第8話 テロワール

「よーし、少し早いが今日はここで野営をするぞー!」

草原に隣接する川の畔で豪快な親方の声がキャラバンに響き渡る。

「ノエルたちは夕食を作る前に川で水汲みや洗濯なんかを先に済ませてくれ。」

「わかったよ。行こう、エレノア。」

汚れ物の入った布袋を抱えて二人と一匹は川へと歩き出す。ターナーは仲良く話しながら歩いていく二人の後姿を見送るとテントの設置へと向かっていった。

「うわ、まだ冷たいな。さっさと終わらせちゃおう。」

川に手を入れたノエルは大げさにエレノアに手をを振って笑いあう。そして汚れ物を取り出して川に浸し、揉むように洗い始めた。

「ノエル、洗濯とかするんだ。」

手慣れたノエルの動きにエレノアが感心するように声を上げる。

「うん、家で病院もやってるしょ。だからシーツとかタオルとか結構洗い物が出るんだよね。父さんいないし、母さんも病院の仕事とか家事で忙しそうだからなんとなく手伝うようになったんだ。」

「そっかー、偉いんだねノエル。」

「エレノアに比べたら全然だよ。ご飯作って、後片づけして、洗濯やら旅の生活での仕事を全部一人でやってるじゃん。」

「私もお母さんいないから、ノエルと一緒だよ。それに今は一人じゃないから大分助かってるんだよ。ノエルはこの生活に慣れてきた?」

「うん、3日経ってようやく歩くのにも慣れてきた。初日はいつの間にか寝ちゃってたし…。」

「地図見ながら寝ちゃってたね。 …ねぇ、ノエル。 その…、あの夜、お父さん言ってたことって覚えてる?」

「? んーとね、海のある町に行くってところまでは覚えてるんだけど、その先はあんまり覚えてないや…。 なんか言ってたの?」

「いや、なんでもないの! えっと…、聞いてなっかたら別に…。 あっ!そう、お父さんが仕事だから親方って呼べって言ってたよ。」

なにやら慌てた感じのエレノアの話し方に違和感は感じたものの、特に追及することもなくノエルは返事を返す。

「そうなんだ、わかったよ。 あっ、アルフ泳いでる。冷たくないのかな?」

「久しぶりの水辺だからうれしいのかも。」

バシャバシャと水しぶきを上げて遊んでいるアルフを横目に二人は黙々と服を洗い、簡易的の作った物干しにぶら下げていく。最後の一枚をノエルが干し終えると両手を挙げて体を伸ばす。

「冷てぇ~。やっと終わったー。」

「お疲れ様。後は水を汲んで晩御飯の準備だね。」

「ああ、エレノアちょっと待って!そういえば渡したいものがあるんだ。」

馬車に戻ろうとしたエレノアを呼び止めてノエルは服のポケットから首飾りを取り出す。

「出発に間に合うように作ったんだ。じいちゃんが作った方がしっかりしてるんだろうけどね。 すぐ渡そうと思ってたんだけど、なかなか二人で話ができなくて遅くなっちゃった。」

ノエルの手には祠でエレノアが選んだ石が装飾され、ノエルの首飾りと遜色ない仕上がりとなっていた。

「ノエルが作ってくれたの? すごい、上手にできてる!」

「上手くいかないところもあって、じいちゃんにも手伝ってもらったけどね。」

「ありがとう! じゃあ、これはノエルに返さないとね。」

エレノアは服の内側に仕舞っていた首飾りを襟元から取り出した。

「付けててくれたんだ。」

「もちろん、大事な物だもん。でも思ったより早く返すことになっちゃった。」

少し名残惜しそうに首飾りを外してノエルに手渡す。そして、新たな首飾りを着けてお互いで見せびらかすように向かい合う。

お揃いの首飾りがそれぞれの胸元で光を受けて石が輝く。 それを見て笑い合っていたところにずぶ濡れのままアルフが二人の元へ戻ってきた。

「お前、ずぶ濡れじゃん、風邪ひく…」

ノエルがしゃべり終わる前にアルフがブルブルと身震いをして水滴をあたり一面にまき散らし始めた。

「冷たっ!なんでここでするんだよ! もっと向こうでやれって!」

悲鳴と笑い声をあげながら二人は馬車へと駆けていった。


             *


夕食を終えてノエルが汚れた食器を集めながらターナーに何の気なしに話しかける。

「おじさん、じゃなくて親方。今日はどうして早めに切り上げたの?」

ターナーは少し悩んだ表情を浮かべて話し始めた。

「んー、水場があるから洗濯とかやれることをしておきたかったのが一つ。 …あとは目的の村までは近い道を使えばあと一日でたどり着けるんだが、その道が少々難ありでな…。」

「難あり?」

きょとんとしているノエルとは対照的に乾いた洗濯物をたたんでいたエレノアの表情が曇る。

「お父さん、やっぱりあそこを通るんだ…。」

「危ない道なの?」

ノエルの質問にエレノアが手を止めて言葉を返す。

「別に何があったわけじゃないんだけど、自然の森を切り開いて作られた道だから狭いし、日の光が木々に遮られて日中でも薄暗いの…。私はあまり好きじゃないんだ。」

「エレノアの言ってることも判るんだが、その道を通らんと森をぐるっと迂回せんきゃならんからなぁ。そうなると3日は余計に時間がかかってしまう。」

「なら明るいうちに抜けるよう森の傍でキャンプした方が良かったんじゃ。」

ノエルが名案とばかりに言葉を挿むが面々の反応は芳しくなかった。親方が事情を語り始める。

「できればそうしたいとこなんだが、あまり森の傍で一夜を過ごしたくないんだ。

俺も実際に会ったことはないんだが、あそこの森の中で住んでる民族がいるらしいんだ。」

「森の中だけで生活してる人たちがいるの?」

驚いた様子でノエルは声を上げる。ターナーはうなずいて言葉を続けた。

「今でも他との交流を持たず独自の文化で生活してる人たちもいる。 ここも同様で言葉は通じるらしいが交流はほとんどないから、あまり刺激するようなことは避けたいんだ。 だから森から少し離れたここで野営することにしたんだ。」

世界は広いと改めて考えさせられたノエルだったが、他の人も含めこの問題に対して名案があるわけでもなかった。 しばしの沈黙の後、再びターナーが口を開く。

「まぁ、ノエルの言う通り早めに出て、明るいうちに抜けるしかないだろう。念のためだが護衛のアルドもいる。明日は少し早めの行動になるから今日は早めに眠りにつこう。」

話が終わり集めた食器を洗いにノエルとエレノアはキャンプから離れ、川までやってきた。

焚火から少し遠ざかったことで夜空に広がる星が一層輝くように感じられる。

月に照らされた川を前にノエルは立ち尽くして空を見上げる。

しゃがんで食器を洗うエレノアはノエルの様子が気になり話しかける。

「どうかしたの?」

「エレノア…、不思議なんだ…。まだ数日だからウィタエからそんなに離れてないだろうし、同じような川や星空なんだけど全然違うように見えるんだ。」

エレノアは立ち上がりノエルに並んで同じ空を見る。 少し間を開けて照れくさそうに言葉を返す。

「私も一緒だよ…。 今まで一人で見てきた空と全然違うの。 ノエルが一緒に来てくれて、空だけじゃなくて料理とか…、旅の生活が楽しく感じるの初めてなんだ。」

「俺もエレノアと旅ができてよかった。もっと一緒に色んな物を見てみたいな。 特に海とか!」

「あはは、待ち遠しそうだね。 でもそのためにはまずは明日の森を超えないとだね。  今日は早めに寝ないと怒られちゃうよ。」

「そだね。洗い物ありがと、俺持ってくから戻ろっか。」

「うん、じゃあお願い。 明日もがんばろうね。」

二人は仕事を終えテントに入り早めの就寝。 幾分早い時間のため、ノエルは毛布には包まっているもののまだ目は冴えていた。

森の中で住む人たちはどんな人達なのだろう、どのような生活をしてるのだろうなど、色々な想像をしているうちに眠りに落ちていった。

近くの川のせせらぎと共に静かに夜が更けていった。



翌日の朝は手早く朝食と片付けを済ませ、日が上がって間もなく一行はトレノの村へ向けて出発した。

空は昨晩の不安など吹き飛ばすように晴れ渡り、風も陽気が感じられる。

拍子抜けするぐらいに順調な進捗に気が緩み、ノエルはエレノアに話しかける。

「ねえ、エレノア。 これから行くトレノはどんな村なの?」

「んーとねぇ、村の大きさはウイタエと同じくらいかな…。違うところは酪農が盛んなところかな。」

「酪農?」

「そう。 ウィタエは麦を育ててお酒作ったり、粉にしたりしてそれを売って生活してるしょ。 トレノは生き物を飼っていてお乳を採ったり、刈った毛で加工したものを売ることで生活してる村なんだよ。」

「へぇー、村によって全然違うね。面白いや。 ウィタエでも牛を飼ってる人はいるけど、それを村みんなでやってるって感じなんだ。」

「そんな感じ。 でもトレノでは牛じゃなくて大羊がたくさんいるんだよ。 大羊はねぇ、牛の倍くらい大きいの。」

「えぇ!牛より大きいの? 怖くない、それ?」

「遠巻きに見たことあるけど、モコモコしてて座って草をハムハム食べてた。 私も怖くてあまり近づいたことはないかな。 でも村の人に話を聞いたら大きい割にのんびりしてて臆病なんだって。」

「そうなの? いまいち想像つかないな。早く見てみたいなぁ。」

「おーい、そろそろ森が見えてきたぞ。気を引き締めろよー!」

馬車の前の方から親方がノエル達に注意を促す。その声を聴いてノエルは馬車の前へと走り出す。丘を登り切った先には広大な森が広がっていた。


近づくにつれ、森の大きさに圧倒される。 しばらくは森を縁取るように道が続いていたが、森の中へと続く分かれ道へとたどり着いた。 早めに行動したこともあり、日はまだ高い位置にある。

「ここから先は狭くなるから用心して行こう。ここから先はテロワールの森だ。」

「テロワールの森?」

「そう、昨日話した森り住む民族をテロワールと呼んでいるんだ。ここはもう彼らの縄張りになるから気をつけてな。」

明るく冗談交じりに話すいつもの親方とは口調が明らかに異なる。 その緊張感がノエルにも十分に伝わっていた。 一行はゆっくりと森の中へと進んでいった。

鬱蒼とした森の中はひんやりと冷たく道も湿っぽい。 あれだけ晴れ渡っていた空も木々に阻まれ、ほとんど見ることができなくなった。

道幅も狭く、引き返すことはおろか馬車同士がすれ違うことさえも困難な道だ。

護衛を務めるアルドが先頭を歩き、ターナーとニコラスで馬を先導。 最後尾にノエルとエレノアが馬車の後方を付いていく形で一列となり進んでいた。

周囲に気を配りながら、黙々と歩き続ける。 太陽が見えないこの状況だとどれくらい時間が経ったのかわからなくなる。

森の中に造られた道は地形に合わせて坂もあれば狭い曲道もある。平坦なだけではない道が余計に神経を使い、旅慣れしていないノエルを容赦なく疲弊させる。

遅れをとらないよう必死で歩くノエルを他所に先頭を歩くアルドが何かの気配を察知しターナーに小声で話しかける。

「親方、なにか妙な感じがします。 注意した方がいい。」

「!? テロワールか?」

「わかりませんが、急に空気が張り詰めてきた。何かがこっちに向かってきてます。」

アルドが馬車の横に括っていた護衛用の槍を手にする。慌ててターナーも後方を歩いている子供たちに声をかける。

「ノエル、エレノア!急いで馬車に乗りなさい!」

先頭での会話が聞こえていないノエルは疲労もありターナーの声が聞き取れていなかった

「ノエル、父さんが歩きながら馬車に乗り込めって言ってるよ。先に乗って。」

「えっ、そうなの?ごめん、聞こえてなかった。」

エレノアに促されてノエルは歩きながら荷台につかまり足を掛けて上体を持ち上げる。その瞬間にアルドが声を上げる。

「親方! 左の森に何かがいる!」

その叫びと同時に左側の茂みが大きく揺れだす。

「…なんだあれ?」

荷台の登りかけていたノエルの目に茂みの中にある大きな黒い影が映り、馬車に乗り込もうとしていた動きが止まる。その刹那、

「危ない! ノエル!」

大きな黒い影が森から飛び出し、馬車に向けて突進してきた。

エレノアに突き飛ばされノエルは荷台に押し込められた直後、馬車が大きく揺れる。そのはずみでエレノアが投げ出され森の奥へと姿を消した。

「エレノア! エレノア!」

慌ててノエルは馬車の後ろを見渡すがエレノアも黒い塊の姿はなく、ノエルの叫びにも似た呼び声に返答は帰ってくることはなかった。


























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