第5話 理念
ある晴れた日の出来事。
ノエルの住む教会の診療所で白衣を着た男性が初老の男性を診察していた。
「あと他に気になる症状はないですか?」
「うーん、強いて言えば怠かったり、最近食欲もないかなぁ。」
「そうですか・・。少し触らせてもらってもいいですか?」
「ああ、かまわないけど。」
「では、失礼・・。」
白衣を着た医師は袖をまくって初老の男性の首筋や胸に手のひらを当てていく。
そして腹部に手を当てたあたりで動きが止まり、医師の表情が眼鏡越しに険しくなる。
「ウェスカーさん、またお酒飲みすぎたでしょ。」
「!? ・・いや、先生に止められてるから飲んでねぇよ。」
医師に指摘をされて初老の男性は声が上ずり、目線を逸らし明らかに挙動不審になっている。
「ほう・・、飲んでないと・・。」
「あ、いや・・。そういえば2~3日前に少し飲んだかな~。」
「少し?・・。」
「・・ごっ・・、5~6杯くらい・・・。」
医師の圧力に耐えかねて観念したように初老の男性が小さな声ですべてを白状した。それを聞いて医師は深くため息をつく。
「だから言ったでしょ、飲み過ぎは体に毒だって。体が弱くなってるのは直せないんですから無理しないでくださいよ。症状を和らげる薬は出しますけど。」
「すまねぇ、先生!」
大げさに手を合わせてお礼を言う。医師は机の方でやれやれといった感じで薬を調合している。
「でもなんでわかったんだ?今は酒のにおいもしないだろ?」
「においはしなくても触ればわかりますよ。」
調合を終えて薬を手渡す。
「へぇ、先生の手はすごいなぁ。ありがとさん!」
「薬を飲めば、お酒を飲んでもいいわけじゃありませんからね。」
「わかってるよー。しかし、先生は相変わらずお酒飲まないんかい?」
「飲みません。」
「去年の祭りか? ノエル君の儀式の時は飲んでたっしょ?」
「あの時は特別です。忘れてください。」
「神父様の作るお酒は美味しいのにもったいないなぁ、あいだっ!」
後ろで立っていた奥さんに不意に頭を叩かれて驚きながら振り返る。
「あんた、なに言ってんだい!神父様が作ってくださったお酒を飲みすぎて、その娘婿さんに迷惑かけてちゃ世話ないでしょ!」
「うっ、たしかに・・。先生、また具合悪くなったらそんときはよろしくたのみますわ。」
あまり反省してない様子で初老の男性は奥さんに更に小突かれながら帰っていった。
調合道具を片付けたところにエレノアと出会った頃くらいの年端のノエルがやってきた。
「父さん、ご飯できてるよ。」
「ああ、もうこんな時間か。わかったよ。 ノエル、どうした?」
言伝を終えたノエルが俯いてその場に立ちすくんでいたのだ。
「・・昨日の夜も、またじいちゃんと喧嘩してた・・。母さんも心配してる・・。」
訴えるようなノエルの瞳を見て、父は困った顔をしてノエルの頭に手を当てる。
「・・そうだな。心配かけてるな。」
「じいちゃんのことが嫌いなの?」
「嫌いではない。むしろ尊敬している。ただ神父と医師の理念の違いによるものなんだ。」
「リネン?」
「立場の違いと言えばいいかな。どちらにせよ今のノエルにはまだ難しい話だな。」
「んー、よくわかんない。仲直りはできるの?」
「・・ああ、大丈夫だ・・。」
「よかった。絶対だよ!じゃあ、先行ってるね。」
「ああ、今行く。」
うれしそうに走って戻っていくノエルの様子を父はどこか寂しそうに見つめていた。
*
朝日が差し込む自室のベッドでノエルは目を覚ました。
幼い頃の記憶の夢が目覚めた後も鮮明に残っている。気だるそうに状態を起こし頭をかく。
夢で見た出来事の後、ほどなくしてノエルの父であるロランは都会で医療の研究をすると言い残し、この家から出て行ったのだった。 それからもう、3年の月日が流れる。
その出来事はノエルにとって、あたりまえに続くと思われていた日常が唐突に終りを迎えることとなった。
父が去った診療所は教会の仕事の傍らにノエルの祖父と母が忙しいながらも続け、ノエルも手伝える範囲で診療所と教会の仕事を担うことで変わらずなんとかやってきた。
ただ、祖父の前で父の話をすることは控えるようになり、いつしか話題に出ることもなくなっていった。
あの日、父が口にした理念という言葉は今のノエルにとっても理解し得ない言葉のままだった。
なぜ、お互い人のためを想い、行動しているのに相容れないものなのか。そして、それは家族であったり、今までの生活を天秤にかけてでも手放すことができない重みであることが到底理解することができなかった。
ただ、そんな父との夢をひさしぶりに見たことについては心当たりがあった。
それは間違いなく昨夜のエレノアとの会話の影響であり、今になって父の不器用な家族への思いに触れた気がしたのだった。
「ちゃんと特別だったのかな・・。」
寝起きの頭でポツリと呟く。
今までは父の事を考えると悲しくなるから、ノエルはあまり考えないようにしていた。
しかし、今後の自分のことを考えると向き合わなければならない問題なのだと、ノエルは自覚していた。
昨夜、エレノアと別れた後でノエルは祖父に話をするつもりでいたのだが、祖父は祭りが終わっても一向に帰ってくることはなかった。
夜中まで帰りを待っていたノエルだが、疲れからいつの間にか眠りに落ち今に至っていたのだった。
決意を込めてベッドを降り、手早く着替えると居間へと向かう。 そこでは母が朝食の支度をしていた。
「あら、おはよう。呼ばれる前に下りてくるなんてめずらしいわね。もうできるから座ってなさい。」
エプロンで手を拭いながら朗らかな声でノエルに語りかける。
「うん。あのさ、じいちゃんは帰ってきた?」
「昨夜はだいぶ遅かったけど帰ってきてるわよ。もう朝食も食べ終わって部屋に戻ってるけど、どうかしたの?」
手早く、パンとスープをノエルの前に並べながらノエルに問いかける。
「祭りのことで謝んなきゃいけないことがあるのと、ちょっと相談が・・。」
「そう・・。昨日の祭りの出来事もあって今日も色々忙しいみたいよ。じゃあ、いるうちに話しておきなさい。」
「うん、そうする。 いただきます。」
用意されたものを手早く食べてダイニングを後にする。
その足で祖父の部屋の扉の前までやったきたノエルは一度深く深呼吸して扉をノックをした。
「・・誰だ?」
扉の奥から祖父の声がした。先日、祠で会って以来のため、少し緊張した様子でノエルが答える。
「ノエルだけど・・。入っていい?」
「・・ああ、かまわんよ。」
扉を開けて部屋に入ると祖父のジョセフは書斎で机に向かい、なにやら難しい書物で調べ物をしていた。
「・・どうした? 話があるのだろう。」
顔は書物に向けたままノエルに話しかける。机の前で立ち止まっていたノエルはジョセフにうながされて話を切り出した。
「・・あの・・、昨日は勝手に祠に行ってごめんなさい・・。」
「・・あそこは不用意に近づいていい場所ではない。・・わかっているならいい・・。」
昨日の剣幕とは裏腹にいつも通りの落ち着いた口調でノエルを諭す。
予想外の反応にノエルは少々戸惑ったが、気を取り直して本題へと話をすすめた。
「・・あと、もう一つ話したいことがあるんだ。俺、この村の外に出て旅に出てみたい。 いろんな事を見てみたいんだ。」
その言葉を聞いてジョセフの動きが止まる。顔を上げ、ノエルの姿をじっと見つめる。
「理由はなんだ?・・父親か?」
「父さんが理由ってわけじゃない・・。会って話したいとは思うけど・・。 俺、今のままじゃ何にもなれないと思うんだ。 父さんみたく医師の志も手で触って病気がわかるギフトも持ってないし、じいちゃんみたいに精霊様と話せるわけでもないから・・。」
今まで溜めていた想いを言葉に変えていく。ノエルは手を握り、言葉を続ける。
「行商の友達のエレノアが昨日、ギフトを使えることを教えてくれたんだ。その子は仕事で色んな所に行って、色んな物を見て自分のできること、自分のギフトを見つけたんだと思う。 だから俺も村の外に出て、色んな物を見て自分にできることを見つけたいんだ。」
「なにを焦る必要がある。第一お前のような子供がなんのツテもなく外に出られるほど外の世界は甘いものではない。」
「昔、祠に行った時にじいちゃんに話した神父になるって思いは今も変わらない。 でも勉強したって、神楽の練習をしたって精霊のことはわからなかったし、祠に行っても何も聴こえなかった。 このままじゃ俺、みんなが求めるような・・。じいちゃんみたいな神父になれる気がしないよ・・。」
「・・焦る気持ちはわかった。 だが、今のお前一人で旅に出ることは認めることはできん。 ・・もうこの話は終わりだ。」
祖父の言葉にノエルは反論もできずにただ唇を噛み締めることしかできなかった。 無言のまま部屋を出ようと勢いよく扉を開ける。そこにはノックをしようとしていたエレノアの父の姿があった。
「うおっ、びっくりした! なんだ、ノエルかい。おはよう、昨日はありがとね。」
朝から元気な声が廊下に響く。しかしノエルはうなだれた様子で言葉少なく返事を返し、そのまま外へと出て行った。
家を飛び出したノエルは目的もなく広場までやってきた。
朝陽の差す広場には祭りで使われた舞台やテーブルがそのままの形で残されている。 だが早朝にはあれだけ多くいた人の姿は既になく、昨晩の賑わいとは打って変わってあたりは静まりかえっている。
噴水の横を通る際に水の中を覗いてみる。幻想的に光を放っていたリマモはすでに光を失い、何事もなかったように噴水の中を漂っている。
視線を上げるとエレノアが滞在している宿が傍にある。 ノエルは宿の方に向かおうと体を向けたのだが足取りは重く、思い留まっていた。
昨日の夜に決意した思いが早くも挫折してしまい、エレノアと何を話せばいいか判らなくなってしまっていたのだった。
しばらく悩んだ結果、エレノアに会うことを諦め宿屋を背を向けて歩き出そうとした時に、タッタッタっと後ろから何かが近づいてくる音が聞こえる。
何かの気配を感じノエルが振り向いた時にはすでに目の前に白い塊が覆いかぶさってきた。
「うあ、アルフ! お前、重いっ! 遊びに来たんじゃないから少しは空気読めって! あっ、こら、顔を舐めるな!」
のしかかられたノエルはなんとかアルフを引き剥がそうとした時に遠くから聞きなれた声が聞こえてきた。
「急にアルフが走り出したと思ったらノエルだったんだ。おはよー。」
アルフを追いかけてきたエレノアがノエルの姿に気が付いて笑顔で大きく手を振る。その様子を見てノエルは観念したように苦笑を浮かべつつアルフを引き剝がす。そして立ち上がるとエレノアの方へと歩き始めた。
「朝早いね、ノエルは散歩?」
戻ってきたアルフを撫でながらエレノアがにこやかに話しかける。
「うん、今日はたまたま・・。エレノアも朝早いね。」
「行商は日があるうちしか動けないからね、今は荷台の整理をしてたの。いつも通りだよ。」
「そうなんだ・・。あっ、良かったら俺も手伝うよ。」
「ほんとに? すごい助かる、ありがと。」
二人は宿の前に戻ると荷台にの整理を始める。言葉少なく作業をする中でノエルはエレノアに改まって訪ねた。
「エレノア・・。旅ってやっぱり大変?」
「ずっとやってきたからもう慣れっこだけど、もちろん大変な時もあるよ・・。どうかしたの? 元気ないね。」
「・・うん。今朝、じいちゃんと話をして、旅に出てみたいって言ったんだけど出来るわけないって言われてさ。やっぱり無理かなぁ・・。」
「それは無理だよ。ここから隣町まで行くのだって3日以上かかるし、その間の食べ物とか寝る場所とかも必要だよ。 人を襲う生き物だっているし、盗賊も出るから1人じゃ危ないよ。」
「そーかぁ、やっぱりむずかしいかぁ・・。」
想像通りの回答であったが、ノエルは大きくため息つきながら荷物に顔を埋める。
「うん、それに最近なんか物騒で、私たちのキャラバンでも護衛できる人を増やしたんだけど、それでもギリギリの人数だよ。子供一人では絶対無理だよ。 でも、どうして急に旅に出たいなんて言いだしたの?」
手を動かしながらノエルに問いかける。埋めてた顔を上げ、ノエルはゆっくりとエレノアの問いに答え始めた。
「うちさ、父さんが街に行っちゃったし、じいちゃんも年だからいずれ教会を俺が継ぐことになると思うんだ。 まぁ、じいちゃんは元気だからまだずっと先かもしれないけど・・。 昨日祠まで行ったけどやっぱりギフトも精霊のこともよく解らないからさ・・。 俺、このまま村にいるだけじゃ、じいちゃんみたいな神父になれないと思ってるんだ。 だから旅に出て、エレノアみたいに外の世界を見てみたいと思ったんだ。」
「そっかぁ、そんな先のことをノエルは考えてるんだ。 でも、一人旅なんてしたら神父様になる前に死んで帰れなくなっちゃうかもしれないよ。」
「うぅ、そこまで言う? エレノアなら励ましてくれると思ったんだけどなぁ。」
荷台にうなだれるノエルの横でエレノアはいたずらっぽく笑いながら言葉を続ける。
「ごめんなさい、でも旅が大変なのは知ってるから。ノエルに辛い思いはしてほしくない…。それに、旅にでなくてもノエルは神父様に向いてると思うから…。」
「えっ、そんなこと言われたことないよ。どんなとこ?」
項垂れていたノエルはエレノアの方に顔を向ける。エレノアは首飾りを襟元から取り出して微笑みながらノエルの目を見ながら答えた。
「他の人のために考えて、行動できるところ。 昨日、私はノエルに救ってもらえたんだよ。 きっとノエルなら素敵な神父様になれるよ。」
その笑顔を見てノエルは胸が熱くなる。涙が出そうになる目を隠しながらエレノアに尋ねる。
「ねぇ、エレノアはいつまで居れるの?」
「えっとねぇ、今日中に仕入れが終わると思うから、おそらく明日の朝に出発すると思う。 また、当分会えないね…。」
寂しそうに笑うエレノアの手には大事そうに首飾りが握られていた。
「そっか…。じゃぁ、間に合わせないとね。 俺、やらなきゃいけないことがあるから行くね。エレノア、ありがと!」
駆け出したノエルにエレノアは手を振って見送った。
先の不安がなくなった訳じゃない、でも今は大切な友達のために自分が出来ることをしよう。
そう心に誓い、ノエルは顔を上げて教会へと走り出した。
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