第10話 髪飾り
木々の隙間から差し込んでいた光が少なくなり、森の中は夜の闇へと移り変わっていく。
その中でノエルの右手に持つランタンだけが眩しく光を放っている。 その光の先には見知らぬ服装の男が一人、鈍く光る刃物を手に立っていた。
今までノエル達に声を掛けることもなく無言のままこちらを見ていた男が不意にノエル達の方へ歩みを進める。
驚いたノエルは咄嗟にランタンを左手に持ち替え、空いた右手でナタを抜くと相対した男へ向けて構える。
ノエルはエレノアを庇うように前に進み、意を決して男に話しかける。
「近づくな! 俺たちは迷い込んだこの森から出たいだけだ。そこを通してくれ。」
ノエルの言葉に対して歩みを止めたものの訝し気な表情を浮かべたまま男からの返答はない。 そもそも言葉が通じないのか、それとも通す意思が無いのかノエルは相手の表情から読み取ることができずにいた。
沈黙の中ノエルのナタを持つ手が汗ばみ切っ先が震える。
今までノエルはこのナタの刃を人に向けたことはない。 それ以前に教会、そして療養所の跡取りとして育ったノエルが故意的に人を傷つけたことなど有りはしなかった。
だが、今は怪我をしているエレノアを何としてでも守らなくてはならない。 その気持ちがノエルを奮い立たせる。
「答えろよ! どいてくれ! じゃないとこれで切るぞ!」
声を荒げて意思を伝えるがそれでも相手からの返答はない。 言葉で通じないなら目の前の男と戦うことしかないとノエルは覚悟を決める。 だが、そう思えば思うほど体は拒絶するようにナタを持つ手が震え、息が苦しくなることを感じていた。
張り詰めるノエルの横を通ってアルフが警戒することなく男の方へ歩いて行く。
「おい、なにやってんだアルフ! そいつに近づくと危ないぞ! え?」
想像もしないことを見てノエルが驚きの声を上げる。 今まさに戦おうとしていた相手の足元まで近づいて行ったアルフが男の顔を見上げる。 その様子を黙って見ていた男が無造作にアルフの頭を撫でていた。
特に警戒する様子もなく男に近づいたアルフの様子を見てエレノアがノエルの袖を引っ張って話しかける。
「ノエル、アルフは危ないものには絶対近寄らないの。 だからあの人は私たちに危害を加えるつもりはないのかもしれない。」
「そ・・、そうなの?」
ノエルは気が抜けたように相手に向けていたナタを下ろす。そして抱いていた先入観を取り払ってもう一度男の様子を見る。
確かに困ったような表情を浮かべているものの、エレノアが言う通り敵意は感じられなかった。
男はアルフを撫でるのをやめると一つため息をついてノエル達に背を向ける。そのまま左手をくいっと上げると森の中へと進んでいった。
ノエルはエレノアと顔を合わせて話し合う。
「行っちゃったよ。今の仕草、ついて来いってことかな?」
「きっとそうじゃないかな。きっと悪い人じゃないから行ってみようよ。」
他に当てのない二人は無口な男を追うように森の中を歩き始めた。
暗くなってきた森の中をランタンの灯りを頼りに進んでいく。
エレノアに肩を貸しながらでは思うように進むことができず、前を歩く男が離れて見えなくなってしまう。慌ててノエルが声をかける
「ねえ! もう少しゆっくり歩いてよ。 けが人がいるからこっちはそんなに早くあるけないんだ。」
声を掛けられても男は振り返ることはしない。 だが、ノエルの声が届いているらしく時折足を止め、明らかに歩調が緩やかになった。
「待ってくれてる…。 やっぱり帰り道を案内してくれてるんだ。 あうっ」
膝に力が入らず倒れそうになったエレノアをノエルが慌てて支える。
「大丈夫? エレノア。」
「ごめんね、 まだ歩けるから、大丈夫…。」
痛みを堪えながら気丈に振る舞うエレノアを心配そうに寄り添う。 その様子を遠巻きに見ていた男が急に刃物を振り上げて近くにあった細い木を切り始めた。
「うわ、急に何しだしたんだよ。」
驚きの声を上げたノエルの横に切られた木の棒が飛んできた。
適度な長さの棒をエレノアが拾い上げて先にいる男を見る。
「これを杖代わりにしろってことかな? 優しい人だね。」
「それならなんか言ってくれればいいのに…。やっぱ、言葉が通じてないのかな?」
「言葉は一緒だって聞いてたし、ノエルの言葉も伝わってたから多分通じてるんじゃないかな?」
「なら、なんで何も言わないんだろ? もしかして今も森の出口じゃなくて、この人の村に俺たちを連れて行こうとしてるんじゃ?」
「それなら、仲間呼んで捕まえた方が早いよ。わざわざ怪我人に合わせて案内する必要ないもの。」
「あー、たしかに。」
寡黙な男の後ろを二人は追っていく。 しばらく歩いて藪を抜けると森の木々に遮られていた空が久方ぶりに現れ、目の前の視界が広がる。
半日ぶりに見る空は日がすっかり落ちて星空に変わっていた。地上には目的地の村と思える光が浮かんでいる。
「やっと出れた! あそこに村も見えるよ、よかったー!」
「ノエル、あそこ見て!」
エレノアの指さす先には見慣れた馬車が道の端に停まっていた。 ノエル達に気が付いた親方が全力で走ってやってきた。
「おじさーん!」
ノエルも声を上げ、手を大きく振って答える。
近くまで来た親方の服装は乱れ、汗だくな顔でゼーゼー息をしている。 きっと今までずっとはぐれてしまったノエル達を探して懸命に走り回っていたことが伺える。
「エレノア! よく無事で! 良かったー!」
駆け付けたターナーはエレノアを抱きしめる。
「お父さん、ちょっと痛いって、足怪我してるの。」
「おっと、すまん! 怪我してるのか? 大丈夫か!」
「うん、ノエルが応急処置してくれたからなんとか歩いてこれた。」
そう言いながらエレノアはスカートを少し上げて包帯の巻かれた足を見せる。
それを見たターナーはノエルに向き合って手を差し出す。 ノエルはおずおずと右手を差し出すとターナーは両手でしっかりと握り深々と頭を下げる。
「ノエル、ありがとう! エレノアが無事に帰ってこれたのはノエルのおかげだ! 旅に一緒に来てくれて本当に良かった! ありがとう!」
「よしてよ、おじさん。元は俺の不注意だし。それの森の中で助けてくれた人もいたんだ。」
「森に?」
ノエルは手を放して後ろを振り返る。そこにいた男はすでに森に戻ってしまったのか姿が無くなっていた。
「ありがとう!助かったよ!」
聞こえているかわからないがノエルは大声で森に向かって感謝の気持ちを伝える。 その様子にターナーは驚きながら子供たちに問いかける。
「森の中ってテロワールにあったのか? 襲われたりしなかったか?」
「うん、親切な人だったよ。」
「何もしゃべらない無愛想な人だったけどね。 そういえば、おじさん達もよく無事だったね。あのでかい獣は?」
「ああ、あれはアルドが追っ払ってくれた。なにが目的だったんだか馬車を執拗に追ってきてな。やむを得ずアルドが肩のあたりを槍で一突きしたら逃げて行ったわ。」
「あんなでかい獣に一人で立ち向かったの? アルドさん、すげーなぁ…。」
「まぁ、もともと荒事は手慣れたもんだしな。 その腕を見込んで護衛として雇ったんだ。 とにかく、みんな無事で良かった。」
そう言うとターナーはエレノアをひょいっと腕に抱えて馬車まで歩き出した。
「きゃ、お父さん! ノエルがいるのに恥ずかしい…。」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう。今日は夜になってしまったから宿で休んで明日の朝に療養所で見てもらおう。」
「うー。」
不満そうな声をあげながらターナーに担がれていくエレノアを見て笑いながらノエルも馬車へと歩いて行く。
全員が顔を合わせ、合流できたことを大いに喜びあうと一行は灯りの燈る村へと歩みを進め始めたのだった。
*
翌日の朝、エレノアは馬車の荷台に揺られながら村の中を進む。
「わざわざ療養所まで馬車で行かなくてもいいのに。一人で歩いていけるよ。」
馬車で通るには幾分狭い道を誘導しながらターナーはエレノアに言葉を返す。
「昨日、無理をしてるんだからそういうわけにもいかんだろ。 それにどのみち市場にもいかなきゃならないんだから回っていくさ。」
荷台に座っているエレノアの横を歩きながらノエルも口を挿む。
「あまり歩かない方ががいいよ。 昨日、ちゃんと医者に診てもらった訳じゃないんだからさ。」
「・・うん。 なんか、みんなに迷惑かけてるみたいで気が引けるんだ。 ごめんなさい。」
「エレノアが謝ることじゃないよ。 ただ、馬車から放り出されたり無理して森の中を歩いてたからみんな心配なんだよ。 まずはちゃんと診てもらおうよ。」
「そうだね・・。ノエル、ありがとね。」
二人の会話を聞きながらターナーは宿で教えてもらった情報を頼りに療養所を探す。
「確かこの辺って言ってたはず・・。 おおっ、あった!療養所だ!」
ノエルの教会とくらべて随分小さな建物だが看板にはトレノ療養所の文字が書かれていた。
馬車を建物の前に止めるとターナーはエレノアを下ろすのに手を貸す。
「ニコ! 悪いが馬車に乗ってアルドを連れて先に市場に行っててくれ。俺はノエルと一緒にエレノアの診察が終わってからそっちに向かうから。」
「わかりました、じゃあ先に向かってますね。」
「ああ、頼む。」
馬車を見送ると三人は療養所の入口へと向かう。 ターナーが扉を開けて中を覗くが人の姿がなかった。
「すみませーん、診察をお願いしたいんですが。」
ターナーが呼びかけると奥の方よりパタパタと足音が聞こえてきた。
「はーい、やってますよ。随分と早い時間にきたねぇ。」
シャキシャキとした物言いで白衣を纏った年配の女性がやってきた。
小柄だが、凛とした佇まいを感じるキリっとした目つきが印象的で診察の邪魔にならないよう白髪の混じった長い髪を一つに束ねている。
「誰を診てほしいんだい?」
「娘なんですが、先日森を抜ける際に大きい獣に襲われてしまい、その際に足を怪我してしまったので診察をお願いしたいと・・。」
「そりゃ災難だったね。じゃあ、お嬢ちゃんここに座って足を見せてもらえるかい?」
「はい・・。」
エレノアはベットの上に腰を掛けて右足を前に出す。白衣の女性がスカートの裾を上げて怪我の個所を確認すると意外そうにに声を上げる。
「へぇ、添え木を当てて包帯を巻いてるのかい。 案外ちゃんと処置してるじゃないか。 旅先で包帯なんて、よく持ってたねぇ・・。」
そういいながら包帯を解いていく。青紫に腫れた足首が露になる。
「ちょっと痛むけど我慢しなよ。」
「はい・・。痛っ!」
患部を触診するとエレノアが小さく震え、悲鳴を上げる。
「おそらく打撲だね。骨が折れてるわけじゃなさそうだよ。2~3日おとなしくしてりゃ時期に痛みも引いていくわ。」
「良かったぁ~。」
それを聞いたノエルと親方が安堵の声を漏らす。 気の抜けたノエルを見てエレノアが笑いながら話しかける。
「ノエルの言った通りだったね、ありがと。」
エレノアの言葉を聞いて医師の女性はノエルに目を向けてじっと見つめる。
「お前さんががさっきの応急処置をしたんかい?」
「そうですけど・・。 なんか変でした?」
「いや、怪我の処置の仕方といい、包帯もしてるから素人が処置したもんじゃないとは思ったけど、こんな若い子とはね。 この知識はどこで?」
「うちの親も療養所やってるんで手伝ってるんです。」
「ねるほどね。 それなら医療用の包帯持ってるのもうなずけるわ。応急処置にしては十分できてたよ。」
「よかった、怒られるかと思ったよ。」
「はは、誤解させてしまって悪かったね。私はロシュ、この村唯一の診療所の医者だよ。うちにも若いのが一人勉強中でさ。どうやって教えていくか悩んでたもんだからさ。」
椅子に腰かけた女性が軽くため息をついて微笑む。 一息ついて奥の扉の方に声をかける。
「レーニエ! ちょっといいかい、ロキソの葉を持ってきてくれないかい?」
「はーい!今行きますー。」
扉の向こうから元気な若い女の子の声がする。 バタバタと慌てる足音が響き、勢いよく扉が開く。
そこにはノエル達よりも少し幼い女の子が大きめの葉っぱを抱えてやってきた。
肩にかかる程度に揃えられた金色の髪色で明るい印象の緑の瞳、そして右側の耳元には特徴的な緑色の髪飾りで束ねられていた。
「ロキソの葉を持ってきましたよー。 あっ、ワンワンいるー!」
レーニエと呼ばれた女の子は屈託のない笑顔でやってきた。
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