20-混沌のはじまり

 マンション到着、エントランスのロックを解除、人間の思惑など一切考慮してくれないマイペースなエレベーター、狭い通路、そしてドアの開錠。

 マンションってやつは、急いでいる心を逆なでするかのように面倒だ。

 ドアを開ける、内側ロックがかかってない事に安堵して部屋に駆け込む。



 リビングの隅で涼音…、違う、みーちゃんが床に座り込んでる。


「みー! みー!」

 彼女は激しく声をあげている。

 その1mくらい前で雪村(彼もどき)が呆然と立っていた。

 僕は、彼を無視して彼女に駆け寄り、肩を抱く。


「みー! みー! みー!」

 彼女は雪村を指さして、激しく声を上げ続けていた。


 僕は一瞬彼を睨んで、すぐに視線を彼女に戻した。


「みーちゃん、どうしの?」

「みー みー」

 困った、みーちゃんでは状況が判らない。


「みーちゃん、涼音さんは?、他の誰でもいいから代わって!」


「……みー」

 彼女は首を横に振った。

 

「みー」

「……だ……れ……も……いないの」

「わたしだけ……」

「あるじも……みんなもいない」


 僕の名前を呼んだ時のように、出ない音を絞り出すかのように…、頑張って言葉を紡いだ。

 みーちゃん以外、主も他の人格達も誰も消えたってこと?

 一瞬、鏡(裏人格)との戦いの結果どうなるかという事が思い起こされる。


「みーちゃん以外は誰もいないの?」

 僕は確認の意味でもう一度訪ねる。


「みー」

 彼女は大きく頷く。




「あんた、一体何をしたんだよ!」

 僕は雪村を怒鳴りつけた。


「……僕は何もしてない…。」

 彼は、オロオロとした様子で返事をした。


 そんな彼を数秒睨みつけたけど、今すべきことは他にある。

 僕は涼音の覚醒を試みる。


「涼音、涼音……」


……

「涼音、涼音戻って」


……

 やはり返事はない。


 会社で意識が昏睡した時に、僕の呼びかけに応じて、すぐに目を覚ましてくれた彼女が、今は反応しない。


 僕はもう一度雪村を睨みつけた。


「このまま涼音が覚醒しなかったら、彼女の実家に連絡を入れて、病院に連れていく手配をはじめるからな!」

僕は宣言した。

 入院となれば彼女の実家に頼るしかない。涼音が多重人格の事を親に知られたくないのは承知してるから、これは最終手段。そして、僕が以前から万が一の時に想定していた事。



 もう一度覚醒を試みる。


「涼音、涼音戻ってきて。」


「おはよー。」


 場の緊張感をぶち壊す寝ぼけた声が聞こえた。


「涼音!、涼音なのか?」

「あれ?お父さん?……うん私だよ。」


 状況を把握してない彼女を僕は強く抱きしめた。


「良かった、覚醒してくれて良かった。」


 僕は状況を把握してない彼女に、みーちゃんの電話から今までの事を説明した。


 話を聞くと彼女は雪村を睨みつけてる。

「みーちゃんに、何かしようとしてたんじゃない?」

「あの子、そういう事に敏感なんだから。」


「いや、僕は本当に何もしてないよ…。」

 彼はオロオロしながら歯切れの悪い返答をしてくる。


「涼音さん、他の人格達は?」

「まってね……、みんないるよ。」


「別れ話は?」

「まだ終わってない、納得してもらう為に、私の中の人格を順番に見せてた途中。」

「月乃には、すっごく長い時間いろいろ言われてたみたいね。」

「あ、美雪だけは出さなかったよ、あの子ヤバいから。」


「そんな事をしていたのか……。」


 すると、みーの順番の時に彼が何かしたか、何か言ったかで、彼女の意識が飛んだのか?あるいは、鏡の攻撃がその時にあったのか?

 ……今は考察してる時間はない。

 そういえば、美雪には僕もまだ会った事なかった、確かあの子は淫乱な子だった筈、男の前に出せないよね。


「近くにいたんなら、同席しててもらっても良かったのに……。」

 急に雪村がフレンドリーに僕に声をかけてきた。

いや、おまえは、僕が部屋にいたら絶対に面倒な事言い出してたろ!と心の中で思った。


「別れ話ってのは、二人で決着をつけるものだろ。」

「それに、今ので判るだろ?貴方じゃダメなんだよ。」

「もし、どうしても別れないって言うなら、僕は彼女の実家を動かしてでも別れさせるよ。」


 彼は、今にも泣き出しそうな顔になっていた。


「しかたない、もう1時間くらい外でてくるから、キッチリ話つけろ。」

 僕は二人にそう告げて、再び部屋を出た。





 僕はマンションを出ると、近くの自動販売機でコーヒーを買って腰を降ろした。


 この時期は、まだ温かいコーヒーが美味しいね。


 雪村かな鏡かな……、とにかく危険な状態だった。

 彼は何もしてないとは言っているが…。

実際に僕が到着した時には、1mくらい離れて立ちつくしていた。彼女の着衣に乱れもなかった。

 ……となると、やはり鏡が何かしたのか。

そんな事を10分くらい考えていると、涼音が息を切らして走ってきた。


「どうしたの?」

「彼見なかった?彼、逃げるように走って部屋を出てしまったの。」

「見てないよ、見つけたら連絡するよ。」

「うん、お願い」


 彼女は周囲を見回しながら来た道を引き返していった。


 逃げだしたって…オイ!、何なの?

 なんて情けない事をやってるんだ、アイツは。

 そんな事を思っていると、雪村がこちらに向かって歩いてきた。


「隣座っていい?」

 何か僕に話があるのかな?


「ああ、いいけど、涼音さんが探してたぞ。」

「……うん。」


「連絡だけ入れておくよ。」

 僕は涼音に、彼を見つけたから部屋で待ってるようにと電話で伝えた。



「……で、どうしたんだ?」


「……いろいろ情けなくってさ、僕、すずちゃん(涼音)の事わかってなくってさ、何もできなくってさ…。」

「涙が出そうになったから、飛び出してきてしまったんだ…。」


 ふーん、女の前では泣かないって男のプライドってやつかな。

 僕は女の前でも泣くけどね、信じてる人の前でならだけど。

 僕という人間を知って欲しいから、僕は泣くのかもしれない。


「しかたないだろ、彼女の状況を理解したり支えるのは、普通は簡単な事じゃないと思うよ。」

「それで、別れる決心はしたんだろ?」

「……うん。」


 その後、僕は雪村の話に少し付き合った。

 話してみてわかったのは、彼の話は同じ事が何度もループすること。本当に話が前に進まない。これは、別れ話が長くなるもの納得。

 更に、彼女にプレゼントとかで結構なお金を使ったとか、それでちょっと生活が苦しいとか……。知らんわ!!

 プレゼントとか、お金云々の話は、僕からの情けで聞かなかった事にしてやろう。

 ……まぁ、恋に溺れると、男ってバカな生き物になるってことは、僕にだって判るからね。僕は今、親バカしてる自覚あるしね。


「ところで夕飯食べてないんだろ?」

 彼は頷く。


「奢るから、コンビニで涼音さんの分も何か買って帰ろう。」

 男二人でコンビニで弁当を買って、僕らは彼女の部屋に戻った。



 部屋で弁当を食べる僕達。

 配置は何故か修羅場の時と同じ正三角形。

 会話はない。


 確認する意味で聞いてみる。

「二人は、これで終わったんだろ?」


 二人は、それぞれ頷いた。


 これで決着がついた。別れは成立して涼音さんは、涼音さんのままでいる。

 たぶん、僕らは勝った。


 ……その時は、そう思っていた。




 雪村が帰った後、僕にはいろいろ確認しなければならない事があった。


「今日、時雨さんを頭の中で見かけた?」

「ううん、見てないよ。」


「そうか、月乃さんにも聞いてみる。」


 涼音さんは見てないようなので、月乃を呼び出す。


「月乃さん、時雨を見かけた?」

「いいえ、みかけていません。」


「そっか、とりあえずは彼とは別れられたね、中の事はよくわからないけど、おつかれさま。」

「そのようですね……。でも、本当にこれでよかったのかどうか……。」


 どうしたんだろう、反応が期待していたものと違う。

 でも、時雨の事が気になる。時雨の自爆攻撃はどうなったんだろう。

 いずれにしろ、時雨が残ってる可能性は低い。



 僕はダメ元で時雨を呼んでみることにした。

「時雨さん いますか?」


 一瞬、涼音の身体から力が抜けて、次の瞬間には凛とした瞳が宿る。


「時雨さん、無事だったんですね。」

 彼女はゆっくり頷いた。


 僕はそんな彼女にホワイトボードとペンを手渡した。


” 私は失敗して身体の半分を失いました ”


 一体、涼音さんの頭の中ではどんな戦いがあったのだろう。やっぱり僕には想像できない。


” 小さくなった私は闇の中に落ちていた ”

” このまま消えるのだろうと思っていた ”

” 近くに、小さい由比の欠片が落ちていた ”

” 私は欠片を拾って、欠損した自分に融合させた ”


「え?由比の欠片? 融合?」


” 私の失った身体の欠損を由比で埋めました ”

” 由比も一緒に存在してます ”


「由比がいるの?」


” はい、由比と交代もできます ”


「え、由比と交代できるの?今代われる?」


” はい ”


「いつきさーん!」


 懐かしい明るくかわいい声がした。

 瞳はイタズラっ子由比のものになっていた。


「由比、由比ちゃんなの?」

「うん由比だよー」

「由比ね、真っ暗なところに破片になって転がっていたら、時雨に見つけてもらったの。」

「そして、そしてチョン!って身体くっ付けて合体したんだよー!。」


 ……二人とも同じ事を言ってるよね、融合とか合体とか、ほんとうに想像できないのだけど。


「ほんと! 本当に由比なんだ…、よかったー!!」

「そして僕の事を覚えてる、記憶もあるんだね!よかった!」

 僕は彼女を思いっきり抱きしめた。

 

 少しすると、また彼女の瞳は凛としたものに戻った。


” 貴方の事は由比の記憶からも学びました ”

” 喜んでもらえて良かったです ”


「うん、由比と再会させてくれてありがとう。」


” ですが、今回、私達は負けました ”

” そろそろ皆、気付く頃だと思います。 ” 

” それは裏人格の    ”


 書きかけで彼女の動きが止まった。


「フフフ、これで邪魔ものは消えたわ。」

「もう、止まらない。」

強引に出てきたのだろう鏡。

それだけ告げると、また静寂が戻った。

ほんと、悪役のテンプレからブレない鏡。


 ……時雨との会話で判ってはいたけど、やはり鏡は残っていた。

 でも、涼音も涼音のままで残っている。

 時雨は、はっきり「負け」と書いていた。

 本当に人格の戦いの事は謎だらけだ。

「気付く頃」か…。月乃の「当にこれでよかったのかどうか…」という浮かない言葉が思い起こされた。


 ……とにかく情報を集めなければ。


 月乃をはじめ、他の人格達にコンタクトしてみると、勝利の魔法でも溶けたかのようみんなの口が重い。

 ……そして、衝撃的な事実を皆が口を揃えて話してくる。


 まとめると


 鏡は、彼の存在が涼音を消す上で邪魔であった。

 その為に、涼音や他の人格達に、なんらの力で彼を拒否するようにしむけた。

 その「何らかの力」を、中の人格達は「洗脳」と言っていた。

 涼音を残すには、彼氏とよりを戻すしかない。

 付き合いを続けていたら、涼音が彼を殺したかもしれないので、これで良かったのかもという意見もある。

 みー以外を飛ばして僕に電話するように仕向けたのも鏡。


 なるほど、鏡が涼音を作った上位の人格であるなら、こんな事も可能なのかもしれない。

 常識的に違和感をいろいろ感じるけど、これが事実なら僕らは確かに負けた。

 そして、どんなに違和感を感じようとも、目の前の現実から目を逸らしたら終わりだ。僕も完全にコマとして利用されただけである。

 ……完敗。



「流れのままに……。」

 突然言葉が聞こえてきた。

 聞き覚えがない、はじめての人格かな?

「君は誰?」


「私は沙緒、古くから皆を見守っています。」

「見守っている? じゃ何か良い方法があるの?」

「月の定めのままに、流れのままに…」

「え、どういうこと?」

「運命は、川を下る水のように、流れのままに……。」

 そう言うと沙緒は消えてしまった。


 どういう事だろう、意味が判るような、判らないような…。


「涼音さん、今ね、沙緒って人がでてきたんだけど。」

「珍しいね、出てきたんだ、沙緒はね傍観者、何もしないよ。」

「流れのままに、とか言ってたけど。」

「いつもそんな感じよ、意味なんてないと思うわ。」

「そうなのか。」


 僕は、何か打開する為に出てきてくれたかと思っていたけど、そう都合良くはいかないみたい。


 椅子に座り直してため息をついた。


 そんな僕の様子を察してか、涼音は少し離れたところ床に座って僕を見つめていた。

 今でも人格が人格に洗脳なんて事があるのかは、半信半疑なのだけれど…。人格達の様子は、まさに一斉に洗脳が溶けました状態。

 

 でも、それなら、何故それが今なのだろう?

 もう少しそのままにしておけば、鏡の勝利は盤石なのに。

 答えまである、「彼とよりを戻せ」とね。何故、答えまで皆に気付かせる?

 でも、その答は、僕が今までしてきたことの全否定になる。

 自分のプライドにも関わる事。これまでの状況・流れからして、どんな顔して雪村に話せばよいのだ?

 もしかすると、鏡はそれが楽しいから、今洗脳を解いたのだろうか…。

 楽しさを求めてる鏡なら、そういう思考もあるかもしれない。


 自分のプライドか…。

 ……僕の最優先は何?……、自分のプライドじゃない、涼音を守る事だろ。

 答えが示されているなら、迷う必要はないじゃないか。


 僕は決心してた。

 土下座でもすれば良いかな?

 こんな状況から、よりを戻すようにお願いしたら……。僕は彼女の傍にはいれないよな。

 さすがに僕のプライドが、こんな失態をして、尚、彼女の近くにいる事を許さない。

 よりを戻してもらって、僕が消えるしかないかな……。

 ……でも、僕の彼に対する印象は変わらない。あんな男とよりを戻して大丈夫なのか?…不信感。

 彼と付き合うという事は、彼女にとって何なのだろう?


 僕は今悲しそうな表情してるかな?、涼音も心配顔で僕を見ている。



「いやーーー!!」

 突然、涼音の悲鳴が部屋に響いた。

 彼女は顔を手の平で覆ってうずくまっている。。


「どうしたの?」

 彼女を抱き起して声をかけた。


「色が見えないの……。」

 色……?僕の色が見えなくなったのかな…?

 彼女は、僕の存在を示す色がブルーに見えると言っていた。

 僕の心境の変化で色が消えたのかな?


「僕の色が見えなくなっちゃったの?」


「ううん、色がないの、風景から色が消えたの。」

「みんなモノトーン……。」

 彼女は泣いて僕に抱き付いてきた。


 また僕の理解を超える出来事が起きた。

 絵を描く事が大好きで、副業でイラストも描いてる彼女にとってそれは致命的なこと。色のない世界にいたら、彼女はあっという間に壊れてしまう気がした。

 直感的に鏡の仕業だと思った。



「鏡!鏡出てこい!。」


 泣き声が止まり、彼女は顔をあげた。


「ふふ、どうしたの?」

「涼音の目に何かしたか?」

「生意気だから罰を与えてるのよ、色彩を取り上げただけ。」

「フフ、涼音はいつまでもつと思う?」


 やっぱり鏡だった、そして趣味の悪い質問までしてくる。


「このままにしてたら、すぐに涼音は壊れるだろ。」


 僕は少し考えた、そして決断した。

「僕と取引しないか?」

「どんな取引?」

「僕は涼音から離れないし、彼とよりも戻させない、だから色彩を戻せ。」

「すぐに壊れるより、その方が楽しめるだろ?」

 楽しさを優先する鏡のツボも忘れなかった。


「ふふ、いいでしょう。」

「そのかわり、少しでも流れを変えようとしたら、即色彩を消すわよ。」


 鏡は指をパチッと鳴らした。その様子は、まるで魔法使い。



「涼音、涼音……。」

「……うん。」


「色彩…、色は見えるか?」

「うん、見えるようになったよ。」

「良かった……。」


 僕は鏡と取引をして、色彩を戻してもらった事を告げた。



 そして、僕はそのまま床にゴロンと横になって、自分の目を腕でふさいだ。


 これで僕は完全に詰んだ。

 色彩を人質に取られて、今の流れを変える事もできず、自分が涼音から離れる事もできない。「流れのまま……」沙緒の言葉が思い起こされた。

 僕は鏡に絡みとられた、自ら差し出したようなものだけど……。


 そんな僕の呟きを、涼音は寄り添うように横になっていて聞いてくれていた。

 僕は自分の目を腕で塞いだままだった、彼女の顔を見れないのだ。


「僕だけなら逃げる事は可能だけけど、それじゃ涼音や中の人達を裏切る事になる。」


「逃げても、誰も何も言わないと思うよ。」

 涼音はそう言ってくれるけど……。でも、僕はやっぱり裏切れない。


 ……本当に詰んだ。


 絶望。



 僕は、長い間そうやって同じような事を呟き続けていた。

 突然、涼音は立ち上がり、強い口調で言葉を吐き出す。


「色彩なんか、捨ててやる!」

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