第13話 日没

陽が落ちかけた薄暗い教会の中で、等間隔で並べられたベンチ横の狭い通路をノエルは後ずさり壁の方へと下がっていく。

ノエルの行方を阻むよう4人の男たちは通路を塞ぎ、じりじりと詰め寄っていたためだ。

そのうちの一人がノエルに話しかける。

「別に兄ちゃんを傷つけるつもりはないよ。 ただ、ことが済むまでここで大人しくしていてほしいだけだ。」

囲んでいる男の一人が笑いながらノエルに話しかける。 だが、そういいながらも慎重に距離を詰めてくる。 退路を失いかけているノエルはこの場からの脱出方法を懸命に考える。 横目にあたりを見渡すが近くに逃げることが出来そうな窓はなく、出入口の他に脱出経路は見当たらない。 前にいる男たちを何とか搔い潜らなければこの教会から出ることはできないことを理解していた。 なにか武器になりそうなものを使って怯ませようにもナタは馬車に置いてきてしまっていた。 整然と並んだベンチは床にしっかりと固定されており、持ち上げたり倒して妨害することも叶わない。 今、ノエルの手元にあるものはいつも肩に掛けている鞄と両手に抱えたチラシの束だけだった。

手に持っているチラシを見て、追い詰められたノエルはふと思いついた脱出方法に覚悟を決めた。

「わあああああっ!!」

ノエルは叫びながら手に持っていたチラシをあたり一面にばら撒く。 手から離れたチラシの束は宙を舞い上がり男たちの視界と注意力を奪う。

「うおっ! 優しくしてりゃつけあがりやがって! このガキが!」

大声をあげながら包囲していた男の一人が手を振り回し、目障りなチラシを振り払う。 その隙をついてノエルはベンチを踏み台にして飛びあがり、包囲していた男を飛び超えると猛然と出口へ向けて走り出す。

慌てて男たちもノエルを追いかけたが全員で囲んでいたことが仇となり、包囲を突破したノエルに誰も追いつくことが出来きない。

教会から出たノエルはそのまま全速力で坂を下り、あっという間に教会から遠ざかっていく。教会の入口に残された男たちはその様子をただ見る事しかできなかった。

「あのガキ、もうあんなとこまで・・。 くそっ! もう捕まえるのは無理だ! どうする?」

「きっと仲間のところへ戻る気だ! なら宿屋に行けば捕まえれるんじゃないか?」

「なら、いっそのこと行商全員を拘束したほうがいい!」

興奮気味の男たちの話に割って入り落ち着かせる。

「一旦冷静になろう。 先ほどの子供は放っておこう。 所詮、よそ者の子供一人が知ったところで何も出来はしないだろう。 それより時間が惜しい。村長に知られる前に早めに準備し、日没を待って行動に移そう。」

神父の言葉に男たちは頷き、各自の持ち場へと向かって行った。 一人協会に残った神父は夕日で真っ赤に染まる村と周りに広がる森を見下ろしながら怪訝な表情を浮かべ立ち尽くしていた。

「本当にこの選択で正しかったのだろうか? 我々はもう引き返せないところまで来てしまったが、この先に救いはあるのだろうか・・。」

その問いに答えるものはいない。 ただ、朱に染まった森がまるで燃えているかのように見える。 それはこれから先の出来事を連想させるようでひどく儚く悲しい色に感じられた。


トレノにある宿の一室、エレノアはアルフと共にベッドに座っていた。薄暗くなってきた部屋にランプを灯し、物思いに耽っていた。

ノエルが出て行ってからも客足が増えず、情報収集してきたターナーよりある程度村の状況を聞いていた。 商売にならないことや足の怪我のこともあり、一足先に宿に戻っていたのだった。

「ノエル、 遅いなぁ・・。昼も戻らなかったし、村も大変な状態だからきっと苦労してるんだろうなぁ。 無理してなきゃいいけど・・。」

ベッドで座り込んで寝ているアルフの体を撫でながら、ため息をつく。

怪我のせいで何もできない自分にもどかしさを感じながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。 そんな中、アルフが急に上体を起こし扉の方へ振り向く。

「どうしたの? 誰か来た?」

アルフの様子を気にしたときにドアにノックの音が響く。 エレノアは立ち上がり怪我した足を庇いながら扉へと近づく。

「はーい。誰ですか?」

扉を開けるとそこには汗だくで息を切らし座り込んでいるノエルの姿があった。

「はぁ、はぁ‥。良かった、エレノア居た・・。親方は?」

「ノエル! どうしたの? そんなに息切らして? お父さんはまだ市場だよ。今頃は馬車に荷物を積み直してると思う。私だけ怪我してたから先に戻ってきてたの。」

「そうなんだ・・。村歩いてたら色々あってさ・・。この村、今やばいことになってるんだ。」

「うん。私もお父さんに聞いた。なんか大羊がたくさん死んじゃって大変なことになってるって・・。」

「そう・・。で、その原因がテロワールのせいだって決めつけて森を焼く計画を立ててるのを聞いたんだ。」

「え!? 人が住んでるのに? そんな・・。」

「あの人たちはそんなことしない、きっと・・。 だから止めなくちゃ・・。」

「でも、どうやって?」

「・・わからない・・。 まずはレーニエに知らせようと思う。 テロワールにもこの事が伝われば火が付く前に逃げたりできるかもしれない。 あと、この村の村長に会ったんだ。この話を伝えれば村人の暴走を止めてくれるかも・・。 エレノア、悪いけどまた出かけなきゃいけないから親方に伝えておいてほしい。」

息もまだ整わない状態でノエルはふらつきながら立ち上がる。その鬼気迫る様子を見てエレノアが手を握りしめて言葉を返す。

「やだ! 私も行く!」

「え!? 何言ってるの? 危ないんだよ、この村! 危うく俺、その話を聞いちゃったからって監禁されるところだったんだから。 それにエレノアは足怪我してるし無理だよ!」

「私もお世話になったんだからじっとしてなんていられないよ。 それに時間ないんでしょ。 なら私がレーニエのところ行くから、ノエルは村長さんのところに行きなよ。 怪我の方は朝に薬塗ってもらったから大分良くなったよ。 大丈夫だから・・。」

ノエルはエレノアの真剣な目を見て悩み、暫し考え込む。 そして葛藤を抑えて言葉にする。

「ごめん、じゃあレーニエの方はエレノアに任せていい? 無理しちゃだめだよ。」

「うん。 任せて。 ノエルの方も無茶しないでね。」

エレノアはポケットからハンカチを取り出し、汗が滴るノエルの顔を拭いてあげる。

少し呼吸が整ったノエルは笑顔でお礼を伝えると宿を出て再び村の中を走り始める。  エレノアはノエルを見送ると父宛に書置きを残し杖を手に取る。 怪我した足を引きずりながらアルフと共に診療所へと歩き始めた。


ノエルは先ほどの男たちと遭遇しないよう人目を気にしながら公園へと戻ってきた。 辺りはすでに暗くなって来ており、一緒にパンを食べたベンチに村長の姿はなく、無人の公園はひっそりと静まり返っている。 

 これだけ時間が経っていて同じ場所にいるわけはないと思いながらも、村長の家を知らないノエルは他に行く当てもなかった。

あたりを見渡しても公園内に人気はなく尋ねることもできない。 ノエルは一緒に話をしたベンチを前に村長とやりとりを思い出す。 

「そうだ! 村長、たしかパン屋の傍に家があるって言ってた! ならパン屋を探せば・・。あ! あった!」

ノエルは急いであたりを見渡すと公園に隣した建物にパン屋の看板をみつけた。 建物には明かりが灯っており、駆け付けて扉を開けると店内には髭をこしらえた体格のいい店主が片づけをしていた。

「初めて見る顔だな・・。来てもらって悪いが今日はもう店じまいなんだ。」

勢いよく入ってきたノエルに驚きながらも店主が答える。

「あ、いや・・。パンを買いに来たんじゃなくて聞きたいことがあるんだ。 村長の家ってこの辺? 教えてほしいんだ。」

「村長の家? それならそこの隣の家が村長の家だよ。」

指をさしながら店主が教えてくれる。 それを聞いたノエルは笑顔で店主にお礼を述べると扉を閉め、村長の家へと急いだ。

たどり着いた家の扉をノエルはノックし返答を待つ。 すると中から聞いたことがある声で反応があり、扉が開く。

「君は・・、昼間の少年? どうして儂の家に?」

予想外の人物の訪れに少し驚いた表情を見せる村長にノエルが本題を話し始める。

「村長! 大変なんだ! 村長と別れた後、教会にたどり着いて中に入ると数人の男たちがテロワールの住む森に火をつける相談をしているのを聞いたんだ! もう火を点けにいっちゃうかもしれない! だから今すぐ行ってやめさせてほしいんだ!」

「なん・・だと・・? そんなことが・・。」

ノエルの言葉に村長は驚愕し、糸が切れた人形のように膝から崩れて座り込み放心状態な様子で動かないでいた。

「村長? 何してるの? 早くしないと森が燃えちゃうよ!」

「・・・すまない・・。儂には彼らを止めることはできない・・。」

村長は震える手で顔を覆いながら呟くようにか細い声でノエルに伝える。

心が折れ、すでに諦めてしまっている老人を前にして、ノエルが声を荒げる。

「何言ってるんだよ! 村長が止めれなかったら誰ができるんだよ!」

「これは罰だ・・。当時の村長の言うことを聞かずに先走った報いがこうやって儂の時にも繰り返される・・。」

「諦めんなよ、今ならまだ間に合う!  何十年も後悔してきたんだろ!今ここで動かなきゃ、きっと死ぬまで後悔することになる。 それなら今日を死ぬ気で話し合えばきっと止めれるよ。」

ノエルの言葉にも老人は反応することなく項垂れたまま座り込んでいる。 その様子を黙って見ていたノエルは額に伝う汗を拭うと村長に背を向ける。

「・・俺のじいちゃんは神父で村長と同じような立場にいるんだけど弱音を言ってるとこを見たことがないんだ。 頑固で融通はきかないし、よく怒るし・・。でも村の人にはすごい尊敬されてるし、頼られてるんだ。 俺もいつかじいちゃんのような神父になりたいから、今は問題を放っておくような大人になりたくない・・。 ねぇ、村長はなんで村長になったの? 何か理想があったんじゃないの? ・・生意気言ってごめんなさい。もう行くね・・。」

扉を閉めようとした時に中から手で遮られる。 立ち上がった村長が扉を差し止め笑っている。

「ほっほ、少年は手厳しいの・・。そうだな、儂は君のなりたいの立場に今はまだいるんじゃったな。 なら、情けないことは言ってられんな。 やれる限りのことをしよう。」

「村長! ありがとう!」

「もとよりこれは村と森の問題じゃ。 旅人の君に礼を言われることではない。 だが、儂は少々足が悪くてな。 少年よ、面倒を掛けるが森まで共に連れて行ってもらってよいか?」

「もちろん! 急ごう!」

二人は日没が近づく中、森に向けて歩みを進め始める。 二人は静まり返った村を抜け、森の近くまでたどり着いた。 草原の奥には森が広がっているはずだが闇が深くなってきており、先の様子を見ることはできない。 ただ、前に広がる森に人の気配も感じられず静まり返っている辺りの様子からは教会での話はまだ実行されていないようだった。

「・・ここには誰もいなそうですね。 暗くなってきたので灯りを点けますんで少し休んでてください。」

ノエルは鞄からランタンを取り出し、屈んで灯りを燈す。 その横で村長は足の痛みに耐えながら杖で体を支えている。

「すまんな。気持ちは急いでるんだが体が付いてこんでな・・。年をとると心も体も弱くなっていかんな・・。」

「足悪いなら無理はダメだけど少しでも歩いたり運動した方がいいよ。 うちのじいちゃんは多分村長と歳あんまり変わらないけど、教会の坂道を毎日上り下りしてるからすごい元気だよ。 」

「ほほ、それは見習わければならんなぁ・・。 さて、森が気になるのでそろそろ進もう。」

「うん。 足元気を付けて・・。」

ノエルに手を引かれながら自由の利かない足で村長は懸命に草原を進む。 森まで目前に近づいたところで歩きながら村長はノエルに尋ねる。

「そういえば少年、名は何というのだ?」

「え、俺はノエル・・。 ノエル、ラフォード。」

「そうか・・。ノエルか、覚えておこう・・。 昼に話したかもしれないが君は立派な神父になるだろうな・・。ありがとう・・。」

「まだ終わってないよ。 どうして急に礼を?」

「家を出るとき君は儂にどうして村長になったのかを問うたな・・。それはもちろん村の人々の生活を安定させ、より良い暮らしにしたかったからだ・・。そしてもう一つは疎遠になってしまったテロワールとの交流を再開させることが目標だった・・。 そのために十数年手を尽くしてきたが応じてもらうことが出来ず・・。 儂はいつからか諦め、そして今日ノエルが居なければその機会を永遠に失うところだった・・。身も心も老いて座り込んでいた儂に再び歩く意味を思い出させてくれたからな・・。」

「そっか・・。 じゃあ今日は必ず森を燃やすことをやめさせないとね! ちょっと待って? 誰か来る!」

後ろを振り向いたノエルは後方に一つ灯りがあることに気が付く。 それは明らかにこちらの方に近づいて来ていた。

「やっぱり森を焼きに来たのかよ!」

険しい顔でノエルは徐々に迫ってくる光に警戒している。 その時、光の方より草原をかき分ける白い塊がノエルに向けて飛び出してきた。

「おわっ、なんだ? ってアルフかよ・・。じゃあ、あの光はエレノア?」

光の持ち主が暗闇から姿を現す。 そこにはランタンを片手に杖を突きながら歩くエレノアが居た。 ノエルの姿を確認して安堵したように微笑みながら話しかける。

「良かった、ノエルだ! アルフが駆けだしたからもしかしたらと思ったんだけど。」

「エレノア、どうしてこんなとこまで? レーニエには会えたの?」

「うん、診療所で会えたよ。 状況を説明したら森に知らせてくるってすごい速さで行っちゃった。 そのことノエルにも報告したかったからアルフに探してもらったらここに着いたの。 その人は?」

「トレノの村長だよ。村の人を説得するために来てくれたんだ。 ここは危ないからエレノアはすぐ宿に戻った方がいいよ。 親方も心配するから。」

「・・うん。そうだね・・。ノエルも無理しないでね・・。」

今の足を怪我した状態では足手まといになるのがエレノアは理解していた。 一緒に残りたい気持ちと不安を抑え遅れてノエルに返事を返す。 宿に戻ろうとエレノアは振り向こうとした瞬間、後ろにいたアルフが急に吠え出した。 

その場にいた皆が驚きと共にアルフの方に目を向ける。 何かを警戒するように吠えるアルフ。 その先には暗闇に浮かぶ無数の光がノエル達の方へと向かってくるのが見えた。 


 








 







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