6.誰が魂ぬすんだの?
一行はベルゼブルの案内で、ある地下レストランに足を踏み入れた。
ビビッドカラーで彩られたそこは、極東にある店の支店にあるという。
店内はファンタジックに飾りつけられ、さながら遊園地のようなありさま。行き交う客も店員もまた、仮面舞踏会の客人かお伽話の住民かの如き派手な仮装をしていた。
店名は『フライ! フライ! メチャカワ!』
面倒なのでベリアルは『フラメチャ』と縮めて呼んでいる。
「……ここに来られるのも昼間くらいだねぇ」
そんなフラメチャの最奥にあるルームで、ベルゼブルは言った。
その区画は、ベルゼブルのために作られた場所らしい。ビビッドカラーのクッションや、ゴシックロリータ趣味の家具がたっぷりと飾られている。
そしてベルゼブルの背後の壁には、蠅の王を湛える金のプレートが掲げられている。
「ここって
黒と赤のメイド装束を着た店員を見つつ、ベリアルが指摘する。
テーブルに菓子や飲み物を並べるその店員もまた、ベリアル達と同じ悪魔だ。そして左肩に着けた髑髏の腕章は、
仕事を終えた店員はベルゼブルの前で恭しく膝を折ると、音も無くルームから出ていった。
「昼でも夜でも好きに使えば良いじゃないか。君が団長なんだから」
「ンー……いまはそうも言ってられなくてねぇ」
ベルゼブルは頬を膨らませつつ、ケーキスタンドに手を伸ばした。
「これは……何?」
一方のラジエルは、興味津々という顔で目の前に置かれたものを見つめていた。
赤、青、緑、ピンク、黄色――絵の具の如き色彩が、グラスにこんもりと盛られている。
「うちの名物のマジカルデビルパフェだよぉ。かわいくてめちゃうま」
「食用色素の塊みたいなクリームね……あとはマシュマロ、ウエハース、ゼリーかしら」
「ン、天使様はケミカルなのはおきらい?」
「いいえ、興味深いわ……こんなもの、初めてかも……」
好奇心に目を輝かせて、ラジエルはグラスにスプーンを差し入れた。
それを呆れ顔で見つめつつ、ベリアルは毒々しい色をしたソーダに口をつけた。
「――で、魂の流出の件だけど」
「ン……そうだったねぇ」
両手に大きなカップケーキを持ちつつ、ベルゼブルは視線を彷徨わせる。
「結論から言うと、マステマが関わってるのは確実だよぉ」
「だろうね」とベリアルがうなずく。
真っ赤なカップケーキに齧り付き、ベルゼブルはさらにもう片方にも歯を立てた。
「ング……天使も悪魔も、地上じゃ簡単には人を殺せない。――ここまではいいよねぇ?」
「えぇ。だからマステマの虐殺は、意味のない蛮行のはず……」
「それがそうでもないんだよねぇ」
新しいカップケーキを取りつつ、ベルゼブルは首を小さく横に振った。
考え込んでいたラジエルは顔を上げ、ベルゼブルを見る。
「……どういうことなの?」
「正確な数はわかんないよぉ。数えてるだけでもおなかが減るし。ただ、確実なのは――」
ベルゼブルは、黒いカップケーキを手の中で二つに割った。
真っ赤な中身を晒すそれを見つめて、ベルゼブルは淡々と言葉を続ける。
「マステマに殺された人間――正確には殺されて、死体として連れ去られた人間。こいつらに関しては、修復作用が及んでないねぇ」
「なっ――」
「つまり死んだままってこと?」
言葉を失うラジエルの代わりに、ベリアルが鋭く問う。
ベルゼブルはカップケーキを口に運び、さらにもう一つ新しいものを取った。
「さぁねぇ。ただ、死んでるんだったら普通は地獄に魂が落ちてくるでしょ? でも実際のところ、マステマに殺された連中は地獄にも来ていなぁい」
「なら、魂はどこにある?」
「ンー……その件だけどさぁ……ここからがすごく面倒くさくてさぁ……」
ベルゼブルはテーブルに突っ伏し、ぐりぐりと頭を揺らした。
しかしその手をサロペットのポケットに突っ込むと、オレンジ色のヘルフォンを取り出す。
適当に操作して、ベルゼブルは画面を二人に見せた。
「マステマを追っかけてたらさぁ……奴らがこれを連れてるの、見ちゃったの」
被写体、撮影者ともども相当の高速で移動していたのだろう。ベルゼブルが見せたその画像はぶれが激しく、一見するとほとんど巨大な影のようにしか見えない。
全容も定かではないその中心に、ぽつんと白い点がある。
「……なにがなんだかわからないけど、この白いのは仮面のように見えるね」
「ン。仮面をつけた
「心当たりある? 物知りちゃん」
ラジエルは口元に手を当て、じっと液晶画面に映るクリーチャーの影を見つめた。
「……見たことがない」
「なんだ。翼を失ったせいでお得意の叡智も失われてるの?」
「……確かに、各能力の低下は否めない……けれど」
ベリアルの冷やかしをよそに、ラジエルは目を閉じた。
そのまま何度か深呼吸する。そして再び目を開けて、ラジエルは画面を凝視する。
「……やっぱり、記憶にないわ。自信をもって言える」
「そんなことで自信を持たれてもな……」
「わからないの? これは異常よ」
ため息を吐くベリアルに、ラジエルは首を大きく横に振る。
「私はかつて、天界と地上の遍く全てを記録したのよ。地上の生物は様々に進化し、成長したけど、私は様々な文献からその大要を知っている……この知識については、翼を失っても鈍化してない。その私が、まったく見覚えがないということは――」
「……我々の想像もつかない、未知のなにかってことか」
ラジエルの言葉を継ぎ、ベリアルはうんざりした顔で髪の青い部分をいじった。
一方、ベルゼブルは首を傾げた。
「ン……遍く全てを記録したってぇ? ということは、きみはもしかしてラジエル?」
「え、えぇ。私は座天使ラジエル。神秘を司る者」
ベルゼブルは、反対方向に首を傾げた。そして、ベリアルを見る。
「ベリアル、知っているの?」
「うるさいな」
「ンー……まぁ、いいやぁ。ぼくには関係のないことだもの」
「なんの話をしているの?」
奇妙な会話を交す二人の悪魔を、ラジエルはきょとんとした顔で見つめる。
ベリアルは鬱陶しそうに手を払った。
「どうでもいいことだ。――で? ベルゼブル、クリーチャーはそれからどうしたの?」
「知らなぁい」
「は?」
「だからさぁ、言ったでしょ? 『ここからが面倒くさい』ってさぁ」
ベルゼブルは唇の端を下げて、自分のヘルフォンを見つめた。
「……面倒だったけど、追いかけようとしたんだよ。そうしたら、邪魔されたの」
「邪魔されたってマステマにかい? 君ならマステマくらい――」
「違うね。同胞――たくさんの悪魔達に攻撃されたんだ」
話によれば、場所はゴートヘッド・コースト。
火山の見える美しい海岸で、セカンドトリスでもリゾート地として知られている。その場所で、ベルゼブルはクリーチャーとマステマを追跡していたらしい。
そこに突如として、無数の悪魔達が乱入してきたのだという。
「正直、痛くも痒くもないけどさぁ……しつこくて面倒でね。話を聞こうとしてもなんにもいってくれないし。そのうちにお腹がすいてきて……」
「……追跡を諦めた、というわけだ」
「ン。さすがにムカついたから十匹ほどお腹にいれて帰った」
ベルゼブルは頬を膨らませて、腹をさすった。消化してしまったのだろうか。
「で、それから夜に出かけると尾行されるようになったんだよねぇ。――正直ここにずっと隠れてようかとも思ったけど、そうすると部下を巻き込んじゃうしぃ」
ベルゼブルは頬を膨らませ、「ンー」と唸る。
テーブルの上でぐりぐりと頭を揺らす彼女を、ベリアルは鋭い眼で見下ろした。
「君は魔王補佐だろう。襲ってきた連中の顔はわからないのかい?」
「顔を隠してた。鳥みたいな仮面だったよぉ。どこの手勢か特定するのは困難だねぇ」
「なるほど。で、君を尾行してるのは悪魔で間違いない?」
「多分ねぇ。ただ、なんだか変な感じなんだよねぇ……」
ベルゼブルは眉間に皺を寄せて、ソーダのストローを加えた。
難しい顔でぷくぷくとソーダを泡立たせる彼女をよそに、ベリアルは左頬に触れた。
「整理しよう――まずマステマに殺され、攫われた人間は修復されていない」
「これらの行方は不明。霊魂の流出の一因と考えられる」
言葉を継ぐラジエルに、紋様をさすりながらベリアルはうなずく。
「そしてマステマが未知のクリーチャーを連れている場面をベルゼブルが目撃。追跡を試みたが、無数の悪魔の妨害によって失敗する」
「そしてぼくに誰かがつきまとっている……おかげで夜はろくに出歩けない」
ソーダを飲み干して、ベルゼブルはほうと息を吐いた。
「で、マステマの目的も不明。――奴ら、あの殺戮をどれだけの頻度でやってる?」
「前は一週間に一度程度だったねぇ。最近は二、三日に一度はやってた。……けれども、なんだろうねぇ。ここ数日は静かだよぉ」
ベルゼブルは答え、当然のような顔でベリアルのソーダに手を伸ばす。
それを軽く手で叩きつつ、ベリアルは質問を重ねた。
「尾行の件だけど。ストーカーは天使か、悪魔か?」
「わからないねぇ。どうやってか知らないけど、うまく気配を隠してるよぉ。霊的細胞を何かに変異させてるのか、あるいは使い魔を使っているのかなぁ……」
「君のねぐらはバレてたりしない?」
「……そんなヘマはしないよぉ」
ベルゼブルは、口元だけで笑った。ずらりと生えたギザギザの歯が鈍く光る。
一方のラジエルは、難しい顔でこめかみを押さえた。
「マステマもそうだけど、突然現われた悪魔たちがわからないわ。出現のタイミングを考えると、マステマを庇ったようにしか……」
「おいおい、悪魔と天使が手を組んだってこと? 信じられないね、そんな莫迦げた――」
心底愉快そうにベリアルは唇を吊り上げる。
しかし隣で真剣な表情を浮かべて考え込むラジエルを見て、笑みを消した。
「あー……いる、かも、しれないね」
「貴女のほかにもいるの? 天使と関わりを持つ物好きですっとんきょうな悪魔が」
「ずいぶんな言いようだな」
赤いキャンディを口に放り込みつつ、ベリアルが眉をひそめる。
「天使と悪魔が組むとして、どんな動機が考えられるかしら? 目的は何?」
「ンムー……現時点で、天使と悪魔が組んでることを前提にするのはよしたほうがいいかも」
考え込むラジエルに、よだれかけで口元を拭いながらベルゼブルが忠告する。
一方のベリアルは思案顔で、左頬の紋様をゆっくりとさすった。
「そうだね。判断材料が少ない。ただ、まぁ……天使と組むような悪魔か」
頬に触れる手を止めて、ベリアルはケーキスタンドを見る。
ほとんど空になったそこには、カップケーキが一つだけ残されていた。
表面には、黒い羽根を模したチョコレートの飾り――それを見て、ベリアルは薄く笑った。
「――心当たりはいくつかある」
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