3-りさ
反応のない音声チャットに集中して耳を澄ませていると、部屋を歩き回る足音がしていた。なにかブツブツ呟いてるような声も聞こえる。日本語だと思うけれど、マイクから離れているのか、何を言ってるのかはわからない。
気のせいか、桜花とは声が少し違う気がした。
確認するように声をかけてみる。
「桜花?」
「……」
返事はなく、部屋を歩きまわるような足音が聞こえてくる。そして、何か鼻歌のようなものも聞こえて来た。
「桜花さん。」
「……」
「桜花さん。」
何度か呼びかけると足音が止まった。
「わたしは桜花じゃないよ。」
幼い声、桜花とは違う声が返ってきた。
一瞬、背筋が冷たくなった。
同時にいろいろな思考が、僕の頭の中を駆け巡る。
「それじゃ、君の名前は何?」
たぶん反射的に尋ねていたと思う。
我ながら、こんな理解できない状況に遭遇してるのに、まずは冷静に現状を把握して確認していこうとする自分をすごいと思った。ゲーム攻略屋の性だろうか。
「〇×……」
「え?よく聞き取れなかった。」
「〇さ……」
「ごめん、もう一度。」
「ぃさだよ。」
「いさちゃん?」
「りさ だよ。」
やっと聞き取れた。
「りさちゃん?」
「うん」
これは幽霊?何かが憑いた?幼児退行?他人?いろいろな可能性が頭の中を駆け巡る。
「おにいちゃんは誰?」
幼い声の主は逆に質問してきた。
「桜花ちゃんの友達だよ」
「お姉ちゃんの友達?」
「うん、そうだよ」
桜花とは別人のような感じがしたので、あえて自分の名前は言わないようにした。
桜花は独り暮らし。妹がいるのは聞いていたけど、確か高校生だった筈。この声と口調は上に見積もっても小学生だ。妹が来ていたなら、今までその話題がなかったのも、気配も感じなかったのも変だ。妹じゃなくても、他の誰かが来てた様子はなかった。
でも、一番怖い幽霊とか何かに憑かれたって可能性以外では、全く別の人と会話してると考えるしかできなかった。正直なところ、かなり怖い。
考えていると りさが話し出す。
「いつもは、お姉ちゃんが出てきても良いって言ってから出てくるの。」
よくわからないけど、りさちゃんの話に付き合ってみることにした。
「今日は無理やりでてきちゃったの。」
「そうなんだ。」
「りさだってもっと遊びたいの。」
「お外だって散歩したいし、昼間だって出てきたいの。」
「うん。」
やっぱり怖い、幽霊……? 僕は信じてないけど、否定はしない……。人間なんて、まだまだソレを完全に否定できる程この世界の事を理解してないと思うから。
とにかく、話を続けることにする。
「お腹すいた、お菓子食べたい。」
「桜花お姉ちゃん、何か買って置いてある筈だよ、食べても良いんじゃないかな。」
「ううん、りさがまんするの。」
「りさがね、勝手にお菓子食べちゃうとお姉ちゃんが怒るの。」
「お菓子も沢山食べたいなぁ。」
あいかわらず状況は不明だけど、可愛らしい子に思えてくる。
幽霊でもこんな可愛いならいいかもと思えてきた。可愛いっていいね。
「それじゃ少したけ食べていいよ、僕からお姉ちゃんに謝っておくから。」
「僕が、りさちゃん食べていいよって言ったんだ、だから叱らないでって言うから。」
「ほんとう?」
「うん。」
この時点で「お姉ちゃん」は桜花のことだろうと考えていた。
移動する足音、そしてお菓子を開封するような音。お菓子を食べてるらしい。
今でも何が起きているのか理解はできてないけど、悪いものではない気がしてきた。なにより、この幼ない声のりさちゃんが可愛らしい。
マイクから離れたのか、少し音が小さくなっている。
「いつも夜しか出てこれないんだ。」
「りさ、誰もいないから、いつも一人で遊んでるの。」
「さびしいなぁ。」
「お外に出ちゃダメって言われてるの、りさだってお外で遊びたいのに……。」
「そうなんだ……。」
状況がよくわからないから、生返事しかできない。
……そんな会話を10分くらい続けていただろうか。
「りさ、そろそろ、おうちに帰るね。」
いつの間にか僕は怖さよりも、可愛らしい声のこの子への興味が勝っていた。
「うん、りさちゃん、また話してくれる?」
「また、りさと話してくれる?」
「うん、りさちゃん、また話そう。約束する。」
「うん ばいばい」
そしてまた静寂が戻った。
頭の中はまだ整理できていない。幽霊ではない気がする。桜花の幼児退行みたいなものだろうか?
でも、不思議な確信はあった、りさが帰った後には桜花が戻って来るだろうと。
1分くらい過ぎた頃、通話口から聞きなれた声と口調が聞こえてくる。
「ごめん、寝落ちしてしまった、おはよう。」
思った通り、いつもの明るい声が聞こえてきた、桜花に間違いない。
「なんだ、寝落ちしてたのか?」
はじめは、そのまま何も無かったかのように言葉を返していた。
「ごめーん。」
さっきのは、生々しい寝言だったのだろうか?
いや、寝言いながらお菓子食べてたら怖いよね。
「一応聞くけど、桜花だよね。」
「うん、そうだよ。」
「何か夢見てた?」
「ん?見てないと思うけど、何か言ってたあたし?」
少し考えて、そして僕は口を開いた。
「実はね……。」
僕は突然咳き込み始めてからのこと、りさちゃんと話した事をそのまま伝えてみた。
桜花は全てを黙って聞き終えた後で口を開く。
「あーあ、出てきちゃったのかー!」
投げやりに言葉を吐き出した。
そして、いつもより明るくサバサバした口調で、堰を切ったように語り出した。
「私ね、簡単に言うと多重人格なんだ。」
「誰にも知られないように生きてきたのに、油断しちゃったなぁ。」
「多重人格だってのは親にだってバレてないんだよ。」
「知られちゃったなら、しかたないか……。」
僕は「多重人格」という言葉を聞いて、全てを納得してしまった。いろいろ想像してた仮説をたてていたけれど、たった一つの真実の説得力は違う。たった一言『多重人格』で違和感なく全てを納得してしまった。
こうして桜花は自分の多重人格について話し出した。
要約すると以下のような事を教えてくれた。
――――――――――
桜花の中には りさをはじめ10人以上の人格が同居している。
年齢や名前ばかりでなく、性格・好み・口調・声色がそれぞれ違う。男性の人格もいる。
これまで多重人格の事は、誰にもバレてなかった。バレないようにしてきた。
他の人格が行動してる時の記憶は、ほとんどの場合は無い。
自分に戻ると、さっきみたいな寝起きに近い感覚になる。
昼間は出てこないようにしてるので、自分が眠った夜に出てくる事がほとんど。
他の人格が出てきたというのは、部屋の様子や、食べ物、お財布の中身などでなんとなくわかる。
本名は涼音(すずね)。
桜花というのも別人格だけど、桜花だけは特別で、本体である涼音と記憶を共有していいる。
そして本体である涼音と桜花は、ほぼ同一人格で頻繁に入れ替わってる。
ゲーム上の名前が桜花だけど、ゲーム中は桜花人格であることが多く、夜にイラスト書きながら話してた桜花は涼音本人だという。
―――――――――
ずっとゲームで仲良く遊んできたのは、涼音の中の桜花という別人格だったという事に、少しショックを受けた。
思い起こしてみれば、夜イラストを描きながら音声通話してる時に、たまに独り言のような言葉を会話みたいなパターンで呟いてる事が何度かあった。あれは独り言ではなくて、別人格と話していたらしい。
僕はクリエイターの作業中によくある、独り言のようなものかと思っていた。言われてみればだけど、よく聞こえない呟きでも、独り言と会話形式ではパターンが違うし、明らかに後者のパターンが何度かあったんだよね。
もうバレたから何でも話しちゃうねみたいな感じで涼音(桜花)は言わなくても良い事まで言い始めた。
「私ね、中二の時にね襲われたんだ」
「へ?」
突然の話の展開で驚いた。
「学校の帰り道にでね、知らない人に……」
「思い出さないで!」
この話は聞くべきではないと感じて、話しの途中で話をさえぎった。
だけども、彼女は構わず、そのまま話続ける。
「んー、それでね、その時から淫乱な人格が出来ちゃってね。」
「その人格がヤバイ奴でさ、なんか女の子としてイケナイ事してお金もらってるみたいなの。」
「時々、突然お財布の中のお金が増えてたりしてさ……。」
「そうなんだ……。」
生返事しかできなかった。
話さなくて良い事だろうに……、何でも話してしまう事に少し驚いた。
話の流れで桜花の本名を知ってしまったので、僕も本名が樹(いつき)だと教えた。
「え!ハンドルネームじゃなくて、本名でネットゲームしてたの?」
「それってありえなくない?」
「ゲームとかは平仮名だしさ、それに逆に本名っては思わないから盲点でバレにくいだろ?」
「えー!変な考え方、そんなふうに考える人いないよ。」
「いいだろ!僕は変な人だけど、理にはかなってるだろ?」
「はいはい、そーですねー。」
涼音(桜花)は秘密にしてた事をぶちまけて、すっきりしたと言っている。
僕にとっては、生まれて初めて多重人格との出会いとなった。
涼音はこれ以後、僕に対して何でも話してくれるようになる。
そして、僕も何でも話してくる涼音に対して、本音のような普段表に出さない自分の事を話すようになっていくことになる。僕は心を開いて話てくれる人には、自分も心を開くんだよね。
これは客観的に見たらフラグ立ちまくりですよね。
本人達は全く気付いてなかったのだけど、先に気付いたのは……。
……別の人格だった。
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