1章 第5話 8月27日 放課後

 それから、始業式は生活指導の先生や教頭先生が話をして、問題なく終わった。

 始業式のあとは授業もなく、僕たちは下校する。

「ナンテン、一緒に帰れる?」

「ん? ああ」

 どこか上の空なナンテンに声を掛ける。

「大丈夫? ナンテン。なんかずっと考えてるみたいだけど」

「……大丈夫だ」

「そうは見えないけど」

 僕のつぶやきは聞こえなかったようで、ナンテンは無言で玄関へと向かった。僕も続く。


「おーい、チハル! ナンテン!」

 ナンテンと一緒に玄関を出る。その背中に声が掛かった。

「レオだ」

「よう。久しぶり」

 低い声の男子。僕らよりも頭一つ分くらい大きい。羽渕 玲雄はぶち れお、隣のクラスの友達。

「……レオ、また大きくなってない?」

「少しな。チハルの成長期はまだか? 小学生の頃から変わってないぞ」

「うっさい! これからやってくるし!」

 僕とは小学校から同じのいわゆる幼馴染。昔は僕と変わらないくらいだったはずなのに。なぜだ、どこで差がついたのだ。

「二人だけか? イブキは?」

「欠席。なんか世界救いに行ってるんだって」

 我ながら何を言っているんだと思う。しかし事実なのだ。

「なるほどな。アイツらしい」

 レオも納得したように笑う。

「二人とも部活はないのか?」

「ないよ。始業式だし」

 もとより文化部だから、そんなに積極的に活動していない。連絡などもないし、おそらく誰も集まらないだろう。

「文学部もない。部室が消滅しててな」

 隣でナンテンも答える。言っている意味は分からないが。

「じゃあ一緒に帰ろうぜ。帰宅部らしく」

「いや、帰宅部なのはレオだけだよ」

 そう、レオはなぜか帰宅部。高身長だし、体も筋肉質だというのに、だ。本人曰く、放課後には自由が欲しいんだと。

「そういえばお昼どうしよう」

 今日は午前放課だから、お弁当はない。どこかで買おうかと思っていたんだった。

「『ぽてや』行こうぜ。ハンバーガーが食いたい」

『ぽてや』。近所のハンバーガー屋だ。と言ってもチェーン店ではなく個人経営の小さなお店。

「いいね。フライドポテトもつけよう」

「よし、そうと決まれば、さっさと――」


「だぁ~め」


 言いかけたレオの腕に誰かが抱き着いてくる。香水の匂いがふわっと香る。

「げっ。氷見ひみねえ!」

「やだ、『ふゆ』って呼んでいいのよ?」

「呼ばねえよ!」

 スーツで身を包んだ妙齢の女性がレオの腕に抱き着いている。この人どこかで……。

 僕の視線に気づいたのか、氷見ひみねえと呼ばれた女性がこちらを向く。

「こんにちは。さっき始業式でも挨拶したけど、今日からこの学校でお世話になる、養護ようご助教諭じょきょうゆ氷見ひみです。よろしくね」

「あ、よ、よろしくお願いします」

 そうだ。転勤してきた氷見先生だ。そう言われてみると先ほどの始業式で紹介されていた気がする。

「その顔、私のこと忘れてたでしょ」

「え、いや……すみません」

「フフッ。いいのよ。あれだけの人数がいたら無理もないわ」

 氷見先生が笑う。そうなのだ。始業式の終わりに転勤してきた先生が紹介されたのだが、その数30人以上。覚えきれるわけもなく、右から左へと聞き流していた。

「だけど……」

 僕はチラリとレオの顔を見る。心底いやそうに氷見先生を引きはがそうとしている。

「いったいレオとはどういう関係なんですか?」

 レオに姉がいるとか、親戚のような話は聞いたことがない。ましてこんな美人な人と。

「気になるわよね。実は私、レオ君の『婚約者』――」

「『親父の知り合い』だ! 変なことを言うな!」

 レオが顔を真っ赤にして怒鳴る。引きはがそうとしているが氷見先生はピクリとも動かない。

「やぁん。つれないこと言わないで。あんなに激しい一夜を共にした仲じゃない」

「紛らわしい言い方をするな! 何度か戦いに巻き込まれただけだろ!」

 激しい一夜……? 戦い……? だめだ、意味が分からない。分からないけど――。

「そっか、レオ。夏休みの間に大人になっちゃったんだね……」

「待て、チハル。話を聞いてくれ」

「分かってる。分かってるよ、レオ。ノロケ話でもなんでも聞くよ」

「違う! そうじゃなくて――」


「氷見! 何やってんの!」


 玄関の方から鋭い声が飛んでくる。玄関から走ってきた少女が氷見先生に近づく。明るい髪の毛をポニーテールにくくった少女には見覚えがあった。

りん! 助けてくれ!」

 緋村ひむらりん。レオと同じクラスで、家も隣同しの幼馴染。つまり僕とも幼馴染なんだけど……僕の方には目もくれず、氷見先生に詰め寄る。

「氷見! アンタいきなり学校に来たくせに、さらにレオに何してんの!」

「何って、見てわかるでしょ? デートのお誘い」

 今にも噛みつきそうな勢いの燐に対して、氷見先生は余裕を見せて答える。

「デートって、アタシたちは放課後だけど、アンタはまだ仕事でしょ!」

「有給使ったのよ。あとは全部加藤かとう先生にお願いしてきたし」

 加藤先生。たしか、保健室の先生だったよな。小動物みたいな人で、一部の男子から人気がある。

「一日目から、そんな、休むなんてッ!」

「あら、いいじゃない。有給は誰にでも認められた権利よ?」

 氷見先生の態度が気に食わないようで、燐の目が吊り上がる。

「そもそも! レオはアタシとお昼を食べるの!」

「いや、それも聞いてないぞ」

 燐の言葉に、レオがツッコむ。

「やだ、この娘ったら。勝手な妄想に巻き込まないでほしいんだけど」

「それは、氷見姉もそうだろ」

 氷見先生の言葉にもツッコむ。しかし、二人の言い合いは止まらない。

「氷見! アンタは他の先生と食べればいいでしょ!」

「嫌よ。面白くないもの。それより……ねぇ、レオ? 美味しいパスタのお店があるのよ。一緒に行きましょ」

「そんなとこより、アタシと一緒に買い食いする方が絶対楽しいって!」

「そんな安っぽいの嫌よね、レオ。私と一緒ならお金を気にしないで、たくさん食べられるわよ?」

「ア、アタシだって奢るし!」

「そんな買い食いぐらいで男子高校生の胃袋が満たせるわけないでしょ?」



「お話中、失礼いたします。レオ様をお迎えに参りました」



 突然、背後から声がした。振り返ると、そこには紳士服に身をまとった人が。すらりとした長身。レオとも大差がないほどの背丈だ。しかしその丸みを帯びたボディラインから女性であることがわかる。

「アカザ!」

 氷見先生の表情が変わる。敵をにらみつけるようにアカザと呼んだ女性の方を向く。しかし、それも一瞬。また余裕のある顔に戻ると、ふふん、と鼻で笑った。

「生憎だけど、迎えなんて必要ないの。これからレオは私とお昼を食べに行くんだから」

「ちょっと、氷見! 勝手なこと言わないで! アタシとお昼を食べるって言ってるでしょ」

「いや、俺は何も言ってないんだが」

 三人の言い合いを気にかける様子もなく、アカザさんは淡々と続けた。

「なにか勘違いされているようですが、レオ様は我が主との先約がございます」

「いや、待てアカザ。話をややこしくするな。そんな約束した覚え――」

 レオの言葉を遮るように、いいえ、とアカザさんが首を振る。

「今朝、我が主と話していたはずです。『今日は早く帰る』と。すると我が主が『ならば腕によりをかけて飯を作ってやろう』と言い、レオ様も『楽しみにしてる』とおっしゃいました」

「あぁ……言った気がする」

 レオが思い出したようで渋い顔をする。おそらく無意識だったのだろう。

「ですので、我が主は今もレオ様の帰宅を待ちながらせっせとおにぎりを作っております」

 あ、そこはおにぎりなんだ。何か手の込んだ料理とかじゃなくてね。

「あの小さな手で一生懸命におにぎりを握っておるのです。可愛いのですよ。何故かほっぺたにまでご飯粒をつけて。ほかほかのご飯に『熱い、熱い』と言いながら、それでもレオ様に美味しいおにぎりを食べていただこうとただひたむきに。さすが我が主。実に愛らしい」

 やけに饒舌に語った後、アカザさんはピタリ、と止まり、

「……まさか無下にするわけございませんよね?」

 と声のトーンを落としてレオに問いかけた。有無を言わさないトーンにレオたちがたじろいだ。しかし、燐が負けじと言い返す。

「で、でも! それは夕飯にでもすればいいじゃん! だからお昼は――」

「言いましたよね? 、と」


「「「はぁ?」」」


「我が主は加減というものがわかりませんので、今もなお、おにぎりを作り続けています。一刻も早くご帰宅されることをお勧めします」

「ちょっと待て! どんだけ作ったんだ!」

「少なくとも、家じゅうの皿では収まりきらず、床に並べ始めました」

「なんで止めないの!」

「私が我が主に意見するなど、ありえません。なにより、あんな一生懸命な姿、止めようがございません」

「クッ! 氷見姉、燐! 早く帰るぞ! このままだとリビングでは収まらなくなる!」

 レオが弾かれたように走り出す。左手にくっついた氷見先生も振りほどかれ、レオの背中を追う。

「すまん、チハル! ナンテン! また明日!」

「ちょっと、レオ! 置いていかないでよ!」

「さぁ、急ぎましょうレオ様。そろそろ家じゅうすべての米が炊き上がるころです」

「アカザ……! あなたのせいだからね!」

 4人はワーワーと言い合いながら走り去っていった。なんと言うか……、

「嵐みたいだったね」

「……そうだな」

 ずっと傍観していたナンテンがつぶやく。しかし、すごいなぁレオ。いつも気だるそうな感じだったのに、あんなに大声で走るようになっちゃって。夏休みで一皮むけたってやつなのかな。

「さらっと言ってたけど、レオ、あの人たちと一緒に住んでいるんだね……」

「まぁ、色々な事情があったんだろう」

 ナンテンは驚いた様子もなく頷いた。コイツ、本当に慣れている……。

「小説ではよくある話だ」

「官能小説で、でしょ」

「もちろん」

 ナンテンは言い終わらないうちに歩き出す。そうだ、僕も行こう。レオはいなくともお昼を食べに行こうかな。


 * * *


『ぽてや』は町の商店街の外れにあった。いつも商店街のアーケードを見ながら、ハンバーガーを齧っていたのを思い出す。

「…………」

 思い出す……のだが、


「……なんで、無くなっているんだ?」


 ぽてやの隣、商店街へと続くタイルが無くなっていた。その先にあった、名物のアーケードも。しかし、更地になったわけではない。商店街があった場所には緑豊かな草原と、小さな家々が立ち並んでいた。

「驚いたろ?」

 そう言いながらハンバーガーのパティを焼いているのは、ぽてやの店長。フランスで修業した、本格派なんだとか。

「朝起きたらまるっきり無くなっててよ」

「朝起きたらって、そんな一晩のうちにですか?」

「ああ。風の噂では商店街ごと……なんつったっけ? 『異世界転生』? したんじゃないかって。……ほいできたぜ」

「商店街ごとって……」

 もうリアクションが出てこない。今日は驚いてばかりで、なんだか疲れてきた。なんだよ商店街ごと異世界転生って。

 出来上がったアツアツのハンバーガーとポテトを受け取り、店の前のカフェスペースに二人で座る。


 本日の昼食『ぽたやのハンバーガー&ぽたやの無限ポテト』


「でもよ、リア村の連中もいいやつばかりなんだ」

「……リア村?」

「あの草原の中心の家たちさ。ほんの5世帯ばかりだが、村なんだよ」

 店長が顎で草原の中心の家を指し示す。

「さらに村の中にあるスライム牧場で俺たちとも交易を始めてるんだ。面白いもんだぜ」

「スライム牧場……?」

 スライムってあれだよな? RPGとかの雑魚敵。それを育てているということか?

「一体何を売ってるんです?」

「スライムゼリーとか、スライムの美容液とか」

「ゼリーって、食べるんですか?」

「良かったら食べてみるかい?」

 ふいに後ろから声を掛けられて振り向く。そこにいた人物は背が高く、見上げるような形になった。

 大きな瞳、大きな口、そこから覗く牙、そして。なに一つとっても僕たちの常識から考えられない存在がそこにいた。

「きょ、恐竜……?」

「リザードマンか」

「お、詳しいじゃんか、アンちゃん」

 巨大な恐竜。僕の知識から導き出されたのはそれが限界。それが人の言葉を話している。その事実に納得できないまま、その人は肩から吊り下げたカバンの中から丸い物体を取り出した。

「ほれ。スライムゼリーだ。今朝取り立てだぞ」

 手渡されたのはプルプルとした感触のボール。どうやって食べるのだろうと思っていると、続けて爪楊枝が渡された。

「それで表面の皮を割るんだ。俺たちなんかは歯で噛み切るけど」

 受けとった爪楊枝を突き刺すと、皮はスルリと脱げるように皮が外れた。なんかこんなお菓子あったな。

「駄菓子屋にあったな、こんなの」

 そうだ、駄菓子屋のゼリーに似ている……その駄菓子屋も商店街ごと無くなったけど。

 おそるおそる、スライムゼリーにかぶりつく。プルンとした食感にほのかな甘みが口に広がる。

「おいしい、です」

「そうだろ! ウチのスライムは品がいいんだ」

 眼を細めるリザードマンさん。嬉しそうに開いた口からは赤い舌がチロリと覗いた。

「スライム自体はクセが無くて、寒天みたいな感じなんだよな」

「いや、野生のはもっと青臭いぜ。ウチの牧場は飼料にも気を使ってるんでな」

 店長の相槌に、リザードマンさんが付け足す。会話だけなら肉屋とかの会話に聞こえる。中身はスライムだが。

「んで、何か用か?」

「そうだ、ポテトが欲しくてよ。ゼリーと交換してもらおうと思ってな」

 そう言ってリザードマンさんはカバンからゼリーを取り出した。店長もいいぞ、と軽く応じポテトを揚げ始めた。よく考えると、商品なんだよな。ただでもらってしまった。

「あの、いくらですか?」

「ん? 金なんかいらねえよ! 今はまだ宣伝期間でな。今はたくさんの人に配ってるんだ」

 リザードマンさんは財布を出そうとした僕を止めて笑った。

「宣伝って、いつからここに来たんですか?」

「いつだっけなぁ……」

「もうだいぶ前だぜ。8月の頭だな」

「……それ、何日か思い出せますか?」

 ゼリーを食べ終わったらしいナンテンが食いついた。声のトーンが深刻だ。

「えーっと、8月2日だな。次の日が夏祭りだったから間違いない」

 カレンダーを横目に見て店長が答えた。

「そんなに前から?」

 全然気かなかった。そこから宣伝をしているなら、もっと人気が出そうなものだけど。スライムゼリー美味しいし。

 ナンテンは店長の言葉を聞いて、再び黙りこんでしまう。静かになった僕らを見て話は終わったと思ったのか、リザードマンさんは軽く手を挙げて踵を返す。

「じゃあな、アンちゃんたち! また食いに来てくれよな」

「あ、ごちそうさまでした!」

 リザードマンさんはあいさつ代わりに手をふって去っていった。気がつけば頼んだハンバーガーもポテトも無くなっている。

「ナンテン、僕らも行こう」

「……」

 無言のままナンテンが立ち上がる。なんだか上の空だ。そのまま歩き出してしまう。僕は店長にお礼を伝えて、その背中を追った。


 * * *


 そのまま無言で歩くこと10分。駅前に着いた。僕とナンテンの分かれ道。ナンテンは電車通学だからここで分かれる。

 ナンテンは夏休み明けから本当に無表情になった。さらに黙りこくってるものだから、何も感情が読み取れない。ずっと考え込んでいる。

「なぁ、ナンテンどうしたんだ――」

「お前は」

 僕の言葉を遮ってナンテンが話し出す。その有無を言わさぬ口調に黙ってしまう。ナンテンの無表情がこちらを向いた。

「あの商店街のことを知ってたか?」

「え、いや知らなかった」

 今日の帰り道で初めて気づいた。

「何故だ?」

「え?」

「何故気付かなかった? お前の家は商店街から15分ほどだろ? 近所じゃないか」

「何故って言われても……」

 ナンテンが矢継ぎ早に質問をしてくる。その勢いにたじろぐ。僕が答えずにいると、ナンテンは質問を変える。

「商店街が無くなったのは8月2日だが、お前はその日何をしていた?」

「何をしていたって……覚えてないよ」

「じゃあ、食料品の買い出しなどはどうしていた? お前は普段からあの商店街を利用していたはずだろう」

「……わかんない」

「……わからないだと?」

「本当だよ、そもそも夏休みの記憶が全くないんだ」

 ナンテンに聞かれて、クラスでも聞かれて必死に思い出そうとした。しかし思い出せないのだ。毎日ダラダラして過ごした、そんな記憶しかない。

「多分、スーパーとか通販を使ってたんだよ。そうじゃなきゃ商店街のこと気付くはずだもん」

「……そうか」

 ナンテンは話は終わりだというように駅の方に向き直った。

「最後に確認するが、夏休みは本当に何も無かったんだな?」

「う、うん」

 僕の返事を聞くと、ナンテンは小さく頷いて駅へと行ってしまった。もともと愛想のない奴だったけど、今日は特に変だった。


「……帰ろ」


 小さくなるナンテンの背中を見送って、僕も家へと急いだ。明日になればきっとナンテンも元に戻るさ。






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小柄千春の奇界漫遊譚 竜王宮リノ @naara

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