第9話 灯り

大きな獣の突進に馬車が揺れ、繋がれている馬が悲鳴を上げる。

「落ち着け!進むんだ!」

必死にニコラスが馬を宥める。手綱を握っているターナーは状況が把握しきれずアルドに大声で話しかける。

「いったい何が出てきた?どうなってる?」

「左の茂みからバカでかい獣が飛び出してきやした!そいつが馬車に体当たりをしながら後ろを抜けていきました!」

「なんだって!? 子供たちはっ!」

舌打ちをしながらアルドは馬車後方へと向かう。青ざめた親方は馬車の後方を見渡す。

「おじさんっ!!」

荷台からノエルが顔を出す。少しほっとした表情でターナーがノエルに話しかける。

「おお!ノエル無事か、良かった!エレノアも乗れてるか?このまま逃げるからしっかり掴まってろよ!」

「ダメだっ!エレノアが黒いやつに飛ばされて森の中に飛ばされたっ!すぐ戻って!!」

ノエルの言葉にターナーは目を見開き動きが止まる。暫しの沈黙、歯を噛みしめ言葉を絞り出す。

「…だめだ、すぐは戻れない。」

「なんで!?」

「この道幅では馬車を引き返すことはできん、それに襲ってきた奴を何とかしなくては探索どころではない! まずは安全の確保を…」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ! じゃあ、俺が探しに行く!森なら慣れてるから!」

「待て、ノエル!お前にまで何かあったら神父様に何と言えばいいか…」

ターナーが言い終わるより先にノエルが荷台より飛び出した。それを止める間もなくアルドの声が響く!

「親方!今度は右からだ! 奴がまたこっち来ます!」

「くそっ、なんだってんだ!」

再び獣が現れ馬車の方で衝突音が鳴り響く中、ノエルは後方へと走り出していた。振り返る余裕もなく走るノエルの横にアルフが追いつく。

「アルフ、お前エレノアの場所がわかるか?案内してくれ!」

それを聞いたアルフは一目散に走り出す。 ノエルもアルフを見失わないよう、後姿を必死で追いかけるのだった。

はぐれた地点まで戻るとアルフは森の中へと飛び込んでいく。 その後をノエルも追いかけ、臆することなく森の中へと突き進んでいく。

森の中を進むと急に崖ともいえるほど勾配があらわれた、そこをノエルは木に掴まりながら慎重に下っていく。

降りている最中、先行していたアルフがノエルを呼ぶかのように鳴き声を上げ始めた。 その声を頼りにノエルは必死に藪をかき分けて森の中を進んでいく。 

茂みを抜けると少し開けた平地があり、そこにはアルフと仰向けに倒れているエレノアの姿があった。

「エレノア!」

ノエルは走って駆け寄り、意識のないエレノアの背中に手を回し、上半身を慎重に抱き上げる。 きっと獣に飛ばされた勢いでここまで転げ落ちてきたのだろう、衣服や髪に草や枯れ葉が付いている。 ノエルは心配そうに髪や顔に付いた草を払い落とし、乱れた前髪を整えながら呼びかける。

「迎えに来たよ。 起きて、エレノア…。」

口元に手を当てることで呼吸をしていることは確認できたが、優しく揺すってみても一向に意識を取り戻す気配が感じられない。

自分を庇ったせいでエレノアがもう目を覚ますことがないではという不安がノエルに募り始める。 無意識にエレノアの肩を支えている手に力が入り、呼びかける声も大きくなっていた。

「エレノア!ねぇ、起きてよ!エレノア!」

ノエルの必死な呼びかけにエレノアが反応をに示し、ゆっくりと目を開ける。

「 …ノエル? よかったぁ、無事だったんだ…。」

目を覚ましたエレノアはぼんやりした口調でノエルに話しかける。 その様子を見てノエルが安堵のため息を漏らす。

「エレノアが庇ってくれたおかげで俺は大丈夫だよ。 でも、そのせいでエレノアは吹き飛ばされて森の中で倒れてたんだ…。大丈夫?」

「そうなんだ…。じゃあ、ノエルが森の中まで探しに来てくれたの?」

「うん、でも見つけてくれたのはアルフだよ。」

「そっかぁ…、アルフ、いつもありがとね…。」

エレノアは横に座っているアルフの顔を撫でながら徐々に意識が鮮明になっていく。

「ノエル…、お父さんたちは? 馬車やみんなは大丈夫だった?」

「 …うん、大丈夫だよ。みんな心配してるから戻ろう。」

ノエルが駆けだしたとき、後ろで大きな衝突音がしていた。 再度、馬車が獣の襲撃に会っていたことは判っていたが気にかける余裕がなかった。

親方達や馬車が無事だったかはノエルにも知る由もなかったが、そのことを今のエレノアに伝えることができなかった。 

神父を目指すうえで嘘をつくことにノエルは抵抗がある。 だが、今は少しでもエレノアを安心させてあげたかった。 また、ノエル自身そうであってほしいという願望を口にしていた。

「暗くなる前に戻らなきゃね。 エレノア、立てる?」

エレノアはノエルに抱きしめられていることに今更気が付いて慌てて答える。

「あ、ノエル! うん、大丈夫! 立てるから 痛っ!」

慌てて立とうとしたエレノアは左足に激痛が走り、その場にぺたりと座り込む。

「左足痛いの? 足見せてもらえる?」

額に汗が浮かぶエレノアは無言でうなずき、ノエルはエレノアのスカートを膝付近までまくり上げる。 露に立った左足は一目でわかるほど足首が青く充血し、腫れあがっていた。

おそらく、ここに落下する際に強く打ち付けられたであろう怪我の状態を見てノエルの表情が曇る。 もし足首の骨が折れているような事態ならば歩くことすらままならず、森からの脱出が困難になる。

「痛いのここ? ごめん、ちょっと触るよ。」

そう言うとノエルは患部を触診していく。 とは言ってもノエルは実際に診察をした経験はない。 父や母がやっていたことを思い出し、見よう見まねで触診を試みる。 その拍子にエレノアは小さく悲鳴を上げる。

「ノエル、痛い…。そこ、痛いの。」

うっすら涙を浮かべてエレノアがノエルに弱弱しく説明する。 触診した感触とエレノアの返答を聞いたノエルは険しい表情を浮かべ考え込んでしまう。

確証があるわけではないが、おそらく骨が折れてるわけではないように思えたのだが、だからと言ってまともに歩ける状態ではない。 

特に先ほど下ってきた急な坂をエレノアがこの足の状態で登ることは無理だと考えに至ったからだった。

森からの脱出方法をノエルは懸命に模索する。

例えばエレノアを紐で自身に固定し、背負って坂を登る試案を巡らす。 だが、失敗し滑落した際に自分も怪我を負い、二人とも身動きが取れなくなるリスクを考えるとこの急斜面を登ることは現実的ではなかった。

ノエルは立ち上がり、ベルトに固定していたナタを取り出すと程よい大きさの枝を2本切り、表面を均していく。

「エレノア、たぶんだけど骨には異状ないと思う。 応急処置で足を固定するから少し痛いけど我慢して。」

「・・うん。ノエルに任せる。」

肩掛け鞄から包帯を取り出し、添え木を着けて患部を固定する。 その間、エレノアは悲鳴を我慢するように手を口元で強く握り耐えている。

「・・終わったよ。 エレノア、立てる?」

処置が終わるとエレノアをゆっくりと立ち上がらせ、肩を貸すようにして支えてあげる。

「・・うん、大丈夫・・。最初に比べたらだいぶ楽になったよ。ノエル、ありがと。」

エレノアは笑って見せるが、痛みを我慢していることはノエルにも痛いほど理解していた。 しかし、この窮地を無理をしてでも二人だけの力だけでここから脱出しなくてはいけない。

ノエルは意を決してエレノアに話しかける。

「この坂の上に道があるんだけど、今のエレノアの怪我じゃ登れないから迂回していかなきゃいけないんだ。 そうだ!エレノア、前やったみたいに木に村とか道への行き方を聞くことはできない?」

「うん、やってみるね。」

ノエルが肩を貸しながら大きな木の傍に行く。 エレノアは手を木に当てて意識を集中し瞳を閉じる。

静寂の時間が流れる。 ふいにエレノアが目を開いて大きく息を吐く。

「 …ごめんなさい、ノエル。 わからなかった…。 なんか気持ち悪い…。」

「大丈夫? エレノア…、やっぱり怪我のせいでうまくいかない?」

「ううん、そういうわけじゃないの…。 なんていうのかな、こっちの問いかけに答えてくれないの…。 ただ、恐れてる? 怯えてるような感情だけ伝わってくるの…。」

「木が? 怯えてるの? 何に? さっきの大きい奴にってこと?」

「よくわからない…。こんなこと今までなかったから…。ごめんなさい…。」

「エレノアのせいじゃないよ。 とりあえず、ここにいても仕方ないから登れるところを探しながら歩いて行こう。」

「うん、父さんたちと早く合流しなくちゃね。」

足を引きずるエレノアに寄り添うながらノエルは森の中を進み始めた。


               *


森の中を二人と1匹が慎重に歩く。 幸い馬車を襲った獣に遭遇することはなかったが、急な坂や足場の悪いところを避けて歩いているため思うように進むことができずにいた。

助けを求めて声を上げたい所だが先ほどの獣を呼び寄せてしまうかもしれないため迂闊に行動することができず、森の出口を求めて歩くより他なかった。 

馬車と離れてからかなり時間が経ってしまったが未だに森から抜け出ることが出来ないまま時間ばかりが過ぎていた。

「まずいな、暗くなってきた。」

ノエルが木々の隙間から微かに覗く空を見る。 そこには青かった空が赤く染まり始めており、すでに日が落ちてきたことに気が付く。

たたでさえ薄暗かった森の中に闇が色濃く目立ちは始めていた。

「いったん止まろう。 灯りを点けないと見通しが悪くなってきた。」

「…うん。」

エレノアは足を引きずりながら、苦しそうな表情で返事を返す。

肩を借りながら痛む足で懸命に歩いてきた。無理をしていることはノエルもわかっていたが、自力で歩くことしか現状の解決方法が浮かばないことがもどかしい。

一旦エレノアから手を放し、ノエルは肩掛け鞄からランタンを取り出す。

その場に屈んで慣れた手つきで火を灯すと周囲が光に包まれあたりを照らし出す。

「よし、これで歩きやすくなった。エレノア、足は大丈夫? 歩ける?」

ノエルの問いに答えるようにアルフが鳴き出す。

「なんでお前が答えるんだよ。 俺はエレノアに聞いて…、 エレノア?」

返事のないエレノアの顔を見ると、まるで幽霊でも見たように青ざめた表情で声もなく一点を見つめている。

立ち上がり、ノエルはエレノアの視線の先に向けてランタンを照らす。

そこには森の中に一人の男性が立っていた。 

金色の髪を男性では珍しく右耳付近で赤い髪飾りで束ねており、長身で引き締まった色白な体は見慣れない模様の織物で彩られた服を纏っている。

このような状況で出会った人ならば助けを求めたいはずだが、二人からはその言葉は出てこなかった。 なぜなら、森で出会ったこの男の手にはノエルのナタよりも大きな刃物が握られていたからだ。

ノエルのランタンの明かりで男の手に持つ刃が不気味に鈍く輝きを放つ。

男は訝し気な表情を浮かべながら、無言のまま緑がかった瞳はノエル達を見つめていた。

「…ノエル。」

不安そうにエレノアがノエルの肩を掴む、その小さな手は恐怖に震えていた。

「 …テロワール…。」

ノエルは失念していたことを思い出していた。この森にいるのは先ほどの獣だけではないことを。 何に注意を払って森の中の道を進んでいたかを鮮明に思い出した。

そして、目の前に現れた見慣れぬ服装の男こそがまさに警戒していた者たちだと理解し、否応なく緊張が高まる。

お互い距離を詰めることなく、にらみ合うように目を見る。闇が一層深くなる森の中でランタンの灯りだけが光を放っていた。

















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