1章 第2話 8月27日 教室にて
「えーっと。つまり、なんだ」
僕の席を囲むようにして、好き勝手に語り合う友達の話を遮って尋ねる。
「みんなは夏休みにそれぞれ変な体験をした、と。」
「そう!」
一番初めに俺に尋ねた青年──クラスメイトの
教室に入ってすぐ、周りからの質問攻めにあった。夏休みに何があった? どこに行った? 誰に会った? と。しかし、俺が答えるよりも早く、おしゃべり好きなクラスメイト達は口々に自分の話を聞かせてきた。
しゃべり続ける彼らを押しのけながら、どうにか自分の席に座ったが、話は終わるどころか盛り上がるばかり。思わず遮ってしまった。
「みんなが夏休み中に世界を救ったり、悪と戦ったり、肉体改造されたりしたのさ!」
得意げに語る府本。そんな彼は、夏休みに巨大な鎌を持った何かに襲われ、殺されたのだと言う。その時通りがかった人に使い魔として蘇らせてもらったらしい。だから顔色は常に最悪。あまりにも都合が良すぎる。
「だからみんなも個性的なわけさ。俺を含めてな!」
嬉々として話すのは、実は狼男の家系だったとカミングアウトしてきた
「イメチェンってやつだね。誰が誰だかわかんなくなっちゃうよ」
「そうだね……」
頷きながら呟く人物ははるか上空にいた。彼の名前は
彼らの言葉につられ、教室を見渡す。確かに個性的だ。鱗が生えている人、毛むくじゃらの人、2m以上の身長の人。
軽くあしらいながら、話を聞いていたが、その無茶苦茶な話は、聞けば聞くほど嘘くさいが、信じざるを得ない。
「本当にみんなが変な体験をしたのか……?」
「まだ、目の前で起きていることが信じられないか?」
突然後ろから声がして、とびあがるほど驚く。
「ナンテン! いつの間に!」
「はじめからいたぞ」
後ろの席に座っていたのは、
「本当にナンテン?」
「何を疑う」
こちらには目もくれず、手に持った文庫本のページをめくる。短く切りそろえられたスポーツ刈りの頭も、スポーツマンとはかけ離れた細すぎる身体も、よく見知った友人の姿だ。しかし、その顔が違う。
「いや、ナンテンってもっと表情豊かだったというか、笑っていたような」
「……夏休みの前までは、な」
ペラリ、と文庫本がめくれる。文庫本にはカバーが掛かっていて、どんな本かわからない。ナンテンは目を逸らさず一心不乱に読んでいる。そんなに面白いのだろうか。
「だが、俺は古淵南天だ。入学初日にお前が間違えて座った後ろの席の古淵南天だ」
「それはもういいじゃん」
入学初日のことをまだ覚えている。あの時、席を間違えた僕に、ナンテンが声をかけてきたところから、この腐れ縁は始まっている。
「わかった。ナンテンはホンモノ。間違いない。」
「わかったならいいさ」
「なあ、古淵は何があったんだ? 見た感じ変わりないけど」
僕らのやり取りを聞いていた府本が口をはさむ。確かにそうだ。表情は無くなったものの、ナンテンの姿は人のそれだ。
「……夏休みのある日のことだった」
文庫本のページをめくりながら淡々と話し始める。
「あの日、俺は夢見が悪くて、朝から姉貴とケンカをした。いつもなら流せる些細なことだったんだがな」
ナンテンの語り口に、誰も口をはさむことが出来ない。文庫本のページのめくれる音だけが響く。
「姉貴とケンカして家を飛び出して、行く当てもないまま適当に近くの河川敷をうろついてたらな……」
ごくり、と喉が鳴った。
「UFOに連れ去られてな」
「へ?」
「アブダクションってやつか!」
大神が吼えるように言った。ナンテンは小さく頷いて話を進める。
「いきなり体が持ち上げられて、気がついたら真っ白な空間でベッドの上に寝かされていた」
「か、体は、大丈夫だったのか?」
陽成の心配そうな声に、ナンテンはトントン、と自分の頭を指さす。
「脳をいじられた。やつらの先進科学とやらを叩き込まれた。そのかわり、表情は動かなくなっちまったが」
「そ、そこからどうやって?」
思わず僕も身を乗り出してしまう。
「どうやら自我も奪い取って侵略の駒にしたかったみたいだが、失敗したようでな。『地球人を
「やるなぁ」
府本が感心するようにうなずく。
「じゃあ、UFOもそれで逃げ帰ったのか」
「いいや」
冷たく言い放つナンテンの言葉に、また空気が引き締まる。
「連中はそれでは引き下がらなかった。俺の記憶を頼りに、俺の家へと向かったんだ」
ナンテンは顔をあげることはない。淡々と事実だけ述べる。
「俺が家に着くころには、連中の宇宙船によって家は業火に包まれていた。燃え盛る家を前に為す術はなかった」
陽成の「そんな……」という声が小さく聞こえる。家にはお姉さんがいたはず。しかし、その様子では……。
「そして煌々と燃える火の中で、ぽつりと人影が浮かび上がった。手に何かをつかんだそれはこちらの方にゆっくりと歩いてきた。業火の中にいて真っ黒な煤に包まれていたが、その姿はまごうことなく――」
「まさか――」
宇宙人が、と言おうとした僕の言葉をナンテンが遮る。
「――姉貴だった」
「は?」
「「「きたぁ!」」」
開いた口が塞がらない僕と対照的に三人が身を乗り出す。
「あの程度の火力で燃え尽きるような女じゃなかった。炎から飛び出すなり、小脇に抱えた宇宙人を地面に叩きつけて怒鳴りつけた。『近所迷惑だろうがっ!』ってな」
「強い」
「流石だ」
「惚れ惚れするね」
三人は間を置かずに相槌を入れる。仲いいな。
「家までやってきた宇宙人はたかだか地球人と侮っていた。レーザーで家を焼き払えばおしまいだと。ところが焼き払った家から人が飛び出してきて、素手で宇宙船を破壊するなんて思ってもいなかった」
「そりゃあ、誰も思わないよ」
ハリウッドでも予想できない。
「そのまま、宇宙人を締め上げたのは良いんだが、そいつが俺のせいだと言い張ってな。俺も含めて説教。コレクションも焼けちまったし、散々だったぜ」
「コレクション?」
ナンテンの言葉に府本が食いつく。
「おいおい。古淵文庫は閉店かよ!」
「いいや。たしかにコレクションは焼けてしまったが、俺の炎は燃え尽きていない。また1から集め出したさ」
そう――、と言ってナンテンは読んでいた文庫本のブックカバーをめくる。そこに書かれたタイトルは――
『清純委員長と新米教師のイケない補習 3時間目』
「――官能小説を、な」
「「「よっしゃあっ!」」」
「ちょっと待て!」
沸き立つ三人を遮るように叫ぶ。ナンテンは変わらず無表情で文庫カバーを戻し、続きを読み始める。
「熱心に読んでいたのはそれかよ! 高校生が読んでいいのか!」
「知らんのか、コガラ!古淵は有名な官能小説コレクターだ !」
「おいそれとは買えないそれを大量に有し、俺たちに貸しているのだ!」
「その様子を人々は崇め、敬意をこめて『古淵文庫』と呼ぶ!」
「知らないよ!」
たしかに1学期の頃から、教室の隅でこそこそと紙包みを渡す姿を見た気がする。あれはこういうことだったのか。
「その膨大なコレクションは垂涎必須! あらゆるニーズに対応可能!」
「噂では上級生すらその
「そのコレクションが焼け落ちてしまったのは我が校の――否! 全男児の損失!」
「うるさいなぁ!」
さらにヒートアップする三人。教室中の視線が痛い。違う、僕は彼らとは違うんだ。
「だが! 悲しむことはない! なぜならこうして、古淵は再びコレクションを集めているのだから!」
「その命の光! 腰の炎は燃え尽きてない!」
「古淵文庫は――不滅だっ!」
暑苦しい。ギラギラに輝いている馬鹿三人を気にも留めず、ナンテンはページをめくり続けている。
「そんなわけで、コガラも読んだらどうだ!」
「いや、いい」
府本の差し伸べてられた手を払う。そんな狂った様子を見せられて、読みたくなるわけあるか。
「ウブだねぇ」
「ネンネだな」
「坊やだからさ」
好き勝手言ってろ。
「結局その後はどうなったんだ? 家は無くなったんだろ?」
「すぐに姉貴が建て直させた。宇宙人どもの技術力であっという間にな。今も家で使用人として使われてるよ」
「そりゃあまた……」
命を狙ってきた宇宙人を逆に働かせるか。何ともびっくりな話だ。
「まあ、俺の話はこれぐらいだな。ありきたりですまん」
「いや、夏休みの思い出で宇宙人にさらわれたなんてのは初めて聞いた」
ナンテンはフン、と鼻を鳴らす。
「俺ぐらいの話はいくらでも転がってるさ。お前も聞いただろ?」
「そうだね……」
横目で好きな官能小説について語り合っている馬鹿三人を見る。奇想天外な体験はさっきも聞いた。
「お前は?」
「えっ」
ナンテンの方に向き直る。ナンテンは文庫本から目を逸らさず僕に問いかけてきた。
「お前の夏休みの話は?」
「いやぁ、何もなかったよ」
本当に何もなかった。普通の生活をしていた気がする。
「何もなかった――だと?」
僕の言葉に驚いたようで、はじめてナンテンが文庫本から顔をあげた。相変わらずの無表情だが、その目はわずかに見開いていた。
「う、うん。父さんは相変わらず海外を飛び回ってたから、毎日ゲームしたりマンガ読んだりして、だらだら過ごしてたよ」
「それは――」
「まじでいつも通りじゃねえか!」
ナンテンの言葉を府本がかき消す。
「なんだよ
「背ぐらいは伸びてるかと思ったが相変わらず
「
「
これ見よがしに僕が
「そもそもコガラ、コガラって呼ぶけれど、読み方は
漢字を見た途端、誰もが『こがら』と呼んでしまう苗字。この苗字に生まれてしまったことを悔やんだことは数えきれない。せめてこの苗字でなければ。父さんは僕ほど小さくなかったはずなのに。
「わかってるって
「ニックネームだもんな
「ハートは大きいもんな
「アクセントが違う! 馬鹿にしてん――」
(バンッ!)
僕らの会話をを遮るように、教室の扉が勢いよく開け放たれる。静まりかえった教室中の視線がそちらに向かう。しかし、扉から音の主の姿は一向に現れない。
もきゅ、もきゅ。
固まったクラスメイト達の耳に聞きなれない音が飛び込む。なんだこれ。子どもが履いてる音が鳴るサンダルのような。音のする、机にさえぎられた足元をのぞき込む。
そこにぬいぐるみがいた。テディベアってやつだ。歩くたびに可愛らしい音を立てながら、教室の窓際へと向かう。そして窓際の一番後ろの席、一際背の高い椅子によじ登ると、背もたれに寄りかかり、足を机の上に放り出した。
窓際の一番後ろ。そこの席は僕らのクラスで特別な意味を持つ席。そこに座る彼はひどくガラが悪く、いつも不機嫌そうに窓の外を見ていた。だから、教師もクラスメイトも恐れて近づけなかった。たしか、そこに座っていたのは――。
「「「お前、
クラスメイトの声が重なる。名前を呼ばれたたテティベアが返事の代わりに舌打ちをする。そうだ、堂童。悪い人じゃないらしいけど、本人は馴れ合うつもりがなくて、近寄りがたい印象だったけど。
「なんだなんだ、どうした!」
「イメチェン? それにしても変わりすぎだろ!」
あまりにもイメージが変わった彼の話を聞こうと、クラスメイトが彼の周りに集まっていく。夏休み前では考えられない光景だ。
「スゲェな! 本当にヌイグルミだ」
「……」
「なんか高そうじゃねぇか、コレ」
「……」
「なあなあ、その体、飯ってどうしてんだ」
「……」
周囲をクラスメイトに囲まれ矢継ぎ早に質問を受けても無視を貫いていた堂童だが、煩わしく思ったのか、片足を高く上げ、机に叩きつけた。
ぽすん。もきゅ。
「……」
「……えーっと」
彼はいつも周りを黙らせる時、物を殴る音で威嚇していたのだが、どうやら今回もそれをしたかったらしい。しかし哀れヌイグルミの体。軽い毛皮の体では机に叩きつけても大きな音など鳴らず、足に仕込まれた鳴き笛がかすかに鳴るだけ。その光景にむしろ周りは騒ぎ出す。
「なあ、それって威嚇か? 威嚇なのか?」
「威嚇まで可愛らしくなっちゃて、まぁ!」
今までなら堂々から威嚇されれば大人しく立ち去っていた彼らも今日は収まりどころを知らない。ついには堂童を撫でるものまで出る始末。
「うるせぇぞ、テメェら! 撫でんじゃねぇ!」
いい加減に堂童も限界である。周囲の彼らを短い腕で振り払いながら怒鳴る。
「俺に構うんじゃねぇ! 俺に何があったかはそこの阿呆に聞け!」
そう言いながら堂童は、遅れて教室へ入ってきた少女に腕を──おそらく指を突きつける。
「だ、だいちゃん、早いよう」
教室に入ってきた少女は2人分のカバンを持って赤い顔をしている。たしか名前は
彼女は肩で息をしながら、ふらふらと堂童に近付く。
「ひどいよぅ、カバンを持たせて先に行くなんてぇ」
「この身体にしたのはお前だろうが!」
「だってぇ、ワタシも初めてだったしぃ」
「知るか! お前が責任を取るのが当然ッ――!」
激昂する堂童の動きがピタリと止まる。突然静かになった教室にクラスメイトの囁き声が響く。
「初めてを貰ったって……」
「えっ、堂々くんが魔路さんを傷物に……?」
「ほら、2人って幼馴染でしょ?」
「責任取るんだって。大人だぁ……」
「てめぇら、なんの勘違いをしてやがる!」
クラス中に広がった囁きをかき消すように堂童が怒鳴る。その声に怯まず、クラスメイトたちは優しい声をかける。一部の女子に至っては涙ぐんですらいる。
「わかってるって。おめでとう」
「何がおめでとうだコラァ! めでたいのはお前らだろ!」
「魔路さん、式には呼んでね」
「う、うん!」
「『うん』じゃねぇバカ! 意味が分かってから頷け!」
「照れんなよ。責任取るんだろ?」
「責任を取るのは俺じゃねぇ! 使った魔法の責任を取れって言ってんだ! コイツに!」
魔法? 聞きなれない単語にクラスメイトの視線が魔路さんに集まる。
「魔法って……?」
「あ、えっとね、実はぁ」
そう言って彼女は円を描くように指を動かす。次の瞬間、ポンッと可愛い音と共に彼女の頭にとんがり帽子が現れた。
「私ってその、魔女の一族でぇ」
魔女。非日常なその言葉にクラスが静まる。しかし、目の前の彼女と喋るぬいぐるみを見比べ、色めき立つ。
「うそっ可愛い!」
「魔女っ子ってやつ?」
「ええっと、そう……」
照れ臭そうに彼女は続ける。
「一族の掟で好きな男の人を魔法で振り向かせる必要があってぇ、だいちゃんに魔法を掛けたんだけどぉ、失敗しちゃってぇ」
その言葉に堂童が激昂する。
「元に戻せないようなものを人に使うな!」
「だってぇ、初めてだったんだもん」
「他のやつに試すとかしろ!」
「嫌だよぉ。だいちゃん意外に使うなんてぇ!」
言い合う二人を見ながら、クラスがまた静かになる。いや、その台詞って──
「これって大胆な告白だよね……?」
「2人とも気付いてないのかな……?」
僕もそう思う。
(キーンコーンカーンコーン)
2人の言い合いは尽きないまま、始業のチャイムが鳴る。もうそんな時間かと、みんなが慌ただしく席に着く。僕らの担任は時間には厳しいのだ。
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