第26話 少女の涙

「ローゼン=クロッツ。ヘルメスは返してもらうぞ」


 全身に火炎を纏わせたアニーは、鋭い眼光でローゼンを睨み付けている。


「さすがに名門家の娘と戦うのは骨が折れそうだ。だが、まだ成長していないただの芽だろう」

「何を言っている?私を舐めていては、痛い目に遭うぞ」

「やってみなよ。子供」


 ローゼンの見え見えの挑発。アニーはその挑発にはのることなく、冷静に周囲を観察している。


「なるほど。トラップの魔法でもそこらに仕掛けているのか」

「さすがだな。ならトラップになど意味はねーか」


 ローゼンは竜を走らせ、宙をジェット機のような速度で走り抜ける。が、それはアニーも同じである。

 いつの間にかアニーは自分の竜を縛っていた水を蒸発させ、僕がいる遥か上空で、アニーとローゼンはかけっこを繰り広げている。


「逃がすか」

「さすがはヘルメス家の親衛隊隊長。他の奴とは格が違うな」


 上空で繰り広げられる飛行合戦はまさに一進一退。まだ竜での戦闘に目が慣れていない僕には、何が起きているのか解るはずもない。空中で繰り広げられるその戦闘、火炎が舞い、風が響き、さらには電撃までもがくうを走る。


「ちっ。背後に回り込まれたか!」


 アニーは機転を利かせて宙へと舞い、その後を追ってローゼンが宙で一回転してUターンしようとした瞬間、さらに一回転したアニーがローゼンの真ん前で両手をかざしていた。

 自然と向き合う形になっているアニーとローゼン。そんな状況の中、アニーの両手からローゼンの首目掛けて放たれた一撃、


「〈火刃カジャ〉」


 火炎の刃がローゼンへと牙を剥き、火炎が衝突したことによってできた黒煙により、視界は塞がっている。とっさにアニーは黒煙の中から抜けるも、ローゼンの姿は未だ煙の中。


「まさか……」

「正解だ。お前の攻撃は、全て読まれている」


 煙が周囲へ飛散するとともに、ローゼンが火炎の刃を防いだ全貌が明らかとなった。

 ローゼンを護るようにして現れた人一人分ほどの大きさの盾。


「無属性原始魔法零八〈創盾レギア〉か……」

「正解正解。だがどんな魔法を使ったか解ったところで、また防がれるのがオチだよ」

(確かにそうだ。このままでは、この男には勝つことは不可能だろう)


 アニーは自分が劣勢であるのだと改めて感じ、動きを止めてローゼンを観察する。


(見た感じ魔法の展開速度を上げるような装備はしていないか……。ならばこれが奴の実力か……)

「どうした?来ないなら俺から行くぞ」


 クイーンを片手に抱えたまま、ローゼンは動じない。

 先ほどからの戦闘を見るように、ローゼンはクイーンの家の親衛隊である限りは片手はクイーンの拘束に使う。つまりは片手だけでアニーと同等の力で戦っている。さすがに常軌を逸している。


「もう終わりか?それとも魔力切れか?」

「どちらでもない。ネバーギブアップだ」


 アニーはまだ諦めない。


「アニーお姉ちゃん。もう良いよ。私はもう帰るから。そしたらアニーお姉ちゃんは傷つかなくて済むから。だからもう止めてよ。こんなこと、止めーー」

「駄目なんだよ」


 泣きそうなクイーンの声を一喝し、アニーは力強く声を張る。


「クイーンは外に出たいって言っていただろ。だから外の景色を思う存分見せてやる。魔法地理学で観光スポットとかはよく知っているんだ。だからここから逃げられたら案内しようと考えてたんだ。どんな食べ物が美味しいのかも調べたし、どんな店が評判なのかも調べたさ。クイーン、お前は見たいんだろ。外の景色を」

「でも……私は…………」

「クイーン。正直に生きろ。今まで苦労してきたのなら、私たちがその苦労を忘れられるまで楽しい世界を見せるから。だからクイーン、救いを求めろ。希望を抱け。いつかきっと、誰かが救ってくれるから」


 何か言おうとしたクイーンの口を水で押さえ、ローゼンは右腕を水に変えて蛇のようにくねくねと操っている。


「お喋りはここまでです。クイーン様。速くお家に帰りましょう。お父様とお母様が心配しておられますから」

「ローゼン。私は、外の景色を見たい」


 クイーンは水と化したローゼンの腕に手を突っ込むと、呪文を唱えた。


「〈水晶シズク〉」


 ローゼンの腕は結晶と化し、みるみる固まってローゼンの右半身は結晶に覆われた。


「クイーン様!」

「ローゼン。私はもう縛られたくない。私はもう一人でいたくない。私はもう誰かのマリオネットになんてなるつもりはない」

「クイーン……」

「アニー。私をどうか、外へ連れていってくれませんか?」

「解ったよ。クイーン」


 クイーンはアニーの相棒の竜に乗り、竜馬祭のことなど忘れて遠くへと飛んでいく。

 花が咲き誇る町を見て、雪が降り積もる島を見た。太陽に照らされる砂漠を見れば、全てが水晶でできた町にも向かった。そんな一つも同じ景色がない世界を旅し、クイーンは思った。


「こんなにきれいな景色があるなんて知らなかったよ……。私、今すごく嬉しい……」

「なあクイーン。しばらく私たちがいる寮に来ないか。そしたらきっと、毎日楽しいと思うからさ」

「私なんかが、良いの?」

「クイーンだからだよ。私はクイーンが大好きだから、クイーンには幸せになってもらいたいんだ」

「私……こんなに嬉しいなんて初めて知ったよ。本当に……嬉しい……」


 夕焼けに照らされたクイーンの瞳からは、涙が何滴も溢れていた。


「泣いて泣いて泣けば良い。いつかきっと、その涙を拭ってくれる人が現れるから。だって世界は優しいのですから」


 私は初めて知った。

 世界がこんなにも、広く美しいのだと。

 私は初めて知った。

 世界がこんなにも美しく、そして優しいのだと。

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