1章 第3話 8月27日 ホームルーム

「おはよう、諸君」


 教室の扉が開き、見覚えのある四角い顔が覗く。

「その様子を見ると、みんなも色々な夏休みを過ごしたようだな」

 牛窪うしくぼ先生。精悍な顔立ちとがっちりとした肉体が特徴的な僕たちの担任。初対面では体育教師に間違えられるが教科は国語。

「あの先生、なぜそんな姿勢で話しているんですか?」

 クラスメイトから疑問の声が挙がる。先生は上半身までが教室に入った姿勢で止まっていた。

「ああ、実は俺もみんなのように不思議な体験をしてな?」

 先生が教室に入ってくる。白いワイシャツ、太い二の腕そして。その身体はよく知っている。そう牧場でよく見る……。


「俺はケンタウロスになってしまったんだ」


 そんな馬鹿なという言葉はもう出ない。誰もがそうなのだ。当たり前になっているのだ。

「やりましたね先生。これで東京マラソンも楽勝だ!」

「自己ベスト更新が期待できますね!」

「馬になっても素敵です!」

 先生が顧問をしている陸上部の生徒たちが盛り上がる。

「しかし問題があってなぁ……」

 生徒に反し、先生は困ったようにはにかむ。当然だ。今となっては馬の身。もう人間の大会には出らないはずだ。行くなら東京ではなく競馬場。


「これ、下半身全裸なんだよ」


 そこじゃないでしょ。


「大丈夫ですよ先生!」

「言わなきゃバレませんって!」

「むしろそれが良いです!」


 大丈夫でもないでしょ。下半身を気にするなら、生徒の前に立つことも考えどころだと思う。


「下を履き忘れちゃったなんて、茶目っ気があるじゃないですか!」

「下半身全裸でも堂々としてるなんて、男気がありますよ!」

「もはや色気すら感じます……」


 陸上部は口々に褒め称える。今の先生から感じられるのなんて馬っ気ぐらいなものだ。下半身全裸の変態。

 振り向き、ナンテンに囁く。

「いくらなんでもアレで人間の大会には出られないよね──ナンテン?」 

 後ろの席のナンテンは周りで繰り広げられる喧騒がまるで耳に入らないように腕を組んで固まっていた。相変わらず無表情な顔からは感情も思考も読み取れない。

「いやぁ。みんながそう言うなら俺も東京マラソン頑張ろうかな!」

 陸上部に褒められて上機嫌の先生。いや、そんな体では出られないでしょと口をついて出そうになった言葉を飲み込む。いや、飲み込まされる。

 先生の言葉に陸上部以外の生徒も口々に応援の言葉を告げ始めたのだ。さも当然のように。クラス全員が先生の言葉に違和感を持っていなかった。馬の身体でも大会に出られると信じて止まない。


 ――なんで誰も変だと思わないんだ?


 そんな思考を遮るように、


(ガンッ)


 教室のドアから音が響いた。まるで何かがぶつかったような、誰かが蹴飛ばしたような。

「おお、忘れてた。今日は転校生を紹介するぞ」

 先生の言葉にクラスから歓声が上がる。

「ウソッ! 新学期だから?」

「先生! 男子ですか? 女子ですか?」

 先生は盛り上がる生徒たちに釣られてニヤリと笑う。

「両方だ。──転入生、入っていいぞ」


(スパンッ)


 先生の言葉に応じて教室のドアが荒々しく開く。

「待ちくたびれました」

 ムスッとした表情で入ってきたのは少女。高校生とは思えない小さな身体で、長い黒髪が緩やかに一つ結びにされている。ただしその背筋はピンと伸びて特有の威圧感を放っていた。

「だからって扉を蹴るのはどうかと思うっすよ姉御」

 次に入ってきたのは背の高い男子。扉よりも大きく頭を下げて入ってきた。大きい身体に似合わずどこか腰が低く感じる。しかしその髪は異様なほど白い。

 その後ろから派手な服装の女子が入って来た。目が覚めるような美少女。クラスがどよめいた。さらにその後ろからは目つきの鋭い男子が──。


 いや、多すぎるでしょ?


 ずらずらと転校生が教卓の前に並ぶ。総勢十名。しかもそのほとんどが強烈な個性を放っている。


「見ての通り、実はこのクラスには欠員が出ていてな。補充が入った」

 言われてみればホームルームだというのに、いくつも空席がある。しかし生徒の欠員補充ってなんだよ。

「じゃあ自己紹介してもらおうか」

 先生に促され、最初に教室に入った少女が名乗る。

「鬼退治 桃子(おにたいじ ももこ)だ」

 次、と言わんばかりに鬼退治さんは顔を隣に向ける。

「それだけっすか、姉御!」

「早く座りたいの。あなたも早くしなさい」

 背の高い男子が困ったように名乗る。

「ええっと、俺は犬峠シロ。鬼退治の姉御の第一の子分をやってる。姉御に出会う前は『闇をいぬ――」

「そこまでにしなさい。長い」

「待って、ください姉御! そこで遮ると俺が本当に犬みたい――」

 そこまでしゃべった犬峠の腹に鬼退治さんの膝がめり込んでいた。一瞬の犯行。犬峠は床にうずくまる。

「くどい」

「犬じゃないって言いたいだけなのに……」

 息も絶え絶えな犬峠の言葉を無視して鬼退治さんは隣の女子に顔を向ける。

「あ、えーっと。転入生の蛯谷えびたにでーす。一応アイドルやってまーす。アハハ……」

 直前のやり取りで完全に顔が引きつっている。とにかく急いで自己紹介を終えようと必死だ。クラスから小さな「あの蛯谷ちゃん?」という声が聞こえる。どうやら有名人のようだ。

「……郷道ごうどうだ」

「むっ! やはり貴様郷道か!」

 目つきの鋭い男子の言葉にクラスの男子が立ち上がる。

「行方不明になったと聞いていたが、やはり生きていたか!」

「……お前もな」

 二人の間に只ならぬ緊張感が走る。なんだこの展開。


「あー、すまんが後でやってくれるか。ホームルームが終わらんくなるから」


 牛窪先生が割って入る。その言葉に二人とも従うようだ。張り詰めた空気が収まる。そこは一応従うらしい。

 郷道の番が終わり、次の男子が名乗る

「四ケしかしょです。よろし――」

 その言葉が言い終わらないうちに、彼の眼前に何かが飛ぶ。しかし、彼は事も無げにそれを受け止める。蛍光灯の光に反射するそれは――カッター?

「久しぶりだねぇ、しかしょぉおお」

 クラスの女子がイスの上に立っていた。どうやら彼女が投げたらしい。彼女はにやりと笑って続ける。

「あんたとの決着がつけたくてさぁああ」

「フフッ、奇遇だね。僕も――」 


「それも後でやってくれるか?」


 牛窪先生が割って入る。その言葉に二人のやり取りが止まる。


法安のりやすですー。寺の娘やってまーす」

「まさか法安退魔道正統継承者の――」


「後で、やって、くれるか?」


 立ち上がろうとしたクラスメイトを牛窪先生が声で押さえつける。まさか転入生一人ごとに反応するのだろうか。本当にホームルームが終わらなくなる。


「えっと、発地ほっち、です」

「……無面むめん

「モブやまだ!」

「フェイロンでス」


 牛窪先生がにらみを利かせる中、転入生の自己紹介はスムーズに終わった。名乗るごとにクラスはざわついたが。本当に一人一人に奇想天外な物語があるのか。聞いてみたくもあるが、すでに食傷気味だ。

「よーし、自己紹介が終わったなら座れー。空いているとこならどこでもいいぞ」

 そんな適当な。しかし、空いている席は十分で、転入生たちはそれぞれ手近な席に座る。

「おおっと、すまない犬峠。そこの席は違った」

「はい?」

 座ろうとする犬峠が止まる。

「そこの席、飯屋崎いやざきは欠席だ。その後ろに座ってくれ」

先生の言葉にクラスがどよめく。

「飯屋崎が欠席だと!」

「通りで教室が静かなわけだぜ……」

「あの超絶健康優良児が欠席するなんて」

 飯屋崎 勇吹いぶき――同学年でその名前を知らないものはいないであろう。いつだって元気はつらつ、笑顔以外は見たことがないとまで言われる、絵にかいたようなバカ。もちろん学校を休んだことなどない。

「先生! 何故彼は欠席なのですか!」

 ついには先生に尋ねる人まででた。確かに気になるけど。

「連絡によると、『世界を救いに行ってくる』と言ったらしい」

 先生の言葉にクラスから「あぁ」というため息にも似た声が漏れる。イブキらしい、なんともバカらしい理由だ。

「よーしじゃあ連絡事項を伝える――」


「待ってください先生! 飯屋崎は分りましたけど、後の十人はどこに行ったんですか?」相葉

「そうですよ! 相葉はどこに行ったんですか!」

「山田もいないんですが!」


こらえきれなかったようにクラスから疑問の声が挙がる。確かにそうだ。気づいたらいなくなっているなんて、そんなのは寂しすぎる。


「あー。伝えてなかったな」

頭を掻きながら先生が手帳を開く。


「相葉は――」


「相葉!」

「野球部の相葉!」

「ボール拾いが誰よりも上手い相葉!」

 合いの手のようにクラスから声が挙がる。ノリノリだね、みんな。


「――実家の神社がある地方に転校した」


「……なんか普通だな」

「……つまんないね」

 これには僕も同意。もっとすごいものが来ると思ったのになんか拍子抜け――、


「許嫁が降霊に失敗して、神社を浄化しつつ立て直す必要があるんだそうだ」


「「「普通じゃねえ!」」」


 前言撤回。何言ってるかわかんないや。


「あいつ許嫁がいたのか」

「うらやましい。うらやましいぜチクショウ……」


そんなことよりも大変なことが起こってた気がするが、彼らには聞こえていないようだ。


「次、宇井うい


「宇井!」

「陸上部の宇井!」

「砲丸投げの新星!」


 クラスメイト達が次々に説明してくれる。がっちりとした身体の彼ね。


「宇井は交通事故でトラックに撥ねられて――」


 誰もが息を呑む。そんなまさか、同じクラスメイトが若くして――、


「――異世界転生した」


「「「なにぃ!」」」


 僕も声が出た。なんだって?


「手紙が届いた。向こうでは百年に一度の天才騎士として活躍しているらしい」


「クソッ! うまくやりやがった」

「砲丸投げのスキルを活かしているんだろうな。羨ましいぜ」


 本気で悔しそうなクラスメイト達。


「次、尾根川おねがわは――」


「吹奏楽部の尾根川!」

「通称サックスの令嬢!」

「俺もサックスになりたい!」


 次第に暴走するクラスメイト達。この人たちと同じクラスにいるのが不安になってきた。


「具体的には分からないが、海外留学したらしい」


「すごいね、音楽留学かなぁ!」

「どこに居ようと応援してるよ……」


 留学という言葉に様々な反応が返ってくる。でも留学ならそんなに珍しくない──、


「学校に届いた手紙には『夏休み中に出会った男性がとある王国の皇太子で3番目のお妃として嫁ぎます』と書かれていた」


「「「ラブコメかよぉ!」」」


 クラスから悲鳴にも似た声が挙がる。


「玉の輿ってやつ!」

「石油王? 石油王?」

「勝てっこねぇじゃんかぁ!」


「時間もないから手短にいくぞ」

 先生が腕時計をチラリと見て続ける。


「佐藤は湖で溺れて異世界転生。向こうの世界で木こりとして生計を立ててるらしい」

「知ってるぞ! 目が覚めたら美少女に介抱されてるやつだ!」

「木こりと言いながら、最強クラスの魔法が使えるんだろ!」

クラスの男子が絶叫する。やけに詳しいね。


「田中は部活の帰り道を間違えて異世界に迷い込んだらしい。向こうで旅をしながら知らぬ間に世界を救って、英雄になったらしい」

「サッカー部で培った瞬発力が活きたのだろう……」

「俺なんかやっちゃいました? とか言ってるんだろう……」

同じサッカー部員男子が誇らしげに語る。まるで父親のよう。ワシが育てたみたいな。


「次、中村はゲーム中に昏倒して異世界転生。やっていたゲームの悪役令嬢になったが、逆にヒロインと結託し女性君主社会を築き上げたとか」

「中村ちゃん、リーダーシップあったもんね……」

「きっと向こうでも笑ってるね……」

バレー部女子の目に涙。いい話のように語るが、その転生理由はいかがなものだろう。


「三村は海外旅行の際にジャングルで出会ったゴリラに一目惚れして、そのまま定住したらしい。彼とも意気投合して幸せな家庭を築くそうだ」

「三村ちゃんってワイルドな人がたいっぷだったんだね……」

「先越されちゃったなあ」

 女子たちの羨ましそうな声が聞こえる。本気かな? 相手は猿だよ?


「残りの東野、星野、山田の三人はトラックに撥ねられて異世界転生したと連絡があった。それぞれ剣士、魔法使い、神官としてメキメキと力をつけているらしい」

「王道だね」

「固有スキルで差別化を図ろう」

 クラスメイトからのやや手厳しいコメント。どこからの目線なんだ君たちは。


 先生はふぅと息をついて手帳を閉じる。

「以上だ。とりあえず二学期についての連絡は始業式の後にしよう」

 先生の言葉に合わせるようにチャイムが鳴り始めた。

「この後、体育館で始業式がある。遅れずに整列するように。では委員長、号令」

 先生の合図に促され形式的な号令がかけられる。教室を出ようとした先生が思い出したように振り返った。

「お互い質問や因縁はあるだろうが、ほどほどにしとけよ。始業式に遅れたらただでは済まさんからな」

 先生の言葉に「はーい」とお行儀のいい返事が響く。先生なら本当にただでは済まさないだろう。僕らはそれらをわかっているのだ。

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