2-発作
撮影の仕事を終えて自宅兼スタジオに帰宅する。
機材を整理棚に詰め込み、お湯を沸かして熱い紅茶を入れる。男ならコーヒー!みたいな風潮もあるみたいだけど、僕は紅茶党。茶葉に拘りはないけど、ダージリン系をストレートでいただく。熱い紅茶を一気に喉へ流し込むと、自分の時間のスタートって気持ちになってホッとする。
僕、山崎樹は底辺のフリーのコマーシャル・フォトグラファー。判りやすく言うなら「個人営業の広告写真屋」。33歳のバツイチ男。
変わり者であることを自覚し、変わり者が大好きな……、いわゆる「変な人」です。「変態」と自称しないのは最後のプライド、あくまでも自称「変な人」「変わり者」。言葉を変えれば、「個性的」であり「独創的」であり、他人にもそれを求めていたりする。
実は今の仕事でスランプ気味でもあり、今年1年間はカメラマン仲間に仕事を引き継いでもらって休むつもりだ。零細個人事業主のカメラマン同士で仕事を回したり、機材や人材を融通することは珍しい事ではない。
昨年末にアメリカの大きな金融機関が破たんしたとかで、その影響がだんだん日本にも出てきていて、仕事も少し減りそうだから丁度良かったかもしれない。
このスランプ、これまでも何度かあったんだよね。
僕はこの状態を『感性の麻痺』って呼んでる。何見ても感動できなくなってしまう。クリエイターとしてはちょっと致命的なこと。
もちろん、長年仕事して経験を積んでるので、頭の中にある経験の引き出しと、理論だけでプロの絵作りもできるけれど……、そういう仕事は嫌なんだよね。
仕事を休んだからといって抜け出せるものじゃないけど、何かきっかけになればいいなと。そして今回、それなりに蓄えもあったので1年間のオフに1月から突入。
そうは言っても、近所の顔見知りに「どうしても……。」とお願いされたら断りにくいんだよね。今日はそんな仕事を、残務処理気分で消化してきたところ。
元妻と離婚したのは去年の夏の終わり。
理由……、なんか感覚が合わないというか理解されないのが苦しくてね。
子供もいなかったから、意外なほどあっさり離婚までこぎつけた。
クリエイターには少なくないのだけれど、僕も例にもれず変な奴を自認してるしさ、普通すぎる彼女と合わなかったのはしかたないと思ってる。
正直に言うと、僕の本心は「世捨て人」、いろいろ汚いモノが見えすぎちゃって。社会や人間のそうした面に諦めや絶望を感じている僕には、普通に希望や夢を持って生きてる彼女に合せるのが苦しかったかな。
たぶん、僕の心は「変」なだけじゃなくて「壊れている」と自覚があった。しかも壊れてる部分は、僕にとっては大切で失いたくないモノだったりするから、治す気もない。
いつも身近に他人(妻)がいる環境の中で気を使って暮らしていたので、一人になった今は本当に自由を満喫してる。ほんとうにもう二度と結婚したくないね、面倒な恋愛もいらないね。
離婚してなかったら、1年間無職とか妻が絶対に許さなかったと思う。自由っていいね。
理由などの説明が面倒だったのと、興味本位で理由探られるのも嫌だから、離婚したことは近親者以外には言ってない。もちろんゲーム仲間にも言ってないから、時々嘘もつくようになってしまってる。誰に迷惑がかかる事でもないからいいかなと。
それに既婚者って言っておけば、厄介な男女関係のトラブルに巻き込まれにくいだろうって考えで、自分の嘘を正当化していた。……恋愛バリアーだね。
1:03
音声チャットの着信音が鳴る。桜花からのコールだ。
あの日以来頻繁に深夜、桜花が音声通話をしてくるようになっていた。
話す内容は、ゲームの事はもちろん日常のこと、さらには彼氏への愚痴まで……。
そして、彼女の声の背後からは、いつものように作画タブレットをこすると音やパソコンの音が聞こえている。 イラストのお仕事をしながらの眠気覚ましの話し相手って事らしい。
僕もいろいろな作業をしながら話していた。お互いクリエイターという事もあり、お互いの作業の邪魔をしないツボを心得ているらしく。
桜花曰く「いつきさんと話してると、仕事中断しないし、眠くならないから便利。」
それは僕にしても同じようなもので、こうして毎晩のように会話を続けていた。
そして時々「奥さんに叱られない?」って心配されるのだけど、つものように「この時間は寝ちゃってるから」と嘘を重ねていた。「彼氏に、僕と夜中に話してる事言っておこうか?」と反撃したりもしている。
まだパーティー組んで間もない頃、メンバーが足りない時に何度か彼氏もヘルプとして僕達のパーティーに参加した事があった。彼氏もセイバー・オブ・アスガルドをそこそこやり込んでるらしいのだけど、最近は逢ってないからレベルとかは判らない。
「そういえば、最近彼氏さん呼ばないね」
「だって、ゲームの中でまで一緒だったら、私が息抜きでないじゃん。」
「あー、なるほどね理解。そういう考え方もありだね。」
20代前半なんて好きな人とずっと一緒にいたり、すっと一緒に遊ぶことを求めているのかと考えていたけど、人それぞれってことだね。
そもそも、僕は一般的な感覚でいったら、綺麗で優しくてよくできる女性と結婚生活していたのに、窒息しそうになって離婚した人間だから……、彼女の息抜き感覚を否定できる立場ではない。
最近では、桜花は僕の事を「お父さん」と呼ぶようになっていた。
僕はそれなりに苦しい事も含めて人生経験を年相応に重ねてきているので、彼女にアドバイスしているうちに「お父さんみたいだね。」と言われたのがきっかけだった。僕も「おじさん」よりはマシかと、その呼ばれ方を自然に受け入れている。
3月も中盤。
季節は晩冬から春へ、朝晩の冷え込みも少しやわらいできている。
深夜起きてる僕らには、過ごしやすい季節が近づいている。今夜も3時が近づいてきて、そろそろいつもの通話終了の時間になる。
「……」
不意に桜花の声が聞こえなくなった。
「桜花さん……?」 「桜花……?」
何度か呼びかけるが返事がない。
通話が切れてるのかなと思って、通信ステータスを確認するけど通話は切れてない。これは寝落ちかな?
耳を澄ますと、かすかに何かを擦るような物音がかすかに聞こえてくる、通話は切れていない。
「桜花さん……、桜花さん……。」
何度か呼びかけるが返事はない。眠ってしまったのだろうか?
でも、あの物音はなんだろう、寝返りという音でもない……。
一体何が聞こえているのだろう?
……
布のこすれる音?、移動してる?
僕は状況を判断する為に、静かにヘッドセットの音に集中した。
そうして3分くらい過ぎただろうか。
突然、彼女は苦しそうに咳き込みだした。
「大丈夫?」
返事はなく、咳が収まる気配なく続いている。
本当に苦しそうに止めどなく咳を続けている。
「桜花さん……、桜花、どうした? 大丈夫、大丈夫か?」
何かの発作だろうか?
状況がわからないけど、何かあったのなら状況説明が必要になるかもと、時計を確認した。3時12分。……それはゲーム攻略屋の癖だったのかもしれない。
返事をする隙間もない程、激しく苦しそうに咳き込む音だけがチャットから聞こえ続けている。そして、その間に何度も「桜花……、桜花しっかりしろ、大丈夫か」と声をかけ続けるしかできなかった。
一体この状態は、いつまで続くんだろう?
救急車を呼んであげたいくらいだけど、本名や住所を知らないから無理。
音声チャットの先で苦しそうに咳き込む彼女に、僕は声をかけ続ける事しかできなかった。
長い時間続いた咳が突然すっと止む。時計を確認すると3時20分。
10分弱、止まる事なく咳き込んでいたことになる。……そして、先程の咳が嘘のようにピタッと止んで後には、静寂が訪れている。
何の発作だろう?普通じゃなかった。
「桜花さん…」
静かになったので改めて声をかけてみる。
「……」
返事ははない。
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