第15話 夢

カーテンが閉められた寝室で一人の少年が寝息を立てている。

4つあるベッドのうち3つは既に役目を終えた寝具が整えられており、そこにカーテンの隙間から明るい朝日が差し込んでいる。

静かだった部屋にノックの音が響く。 それでも少年は起きることなく眠り続けていると今度はドア越しに少年を呼ぶ女の子の声が聞える。

「ノエルー。 そろそろ起きてー。 みんな、朝食食べ終わっちゃうよー。そろそろ仕事に行くよー。」

エレノアが扉の外からノエルを起こそうと試みるが中から返事が返ってこない。

父親にノエルを起こしてきてと頼まれはしたものの許可なく部屋に入っていいか解らず、外から呼びかけてみるが一向に起きる気配が無かった。

「もー、ノエル。部屋に入るね。」

意を決してドアノブに手をかける。 父親たちだけなら起こしに行くことを気にもしたことが無かったが、ノエルだと思うと妙に緊張する。

ゆっくりと扉を開けて、静かに中に入る。 薄暗い部屋の中で窓際にあるベットに傍に行くとノエルが横向きに寝ている姿が見えた。

普段の旅の生活の中ではノエルが寝坊をしたことは無かったが、久しぶりのベットでの睡眠、それに加えて昨夜の出来事の疲れが出たのだろう泥のように眠り続けている。

ノエルの年相応にあどけない寝顔を見てエレノアは微笑む。 あの精霊の奇跡とも呼べる雨がなければ、こうして宿屋でぐっすり眠ることもできなかったかもしれない。

そう考えるとエレノアは今、この瞬間がとても愛おしいものに感じられた。

だが、そうは思っても仕事を疎かにするわけにもいかない。 エレノアはカーテンに手をかけると思いっきり広げ、窓を開ける。

薄暗かった部屋に眩しいくらいの光が広がり、初夏を思わせる温かな風が室内に入り込みエレノアの髪を優しく撫でる。

陽の光を受けてノエルがようやく目を覚ます。

「やっと起きた。 おはよう、ノエル。」

エレノアの声を聴いてノエルは目をこすりながら上体を起こすと半分寝ぼけた様子で返事を返す。

「あれ? エレノアがいる・・。おはよぉ・・。」

「もうみんな朝ごはん食べちゃったよ。 そろそろ起きないとだめだよ。みんな出かけちゃうよ。」

「えぇ! もうそんな時間? やべっ、寝坊した!」

「まぁ昨日大変だったから仕方ない気もするけど・・。ちょっと、ノエル! 今着替えなくても!」

飛び起きたノエルはエレノアが話しかけている最中ににもかかわらず、寝間着を脱いで着替えようとしている。 上半身が裸になっているノエルを見てエレノアは顔を赤くしながら慌てて背を向ける。

「あ、ごめん! 先に降りててもらえる?」

「う、うん。」

エレノアは返事を返すとそそくさと部屋を後にした。 少し間をおいてけたたましい足音を立ててノエルが階段から降りてくると食堂へと急ぐ。 そこには食事を済ませ準備を終えたターナーたちが居た。

「親方、すみません!寝過ごしました!」

「いや、いいんだ。 よくわからんがノエルは昨日、大変だったみたいだしな。 とりあえず先に行っておくが今日、俺たちは昼頃この村を出て次の目的地に向かうことにした。」

「・・もう行くんだ。やっぱりここでは商売にならないから?」

「・・まあそうだな。 で、色々報告やら、商品の棚卸やらしなきゃならんからノエルに一つ用事をお願いしたい。」

「? なにを?」

「この娘も昨日、安静にしてろって言われてたのに無茶してたみたいだから足の怪我が悪化してるみたいなんだわ。 なんで、もう一回診療所に付き添ってやってくれ。」

「え!? 昨日薬効いて、だいぶ良くなったって・・。」

ノエルがエレノアを見ると困った顔を浮かべながら笑って誤魔化そうとしている。

「俺がエレノアに頼んだんです。 親方、無理させてすみません。」

「ノエルは悪くないよ! 私がしたかっただけだから・・。」

「まぁ、過ぎたことだし、二人が無事に帰ってきたからそのことについてはもういいよ。 エレノアからわかる範囲で聞いてるけど、なんか色々大変だったんだろ? にしても、こっちもびっくりしたわ! 宿に帰ると書置き残して二人は居ないわ、森の方が変に明るいなと思ったら急に大雨降り出すしよ。 心配になって探しに行くと二人がやっと帰ってきたと思ったらずぶ濡れだし、一緒にいた村長にえらい勢いで謝られるしな。何もかもがさっぱりわからんかったわ!」

「あはは・・。そうっすよね・・。」

「後で何あったかちゃんと説明してくれよ。 じゃあ、俺たちは出かけてくるから。くれぐれも変なことに巻き込まれるなよ。」

「はい、たぶんもう大丈夫です・・。たぶん・・。」

「おう、じゃぁエレノアのこと頼むわ。 金はエレノアに渡してあるから。 それに昨日な、ノエルがずっと帰ってこないもんだから、こいつふて腐れててな・・。」

「お父さん!もう行って!」

エレノアは顔を赤くして父親を扉の外に押し出すと一息ついて二人はテーブルに着いた。 ノエルは目の前の皿に村長と食べたクルミパンが置かれていることに気が付く。 それをおもむろにちぎって口に入れながら、昨日の出来事を思い返していた。

それはさっきまで寝ていた時の夢だったのではと思うほどに現実感のない出来事で、驚きの連続だった。

夜の森に降り注ぐ雨の中で各々の長同士が数十年の時を経て対面し和解への話が為されていた。

森に迷い込んでいた大羊をテロワールの民が村まで誘導を引き受けてくれること。そして気の昂った大羊を宥める方法があることも村長に教えてくれていた。

村長もこれを機に森を傷つけないことを約束し、涙を流して手を取り合っていた。

その長同士の話に反対し攻撃的な行動を起こす人が出てくるのではないかとノエルは危惧したが、そういった声を上げる者はどちら側からも誰一人として出てくることはなかった。 

それから、ノエルとレーニエはどちらの怪我人でも分け隔てなく応急処置にあたっていた。 多くの人が怪我を負っており、黙々と処置を施してる最中にノエルは予想だにしない人物から声を掛けられ戸惑っていた。

「テロワールの長老さん? ですよね・・。」

「うむ、我々の同胞も診ていただいてすまんの・・。」

「いえ、そんなことは関係ないですよ。 それに怪我した人はたくさんいますけど、みんな命にかかわることじゃなさそうですよ。」

「それは良かった。 威嚇に留めよと命を出しておったが、目の前で森に火を付けられて怒りに身を任せる者も多くいた。 あれほどの乱闘でお互い重傷者が出なんだのは精霊様のおかげかもしれんな。」

「あの・・、よそ者の俺が言うのも変なんですけど、争いを止めてくれてありがとうございました。」

「ほほ、たしかによそ者の君がお礼を言うことではないわな。 それに争いが止まったのは儂の言葉に皆が従ったからではない。」

笑いながらそう答える長老にノエルはきょとんとしながら問を掛ける。

「? じゃあ、誰がこの争いを止めたんですか?」

「それはこの場に現れてくださった精霊様じゃよ。 人の力では消すことが叶わなかった火を雨という奇跡で森を守ってくださった。 この奇跡を目の当たりにして皆が争うのをやめたのじゃよ・・。 精霊様はこの森を守るために現れてくださった。ここでの争いを望んでいないとな・・。そんな奇跡はこの年になった儂でも初めてのことじゃった・・。」

「精霊様・・。」

「そう、テロワールとトレノ・・。生活は違えど精霊様を奉り信仰するところに変わりはない。 その信仰心が此度の争いを収め、深い溝が出来ていた我らに話し合う機会まで与えてくださった。」

長老の言葉にノエルは息を吞む。 教会の息子として精霊への信仰は日常的な物だったが、最近は居るかいないか判らないものを信じるということには懐疑的になっている自分がいた。

あの空を泳いだ青い光が本当に精霊だったのかは誰も判らない。 だが、結果として精霊を信仰する一人一人の心が争いを止めたことは紛れもない事実だった。

ノエルは教会、そして祖父が携わってきた仕事の意義を改めて見つめ直していた。

無言で淡々と手を動かすノエルを見て長老が笑みを浮かべる。

「そうやって黙々と治療している姿を見るとあの時の外から来た医師を思い出すの・・。」

「あ、さっき言ってただいぶ前にテロワールの危機を救ってくれたお医者さん? どんな人だったんですか?」

ノエルの質問に長老は目を細めて答える。

「んー、融通の利かん横暴な男じゃったなぁ。」

「なんか、あんまり褒めてないんすね。」

「ほほ、皆の命を救ってもらったので感謝はしとるよ。ただ、言葉の節々に棘があったのでな。 レーニエも治療してもらっていたが覚えているのかい?」

それを聞いてたレーニエがノエル達の方を向いて笑顔で答える。

「うん、もちろん!甘いお菓子をくれたんだよ!」

「確かに・・。子供には優しい態度も見せておったな・・。大人に対しては治療なのか脅迫なのか紙一重なやり方じゃったがな・・。」

「そ、そうなんだ・・。」

「それにね! おっきな手で頭撫でてもらったんだ。よく覚えてるよ!」

「手?」

レーニエの話を聞いてノエルの手の動きが止まる。 長老も思い出したかのように言葉を続ける。

「そうさな、手のひらで診るような不思議な診察をする男じゃったの。」

「・・・父さん・・。」

「なんと・・。 あの時の医師はお主の父なのか? では親子でテロワールを救ってくれていたのか。 なんというめぐり合わせなのだろう・・。」

長老が驚く中、話に気を取られていたノエルは慌てて目の前の怪我人の処置を終える。 同じく治療を終えたレーニエが笑顔で駆け寄りノエルの手を握る。

「あの時のお医者さん、ノエルのお父さんなの? すごい! また会って色々話したかったの!」

「本当に父さんだったかわかんないよ。 最近会ってないし・・。 ただ・・、父さんが家を出た時期と合うし、手のことも父さんの診察の仕方と合うから多分そうだと思うけど・・。俺、父さんに会いに旅してるんだ。」

「そうなんですね。 お父さんはこの辺に住んでるんですか?」

「いや、王都って言ってたからまだ遠いのかも・・。地図で見たらまだずっと向こうだったよ。」

「じゃあ、この森も山も越えて行くんですね。 あ、雨止みましたね。」

無邪気に手を広げて教えてくれるレーニエに促されてノエルも空を見上げると木々の隙間から星空が見えた。 深く深呼吸するとまだ少し木が焼けた匂いがする。 

それでも辺りはいつもの静けさを取り戻しつつあるようで遠くから虫の音が聞えてきた。 

「レーニエ・・。 父さんに会ったら聞いてみるよ、テロワールのこと。 他にもいっぱい話したいことあるんだ・・。」

「私も話してみたいです。 それにあの時のお礼も言いたいです。」

「はは、もう何年も帰ってきてないから父さんがここに寄ることはないんじゃないかな。 会ったらレーニエのこと伝えるよ。」

怪我人全員の応急処置を終えて話をしている所にエレノアがやってきた。

「ノエル、お疲れ様。 処置の方は終わった? お父さん心配しちゃうから、そろそろ帰ろうよ。」

「ああ、ごめん、そうだね。 じゃあ僕たちは帰ります。 長老、レーニエ、じゃあね・・。」

一言挨拶し歩き出す。 こうしてノエル達は長かった一日を終えるべくトレノの村長と共に家路に就いたのだった。


先に食事を終えていたエレノアがお茶を飲み終えてマグカップをテーブルに置く。 その正面にはノエルが座っているのだがエレノアと話すことなく、ノエルは想いに耽る様子で無言でパンを頬張っている。

そのノエルを見て、エレノアが話しかける。

「ノエル、昨日のことで何か考え事?」

「あ・・。エレノア、ごめん。  ・・うん、なんか昨日さ・・。夢だったんじゃないかと思うくらい色んな事が起きてさ・・。」

「うん。」

「精霊様が目の前に現れたことだけでも驚いたのに、最後に父さんが関わってたかもって知って更に驚いた・・。 話の医師は多分、父さんだよね?」

「私も治療してもらったとき、あの大きい手で撫でてもらったことは覚えてる。 きっとそうなんじゃないかな・・。」

「俺、父さんが出てった後、何をしてるかってあまり知らないんだよね。じいちゃんは父さんの話しするの好きじゃなさそうだし、母さんも寂しくなるかもしれないから家であまり聞いたことなかった。 

だから、こんなところで父さんのこと話が聞けるなんて思いもしなかった。 人助けして感謝されてたんだなって初めて知った。」

「ノエルのお父さんは立派なお医者さんだもん。 どこで働いてたってきっとみんなに感謝されてるよ。 それに遥々会いに行くんだから聞くだけじゃなく色々話して来たら?」

「・・うん、そうだね。 旅に出た最初は久しぶりに会ったとき何を話していいかわからなかったけど、今は森で見た精霊様のこととか色々話したいことがあるなぁ・・。 ありがとう、エレノア。 」

「うん、いいよ。 それに私もノエルに頼りたいことあるから・・。」

「何か困りごと? あっ、足が痛くて歩けないとか?」

「足の痛みはまだ我慢できるんだけど・・。 今日も受診したらきっとあの先生に怒られる・・。無理するなって言われてたのに・・。」

「あ~、それは・・うん・・。 がんばって・・。」

エレノアは真剣に悩んでいるようだが、それを聞いてノエルは笑ってしまう。

「ノエルひどい! う~、あの先生ちょっぴり怖い感じして私苦手かも。」

「大丈夫だよ。 少し怒られるかもしれないけど、医者は患者を見捨てたりしないから。」

「やっぱり怒られるんだ・・。」

「俺もレーニエもいるから大丈夫だって。 でも意外だな、出店で堂々と接客してるからエレノアは平気なのかと思った。」

「仕事のときなら大丈夫なんだけど、自分のことだとビクッとなっちゃう。」

「そうなんだ・・。 俺はじいちゃんによく怒られたから慣れちゃったな。」

「昨日、あそこにいた人達に捕まりそうになったんでしょ。 それでも怖がらずに森に行ったんだからノエルは強いね。」

「そんなことないよ。なにもできないし・・。ただ夢中だっただけで。」

「ううん、ノエルは強いよ。心がまっすぐなの。 ・・私も強くなりたいなぁ。」

そうエレノアは呟くとマグカップから手を放し寂しそうに笑う。 その様子を見たノエルは残った朝食を流し込むように平らげて席を立ちエレノアの隣に行くと手を差し出した。

「手伝うよ。まずは診療所に行こうか。」

「・・うん、ありがと・・。」

ノエルの笑顔を見てエレノアも自然と笑顔がこぼれる。差し出された手を取り立ち上がると二人は食堂の扉を開けて歩き出した。





  



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