

 由比も、時雨も、そしてみー、今回のましろの話……いずれも同じだ。

 小さい欠片のような存在になって残っていて、何かのきっかけで再生されるという事かもしれない。


 今回は、なんとか涼音の意識を取り戻す事ができたけど。

 ……ドロップが返してくれたけど、ドロップが僕の説得を理解して受け入れてくれるか、気になるところだ。

 後でまたドロップと話してみよう。


 長い夜が始まろうとしていた。

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