第2話 無力

「直樹くん。とりあえず拭いたほうがいいよ。着替えはないけど……」


恵子さんはそう言って俺にタオルを渡してくれた。


「ありがとうございます……」


俺はタオルを受け取り、髪や、体を拭いていった。

恵子さんは俯いたまま、申し訳なさそうにゆっくりと言葉を発した。


「直樹くん……本当にごめんなさい。病状があまり良くなっていないのは私も知ってたんだけど……恵理が秘密にして欲しいって言って……」


そこから先は涙が邪魔をして、言葉が上手く繋がっていなかった。

その言葉を聞き、俺の心の中は、悲しさと悔しさでいっぱいだった。

恵理なりに気遣ってくれたんだろうけど、なんで本当のことを言ってくれなかったんだよ……

頼れるような彼氏に、俺はなれていなかったのだろうか……


涙をこぼす恵子さんに、俺は言葉を探す。


「謝らないでください……恵理が俺に心配をかけないように気遣ってくれての事だと思うので……」


理由も分からず頬を伝う涙を袖で拭き取る。


俺は再び恵理の手を握る。

それからは無言の時間が続いた。


数時間が経った頃だろうか。

突然恵理が苦しそうにもがきだした。


「恵理?!」

「恵理!!」


ベッドの側にあるナースコールのボタンを押す。


数秒経つと、看護師さんと先生が来た。


「先生!恵理が、恵理が突然苦しそうに……」


先生は恵理に近づく。

恵理の様子と、心電図モニターを見つめる。


「お母さん。伝えたいことを、言ってあげてください」


恵理の様子は落ち着いたが、心電図モニターに映される鼓動の波は、どんどん小さくなっていく。


「恵理!……うぅっ……私のとこに生まれて来てくれてありがとね……本当にありがとぅ……」


嗚咽を漏らしながら、恵理の手を額に付け、頑張って笑顔を作っている。

そんな恵子さんを見て俺は涙が止まらなかった。

そうだよな……最後は笑顔でお別れしないとな……

膝を床につけ、恵理の手をぎゅっと握る。


「恵理……俺の彼女になってくれてありがとな……本当に幸せだったよ……ありがとう……ありがとう……」


視界はぐにゃぐにゃになり、呼吸がうまくできなかった。

ぐにゃぐにゃな視界でも、恵理がうっすらと笑ったのはちゃんと分かった。


ピーー


心電図モニターに直線が映される。


「恵理!!!」

「うわあああああぁ!」


目の前で愛しの人が死ぬ。

想像もしていなかったことが目の前で起こる。


「20時17分松木恵理さん……死亡……」


先生は俯きがちにそう言った。

その時、部屋のドアが勢いよく開いた。


「恵理ちゃん!」

「母さん……」


母さんは俺たちの方を見て状況を理解したのだろう。

目から大粒の涙をこぼし始めた。


連絡を入れてから2時間ほどが経っていた。

恐らくあの渋滞に巻き込まれたのだろう。


俺は部屋を出た。

なんだかあの空間にいたくなかった。


病院の中を少し歩く。

夜だからなのか、人はほとんどいなかった。

目の前にあったベンチに座る。


自然と視線が床に向かう。


俺は、恵理の手を握る事しかできなかった。

自分の無力さを思い知らさせた。

そして自分の無力さに腹が立った。

俺は拳を上げ、ベンチに叩きつける。

ヒリヒリとした痛みが伝わってくる。


「くそっ……くそっ……くそ……」


何度も……何度も拳を叩きつける。

視界が滲む。

ポツポツと、床に涙がこぼれ落ちる。

次第に嗚咽が漏れる。


なんで……なんで恵理が死ななきゃいけないんだよ……


その言葉が俺の頭の中に響くばかりだった。


外の雨は、次第に強くなっていった……

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