21-ましろ転生

 突然、色彩を捨てると言って歩き出した涼音を僕は慌てて追いかける。


「何をするの?」

「……」

 彼女は何も答えない。


 机の上の物をどけて広くした後、真っ白な紙を一枚広げる。

 そして、筆ペンでスラスラっと文字を書き出す。


" 第一人格---色彩 "


 何かの儀式?

 僕には、何をしようとしてるのか全く分からなかった。


 彼女はじっとその文字を見つめていた。


 そして、数秒後…。

 彼女は左手でカッターを持ちにくそうに掴むと、躊躇いなく右の腕を軽く切った。

 すぅーっと切り口にそって滲み出す真っ赤な血。


 左手の人差し指にその血をつけると、書いた文字を切るようになぞった。

 『第一人格---色彩』という文字を訂正するかのように、赤い血の筋が塗られていた。


「これで色彩を捨てたよ、色彩なんかなくなってイラストなんか書けるんだから。」

「それに、色を見る方法なんか、私にはいくらでもあるんだよ。」


 僕には理解のできない事だった。

 今日は僕の理解を超える出来事が多すぎて、もう麻痺しそう。


 でも、判る!!


 彼女は自分から色彩を捨ててモノトーンの世界に戻ったのだ。

 ついさっき、色彩を失った事で半狂乱になって悲鳴を上げていた彼女が、自ら色彩を捨てた。……きっとそれは、僕の為だったことが痛い程わかる。


 彼女は僕の束縛を解く為に、自ら色彩を捨てたのだ。

 そんな彼女の行動に、想いを感じた僕は、完全に吹っ切れた。

 彼女はここまでしてくれた。

 僕もプライドなんか全て捨てよう。

 涼音と雪村のよりを戻して、そして僕もまた離れず傍にいよう。

 僕はそう考えた。


 僕はすぐにその計画を涼音に話した。

「お父さんに全て任せるよ。」

 彼女の言葉に感じた信頼感を受けて、僕は決断した。


 僕は決断すると行動は早い。

 時間はまだ0時前、ギリギリ電話をしても良い時間だろう。

 それに勝算はある、彼(雪村)は別れはしたももの、未練たっぷりなのは判っていた。


 僕は彼に電話した。

 僕でも半信半疑の事を説明するのは難しい。

 彼女は、別人格の洗脳のせいで彼と別れを選択したという事にした。


 好き合っていた筈の彼女が、突然自分の事でパニックやショック状態に陥るようになるとか……。実は多重人格で、別の人格達が何故か自分の事を全員が嫌っているとか……。

 雪村にしたら、そんな悪夢のような現実を突き付けられた後で、「洗脳されてた」って言葉で無かった事にしてくれるなら、それは救いでさえあったろう。

 それが信じられないような事であっても、彼には救いである筈。


 彼は、僕のこの不思議な話にのってきた。



「雪村さん、明日朝の早い電車でここに来るってさ。」

 僕は電話を終えると、涼音にそう報告した。


 さらに中の人達にも(別人格)、よりを戻す事にしたと報告した。

 でも月乃だけは違っていた。


「いつきさん、私は貴方達の敵になりました。」


「どういうこと?」

「私はやっぱり雪村のことが嫌いです、これは洗脳ではありません。」

「だから、私は鏡と行動することにします。」


「……そうか、雪村との事は別として、他の事で涼音が困っていたら助けてくれるだう?」

「……はい、たぶん、それは大丈夫だと思います。」

 いつも切れの良い月乃にしては、切れの悪い返事だった。

 だけど、一応は敵になってしまったのだから、しかたないよね。

 それでも僕は月乃を信頼してるから、涼音を助けてくれる存在でいて欲しかったのだ。


「月乃さん、今までありがとう、でも、これらかも宜しくな、敵だけど。」


「……はい。」



 月乃が去ると、次に鏡が現れた。


「まさか自分から色彩を捨てるとは…」

 少し悔しそうな声で鏡が呟く。

 そして悔しそうな声はまだ続く。

「彼とよりを戻す事にするとは…。」

「……見破っていたのか。」

 あれ?あの答えは、鏡が意図して気付かせたのではなく、中の人達が自ら気付いた事だったのか。少しおかしい……。違和感を感じる……。


「しかし、鏡はやっぱりすごいね、僕は完全に負けて詰んだと思っていたよ。」

「フフ、楽しいでしょう。」

「ああ、嫌って程楽しさを味わってるよ。」

「反撃に選んだ手段だって、僕のプライドをボロボロにするものだ。」

「フフ、まさかね、私も驚きました。」

「もしも、僕が月乃のように鏡の側についたら、簡単に勝負は決着するだろうな。」


 実際、月乃に加えて僕まで鏡についたら勝負は簡単につく気がする。


「そうでしょうけど、それは楽しくないわ。」

 そう、鏡は楽しさを優先する、こんな答えが返ってくるのは予想できていた。


「ああ、安心しろ、僕は涼音や他の人格達を裏切る事はできないから、このまま続行だ。」


 突然、鏡が僕に唇を重ねてきた。

 2秒にも満たない短い時間だけど、僕は鏡とキスをしてた。


「…キスに意味はない。」

 そう言って鏡は消えていった。




「明日もまた早起きするハメになってしまったね。」

 僕がそう話しかけると、涼音は頷く。


 僕も疲れたけど、涼音も疲れてると思う。本当に混沌の1日だった。

 僕は一人で待ってる時間の方が長かったけど、本当に長い1日だったように思える。そして、明日は朝イチで面倒な事をすることが確定しているし。

疲れた。


 その日、僕はまたベットで涼音に腕枕をして眠りについた。

 ……今更だけど部屋着を着たままです。




 疲れて眠かった筈なのに…。

 僕は6時前に目が覚めていた。

 涼音はまだ眠っている。

 そういえば、昨日は彼女は休憩をしなかったと思う。


 雪村、信頼しきれない奴ではあるが、僕は彼と彼女のお付き合いを、お願いする立場になる。

 こんな近くで寝顔を見るのも、これで最後かもしれないと考えると少し複雑。

 今のままでは、雪村はやっぱり涼音を理解しきれないだろう。面倒だけど、僕が雪村をいろいろ指導する必要がありそうだなって思うと心が重い。


 本来、僕は面倒な事は大嫌いなのだ。





 6時過ぎ、そろそろ起こさなきゃだね。


「涼音、起きて!6時過ぎたよ。」

「うーーん」

 彼女は何度か抵抗したのちに目を覚ました。


「お湯沸かしてお茶入れるよ。」


 僕はヤカンを調理器にのせて、洗面所で顔を洗った。冷たい水で一気に目覚める。

 すれ違いで彼女が洗面所にやってきた。


「洗顔したらブラッシングしてあげるよ。」

「うん!」


 僕は時々彼女の長い髪をブラッシングしていた。

 ふっと今朝もブラッシングしてあげたいなって思えたんだ。


 彼女の長い髪にブラシを通す。

 力を入れすぎず、毛先まで丁寧に絡んだ毛をといていく。

 最後にはクシを通して完成。

 一瞬、変な事を考えた、「この気持ち、娘を嫁に出す父親かよ!」。

 僕は自分がそんな事を考えた事に思わず笑ってしまった。


 そして、二人は言葉少なく、紅茶を飲みながら雪村の到着を待った。



 7時前に雪村はやってきた。


「おはよう、悪いね、なんか結果的に君を振り回すようになことになってしまって。」

「おはよう、いや、かまわないよ。」

 彼の声は昨日より明るいものだった。


 そりゃそうだろうね、未練たっぷりで別れた翌日には元に戻れそうなんだからね。

 ……そんな甘いものじゃないんだけどね、彼にはそれも覚悟してもらう必要がある。



 僕が玄関で彼を迎えてリビングまで通す。

 この部屋の主は一応、涼音なんだけどね。

 そしてリビングでは何故か僕らの定位置に収まる。

 僕が偉そうに椅子に座り、入口の近くの床に腰を降ろす雪村。

 少し離れた床のクッションの上に涼音。

 それは、いつもの正三角形。



 僕は雪村に、振り回した事へのお詫びをしてから、簡単に事情を説明した。

 例の「洗脳」のせいで彼を拒否したって話である。

 裏人格とか、涼音が消えるとか、そんな更に奥の事情は話さない。

 彼には別れたけど、よりを戻したいって事情だけが伝われば良いのだから。


 そんな話を、彼は興味深そうに頷きながら聞いている。


 人格が人格を洗脳とか、僕も半信半疑の話を普通なら直ぐに受け入れたりはしないのだろうけど、涼音を欲しい彼には、受け入れる必要のある救いの言葉に聞こえるに違いない。


「昨日までの事で理解してると思いたいけど、君と涼音さんが付き合って行くのは、簡単なことではない。」

「これまでの延長ではなく、新しく始めるつもりで付き合って欲しいんだ。」


「これは大切な事なのだけど、涼音さんの中の別の人格達を、涼音さんと全く違う別のものとは考えないで欲しい。」

「自我があり、考え方も違ったり、個性のある人格達だけど、それでも涼音さんの一部であり、涼音さんの中の何かを反映してるのが人格達なんだよ。」

「もし彼らが君を嫌うとしたら、それは涼音さんの本心のどこかに同じものがあるんだと考えて欲しい。」

「別の人格も、また涼音さんなのだという事は絶対忘れないで欲しい。」


「僕はこれからも近くで涼音さんを支えるけど、これからは君にも涼音さんの事を僕がいろいろ教えるよ。」

「わからない事や不安な事があれば僕に聞いて欲しい。」


「そして、付き合うにしても、同居の話はリセットすること。」


「本当に簡単な事ではないと思うよ…、お互いにね。」

「その上で、本当に君を振り回して申し訳ないのだけど、それでも良いなら涼音さんとのお付き合いを再開して欲しい。」


 僕は彼に頭を下げた。


「うん、わかった、これからよろしく頼むよ。」

 少しの間の後に、雪村は承諾して軽く頭を下げてた。


「涼音さんも、いいよね?」

「うん。」


 拒否されない自信はあったけど、彼とよりを戻す事には成功した。



 僕は雪村に、敵になった月乃以外の主な人格を呼び出して紹介した。

 それぞれに、「これからよろしく」といった簡潔な挨拶をしていく。


「お父さん、私はまだー?」

 由比を紹介するかどうか迷っていると、明るい声が響いた。

 由比の方からでてきたのだ。


「呼ぼうか迷ってたんだ…だってアレだよ…。」

「だから、一言言いたかったのー!」


「由比がそうしたいならいいよ、どうぞ。」

「うん。」

 彼女は雪村の方を向いた。



「おまえー! おまえー!」

「忘れないからなー!」

「おまえのせいで 由比は死んだんだぞー!」

 そう叫んで由比は消えていった。


 雪村は意味がわかってないらしく、キョトンとしている。

 僕はヤレヤレ、って感じ。


「えっとね、由比って子なんだけど、君が涼音さんに与えたストレスのせいで、一度死んでるんだよ。」

「そうだったのか…。」

 たぶん、判ってないんだろうなコイツ。




 僕は荷物をまとめて帰る準備を整えていた。

 今日は、このまま二人を残して帰る事にする。できれば、この後二人で今後の事をよく話し合って欲しいものだ。

 そして、出発しようとした時であった。


「おとうさん……」

 りさ?ちょっと違う、聞いた事のない声が聞こえた。

 彼女はじーっと僕を見つめている。


「おとうさん」

 そして、また呼ばれた、誰だろ?


「うん、君の名前は何かな?」

「ましろだよ。」

「ましろちゃんね。」

 やはり、初めて会う、幼い感じの声。


「ましろは、おとうさんの こどもだよ。」

「ましろ おとうさん だいすき。」

 そう言って彼女は抱き着いてきた。


 えっと、僕の子供ですか?うーん。

 可愛いからいいけど。


「そっか、父さんの子か……。」

 僕はそのまま優しく頭をナデナデした。


「おとうさん、かえっちゃうの?」

「うん、もう帰るよ。」

「えー、ヤダヤダ、ましろも おとーさんと いっしょにいくー」

「あは、ダメだよ、ましろは涼音さんと一緒にお留守番しててね。」


「また くる?」

「うん、またましろや皆に会いに来るよ。」

「うん やくそくだよ」

「うん、じゃ涼音さんに代わって貰えるかな?」

「もう いっかい ましろ ぎゅーっとして」


 甘えん坊さんだな、僕はもう一度彼女を抱きしめた。

 彼氏である雪村が見ているだけどね…。


「じゃまたね、ましろ。」

「うん またね。」



「涼音さん、今ましろって子が出て来たよ。」

 彼女は僕から少し離れて見上げて見つめてくる。


「お父さんが帰るとか言うから、出てきちゃったんじゃない?」

「うーん、よくわからないな……、また後で聞くさ。」


「それじゃ雪村さん、涼音を宜しく頼むよ。」

 僕は二人を残して帰宅の途についた。




 帰宅しながら、僕はここ数日の不可解な出来事を考えていた。

 人格が人格を洗脳なんて記載は、ネットを探しても見つからなかった。

 さらに鏡の能力は、別の人格を故意に生み出せること。その人格の能力を制限できるということ。これは、時雨の声や、涼音の色彩のことだ。


 不思議といえば、涼音が色彩を捨てる際に行っていた、儀式のようなもの。

 あれは、そうすることによって強力な自己暗示がかかるのかもしれない。

 暗示・洗脳、どちらも同じようなものなのかもしれない。


 鏡がオリジナル…基本人格だとしたら、やはり全体にそういう影響を及ぼせるという事なのだろうか。

 やはりどんなに解離していても、元の根は涼音(鏡)という一人の人間、影響を受けない筈はない。その影響力を故意に駆使できるなら、そういう事は可能なのかもしれない。


 もう一つ不思議なのは鏡(裏人格)への認知。

 鏡の存在は、鏡によって作られたとされる、涼音と時雨を除けば、涼音と記憶を同じくする桜花以外は知らない筈だ。それなのに、別れ話が終わった後は「裏人格に洗脳された」と皆が裏人格の事を認知していた。

 ちょっと都合良すぎないだろうか?

 何かが全てをコントロールしている気がする。




 メッセージの着信音が鳴る。

 涼音だった。


 早速何があったのかと開いてみる。


――――――――――

彼の前だから言えなかったけど

ましろは、彼の前でもお父さんに甘えられるように転生させたんだよ。

――――――――――


 なんだ、そういう事だったのか。

 でも「転生」って何だよ、また理解の斜め上を行く言葉がでてきた。

 後で詳しく聞いてみよ。


――――――――――

把握

――――――――――


 短い返信を送って、僕は少し目を閉じる事にした。

 ここ数日、ほんとうに疲れた。

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