―3― 記憶の約束

25-純粋な刃物

 お昼過ぎに涼音の住むマンションについた。


 少し離れた所から建物を見上げる。

 今度こそは、暫く来る事はないと思っていのたに…。

 週刊ポンコツ娘は、隔週刊ポンコツ娘になったのかな。

 約2週間前に、ここを離れる時に感じていた混沌は、僕の中ではかなり整理されてきていた。

 更に、今回の僕はもう一つ大きな決意をして来ていた。


 お部屋に入ると…。

 ハグとキスの挨拶。すっかりアメリカン親子。

 いや、僕達の関係は少しだけ進んだ筈なのだけど……。

 実際に今どんな関係なのかは、僕達にもわかっていなかった。涼音は、一応、まだ彼もどきと付き合ってるという立場。



「元気そうだね、おかしいな今日は平日なのに…。」

「ごめんって、だって本当に朝は気持ち悪かったんだもん。」


「会社で、いろいろあるんだろ?」

「……うん。」


 僕は、いつもの椅子に座り、彼女はいつもの床のクッションに座る。

 僕達の、いつもの位置関係。



「今、会社でどんな感じなの?」

「えっとね……。」

 涼音は、会社での不満を教えてくれた。


 最近の不景気で、自分のいる部署が暇になってきた。

 その為、最近は単純作業ばかり、それでも暇を持て余す事になる。

 やる事がなくても、仕事してるようなフリは続けなければならない。

 それで、勤務時間が何倍にも長く感じられて、しんどい。


 仕事が少ないせいか、同僚からクダラナイ事で話しかけられる事が増えてきた。

 元々同僚と私的な話をする気がないので、それも苦痛。

 無視してると、そのうち陰口みたいなのが聞こえてくると。


 なるほど、不景気で仕事が暇になったのが根になってる要因か。

 これは、個人的にどうのって問題ではないね。

 同僚と絡みたくないというのは、たぶん今に始まった事じゃないだろうし。


 問題は、この先であった。


「最近、頭がバグっててさ。」

「バグ?」


「うん、頭の中を、なんか黒い虫みたいなのが歩き回ってる感じ。」

「頭の中で変なモノが動いてる状態を、私はバグって言ってるんだ。」


 多重人格をパソコンオペレーターに例えて説明する彼女だから、こういう説明は普通だよね。

『変なモノ』という表現に、先日の まひるという異質な人格を思い出した。


「居場所さえ判れば、私は駆除できるんだけど、」

「今、中にいるのは、何処にいるかよく判らないの。」


 ……自分で駆除できるものなのか、ダメだ、さっぱり理解できない。


「身体は吐き気するし、頭の中は何か動いてるしのコンボでさ、これは無理って思って帰ってきたの。」


「今も、その何かがいるの?」

「ううん、最近、たまに出て来るの、それが今日はたまたま朝だったの。」


「じゃ昨日は?」

「昨日は気持ち悪くて、吐き気が止まらないから帰っただけ。」


「なるほど。」

 バグは毎回ではないって事ね。

 それなら、取り合えず精神的なものなら、精神的に対抗するかな。


 僕は、数日ここに居る事を話した。

 明日も朝見送って、そしてここで帰りを待っているという事は強調しておいた。

 名付けて、『君の近くで待ってるよ作戦』あるいは『君の近くにいるよ作戦』、どうなるかな。

 話を聞いた後の彼女は、機嫌良さそうだから、大丈夫かもしれない。



 一通り話を聞いた後で僕は、中の人達(別人格)に挨拶を初めていた。

「またきたー!」(由比)などと言われつつも皆に歓迎されてる気がする。


「えっと次は……。」

「時雨さん」

 ホワイトボードを準備しながら声をかけると、凛とした目が彼女に宿った。


「樹(いつき)さん、お久しぶりです。」

 え、え、え!!


「時雨さんだよね?」

「はい、よくわかりませんが、声が出せるようになりました。」


 声の出なかった時雨が、普通に話かけてくれた事に驚いた。

 はじめて聞くその声は、その目と同様に、凛とした話し方で、知的な女性を感じさせる声だった。


「とにかく、良かった! これからは、こうやって気軽に話せるね。」

「はい、私も嬉しいです。」


 時雨は、鏡(裏人格)によって故意に声を奪われていた筈なのだけど、鏡が何かしたのだろうか?



 僕は気になって鏡を呼び出した。


「フフ、また来たのですね。」

 安定の悪役テンプレ、鏡の登場。


「近くにいた方がゲームをやりやすいだろ。」

 たぶん、僕も悪人顔になってると思う。これもテンプレね。


「それにオプションの件もあるからね。」

「フフ、そうですね。」

「時雨さんの声が出るようになったけど、鏡が何かしたの?」

「何もしてませんよ。フフ。」


「元々、時雨の声は特別なモノ、私はそれを抑えただけ。」

「封印が勝手に解けてしまったようなものね。」

「フフ本当に、楽しくなってきた。」


「特別な声? どういうこと?」

「特別は特別ですフフ。」


「それよりも、大きなバグが動いていますね。」

「気を付けて下さいねフフ」


 そう言って鏡は消えていった。

 ほんと、いつもいつも鏡は鏡らしい。……悪役のテンプレ。



「次は、みーちゃん!」


「みー! みー!」

「いつきさん、こんにちは。」


 時雨が声で会話できるようになって、みーも僕限定だけど話せるようになって、なんか良い事が多いなって思えた……。

 ……その時まではね。


「ところで、樹さん、あなたは、主をどうするつもりですか?」

 落ち着いた声で聞いてきた。

 そして、その瞳は刺さるように強く鋭い。一瞬、その目は獲物を狙う猫って感じた。


「まあ、彼氏の件もあるし、ゆっくりね……。」

 僕がはぐらかす返事をすると、みーの追求がさらに厳しくなってきた。


「樹さんには、奥さんがいますよね?」

「どうするつもりですか?、何か隠していませんか?」

「今の私には、樹さんが、主の心をもて遊んでるように見えます。」


 僕はドキっとした。

 僕の中途半端な行動や想い、そして恋愛バリアーを見透かされてるような気がする。

 そういえば以前、みーは言葉を話さない分、すごく鋭いと聞いた事がある。


 実は、僕は今回、恋愛バリアーを解除するつもり、そして涼音と一緒に暮らす事を前提に付き合って行こうと提案するつもりでいた。たぶん、この事を今伝えれば、みーの疑いは晴れて、理解してくれるだろうと思えた。だけど、僕はそれをみーに話す事はできなかった。

 大切な話だから、涼音本人に言いたかったのだ。僕のその告白を聞くのは、涼音が一番最初の人であって欲しかった。



「今は話せないけど、僕の行動を見ていれば納得してくれると思う。」

 僕は苦しく言葉を繋いだ。


「何か変なのです、私はあなたを信じる事ができません。」

 僕は初めて涼音の中の人格から、明確な拒否と疑惑をぶつけられたような気がした。


「とにかく、今は信じて、僕の行動を見ていてくれとしか言えないよ。」

「信じられません!」

 そう言うと、みーは潜ってしまった。



「みーは鋭い子」僕の頭の中で、涼音の言葉がグルグル回っていた。




 僕が呆然とみー潜が潜った涼音を見ていると、彼女が呟き出した。


「はなれていかないで……」

「さびしいの さびしいの……」

 それは泣きそうに、そして細い声だった。


「大丈夫、僕は離れない、ここにいるよ。」

 僕は彼女を抱きしめた。


「君は誰? 名前は?」


「……私はティア」

「ずっと一人、さびしいの…」

「……ずっと……ずっと一人で、長い間ここにいるの……。」

「おいてかないで…… わたしを一人にしないで……。」

 泣きそうな細い声は呟き続けていた。


 僕は抱きしめる腕に力を込めた。

「大丈夫だよティア、僕がここにいるよ、一人じゃないよ。」


「……あなたは誰?」

「僕は、樹、涼音さんの大切な友達だよ。」


「いつきさん…… いつきさん…… 私をおいてかないで……。」

「うん、僕はティアの近くにいるよ。」

 僕がそう言うとティアは静かに眠るように消えていった。



 僕は、大した根拠がないのに感じた……、たぶんティアがアレなのだと。

 直感?それともティアの不思議な何かの影響を受けた?判らない、だけど僕はティアがアレなのだと感じていた。


 覚醒した涼音にティアの事を聞いてみたけど、予想通り「知らない」と言った。

 でも、まひるの時のような拒否が無かった事から、たぶん無意識に異物だとは思っていないのだろう。

 やはり、ティアがアレだと僕は思えた。




 僕は夕飯の準備をしていた。

 今日のメインはポークソテー。涼音が「肉、肉食べたいー。」って猛烈なリクエストしてきたってのもあるけど、焼肉料理は簡単で短時間でできて、そして美味しいので便利。


 フライパンにオリーブオイルを伸ばして、少し厚めのお肉が固くならないように見極めて裏返す。オリーブオイルで焼くと嫌な油感が消えて、香りも良くて、好みの雰囲気に仕上がる。最後はブラックペッパーと柚子塩で仕上げ。お肉にフルーツ系の味や香りが少し加わるだけで、数倍美味しく感じるから不思議。

 ……所詮は男の雑な料理だけどね。



 テーブルにライスとポークソテー、そして野菜サラダを運ぶ。

「わぁ!お父さんありがとう、美味しそう。」

「これの見た目を不味そう作るのが難しいと思うけど……、実際の味は知らん!。」

 とりえず、味への苦情は出なかった。



 食事が終わると、涼音はゲーム前の幽体離脱…、訂正、休憩タイム。

 僕はタブレット端末でニュースチェック。

 僕らには、もう定番の生活サイクルが出来ているような気がした。

 これって、幸せなのかな?、僕はそんな事を考えていた。




「……んんうっん……」

 一瞬、涼音の苦しそうな声を聞いて、彼女に目を向ける。

 彼女は何事もなかったかのように静かに眠り続けている。

 何か夢でも見てたのかなと、僕はその時、それを大して気にも留めていなかった。


 僕は再びキッチンへに立った。

 夕飯で使った食器や調理器具を洗いはじめる。

 洗い物は嫌いじゃない。一緒に自分も綺麗になるような感覚が好き。愛用してる食器が綺麗に整備されていくような感覚も好き。僕ってやっぱり変わってるかな?、たぶん普通ここで「整備」なんて単語使わないよね。


「……うさん」

 呼ばれたような気がして、リビングに戻る。



 そこにでは、彼女は虚ろな目をして立っていた。


「おとうさん……。」

 泣きそうな声で呼びかけてくる。

 この幼くスイーツな声は、ましろ。


「ん、ましろどうしたの?」

 僕は優しく彼女の頭を撫でながら声をかけた。


「おとうさん…ましろね……みーをやったの。」

「え!どういうこと?」


「みーが、おとうさんをイジメルから、ましろがみーをやったの。」

 まさかの報告を受けて、僕は動揺した。


 ましろは、泣きそうな声で報告を続けた。

「みーはとくべつだから、けせなかったの。」

「だからね、ましろね、みーをバラバラにしたの。」

「みーおおきくて、バラバラにきるの たいへんだったの。」


 動揺しながらも、打ち消したかった事実は、はっきり事実として理解してしまった。

 ましろは、僕とみーの会話を見ていて、僕がイジメられてると誤解してみーを攻撃したのだ。


「ましろ、がんばってきったの、やっと みーをばらばらにできたの。」



 僕の頭の中で、ましろの情報が一つの文字列になる

” ましろは 僕への想いが詰まった 兵器 ”

 それは、あまりにも純粋で無垢な刃物。

 僕の為だけに、ましろは刃物を振るった。



 僕の責任だ、僕にましろを責める事はできない。

 ましろの報告する声はまるで泣き声だ。

 それは、自分のやった事への戸惑いなのだと感じた。


 僕はましろを強く抱きしめた。


「ましろ大好きだよ、ましろは僕の子供だよ。」

「だから、ましろは何も責任を感じなくていいよ、お父さんの責任だから。」

「でも、ひとつだけ判って欲しい。」

「みーちゃんはね、僕をイジメてたんじゃないんだよ、意見してただけなんだ。」

「僕が悪いんだよ。」

 そう、僕が悪いのだ……。


 僕は顔をあげて、ましろを見つめた。

「ましろ、だからね、一つだけ約束してね。」

「これからは、僕の為に誰かを消したりしないって約束して。」


 ましろは大きく頷く。

 そして目を閉じて、僕の胸に落ちていった。


 僕は、しばらくそのまま抱きしめていた。

 数分そうしてから、彼女の身体をそっとクッションの上に身体を横にした。



 激しい自己嫌悪……。




 目覚めた涼音に、僕はみーの件を簡単に報告した。

 みーとの会話の内容は伏せたままで……。


 そして、月乃にも同様の報告をしていた。

「ましろは悪くないから、僕の責任だから。」

「だから、ましろには何もしないで欲しいし、言いたい事があるなら僕に言ってくれ。」


「……判りました。」

「私達は誰が消えても、生まれても、それに特別な感情を抱く事はありません。」

「それが日常ですので……。」


 月乃は、いつも通り感情の揺らぎすら感じさせず、報告と申し出を受け取ってくれた。そういえば、由比の時もそうだった。人格の世界とはそういうものなのだろうか。



 その夜、涼音が日課のSOAを終えた後、彼女の明日の仕事に備えて早めにベットで眠りについた。

 ……くどいですが、二人はパジャマを着たままです。

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