第4話 決意

二人分の乾いた足音が洞窟の中に響く。 ゆっくりと進みながらノエルは手に持っているランタンで洞窟の中を照らすと、左側は樽が整然と積み上げられ、延々と奥まで続いているのが照らし出された。

右側には小川があるのだが流れが緩やかなためかほとんど音がしない。ひんやりとした重たい空気が周囲を覆い、洞窟中は静寂に包まれている。

「すごい、壁一面に樽が並んでる。」

エレノアが洞窟の中に広がる光景に感嘆の声を上げる。

「すごい数でしょ。 これが奥まで続いてるの。 その先に奥に儀式をする聖霊様の祠はあるんだ、行こう。」

自分のことのように誇らしげにノエルが答える。 洞窟内の道は灯りが用意されているわけではなく暗闇の通路が続く、ノエルの左手に持つランプ光を頼りに慎重に進む。

ノエルの後ろをついて来ていたエレノアがノエルの服の裾を掴む。 引っ張られる感覚に気付いてノエルが話しかける。

「どうしたの? 暗いところ苦手?」

「・・うん。少し怖い・・。ここは貯蔵庫にもなってるのに明かりはないの?」

「眠っている聖霊様を起こさないようにって理由で照明は用意されてないんだって。だから作業するときもランタンで照らしながら作業してるらしいよ。」

「優しい理由だね。 なら小さい子もここを一人で来てるんだし、私も頑張らなきゃ。」

「ああ、ここは子供一人で入らないよ。普段は入口でじいちゃんが待ってて、祠まで案内してくれるんだ。 川もあるし、暗いからさすがに危ないしね。」

「そうなんだ、よかったぁ・・。 私、一人で行ってきてって言われたらどうしようって思ってたの。 子供たちも神父様も一緒に来てくれるなら安心だね。」

「そだね。本当はじいちゃんがまだ居たらお願いしようと思ってたんだけど、もう居ないみたいだし・・。かわりに俺が案内するよ。まだ神父見習いなんだけどね。」

「ありがとう・・。ノエルが一緒に来てくれて嬉しい。」

無意識にエレノアが言った言葉にお互い気恥ずかしくなり、慌てて話題を探す。

「えっと、その・・。樽、すごいたくさん並んでるね。」

「あ、うん、そうだね・・。ここ樽しかないね。」

お互い照れ隠しでぎこちない会話をしながらもエレノアは掴んだノエルの服の裾を離すことなく洞窟の中を歩いて行く。

「そういえば、前にじいちゃんと儀式で歩いた時、俺も樽のこと聞いたなぁ。」

昔のことを思い出しながらノエルはエレノアに話しかける。

「ここに置いてあるお酒って聖霊様が10年かけて美味しくするんだって。」

「そうなんだ、お酒って出来上がるまでそんなにかかるんだね。」

「うん、だから今日飲めるようになったお酒は10年前に作り始めたものなんだって。」

「そっかぁ、だからみんなうれしそうに飲んでるんだね。」

昔、聞いた話を思い出しながら進んでいく途中でノエルは見覚えのある小さな橋へとたどり着き歩みが止まる。

ノエルは幼い頃に祖父と共に歩いた記憶が鮮明に蘇り、あたかも幼い自分が通り過ぎていくような錯覚に陥る。

小さなノエルは遊ぶように小道を走っていると慌てて追いかける足音が聞こえる。

「ノエル! そこに橋があるんだ。 危ないから手を繋ぎなさい。」

少し遅れて今より少し若い祖父が後ろから現れ、走る幼いノエルを窘めるとしっかりとその手を繋ぐ。

儀式でこの場所に初めて訪れた時のことだ。 ノエルの目の前で若かりし自分が祖父と手を繋いで歩いて行く。

「ここは怖くないか?ノエルよ。」

「うん、じいちゃんいるし、怖くないよ。」

元気な声が洞窟内に響く、祖父のジョセフは苦笑しながらノエルに語りかける。

「それは結構。 ただ、話すときはもう少し声を小さくな。ここにいらっしゃる聖霊様が驚いてしまうのでな。」

「わかった。ねぇ、じいちゃん。 じいちゃんは聖霊様が見えるの?」

「わしにも聖霊様のお姿が見えるわけではないが、必要なことを教えていただけるのだよ。」

「そーなんだ、お話できるんだ。ノエルもできるようになる?」

「そうさな・・、ノエルがちゃんとお勉強して、聖霊様のことを信じていれば聞こえるようになるやもしれんな。」

「本当に?じゃあ、ノエルも勉強がんばる!それで聖霊様とお話してじいちゃんみたいな神父になりたい!」

「そうか、ではまず、今日聖霊様にノエルのことを認めてもらわねばな。」

「うん、がんばる!」

記憶の中にある幼い自分が話した無邪気な言葉が、今のノエルの胸を締め付ける。

「エレノア・・。聞いてもらいたい話があるんだけどいいかな?」

改まった話し方に少し驚きながらもエレノアは返事を返した。それを聞いたノエルは少し間を置いてから話を始めた。

「エレノアも知ってると思うけど、うちのじいちゃんは司祭で精霊の言葉を聞くことができるし、父さんは医師で手で触ると患者さんの悪いとこがわかるギフトをもっていて、村の人に二人共すごい頼られていたんだ。」

「うん、知ってるよ。私もノエルのお父さんに診てもらったことあるし。あったかい手で頭を撫でてもらったのを覚えてるよ。」

「そっか・・。エレノアと出会った翌年かな、もともとじいちゃんと立場の違いで喧嘩も多かったんだけど・・。結局、父さんが村から出て行っちゃったんだ・・。」

言葉の合間に沈黙が訪れる。 エレノアが静かに聞いている中、ノエルは言葉を続ける。

「父さんが出てったのは、今となっては仕方ないことだとは思ってるんだけど、俺が気にしていることは二人共すごいギフトを持っていて村の人に尊敬されていたのに俺にはギフトがなんなのかわからないんだ・・。 勉強して信仰心があればギフトを授かると思ってたけど、未だにじいちゃんみたいに精霊の声が聞こえない。俺には司祭としてエレノアを案内する資格がないのかもしれないんだ。」

ノエルは誰にも相談したことのなかった心の内を吐き出して俯く。

沈黙の中、ノエルの服の裾をつかんで後ろにいたエレノアが横に並んでノエルの右手を両手で握り、向き合った。

「私はノエルが向いてないなんて思わないよ。 資格とかはわからないけど、今は私のためにこうして案内してくれてる。 私にとってノエルは神父様だよ。 それに、前は聴こえなかったかもしれないけど今ならわかるかもしれない。一緒に行こうよ。」

真剣な眼差しでノエルに語りかける。エレノアはふと手を握っていることに気がつき、慌てててを離し顔を赤くしてうろたえている。

ノエルはその様子を見て笑い、改めて右手をエレノアに差し出した。

「ありがとう、元気出た。一緒に聖霊様に会いに行こう。」

「うん。」

赤面しているエレノアも恐る恐る手を握る。二人は並んで洞窟の奥へと再び歩み始めた。


二人は祠を目指して暗い洞窟の中を進んでいく。

延々と連なっていた樽の棚も無くなり、さらにその奥へと進む先に何かの光が見える。 二人はそこにたどり着くと思わず歓声をあげる。

そこは洞窟内にも関わらず光が広がっていた。開けた空間に地底湖が現れ、水面には淡い緑の光が至るところで瞬いていた。

ここにもたくさんのリマモがいるらしく、波のない湖面はエメラルド色に輝き、あたりを幻想的に照らしていた。

「ノエル、すごいね・・。湖が緑色に光ってる・・。」

「うん、ここに水の精霊様が住んでるって言い伝えられてるんだ。 あそこに祠があるしょ。」

ノエルが指をさす先、湖の畔に石造りの祠が見える。

「エレノアのこと聖霊様に認めてもらおう。行こうよ。」

「うん。」

ノエルから手渡された花束を強く握る、緊張した様子だが決意を持ってエレノアが返事を返した。

近づくに連れ、凛として張り詰めた空気を感じる。祠の周りは石畳で舗装されており、湖に続く水路が用意されている。

切り出した石で造られた祠の中にはノエルほどの大きさの石が祀られている。その岩の裂け目より水が湧き出ており、とめどなくすり鉢状の器へと注ぎ込まれている。

器の中にはノエルの首飾りと同じ石がいくつも入っており、溢れ出た水が水路を通って湖へと流れ込んでいた。

「ここでなにをすればいいの?」

祠を目の前にしてエレノアが尋ねる。ノエルは自分が来た時、祖父に教えてもらったことを思い出しながらエレノアに説明を始める

「まずは手を合わせて一礼、したら次は献花台に花を供える。」

ノエルの真似をしてエレノアも礼をする。献花台の上には先に来ていた子供たちが置いていったと思われる瑞々しい花が備えられていた。エレノアも手に持っていた花束を献花台にお供えをする。

「次は器から溢れてる水で手を清める、その後に器の水を手ですくって聖霊様に心の中で認めてもらうことをお願いしながら一口飲むんだ。」

エレノアが真剣な表情でこくりと頷くと器の方へ手を伸ばす。溢れ出る水で手を濯ぎ、神妙な面持ちで両手で器の中の水を掬う。

手の中にある水を口に含み、そのままお祈りをするように手を合わせて目を閉じて飲み込む。

エレノアは一息ついて目を開きノエルの方を向く

「ちゃんとできたかな?」

「うん、大丈夫。最後に器の中の石を一つ取って、一礼して終わり。」

「わかった。」

エレノアは再び器の中に手を入れて中の石をひとつ取り出す。手に取った石はノエルの首飾りと同じもので青みがかった透明な石は水に濡れてキラキラと光っているように見える。

石を握り締め、深々とお辞儀をした。

「おつかれさま。これで儀式は終わり。」

「うん、ありがと。ノエルはどう?聖霊様の声は聞こえそう?」

エレノアにうながされてノエルは目を閉じて集中する。静寂の中で精霊の声に耳を澄まし、ゆっくりと目を開けた。

「さっぱりわかんないわ。なにも聴こえないなぁ。」

あっけらかんと言うノエルにエレノアは少し申し訳なさそうな表情をうかべ

た。

「気にしなくていいよ。そんなに落ち込んだりしてるわけじゃないんだ。それにエレノアと話して見えてきたこともあるし・・。まずは帰ろっか。」

二人は祠に背を向け、入口に向かって歩き出そうとした時だった。

「そこにいるのは誰だ。」

急に声をかけられ、驚く二人。振り返ると祠のある場所より更に奥に続いている洞窟のほうからジョセフが歩いてきた。

「じいちゃん・・。」

「ノエルか・・。お前、なぜここにいる。ここには近づくなと日頃から言っておろうが。」

「・・うん、分かってる。でも、今日は、」

「口答えはいいっ!即刻、立ち去れっ!」

「!?」

ノエルが祖父に怒られることは度々ある。だが、今回はいつもと違う。理由を聞くこともなく、鬼気迫るような剣幕で怒鳴られることは今までに経験がなかった。

「ごめん・・なさい・・。」

あっけに取られながら、一言謝罪の言葉を絞りだしてノエルはその場を後にする。

エレノアは終始おろおろしながらノエルの後を追いかけようとした時、何かに呼びかけられた気がして振り返る。

しかし、そこにはジョセフ独りしかおらず、呼びかけの主は見当たらなかった。

「・・あなたも戻りなさい。」

先ほどとは打って変わって静かにエレノアを促す。

エレノアは慌ててジョセフに頭を下げるとノエルの後を追いかけて行った。


それから二人はほとんど言葉を交わすことなく町の中まで戻ってきた。

山道を歩いてる間、エレノアは俯いたまま、ただ黙ってノエルの後を付いて来ていた。

無言のままエレノアの滞在している宿屋の近くまで二人は帰ってきた。 二人の様子とは対照的に広場は相変わらず宴が続いているらしく、少し離れたこの場所まで賑やかな声が聞こえてくる。


「じいちゃん、祠より更に奥にいたんだ。そんなとこで何してたんだろ? 急に出てくるんだもん、びっくりしたなぁ。」

ノエルが気にしていない様子でエレノアに話しかける。しかし、エレノアはかけられた言葉に立ち止まり、肩を震わせて言葉をかえす。

「ノエル・・。ごめんなさい。 私のせいで、すごい怒られてた・・。」

自責の念で消え去りそうな小声で話すエレノアを諭すようにノエルが言葉を続ける。

「じいちゃんに怒られるのは、よくあるから大丈夫だよ。あんな剣幕で言われたことは無かったから驚いたけど・・。 それに後悔もしてないんだ。これは俺がエレノアにしてあげたかったことだから。 エレノア、さっきの石かしてもらえる?」

エレノアは手に持っていた石をノエルに渡す。

受け取ったノエルは石を確認すると自分の服のにしまい、代わりに身に付けていた首飾りをおもむろに外した。

「本当は儀式で石を選んだら、その場でじいちゃんが首飾りにして渡してくれるんだけど・・。今日はできないから、今は代わりにこれを受け取って。」

ノエルは自分の首飾りをエレノアに差し出す。

「それはノエルの大切な証でしょ。だめだよ、そんな大事なもの。」

「いいんだ、エレノアの首飾りができるまでだから。それに今日中に渡したいから。」

「えっ・・。でも・・また怒られちゃうよ?」

「祠まで行ってるんだから一緒だよ。 ほら、じっとして。」

遠慮してるエレノアにノエルが首飾りをつけてあげる。

「これで容受の義は一通りやり遂げたよ。おめでと、これでエレノアもこの町の一員だよ。」

ノエルは満足そうにに笑ってみせる。

自分の胸元にある淡い青色の石をエレノアは手に取り眺める。 澄んだ青色の石を見つめていた視界がぼやけて、エレノアは涙を流していることに気がついた。ノエルに見られないよう慌てて顔を隠す。

「・・ノエル、ずるいよ。」

「えっ、なにが?」

エレノアの言葉の意味が判らず、きょとんとした表情でノエルが聞き返す。手で顔を隠しながら恥ずかしそうにエレノアが言葉を返す。

「涙が出そうな時もノエルの前で泣かないようにがんばってたのに、こんなことされたら抑えられないよ。ずるいよ・・。」

「そうなの?べつに頑張らなくてもよかったのに。だって出会った時も泣いてたじゃん。」

「あの時は・・、まだ小さかったし、熱があったから・・。でも、今は恥ずかしいの!」

顔を赤くしてなぜか怒っているエレノアを見てノエルは笑い出す。

「ゴメンね。でも元気出たみたいだし良かった。」

「うん、元気出た。ノエル、ありがと。村の人たちが大事にしている儀式に参加させてもらえて嬉しかった・・。みんながうちの品物で喜んでくれて、お祭りでうれしそうにお酒を飲んでる理由もわかったから。 きっとあの時のノエルのお父さんも・・。」

「父さんが? なんで?」

「だって普段飲まない人なんでしょ。ノエルが儀式の時、ノエルが生まれた時に造られたお酒だから飲んでたんだよ。特別だったんだよ、きっと。」

「あっ、そうなのかな・・。」

エレノアの言葉にノエルは驚きながらも父親のことを思い起こす。

「離れて住んでいても特別な存在には変わりないよ。 家族なんだから。」

ノエルの胸の中にあったわだかまりがひとつ解けていくような暖かさがこみ上げてくる。

「今日、ノエルと会えてよかった。首飾りは大事にするね。」

よほど首飾りが嬉しかったのだろう。石を両手で握りながら笑顔でノエルにお礼を告げる。 その言葉にノエルは改まって答えた。

「俺も会えてよかった・・。今日はそろそろ帰るね。」

「うん。大分遅くなっちゃったね。またね。」

手を振ってお互い帰路に着く。

教会までの帰り道、ノエルは胸の奥に芽生えた決意を持って歩き出した。


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