28-琴音のアドバイス
「お父さんが帰っちゃったからでしょ!」
月曜日の夜、帰宅が遅くなった涼音から、音声チャットで苦情を言われていた。
その日は帰りが23時くらいになり、駅に着いたところで音声チャットを接続して、夜道を心配してたら言われた苦情である。
「ちょっと曲がってみようかな……」
彼女はそう言った。後で聞いたら僕を心配させようとして、いつもと違う道へ入ったそうだ。
その後、数分間は彼女の靴音と息づかいだけが聞こえていた。
「あれ?ここどこ? 記憶飛んだ。」
僕も気付かなかったけど、歩いてるうちに他の人格に変わっていたらしい。
そして、自分のいる場所も、マンションの方向も、全く判らなくなってる状態。
僕が何か目印にないか尋ねても、狭い路地の住宅地で、何も目印がないと言う。
僕はすぐに、駅から歩いてきて曲がった時間的タイミングと、そこからの歩いた時間、そして『目印のない狭い路地の住宅地』という情報から、彼女の現在地を推測する。
まさか、こんな早くに先日の街歩きの記憶が役立つ事になるなんて思っていなかった。『狭い路地、目印のない住宅地』という情報が僕にとっては目印になる。場所のアタリをつけて、歩く方向を指示していく。
そして、やっと彼女のマンションまで誘導することができて一安心。
安心だった筈だけれど、……あれ、静かすぎる。
着替えの音も、足音も何もしない……。
「涼音?」
「……はい?……わたしのを呼んだのですか?」
返ってきたのは、淋しそうな大人の女性の声だった。
「あれ?…君の名前は?」
「………なまえ……なまえ……判りません、名前は何ですか?」
嫌な感じはないけど、また初めてのパターンに戸惑いを覚える。
「僕は樹、その身体の持ち主である涼音さんの友達だよ。」
「………よくわかりません。」
この状態は何?…これは人格?…まさか記憶喪失?
あるいは、その両方?
「今、どうしてるの?」
「…立っています。真っ暗です。」
「え?部屋の明かりつけたら?」
「…どうしてですか?」
「明るくなって、いろいろ見えたら何か思い出すかも?」
「……どうして思い出す必要があるのですか?」
……えっと、これはどうしたら良いのだろう?
状況を想像すると、彼女は部屋に入ってすぐに落ちた、そして直ぐにこの何も知らない人格が出てきたのだと思う。部屋の明かりも点けずに、人格が交代したその時のまま立っているのかな……。
「えっと、とりあえず、座ってみたら?」
「……どうして座る必要があるのですか?」
「立ちっぱなしだと疲れるだろうし、落ち着かないでしょう?」
「……よくわかりません。」
「月乃さん、月乃さん出てこれない? 誰でもいいよ、出てこれない?」
人格の交代を試みる。
「……つきの……わかりません。」
……人格交代も失敗した。
音声チャットでは、これ以上何をしたら良いのかわからない。
自分が今日その場にいない事が悔やまれる、そこにいるなら他にもやれる事はあったのに……。
もしかすると、角を曲がった時にも、この人格が出ていたのかもしれない。
涼音が覚醒するまで何もしゃべらなかったのも、この人格なら納得できる。
そして、帰宅しなきゃという本能にも似た意識から、涼音が僕の誘導を受けて部屋に戻ったけど、そこまでが限界だったのかも。
……全ては推測だけど。
でも、本当に今の僕にはどうする事もできない。
結局、30分弱、静かに時間だけが流れていった。
突然、足音や他の物音が聞こえだした。
「涼音さん?」
呼びかけてみたけど、聞こえてないのか反応がない。
音の様子から、通話用のマイクから離れているのだろう。
足音、ガチャガチャという物音、そして鼻歌、何を言ってるかわからないけど会話してるような声が聞こえている。それはマイクに近くなったり、遠くなったり移動を繰り返してるようだ。
たぶん、また人格が交代したのだろう……。
しかしこれは……、まひるが現れた時に感じた嫌な異質感を感じる。
僕は何度か声をかけるけど、端末から離れていて全く聞こえないのか、無視されている。
この状況も、まひるの時と同じだ。
ガチャガチャガチャ……
「……ねー、これかわいいね。」
「うん、これかわいいね。」
ガチャガチャ……
「こっちはつまらない。」
「うん、つまらない。」
ガチャガチャ…
テーブルの上で何かを物色してるような物音。
そして小学生か中学生くらいに感じられる女の子の声。
これは……、二人いる?。
「こんばんはー 聞こえる?」
返事はなく、物色しては、見つけたものを評価し続ける二人(?)。
とにかく、何度も呼びかけてみた。
「あれ? 人の声が聞こえる。」
「うん 人の声が聞こえる。」
やっと気付いてくれたようだ。
たぶん音の様子から携帯端末はテーブルの上だと思う。
「こんばんはー、テーブルの上にいるよー!」
「やっぱり人の声だ、こっちだよ。」
「うん人の声は、あっちからするね。」
「あ、電話から聞こえるよ。」
「うん 電話から聞こえる。」
やっとコンタクト成功。
二人は、双子の姉妹だと言う、名前は姉が優華(ゆうか)妹が礼華(れいか)。
姉の優華は男性が嫌いということで、話し始めると、声を出すのをやめてしまっている。
ずっとここに居ると言うが、この場所は初めてという矛盾を無視してる、さらに、この身体は自分のものだと言い張るし、別の人格に交代もできない。
双子なのに身体一つなのを指摘すると、いつも交代して身体を使う事、それが普通だと疑ってる様子がない。
……やはり、まひるの時と状況がほとんど同じだった。
嫌な異質感はアタリだった。
同じであるなら、涼音の言うところの『変なモノ』そして『バグ』なのかもしれない。
だけど……、だからといって、今の僕にはどうする事もできない。
話している間にも、ガチャガチャと部屋を乱暴に物色してるような音が聞こえるので、大切な物を壊されたりしないか心配。
どうして僕が予定外に帰宅した夜にこんな事に……。
それとも、美雪が誘惑してきた時のように、隙でも狙っていたのだろうか……。
「……ねむくなってきたね。」
「うん、ねむくなってきたね」
そんな言葉を残して消えていったのは、午前2時少し前だった。
涼音はすぐに覚醒した。
これまでの事を報告して確認をする。
やはり角を曲がった直後から全く記憶が飛んでる、しかも、僕の誘導を受けて部屋にたどり着いた事さえ記憶になかった。
僕が誘導した涼音も別の人格であった可能性がある。
お部屋の様子を聞くと、メチャクチャになってるけど、物を壊した様子はないとのことで、少しだけ安心した。
そして最後には……。
「お父さんが帰っちゃったからからでしょ!。」
ヤッパリ僕がワルイのデスネ……はいゴメンナサイ。
……本当に、なんて夜だ。
『誰ゆへに 我ならなくに(誰のせい?私のせいじゃないよ)』
差出人不明様、こんな使い方で宜しいでしょうか?
結局、僕が涼音の元へ戻ったのは水曜日の夜だった。
帰宅途中の彼女と鶴見で待ち合わせして、ステーキを奢らせられたのは、僕が予定外に帰宅した罰だとか……。
そして部屋に戻ると、いつもの汚部屋……いつも以上の汚部屋だった。
散乱するモノ、ゴミ……。
「これが一昨日の被害?」
「うん、そうだよ。」
……やってくれたな、優華・礼華。さすがに居場所がないので、少し片づけた。
いつもの椅子に座って落ち着くまで30分くらいかかってしまった。
落ち着いたと思ったら……、お風呂上りの彼女がヘアブラシを渡して、クルっと後ろを向く。……パートナーとは一体何でしょう……。
僕はこういうのを知ってる、それは『下僕』。
そんな事を考えつつも、彼女の長い綺麗な髪をブラッシングするのは、僕にとって楽しい事なんだけどね。
涼音曰く「私が髪の毛を触らせるのは、最上級の信頼の証なんだからね!。」
ハイ、ありがとうございます。
それが終わると、彼女はゲームSOAの時間、やっと落ち着いてニュースチェックを始める事ができた。
SOAが終わると、恒例の休憩タイム。
いつものように彼女はログアウトしたままの姿勢で固まっていた。
いつものように、ゆっくり彼女の体を横にして椅子に戻って僕は自分の時間を楽しむ。
突然、彼女が起きだしてきて、向かい側の椅子に座り、さっき片づけたばかりのテーブルの上をガチャガチャと物色を始める。
「涼音……、違うね。誰かな?」
「礼華よ……」
「あれー!、ここにあったんだけどなー……。」」
彼女は僕に視線を向ける事もなく、物色を続ける。
「覚えてる?僕は樹だよ。」
彼女はやっと僕に顔を向けた。
「いつき……電話の人? 覚えてるよ。」
「今日はお姉さんはどうしたの?」
「優華ちゃんは男の人嫌いだから、帰っちゃったよ。」
「帰った?どこに?」
「おうち」
「お家はここじゃないの?」
「うん だから、優華ちゃんはおうちに帰ったんだよ。」
またこれだ。矛盾を指摘すると、矛盾を無視するか、歪めるかのように、強引に自分が正しいように言ってくる。
「礼華ちゃん達はここで何をしてるの?」
「眠れないから、遊びたいの、ここには可愛い物がたくさんあるの。」
そう言って、彼女はまた部屋のあちこちを物色する。
結局、その日も30分くらい礼華は遊んで消えていった。
今回は近くにいたので、荒らされる横から元に戻していたので被害(散らかり)はない。
2回目か……。これは「定着」したって事なのだろうか……ヤバいかな。
そんな事を考えていると、涼音が僕の正面の椅子に座って、僕を見つめてくる。
涼音は、飲食以外では滅多にその椅子に座らない、彼女の定位置は床のクッションだ。
「君は誰?」
「こんばんは樹さん、一応は、はじめましてかな……琴音(ことね)です。」
彼女には異質感はない、時雨に似た知的で安心できる大人の声、たぶん普通の涼音の別人格だとだと思う。
「琴音さんね、はじめまして。」
僕は軽く頭を下げた。
「あ、でも、時々メッセージは送っていたんですよ。」
「え?君が? あ!!、……あの詩的なメッセージ?」
「はい、私が時々主(涼音)の身体を借りて送っていました。」
ここ10日くらいの差出人不明のメッセージは彼女だったのか。
疑問が解決して良かった……。いや本心は逢えて良かっただ。
「誰に聞いても判らないから、ずっと不思議に思ってよ。」
「私は1人でずっと見ていましたので、たぶん他の人格からは見えないと思います。」
時雨のような感じなのだろうか、それじゃ琴音を生み出したのは誰なのだろうという疑問も浮かんでいる。
「バグが大きくなってます、このままでは、もう少しで現れますよ。」
「……何が現れるの?」
「バグのせいで、以前消えていたモノが戻りそうになっています。」
うーん、よくわからない……。
「転生したのが ましろだったのは偶然ではなく必然だと思います。」
「それは以前、ましろが消したモノですから。」
偶然・必然……以前に彼女のメッセージで見覚えのある単語。
そして、何なのかわからないけど、ましろが転生前に消したモノということか。
ましろには戦って欲しくないと、その時強く思えた。戦いというと、由比が消失した時のことを思い出してしまうのだ。……というより、戦いがどんなものかわからないので、由比の時のイメージしかないのだ。
「僕はどうすれば良いんだろう?」
「私にもわかりません、バグが大きくなるのが止められれば良いのですが…。」
「樹さんが主に寄り添ってくれるなら、止められるかもしれません…。」
「……でも、いろいろ影響が出ていますよね、手遅れかもしれません。」
「うーん、よくわからないけど、僕が涼音に対して出来る事はするよ。」
「お願いしますね。 ……私はあまり表に出る事はありませんが、またお会いしましょう。」
琴音が落ちると、涼音は眠っていた。
椅子に座ったまま置いてかないでよ琴音さん……。
僕は涼音を抱っこしてベットまで運んだ、協力のないお姫さま抱っこは本当に不安定。苦労しました。
琴音の話を自分流に理解するなら、彼女のストレスとかを和らげて、寄り添って支えてあげれば、バグが止まるかもしれないって事なのだろう。
僕には、バグというものがよく判らないけど、ストレスとかそういう類のものなら、少しは僕でも助けになるような気がする。最近何度か会った『変なモノ』がバグだと言うなら、僕がいても何もできない気もする……。実際に何もできなかったし。
月乃が僕に言った「あなたには救えませんよ。あなたは、何も知らないのだから。」という言葉が僕の中で蘇る。
……ほんとそうだね、月乃さんの言ってる事は、やっぱり正しいんだね。僕はまだまだ涼音さんのことを知らない、そして救えますなんて断言することはできない。
涼音の事を知れば知るほど、あの時の月乃の言葉が理解できてくる。
その後、記憶の断片が覚醒して、彼女の思い出話に耳を傾けた、そして僕は眠りに落ちた。
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