第64話 アイリス聖
「ムラサキお姉ちゃん。何か……あったの?」
「何かあったか。なるほど。お前は何も理解していないようだな」
ムラサキお姉ちゃんは頭を抱え、今まで僕たちに見せたことのなかったであろう深いため息を吐いた。それに僕は事の大きさを理解した。
「イージス。これからここにはヘルメス家一族の者がここへ来る。恐らくだが、来るのは魔法聖と呼ばれている四名の大魔法使い。その一人、アイリス=ヘルメスが来るだろうな」
「魔法聖?」
初めて聞いた言葉に、僕は首をかしげる。
「そうか。今まで外の世界と関わらなかったお前は知らないだろうな。魔法聖とは、魔法についての知識を牛耳っている千年魔法教会ですら恐れるほどの存在だ」
一人はノーレンス=アーノルド。
彼は魔法学園ヴァルハラの創設者であり、そこに入った生徒たちに魔法の基礎となる原始魔法という自らで創り上げた魔法を教えた者である。
一人はユグドラシル=エインヘリアル。
彼が表舞台に姿を現すことはほぼないと言われている。だが彼の魔法の威力は凄まじく、魔法聖ですら恐れるほどだ。
一人はクレナイ=アズマ。
彼女は一度魔法剣士の頂点に立った。彼女の魔法の展開速度はなかなかに早く、どんな戦闘中でさえも圧倒的な速度で魔法を展開することが可能である。
「そして一人は……」
ムラサキお姉ちゃんが最後の一人について話そうとした途端、威圧感のある気配とともに一人の女性が扉を開けずして僕たちの前へと姿を現した。
銀髪の髪はまるで全てを凍らしてしまうほどに冷たいオーラを放っており、おしとやかに見えるその外見はどことなく憂鬱そうな笑みを浮かべていた。
「まさか……この人が…………」
「お察しの通り。私はアイリス=ヘルメス。君たちが束になっても勝つことができない最強の魔法聖の一人だよ」
彼女は突然現れ、そして突然自己紹介をした。次に何をするのかと警戒していると、居間へと足を進める。なぜのの家の構造を知っているのかは分からないが、そこで彼女は正座をして座った。
「アーサー家の皆さん。是非ともお座りください」
なぜかここが自分達の家ではないと錯覚するほどに、彼女の言葉一つ一つは僕たちに恐怖を植え付けていた。
だがそれに怖じ気づかないのか、ポイズンは口笛を吹きながらアイリスの前へとちゃぶ台一つを挟んで座った。
「そちらの皆様もどうぞ」
アイリスは僕たちへ視線を送っている。
僕の後ろで隠れるようにしてアイリスを見ているシフォンは、ぬいぐるみを両手に震えていた。タイガーベルも、毛並みがそそりたつほどに怖がっている。
「シフォン。タイガーベル。お前たちは外で遊んでいろ。今日は清々しいまでに晴れているからな」
ムラサキお姉ちゃんはシフォンとタイガーベルを外へと促すと、僕を引き連れてアイリスの前へと座る。
「ではアイリス聖。話とはなんでしょうか?」
「にしても貧相な家やな。ほんまはこのもっと奥にある洋室で椅子に座りたかったが、どうしてかあそこにはお前たちの母がいたからな。さすがに行かないようにしたよ」
「懸命な判断、ありがとうございます」
アイリス聖に強気で出るムラサキお姉ちゃんは、本題へと話を切り出すために前へ出る。
「アイリス聖。そろそろ本題の方へと入っていただけますか?」
「ああ。分かったよ。聞いているとは思うが、イージス=アーサーという少年が我が娘を奪ったらしいではないか」
「あれは」
「はい。そうです」
喋ろうとした僕の発言に割り込み、ムラサキお姉ちゃんは肯定した。
そこまでの深い事情を知らないはずだが、ムラサキお姉ちゃんには何らかの策があるのだろう。
「お主。心得ているようだな」
「いえ。ただ見たことがあるだけですよ。強大な勢力に逆らった者が、一体どうなるのかをね」
一体アイリス聖とムラサキお姉ちゃんがどのような話をしているのかは分からなかったが、恐らく女子話というやつなのだろうか。
アイリス聖はムラサキお姉ちゃんの顔を見て笑みをこぼすと、僕へと視線を移した。
「名は?」
「ムラサキです」
「そうか。ではムラサキよ、我が娘は返してもらうぞ」
きっとムラサキお姉ちゃんは受け入れることはしないでくれるだろう。
だってムラサキお姉ちゃんは僕の姉弟であり、そして家族なのだから。
「当然、」
やっぱり。
ほら、ムラサキお姉ちゃんは……
「いいですよ」
「…………え!?」
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