4-多重人格
「人格が変わるってどんな感覚?」
翌日も僕は深夜に涼音と音声チャットで話していた。
「うーん、そうね。大きなパソコンが一台あってね、パソコンの周りに人格がいたりパソコンを操作してる人格の後ろに、他の人格が並んでいる感じ。」
「一番前でディスプレイを見ながらパソコンを操作していると、その人格が表にでているの状態。」
「後ろにいるとディプレイがよく見えなくて、何が起きてるかわからないけど、覗き込むと見えたりするんだ。」
「二人同時に出ちゃう事もあるんだよ、そんな時は、独り言を呟く危ない人状態かな。」
「表に出たい人は並んで待ってたりするんだ。」
「強引に前の人をどけて出てくる事もあるんだよ。」
「うん、イメージしやすいくて判りやすい説明だね。」
「想像してたより文明的で驚いたよ。」
「人格がパソコンのオペレーターみたいなものだなんて、想像した事もなかったよ。」
僕は彼女の話を興味深く聞いていた。
まさか頭の中の人格の事をパソコンオペレーターに例えるなんては思ってもみなかったこと。
失礼な事なのかもだけど、この時は自分の未知に対する興味本位的な感覚が大きかったのだと思う。良いことではないのだろうけど、僕にとって未知を既知にしていく作業は、どんな事より楽しい事で魅力的な事だ。
彼女の話は続く。
「現実世界から逃げた時は、自分の部屋に引きこもったりするんだ。」
「昨日みたいに、私(本体)が寝ちゃってる時は、私は誰が出ているのか、何をしてるのか全く判らないんだ。」
「他の人がいる時や日中は出てきちゃダメって言ってたんだけどね。」
僕は昨夜の事が思い出していた。
「あぁ、りさちゃん、それで叱られるとか言ってたね。」
「叱ってないだろうね?」
「私は何も言っていない……。」
「だけど、他の人格に何か言われたみたいで、落ち込んでいたかな。」
「そうなんだ……。」
僕は幼い感じの りさちゃんが落ち込んでる姿を想像して、少し切なくなった。
「人格が他の人格と話したりするんだね?。」
「うん、頭の中で勝手に他の人格達がお話してるよ。」
「だからさ、いつも頭の中が騒がしくてさ。」
「……だから、淋しくないかな。」
「……。」
最後の言葉に重い何かを感じて、僕は黙りこんでしまった。
そんな雰囲気を戻すかのように、彼女は話し続ける。
「それとさ、現実の身体は一つしかないけど、頭の中にいるみんなは、容姿や服装も違うんだよ。」
「元は同じ私の筈なのに、頭の中のみんなは容姿や服装とか趣味も違っていて驚くよ。」
「あはは、頭の中で一人ファッションショーみたいになってたりして、見てみたいものだ。」
「んとね、容姿も違うし、趣味の違う友達が何人も同じ部屋にいるって感じ。」
「あー、理解。 そういうことね。」
実は昨夜の件があってから、僕は多重人格の事をネットで検索して調べていたりした。
解離性同一性障害(多重人格症)は、幼い頃に処理できない程のトラウマ的体験をすると発症することがあるようだ。処理できないトラウマのような出来事を、自分とは別の人格に切り離して……、解離させて自分を守ろうとする防衛機能ということだろう。
そうした解離人格が複数現れることで、一人の人間としての同一性が保てなくなる。また、他の人格達が活動していた時の事は本人の記憶に残らない事が多く、自分では何をしていたか判らない。本人にしてみれば記憶の欠落(解離性健忘)という認識になるらしい。
性格がコロコロ変る人に対して「多重人格」なんて言ったりするけど、実際にはそのイメージのさらに上をいく。性格はもちろん、口調、年齢、性別、筆跡まで異なったり、独立した別の自我や記憶を持つ人格が複数できるらしい。
一度人格の解離をしていまうと、それが癖になったかのように、何かある都度に次々と解離していく事も珍しくなく。その為、解離人格が数百にまで増える事もあるようだ。
確かに昨夜 りさちゃんに逢った時の印象は、年齢や口調は別人の幼い女の子そのものであった。口調というより声質が別人だと思えたのだ。
そして、涼音はその時の事を全く覚えていない、つまり記憶が違うってことになるかな。
「りさ」という名前を持って、涼音を「おねーちゃん」と別の個体という認識の話し方だった、これは自我が異なるということなのだろう。
今更な事であるけど、涼音が多重人格なのは確かな事らしい。
医学的治療方法は、トラウマを取り除くか消化させて、そして解離した人格を説得して、消去や統合などの治療法が推奨されてるようだけど、多くのメンタル系症状がそうであるように根本的治療は困難なことらしい。
最初のトラウマの除去とか消化ってだけでも難しいのは多くの人が理解してるところ。
そもそも、異なる記憶を持つ人格が統合された後の人格は、元の人格とは異なる気がする、つまりそれは元から知ってる人と同一と言えるのだろうか?異なる人格の記憶の融合とかどうなるのか全く想像できない。
ネットで調べて行く中で、多重人格と上手に付き合って普通に生活してる人が少なくない事も発見だった。
患者エッセイやSNSなどに書いている人がいたりして、そうした人は多重人格と上手に付き合ってる人がほとんど。上手に付き合えてるからブログやSNSに書けるって事だろうから、それが全てではないと思うけどね。
僕は過去には数多くの自分の心と戦ってる人、つまりメンタル症を抱えてる人と向きってきたことがあり、ある程度の下地となる知識は持っていた。
それでも多重人格者と向き合ったのはこれが初めてで、知的好奇心を埋める興味本位という不純な動機が生まれていることを認めざる得ない。もちろん、これは絶対知られてはいけない秘密になるのだけど。
僕は過去に、多くのメンタル症を抱えた人達に向き合い、救おう、助けようと思ってた事がある。今思えばそれは傲慢な事だった。多くの場合はそれはとても困難な事で、中途半端に手を差し伸べても誰も救えないと理解してしまったから。
助けるなら、本気で集中して、そして、いつも寄り添って対応できる立場にならなきゃいけない。そうでなければ、中途半端に手を出すと結局は傷つけるだけ、というのが僕の出した結論。
そして、たぶん症状を抱える当事者でさえ、第三者に「救って」なんては望んでいない、望んでいたとしても本気でそれを期待なんてしていない。一時的に何かを埋めれればいいだけってのが実際だろう。
それでも、見つけてしまうと手を差し伸べたくなるから、あえて見ないふり、気付かないふりをして、関わらない生き方を続けていたんだ。
SNSを見ていると、過去の僕のように何人ものメンタル症の人に声をかけてる人を見かけるけど、「誰も救えないクセに」と忌み嫌うようにさえなっていた。
それは一種の同族嫌悪かもしれないのだけど。
ところが、今の僕の状況、彼女の件は不意打ちをくらった状況。安心して乗っていたタクシーの運ちゃんが突然心停止みたいな……。まだ無事だけど、この先どうしよう?状態……。対応間違えると確実に事故る。
でも、この時点では涼音さんに何かしてあげようとか、傲慢な気持ちはない。それよりも、未知を既知に変える好奇心が僕を彼女を向き合わせていた。もちろん好奇心が一番酷いものだとは、自覚していた……。それは最悪な自分。
昨夜以来、もう隠す事な何もないと言わんばかりに、涼音はいろいろな事を話してくれていた。
「それでね、高校生の頃初めて男の人と付き合ったの。」
「それから付き合った彼氏は今まで15人目だよ、あたしやばくない?」
「みんな数ヶ月しか続かないんだよ、それで私から切ったり、勝手に離れていったり。」
「浮気されて別れた事も何度かあったかな。」
「サイクル早すぎ!、僕なんか付き合ったのは片手くらいだよ。」
こういう恋愛経験豊富な人が存在するのは知っていたけど、恋愛に奥手な自分が住む世界じゃない、そう異世界だ。
「みんなね、外見みてヤリたいって寄ってくるだけなの。」
「ほら、私かわいいから、あははは。」
「街行くとすぐにナンパしてくるし、うざいわ。」
ナンパ経験なしの僕にとって、ナンパ師の話や気持ちなんて全く理解できない。
「誰も多重人格に気付かなかったの?」
「誰も気づかなかったよ、だってあいつら外しか見てないもん。」
「ん~、あいつらね、かわいい私を連れている男でいたいだけ。」
「つまり、アクセサリーと同じで中身なんかどうでも良かったんじゃない。」
「そういう感覚わからなくもないけど、酷いね。」
少し心が痛い、僕も結婚したのは社会的体裁を整える為だったようなものだし、社会的アクセサリーにしてたのかもしれないから。一応は好きだったし一緒に暮らしたいって思ってたよ、その時はね。
「でも涼音は、今も彼氏いるだろう?」
「う~ん、あいつか、今5カ月くらいかな。すごいな、続いてるじゃん私。」
「あいつもすぐにヤリたがるんだよね、最近会ってないや。」
「だって、あいついるとイラストの仕事できないんだもん。」
サバサバした口調で何でもぶっちゃけてくる。
ちょっとゲーム上の桜花とは印象が違うなって思えた。
ゲーム上の桜花も明るくて元気だけど、少し上品な感じがあり、こんなサバサバした印象はなかったし口調も違う。ネット上は猫かぶりかな、よくあることだよね。これは多重人格とは別ものだよね、と考えていた。
……あ!忘れてた、ゲームやってる桜花は別人格でした。
「私さぁ、小さい頃からイジメられててね、友達ほとんどいなかったんだ。」
「それでね、唯一仲良い友達が、私と仲が良いって理由でイジメられちゃってね。」
「その子が自殺するとこ見ちゃったんだ……。」
不意に衝撃的な内容を話しだす、同時に声色が変わる。
……涙声。
「家にその子の親来てさ、うちの子が自殺したのは私のせいだって言ったんだよ。」
「赤い血が…飛び散ってさ……。私……。」
衝撃的な内容にあわせて、彼女の呼吸も荒くなっている。
「私の……、私のせいなんだ……。」
「その話そこまで!思い出すな!」
強い口調で彼女の話を遮ぎった。
しばらくの間、彼女の荒い息づかいだけが聞こえていた。
「涼音さん、大丈夫だから、思い出さなくていいから。」
「……うん。」
「みんな、みんな、私から離れていなくなっちゃうんだ……。」
「私はとまり木なんだ、みんな疲れたり都合の良い時だけ休みにきて、必要なくなると飛び去っていくの。」
彼女から、先程までのサバサバした口調は消えていて、悲しそうに沈んだ声になっていた。
「誰も涼音さんのことを、ちゃんと見てくれなかったんだね。」
的外れな返答かもしれないけど、気の利いた言葉なんか浮かんでこなかった。今の僕が「僕は違うよ」なんて言っても何の説得力もないだろうし。
少し時間が経ち、元気を取り戻した彼女の話は、その後も多岐に及ぶ。
「私のお父さん、すごい忙しい人でさ、ほとんど遊んでもらった記憶ないんだ。」
「でも厳しくてさ、叱られた記憶は沢山あるの。(苦笑)」
「時々さ、他の人格がした事だと思うんだけど、身に覚えのない事で叱られてさ。」
「私は身に覚えがないから他人事みたいに聞いていたら、もっと叱られてさ。」
「何度もそういう事あるから、叱られてるふりするのも慣れちゃった。」
「そうなんだ……、それが君なんだね……。」
僕は父との関係を聞いて「アダルトチルドレン」という状態に思い至った。同時に 僕の事を「お父さん」と呼びたがる理由の一つを知った気がした。
アダルトチルドレン、親から正常な愛を受けれなかった、あるいは受け止める事ができなかった子供が早期自立の良い子ちゃんになったり、人付き合いや愛し方がわからずに生きにくさを感じたり、依存に走る事が多くなる状態……。それ自体は病気ではないと僕は考えていた。
親を憎んでる僕自身が自覚してる状態。
「僕と似てるね……。」
「僕もね、本質は孤独なんだよ。」
考えを肯定する為に質問を重ねてみる。
「涼音さん、子供の頃、良い子ちゃんじゃなかった?」
「うん、学校では成績も良かったし、優等生だったかも。」
「やっぱりそうか、僕も似たようなものだよ、クラス委員とか生徒会役員とかやってたしさ。」
「涼音さんは、クズとかポンコツでイジメられてたんじゃないよね。」
「きっと大人びた感じとか、大人びた考えかた、それが気に入らない人には我慢できなかったとか、嫉妬がもとじゃないかな?」
「よくわからないけど、嫉妬はありそうな気がする。」
「先生とか大人には気にいられてなかった?。」
「あー!それある!、今でもオッサンには可愛がられてるよ。」
「そういえば僕もオッサンでだね。(笑)」
「そうだね(笑)」
彼女の声色がサバサバした明るい感じに戻ってきた。
その日は彼女の眠った後も通話をつないだままにしていた。もしかすると、昨夜のりさちゃんが出て来るかもと期待していたのだけど。……その夜は静かに過ぎていった。やがて、明るくなる前に通話を切って、僕も意識を手放した。
それにしても、多重人格のきっかけは何だろう?
多重人格、そしてアダルトチルドレンの可能性。
きっかけはトラウマなのだから、安易に掘り起こす事はできない。慎重にしなきゃ。
……って、僕は何やんてんだろう、こういう事には安易に首を突っ込まないって誓って生きてきたのに。
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