9.虚飾の嗤い

「どこに向かって走っているの……!」


 隣で戦車にしがみつきながら、ラジエルがたずねる。


「まぁ、見てなよ。楽しいから」

 手綱で黒馬の背を打ちつつ、ベリアルは肩をすくめた。金属がこすれるような音がした。

 たてがみを燃やし、黒馬がいななく。

 瞬間、戦車が激しくドリフトをかました。車輪が炎を巻き上げ、波の如く飛散させる。それに巻き込まれ、瞬く間に数体のマステマが塵と化した。


「きゃっ――!」

「おやおや、しっかりしなよ」


 反動で落ちかけたラジエルを、ベリアルはひょいと掴んだ。

 兜の内部に顔はなく、ただ深い闇があった。これでどうやって物を見て、話しているのかはさっぱりわからないが、それでもベリアルの声はそこから聞こえた。


「これから君にはヴァニティーの魅力をしっかりと味わってもらうんだから。振り落とされたら一瞬で灰になるよ」

「安全運転ってご存知?」

「知ってるさ。死ななきゃなにしてもいいってこと――とりあえず捕まっててね」

「ちょっと――!」

「ヴァニティー、シートベルト」


 きぃんと音を立てて、ベリアルは指を鳴らす。

 途端戦車の後部から黒革のベルトが無数に伸び、ラジエルを雁字搦めにした。口元まで覆われたラジエルが、抗議するような唸り声を上げる。


「それじゃ、ちょっと行ってくる。――掃除は頼んだよ、ヴァニティー」


 炎の翼がごうと燃え盛る。

 戦車から飛び立つベリアルに向かって、無数のマステマが武器を手に殺到した。


「がらくたども。『逃げる』って機能はないのか?」


 ベリアルの声が響く。黒の面頬が笑うように揺れ、彼女の嘲笑を示した。

 笑いながらベリアルは、その両手を大きく広げた。

 爆音とともにそこに二つの炎が灯り、赤熱する一対の刃を形成する。

 夜空に赤く輝く軌跡を描き、ベリアルは亜音速で飛ぶ。

 それに触れた途端マステマは爆ぜ、あるいは切り裂かれた。ベリアルを回避したマステマはヴァニティーの車輪の餌食となり、地上へと墜落する前に燃え尽きる。


「あわれな……」


 赤い流星雨の如く墜ちていくマステマ達を見つめ、ラジエルはベルトの狭間でなんとか呟く。

 一方のベリアルは、高空で獲物を見つけた。

 アザゼルだ。ちりちりと燃え続けている頭を抱え、不安定な飛行をしている。


「よう! 山羊肉ちゃん!」

「ベ、ベリアル……!」


 顔を押さえたまま、アザゼルがかすれた声を漏らした。

 その眼前でホバリングし、ベリアルは顔面の虚無を山羊の悪魔へと向ける。


「さっきまでの威勢はどうしたんだ? やっぱり山羊って群れ生活だから、お仲間がいないと震えるしかないって感じかな?」

「ねぇ……見逃して……」


 顔を覆う手の狭間から、アザゼルは眼を覗かせる。

 涙に濡れた山羊の瞳を見つめて、ベリアルはかくりと黒の兜を傾げるように動かした。


「なんで?」

「私の使命は、この世界全てを救うことよ……天使、悪魔、人間……神に見捨てられてしまった可哀想な子山羊達。新たな神を作れば、きっと……!」

「……私さ、命乞いを聞くのが大好き。聞いてると、優しい気持ちになれるんだ」


 アザゼルに、ベリアルは距離を詰めた。

 兜の空洞に、炎が揺らめく。それは息を詰めるアザゼルの前で、口のような形となった。

 炎は歪み、嘲笑の形を浮かべた。


「――一瞬だけね」


 焼け焦げたアザゼルの顔が、恐怖に歪む。

 金切り声とともに荊の鞭をる彼女に、ベリアルは笑ったまま双剣を振り上げた。


 満点の星空に、赤く輝く線が刻まれる。

 それはしばらく焦げ付いたように闇に残っていたが、やがて音も無く消えた。

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