5.ハングリー、ハングリー、ハングリー

 そこは旧市街の中でも、特に飲食店の集中する場所だった。


 落ち着きのある街並みにはファーストフードのチェーン店から高級レストランまで様々な店が軒を連ね、食欲をそそる香りを漂わせている。

 中心にある公園にはチェスをする老人や談笑する若者達が集い、のどかな雰囲気だった。

 そこのベンチに、ベリアルは見知った顔を見つけた。


「見つけたぞ、食いしんぼちゃん」

「…………ンアー」


 金属のテーブルに突っ伏していた少女の頭を、ベリアルは小突く。

 その隣で、ラジエルがこめかみに手を当てた。


「これが……ベルゼブル?」

「そうとも。――ご紹介しよう。これこそが我らが地獄のナンバー・ツー、ベルゼブルだ」

「……なぁにぃ?」


 仰々しくベリアルが指し示した先で、ベルゼブルはのろのろと顔を上げた。

 見た目は十代半ばほど。ラジエルよりも頭一つ分ほど背が低い。

 暗いオレンジ色の髪を肩に掛かる程度まで伸ばしている。愛らしい顔は眠たげで、テーブルに突っ伏していたせいで柔らかな頬が赤くなってしまっていた。

 黒のブラウスにオレンジのサロペットを合わせ、頭には小さな王冠を被っている。

 そして襟元には――髑髏模様のよだれかけ。


「ンー……? なんだ、ベリアルかぁ……」


 大きな瞳をゆっくりと瞬かせ、ベルゼブルはベリアルを見上げた。

 そして、またこてんとテーブルに頭を横たえた。


「ンー……ぼくのことは放っておいてぇ……用事なら他にまわしてぇ……」

「そりゃ困るよ。私は君を頼りに来たんだから」

「えー、やだぁ、お腹がすいてるからなんにも考えたくなぁい……」


 ベルゼブルは小さな腹を抱えて、ンーンーと悲しげな鳴き声を絞り出した。

 ラジエルが無表情でベルゼブルを指さした。


「これが、ベルゼブル?」

「そうとも。これがベルゼブルだ」

「偽神、高き館の主、蠅の王、悪霊の頭……これが、そう呼ばれていると?」

「まぁ、色々な呼び名はあるけどさ」


 ベリアルはベルゼブルの頬をぷにぷにと突いた。

 ベルゼブルは「ンー……」と眠たげに唸ったが、特に抵抗もしない。


「だいたいこんな感じの悪魔だ。地獄でも食っちゃ寝してるだけ。極度の面倒くさがりだから議会にもろくに参加しない。基本的に無害な存在だ」

「ただのろくでなしでは」

「ひどいこと言うなよ。地獄で無害ってどれほど稀有な存在だと思っているんだ?」

「でも、ベルゼブルと言えば実力でも魔王に次ぐほどの悪魔で……」

「実際、この子を敵に回したくはないね」


 ベリアルは肩をすくめると、うとうとし始めたベルゼブルの頭をぺしんと叩いた。

 しかし、ベルゼブルの反応はない。ついに眠りだしたようだ。


「……まずいな。このまま放置すると危険だ、迅速に何かを食わせないと」

「眠たそうだし、少し眠らせてあげたら?」

「眠いのは空腹のせいで脳に糖分が足りてないからだ。このままだと最終的に暴れ出す。言語も通じない。満足するまで手当たり次第になんでも口に入れる。私も危ない」

「早急になんとかしないといけないわね」


 ラジエルは真剣な顔でうなずいた。


「そうだね。こいつがなんでここまで飢えてるのかはわからないけど、まずは食事を――」

「ごはん? ごはんの話? ごはんの話をしたの?」


 ベルゼブルが、むくりと体を起こした。

 眠たげだった紫の瞳は一転して、飢えたワニのような奇妙な気迫を放っている。


「困ってたんだぁ。最近、ずっと夜に尾行されててさぁ、ろくにごはんも……」

「尾行? 誰が君をつけてたの?」

「ンー……ダメだぁ、お腹がすいててぇ……軽く食べたらしゃっきりすると思う」


 小さな口元から、だらだらと唾液が零れている。それがテーブルに滴った途端、じゅうっと焼けるような音を立てて小さな煙が上がった。

 口元をよだれかけで拭って、ベルゼブルはベリアルを見上げる。


「だから、そうだなぁ……生ハム。まずは生ハムを持ってきて」

「生ハム? まぁ、構わないけどさ。君にしてはずいぶん控えめな――」

「原木を十五本」


 財布を取り出したベリアルは、ベルゼブルを二度見した。

 一方のベルゼブルはどこ吹く風といった様子で、足をぷらぷらと揺らした。


「このあたり、市場もあるから集まるでしょ。――おねがいねぇ」


 ――二時間後。

 生ハムの原木二十本、ドネルケバブ三本、メロン二十五個、パンケーキ三十三枚、タピオカミルクティーおよそ十リットル――。

 そこまで胃の中に納めたところで、ようやく暴食の悪魔はしゃっきりした。


「ンンー……ちょっと物足りないけど、こんなものかなぁ」


 噛み砕いた生ハムを飲み下し、ベルゼブルは満足げに口元を拭う。

 いまや公園には小さな人だかりができ、驚異的な胃を持った小柄な悪魔に拍手が降り注ぐ。


「マジかよ、全部ぺろっと食っちまったぞ……!」

「わ、私、見たわ! あの子、生ハムの原木をスナックみたいにばりばりと――!」

「何? 有名なフードファイター?」

「今度、街のホットドッグ早食いコンテストに出てくれよ! 歓迎するぜ!」

「ンー、ホットドッグかぁ……最近は野菜が一杯入ってるやつがすきだなぁ」


 しゅぽぽぽとタピオカを吸い取りつつ、ベルゼブルは考え込む。


「ンー、でも、コンテストに出たらルシファーが怒るかなぁ――どう思う、ベリアル?」


 水を向けられたベリアルはというと、それどころではなかった。


「あっち行け! 見世物じゃないんだぞ!」


 ベリアルはすっかり軽くなった財布を振って、観衆を追っ払おうとしていた。

 そんな悪魔達を前に、ラジエルは一人腕を組む。


「……場所を移した方が良さそうね」

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