第7話 地図
旅立つ当日の出発前、ノエルがエレノアの一行が泊まっている宿屋に着いた時には大勢の人が集まっていた。
訪れている面々は行商の出発前に購入しに来た客が半分と残り半分はノエルの年に近い友達が話を聞きつけ集まっているようだった。
「なんでみんな集まってるの?どこで聞いたの?」
ノエルが不思議そうにその場に居たテオに尋ねる。
「おっす、ノエル。宿屋の情報網舐めるなよ。昨日、話を聞いてすぐにみんなに伝えたわ。」
「お前の仕業かい!」
「そっ、てゆうか昨日の晩に行商の親方が酒を飲みながらみんなに言いふらしてたから、俺が話さなくてもほとんどの人が知ってると思うよ。」
「おじさん・・。」
「 まあまあ、それに友達なんだから旅立ちの前に見送りぐらいしたいでしょ。」
「たかだか半年ぐらいで大げさな。」
「ちなみに俺のお土産は王都のおすすめのお菓子でいいから。」
「それが目的かよ! そもそも観光じゃないから! 仕事だから!」
その場に集まった友人たちとそんなやり取りをしてると馬車の方からエレノアがやって来た。
「おはよう、ノエル! 昨日、お父さんより急に聞かされてびっくりしちゃった。 これからよろしくね。」
照れた表情を浮かべながらお辞儀をする。ノエルも改まって頭を下げ、笑い合う。
「持っていくものはこんな感じで大丈夫?」
ノエルはエレノアに装備を見てもらう。普段着の上から腰に革製のベルトを巻き、そこに小物入れと護身用のナタが鞘に収められた状態でくくりつけてある。 その上に巡業用のフードの付いた白色の外套を羽織っていた。その他に肩掛けの鞄や着替え等生活用品が入った布袋が足元に置いてある。
「うん、大丈夫だよ。たくさん歩くから重たい荷物は馬車の中に入れていいよ。」
「助かる。じゃあ、布袋は馬車に積んでもらおう。」
エレノアの案内で馬車に向かうとそこには親方のターナーと祖父のジョセフ、そして母のクレアが集まっていた。ノエルの姿を見てターナーが話しかける。
「おはようさん、ノエル。ほんとに準備はいいのかい? 出発したら簡単には帰ってこられないぞ。」
「大丈夫!荷物も覚悟も準備してたから!」
「よし、わかった! じゃあ荷物を受け取ろう。」
ターナーはノエルの返答ににっこり笑って布袋を受け取り馬車の荷台に詰めていく。
「じゃあ、じいちゃん、母さん、行ってくるね。」
真剣な表情で別れの言葉を言うノエルに少し寂しそうにクレアも答える。
「気をつけてね。 あまり無理しないでね。 あと迷惑かけないようにね・・。」
「うん、多分大丈夫。」
「ノエル、父に会ったらこれを渡して欲しい。」
「じいちゃん、これは?」
手渡された2本の瓶には異なるものが満たされている。一つは透明、もう一つは澄んだ琥珀色の液体が陽の光を受けて輝いて見える。
「今年の祭りで振舞ってた新酒と祠で汲んだ湧水だ。お前の父は元々酒は飲まんかったが、向こうで少しは飲めるようになったやもしれん。 久々に故郷の味が恋しくなってるかもしれんから届けてやって欲しい。」
ノエルは昨日、母より毎年お酒を届けてもらっていたことを聞いていた。母と目を合わせると内緒と言わんばかりに人差し指を口に当ててノエルに合図を送る仕草をした。
不器用な祖父の優しさを垣間見てノエルは思わずニヤついてしまう。
「何を笑っとるんじゃ? あと手紙も頼む。くれぐれも大事な内容だから中は開けずにそのまま渡してくれな。よいな。」
「うん、わかった。まかせといて。」
不安を感じるジョセフの表情とは裏腹に軽い返事のノエルは預かった瓶と封筒を肩掛け鞄に押し込む。
荷造りが終わったターナーとエレノアが戻ってくるとジョセフに一礼をする。
「それでは神父様、そろそろ出発しようと思います。 ノエルもいいね。」
「はい!」
ノエルが元気よく返事を返し、ジョセフとクレアも静かに一礼する。
「お世話をかけますがよろしくお願いします。」
「はい、こちらこそお預かりします。」
それぞれ神妙に挨拶をかわす。
ゆっくりと馬車が進み出し、行商の一団が宿屋から歩き出したとき、テオがノエルに向かって声を上げた。
「ノエルー!がんばってこいよー!」
一緒に来ていた友人たちもそれぞれに声援を送る。その声を聞いてノエルは歩きながら手を振って答える。
そんなノエルや友達の様子を見ていたエレノアは少し寂しそうな表情で歩いていた。
「エレノアちゃんも今度来た時はノエルだけじゃなく俺達とも遊ぼうねー!」
自分の名前が呼ばれると思っていなかったエレノアは驚いた様子で振り返ると、そこにはノエルの友人のテオがエレノアに向けて手を振っていた。
「あ、は、はい・・。ありがと・・ございます・・。」
照れながらエレノアは頭を下げて返事をすると、テオの周りにいた友達からも歓声が上がり俺も俺もと盛り上がりを見せる。
村の友達がエレノアの名を呼んでいるのを見てノエルは露骨に嫌そうな顔をしていたが、エレノアはかけられた声に嬉しそうに返事を返す。
ウイタエからの出発はエレノアにとっても今までにない賑やかなものとなった。
「ねぇ、ノエル。」
エレノアがノエルの横に来て話しかける。
「どうしたの?」
「私、やっぱりこの町が好き。こんなに温かい見送られ方するの初めてだよ。」
「あはは、騒がしい奴ばっかりだからね。俺はこれから色んな所が見れることが楽しみ!アルフもよろしくな!」
エレノアの横を歩いているアルフの頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めている。
たくさんの友達に見送られながらノエルは生まれ育ったウイタエの村を出て外の世界へと歩き出した。
出発を祝福するように晴れ渡った空の下、まだ色づく前の青々とした麦畑がゆっくりと風に合わせて揺らいでいた。
*
ウィタエを出てから5人と一匹のキャラバンは昼に簡単な食事を取り、それ以外はひたすら次の村を目指して歩き続けていた。
延々と続くように思われていた麦畑もすっかり見えなくなり、あたりは人の手が入っていない森と草原、そして丘の上まで伸びる一本の道だけとなった。
日が落ちかけた頃、ターナーは小高い丘の頂上にたどり着くと馬車を止める。
「もう日暮れだ。とりあえず目標まではたどり着いたから今日はここで野営をしよう。」
親方の言葉にノエルは安堵の声をもらす。 その様子をみて笑いながらターナーはノエルの肩にてを当てて言葉をかける。
「お疲れ、ノエル。これだけ歩くのは疲れたろ。あともうひと踏ん張りだ、こっちはテントの設営をするから、ノエルはエレノアと一緒に夕食の準備をしてくれ。」
「うん、わかった。エレノア、何手伝ったらいい?」
「えっとねぇ、ここの石を竈にして料理を作るから火をおこしてもらっていい?」
「わかったよ。じゃあ、燃やせる枝とか拾ってくるからちょっと待ってて。」
そう言うとノエルはふらついた足取りで薪を拾いに歩き出した。
テントを立てながら感心したようにターナーがエレノアに話しかける。
「偉いな、ノエル。辛かっただろうに文句一つ言わずに歩ききったなぁ。」
「いじわる・・。昨日の晩はノエルなら大丈夫って言ってたのに・・。そう思うなら試すようなことしないでもう少し休憩とか入れてあげればいいのに。」
食材を下ごしらえしながらエレノアが父親に文句を言う。
「そうもいかんさ。直感だけで大事なお子さんを預かるわけにもいかんからな。すぐ弱音を吐くようなら村に帰すつもりだったが、少し手荒な方法で試してみたが心配なさそうだな。」
「うん。 ノエルならきっと大丈夫。」
疑う様子なく笑いながらパン生地をこねるエレノアの姿を見てターナーは少し呆れたように笑みを浮かべる。
話を終えたころにノエルが薪を集めて帰ってきた。
「拾ってきたよ。火を起こすのは得意なんだ、すぐやるから待ってて。」
手際よく火を起こす準備に取り掛かる。
「うん、ありがと。もう少し下ごしらえに時間がかかるから急がなくても大丈夫だよ。」
楽しそうに話す二人の姿を見て、ターナーは邪魔をしないようにそそくさと野営の準備へと戻って行くのだった。
夕食はエレノア手作りの直火焼きのパンと燻製肉と野菜のスープが用意された。
ノエルは日中の移動で使い果たした体力を取り戻す勢いで食べ物を体に流し込んでいた。
「そんなに慌てて食べなくても大丈夫だよ。今日はもう特にやることないから。」
水の入った木製のマグカップをノエルの傍に置きながらエレノアが話しかける。
「ああ、ありがと!急いでたわけじゃないんだけど、いっぱい歩いたからおなか減ってて…。」
口をもごもご動かしながらしゃべるノエルを見てクスクス笑いながらエレノアは自分の席に戻る。 その様子を見ながらターナーも笑いながら横の同僚に話しかける。
「いやぁ、若い男の子の食べっぷりは爽快だなぁ。おっさんの俺たちはもうそんなに食べれんもんなぁ。なぁ、アルド。」
「何言ってるんですか、親方。新入りと同じくらい食べてるじゃないですか。」
「ええっ!そんなに?」
「お父さんはおかわりもうダメね。最近お腹出てきたんだから。」
「なんだよ、ノエルには優しいのに。 こっちには厳しいなぁ…。」
静かな丘に笑い声が広がる。 ノエルにとって村の外での初めての夕食は星空が広がる夜空の下で、にぎやかな談笑が続いていた。
キャラバンの全員が食事を終え、竈に焚かれた火を囲んで寛いでいた。
先ほどの賑わいも落ち着き、今はパチパチと爆ぜる焚火の音だけが時折響く。
まだ少し肌寒い夜は焚火の温かさがなんとも心地よく、既にアルフは焚火の近くで丸くなって眠りについている。
ノエルも空腹が満たされ、簡易的に作られた椅子にもたれかかる様に座りながらぼんやりと焚火を眺めていた。
「夜はまだ少し寒いね。ノエルも白湯飲む? あと・・あの・・、夕食は美味しかった?」
使い終わった食器を片付けながらエレノアが不安そうにノエルに尋ねる。
「ありがとう、いただくよ。 それにエレノアが作ってくれた夕食はすごく美味しかったよ。たくさん食べ過ぎちゃった。 おかげで明日もたくさん歩けそうだよ。」
「よかったぁ。ノエルのお母さん料理美味しそうだから、私が作った物で食べてもらえるか不安だったんだぁ・・。」
嬉しそうな表情を浮かべながらエレノアはノエルに白湯の入ったマグカップを手渡す。その様子を見てターナーは笑いを堪えている。
その理由は先日の宿屋でのエレノアとの会話を思い出したからだった。
教会から戻ったターナーは神父様との話をすぐにエレノアに説明した。 ノエルが同行することを聞いたエレノアは喜びと動揺が入り乱れ、一人で大騒ぎしていたのだった。
その中でも私の作った料理を食べてもらえるかとか寝起きの顔は見られたくないだとか、今まで気に留めたことすらないことを気にして何度も相談していたことを思い出していた。
今のノエルの返答は飛び上がるくらい嬉しいはずなのに、なんとか平静を装っている娘の姿が可笑しくてたまらなかった。
なんのことが判らずキョトンとしているノエルに対し、エレノアは余計なことを言わないでと言わんばかりに父親に睨みを効かしている。
娘の圧力を察したターナーはエレノアと目を合わせないよう自分が食べ終えた食器を持って席を離れる。
歩きながらターナーは娘であるエレノアがこんなに感情豊かに過ごしているのを久々に見た気がした。
旅をする生活の中で家族以外の男性がキャラバンに加わることは多々あるのだが、ノエルのような反応をみせることは今までになかった。
ノエルがエレノアにとって特別な存在であり、普段の旅では見ることがなかった年相応の女の子らしい姿にターナーは嬉しさと少しの寂しさがこみあげてくる。
食器を置いたターナーは馬車より大事に梱包された筒を取り出し、その中から大きな紙をテーブルに広げた。
「よおし!食事も終わったことだし、ノエルに色々説明してやらんとな。ノエル、これが何かわかるかい?」
その大きな紙には絵と所々に文字が書かれている。
「えっと、地図ですか?」
「そう!詳しく言えばこの王国ラトゥール全土が描かれた行商用の地図さ。ノエルの住んでるウイタエがどこにあるかわかるかい?」
ノエルはまじまじと地図をのぞき込んでウィタエの文字を探す。
「あった、ここだ!」
地図で見るとラトゥール半島で縦長い塔のような形をしている。その先端よりの位置にウィタエの文字を見つけた。
「そうだ。そこがウィタエだ。そしてノエルのお父さんがいる王都、フュイッセがここだ。」
ターナーが指をさす。そこは半島の根本付近を示していた。
「そんな遠くにあるんだ。」
「ああ、だから途中いろんな街を巡りながら王都へ向かうんだ。今向かっているのはここ。 トレノという村だ。あと4日ほど歩けば着くだろう。ノエルは歩けるか?」
「大丈夫!問題ないよ!」
即答するノエルの言葉にターナーはにんまりと笑う。それを聞いていたエレノアも食器を洗いながら笑みを浮かべる。
「ああ、あとそうだ!見知った顔もいるだろうが人員も説明しとかんとな。ニコラスとは話したことがあるか。アルドとは初対面だな。」
「うん。ニコさんとはエレノアに会いに行ったときに何度か話したことがある。アルドさんは初めて会った。」
並んで座っている二人の方をノエルが目をやるとニコラスが右手をひらひらとあげて返事をした。
少しやせ形で細い目が特徴的、いかにも商人だなと思わせる柔和な物腰のニコラスに対してアルドはがっしりとした体格で無骨、肩まで伸びた髪と顎髭という対照的な装いをしている。
「アルドは最近物騒になってきたんで力仕事を兼ねて護衛として雇ったんだ。もうちょっと愛想がよけりゃあ接客もしてもらうんだが、なんせ不愛想でな。」
「すみませんね、こういう性分なもんで…。ノエルっていってたか、よろしくな。」
アルドがターナーの言葉に悪びれる様子もなく答えてノエルに挨拶をする。
祖父に似た低い声に少々圧倒されながらもノエルも挨拶を返す。
「ニコラスはもう3~4年キャラバンに入ってもらってるか。一緒に旅をしているがアルドと違って俺が雇ってるわけじゃないんだ。」
「? じゃあなんで一緒に旅してるの?」
「ニコラスは手紙なんかの郵便と王都から離れた村や町の報告、あと行商の監視も含めた国の役人なんだよ。まぁ、手が空いてるときはこっちの仕事も手伝ってもらってるがな。」
「そうだったんだ、ニコさんって偉い人だったんだね。 全然知らなかった、よろしくお願いします!」
ノエルの挨拶にニコラスは身を乗り出して手を振ってこたえる。
「そんなに改まんなくていいよ。同じキャラバンの仲間なんだから。よろしくね。」
「行商はニコのような役人が同行して、ある程度の巡回先を管理されてるんだ。みんな同じ場所に行って手薄な地域が出るわけにもいかんからな。」
「じゃあ、ニコさん抜きで勝手に行けないんだ。もし、いないのが見つかったらどうなるの?」
「まあ、そんなことするのは盗んだもの扱ったりとか、何かとやましいことしてる奴ぐらいだろうけど…。おそらく捕まってこの仕事できなくなるんじゃねえかな。」
「そうなんだ…。自由に旅してると思ってたけど色々決まりがあるんだ。 そういえば、おじさん。今回の旅は海に行く? この陸の外は海って場所なんでしょ?」
「ん? ああ、そうだよ。 まだ先の話だが、ここにあるセリーヌっていう港町に寄る予定だよ。」
「ほんとに?やった! 俺、海って見たことないから行ってみたかったんだ!」
ターナーの言葉に喜びながらノエルは広げられた地図を真剣に見つめ、これからの行先に思いを巡らす。 地図を楽しそうに眺めているノエル姿を見ていたターナーは一つ咳ばらいをして語り掛ける。
「ノエルよ、今までは友達のお父さんだからおじさんでもよかったが、これからは仕事の上司になるんだからそのままではいかん。これからは、ほかの人と同じように親方と呼びなさい。 …まぁ、ノエルがよければ2~3年修行を積んでこのキャラバンに加わってくれるならお義父さんと呼んでも…」
ガシャン! と洗い場からけたたましい音が響く。食器を洗っていたエレノアが顔を真っ赤にして皿を落としていた。
「ちょっと、お父さん!何いきなり変なこと言ってるの!」
「あ、いや、地図を楽しそうに見てたからつい…。」
「ついじゃないでしょ! それにノエルの家だって教会のお仕事あるんだから、ノエルも真に受けなくて…。 ノエル?」
反応のないノエルの顔をエレノアがのぞき込む。すると地図を見た態勢のまま、すでに眠りについていた。 当の本人が話を聞いていなかったことがわかり、皆で顔を見合わせて静かに笑う。
エレノアは眠っているノエルの髪を撫でて優しく語り掛ける。
「今日、たくさん歩いたし疲れたよね。 おやすみなさい…。」
「アルド、悪いがノエルをテントに運んでやってくれないか。」
「お安い御用ですよ。」
ノエルが憧れていた旅での初日が星空の下、アルドに抱えられ静かに幕を下ろすのだった。
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