29-思念の断片
朝。
着替えを終えた涼音の髪を、いつも通り丁寧にブラッシング……。
涼音と手とつないで、居心地の悪さを感じながら駅まで送り出しす。
彼女のマンションに戻り、少しだけお部屋の片付けをして、二人の衣類をお洗濯。
その後、僕は眠りにつく……夜中に彼女が眠った(落ちた)後で、他の人格達の相手をしてるので、僕が眠るのは明け方近くになってしまうのだ。
昼間寝なきゃ体が持たない。
僕の存在が役立ってるのか、彼女は正常な出勤を続けていた。
お昼休みには、会社や同僚への愚痴が汚い暴言になって届くけど、それがストレス解消するって事なのだろうと、あまり気にしてない。時々頭の中にバグを感じるらしいけど、大事にはなってない。
午後に目が覚めると、お買い物したり、私用を済ませたり。
夕方には駅まで彼女を迎えに行き、夕飯を作って食べさせる。
日課のゲーム前には、お風呂上りの彼女の髪をブラッシング、夜中に二人で話した後は、ランダムに覚醒する別人格達への対応やお話。
……あれから3日目、僕はこんな生活をしている……、主夫状態。
心に浮かぶ『下僕』の文字。
3日目の夜、日課のゲームSOAをプレイする彼女は、ゲームチャットで突然に爆弾発言をはじめる。
「今日は、この部屋に人が来ているんだよー!」
ちょ!涼音!何を言い出すんですか!……僕は驚きつつ状況を観察する。
ゲームのパーティーメンバからは「誰?彼氏きてるの?」みたいな発言や、彼女を冷やかすような発言が飛び交う……。当然の反応だよね……きっと僕でもそうする。
「彼氏じゃないよ……、みんなも知ってる人だよー!」
「えー!」「えー誰?」パーティーは騒然。
僕もこの一言を横で聞いていて、一瞬氷った。
たぶん、この一言でメンバーのうち、誰かは察してると思う。……いつき(僕)だということに……。数日前からSOAにログインしてない僕………。桜花(涼音)の所にいる可能性のある人、メンバーの知る共通の人といえば、僕以外ないでしょう。
彼女はマイクを装着したまま僕の所にやってきて、「ほら、挨拶して」って言ってくる。……これはもう逃げられない、一言でも発すればマイクがそれを拾う……観念するしかない………。
僕は彼女のマイクに向かって声を出す。
「こんばんは、いつきです。」
「えーー!!」
「きゃーー!!」
「やっぱりー!!」
「何してるの!?」
予想してた通りの反応が聞こえてくる。
僕は、桜花(涼音のゲーム名)が、メンタル的に危険な状態で、それを支える為に来ていることを正直に話す。…あえて彼氏(雪村)の事には触れない……余計な事を言わないのは、詐欺師いつきのいつもの手口だ。
更に、彼女が多重人格であることも話した。
突然多重人格と言われても、半信半疑だろうし、世間一般には実態が認知されているとは言い難い。だから僕は彼らにも直接それを知ってもらう事にする。
さぁ、出動だ!恨むなら主(あるじ)を恨め!
「由比、出てこれる?」
「はーい!、呼んだ?」
明るいけど、幼さの残る声……明らかに桜花(涼音)とは違うと判る声の由比を呼び出した。
「今、由比ちゃんの声が、主(あるじ)のお友達にも聞こえてるよ、挨拶してあげて。」
「え!、うそ!、これみんなに聞こえてるの?……え!え!え!。」
突然の事に、驚きと緊張が同時にやってきたように戸惑う由比。
「……はじめまして、由比です。」
いつになく、少し固い由比の声に、再びパーティチャットは騒然!。
「うそ、声違う。」
「え?なになに?誰か来てるの?」
みんな、明らかに声質や口調の違う由比の声を聞いて、驚いたり戸惑ったりしている。
「……みんな……由比、緊張するよー!、みんな、よろしくね。」
さすが由比、すぐにいつもの調子が戻ってきた、この子は人当たりも良いしね。
最初に由比を出したのは、やぱり正解だったね……。これから由比を外交部長に任命しよう。
「かわいい!!」
「由比ちゃんよろしくー!」
「マジ!全然声違う」
「可愛い声!よろしくー!」
さすが、ネットゲーマー達、初見の人への対応と反応は手慣れたもの、全員が由比を歓迎してくれている。……そう、それは、ネットゲームで初見の人と初めて会った時と何ら変わらない対応。
「エヘヘ……、由比照れちゃうよー。 こんなんでいいのかな? みんなよろしくね。」
かわいい由比の声はみんなに大好評、女性のみきちゃんでさえ「かわいい!」と言っている。
「由比ちゃん、他の子も紹介するから、また後でね。」
「うん!、みんなバイバイ!」
そして、僕達が普段メンバーが落ちる時にするのと全く変わらない挨拶の声。
「由比ちゃん、またねー!」
「また遊ぼう! 由比ちゃんばいばい!」
「またねー!」
その後で、りさ・月乃・ましろを呼び出して、簡単に挨拶をさせた。
りさは、由比以上に戸惑い、そして照れていた。
そのウブな雰囲気がメンバーに伝わり、「りさちゃん かわいい!」旋風を巻き起こしたのは言うまでもない。
ましろは、いつものように僕を「おとうさん」と呼んだので、全員に僕が突っ込まれる事になった…。そりゃ僕はパーティーでヘイトを集めるが仕事だけどさ、こういう事でヘイトを集めたくない(苦笑)。
月乃は「主(あるじ)をよろしくお願いします。……でも私は、こういうところに出てくるのは好きではありません。」
冷たく言い放って、一瞬チャットを氷らせていた。
再び桜花(涼音)に戻すと、メンバーは驚きと疑問をぶつけてくる。
「今の本当に桜花ちゃん?」「全然声も話し方も違うね。」「多重人格ってはじめて!。」
でも、その反応に嫌なものはない、驚きと、たぶん感動のようなものすらあるように感じた。
「アハハ、バレちった……、うん、みんな私の中の子達だよー!」
桜花もそれに明るく対応していた。この桜花(ゲーム名)が、別人格の桜花なのか涼音なのか、僕には判断がつかないけど、それは伏せておいた。
僕がみんなに声をかけてみる。
「桜花ちゃんは、今まで怖くて隠していたんだけど、全然大丈夫だよね?。」
「何も問題ないじゃん、かわいい!」
「うん!」
「俺、由比ちゃんのファンになるー!」
「ほら、桜花ちゃん、大丈夫だろ?」
「うん!」
……やっぱり、涼音(桜花)のパーティーのみんなは、良い人ばかりだ。
こうして、僕が涼音のところに居る事、彼女の多重人格は公認になった。
僕と涼音の関係の深い部分は、あえて言わない。それぞれが勝手に察するだろうから、それに任せておくつもり。
そして、僕が以前彼女に言った可能性、多重人格だと知られても、変わらず受け入れて貰える可能性を実践させることができた。
SOAログアウト後
「どうして、僕のことを皆にばらそうと思ったの?」
「だって、お父さんとの関係、みんなに言いたくなって、我慢できなかったんだもん!」
「マジ、焦ったんだからな!」
彼女にデコピン2発。
……結果オーライだけどね。
リアルの人間関係より、情報の限られるネット上での人間関係の中の方が、それは容易な事なのかもしれない。
ネット上では、基本的には自分が開示した情報以外は伝わらない。
もちろん、長い間付き合っていると、その人の性格とか本人が見せるつもりのないモノも伝わっていくけどね。それでも、相手と対話するときに、まずは相手の開示した少ない情報を受け止め、認めないと何もはじまらない。疑う事はあっても、全てを疑ったらネット上では何も進まないのだから。
だから、涼音が大切にしているネットゲームSOAの仲間にカミングアウトできたのは、きっと良かったのだろうと僕は考えていた。
深夜。
彼女に雪村(彼氏)との状況を聞いていた。
よりを戻した翌週にも部屋に来たそうだけど、やっぱりイヤで他の人格に丸投げしたそうだ。
……それって、たぶん由比に聞いたやつだね。彼が別人格にオドオド怯えた態度してたってやつ。
その後、何度も逢いたい、逢おうってメッセージが届くけれども、その全てを断り続けて、現在に至るらしい。その内の何度かは、知らないうちに月乃が勝手に断ってくれて、助かったとも言っていた。月乃さん、相変わらず頑張っていますね。
メッセージを重ね続けるてるうちに、だんだん彼の地というか本質が出てきて、最近ではまた彼女を疑うようなメッセージが増えてきて、ストレスだそうだ。
僕としても、雪村との関係を切りたいのだけど、やはり僕が頼んだという事実と、彼女の中の存在がネックとなって、行動を起こす事ができてない。
雪村が邪魔な筈の鏡(裏人格)が、何か行動を起こしてくれた方が助かるような気がするけど、何もしてこない。
雪村への対応で、僕は鏡・月乃とは敵対関係になった覚えがあるけど?それが今では、鏡と僕は、仲良く語ってる仲になってる気がする。実際のところ、僕もまた雪村を切り離す考えだから、仲間に戻ったのかもだけどね。月乃なんか最初に「敵になりました」って言って以来、敵らしい事をしたことがない。
彼女が眠りに落ちた後で、僕はティアと話していた。
ティアの事は鏡(裏人格)・美理・時雨・琴音しか認識してないらしい、ティアも特殊だけど、琴音・時雨・美理も特別な存在なのだろう。
ティアの声は、泣いてるように細いものだった。
「わたしは、さびしいの、ひとりは嫌なの。」
「みんな、わたしを置いていってしまうのが嫌なの」
「みんなと一緒にいたいだけ」
「はなれないで……」
「あなたも、はなれないで。」
彼女は、月乃や由比のような他の人格とは明らかに違う。
彼女達からは自我のようなモノを感じていた。それは生きている人と同じではって思わせる程に。会話をして、新しい変化にも対応していく「生きてる感じ」がするのだ。でも、ティアからはソレを感じない。
ただ、寂しさと孤独を訴え、人が離れていってしまう事を嫌い続け、みなと一緒にいる事を願い続けている。会話がそれ以外に進む事はない。
最近、僕は毎晩のように年代の異なる若い頃の涼音……、涼音の記憶の断片達と話をしている……、そんな彼らにさえ、僕は変化……『生きている』を実感することがある。
それに対して僕がティアに感じてるのは、まるで思念の断片。
その想い・気持だけが切り取られて存在してるかのような、思念の断片みたいだ。 それは、まるで氷ってるかのように、変化が感じられない。
ティアが直接か間接かは知らないけど、やはり涼音の人から離れる事への拒否反応に関係してるのは間違いないと確信していた。
……そう、この頃になると、人格達が生きている人間と変わらないと感じてる理由が、彼らは変化してる事にもあると気付いていた。自我があり、個性があり、個別に記憶がある……、それだけじゃないのだ、彼らは日々の出来事の中で変化を続けている。
例えば、由比はその存在の目的がはっきりしている、それは『痛みを引き受けること』。その役割は、自らを犠牲にするほど彼女の中で健在だけど、明るく楽しい会話をしたり、ネットデビューにも対応したりと、はじめの存在理由以外の事を受け入れてながら存在している。月乃だって、友達自殺の責任感が、今では涼音の頼れるお姉さん兼、保護者みたいになってるし。
変化を続ける事が、生きるって事には欠かせない要素のような気がしていた。
そして、運命の週末がやってくる。
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