第7話 惨劇の夜

 かすかに月明かりに照らされた暗い廊下。


 そこに広がるあまりの光景に、ユキナは絶句する。


「……あ……あ……」



 ユキナが家族の様に思っていた老婆たちは、今や原形を留めぬ肉塊へと姿を変えている。


 そしてその光景は、老婆たちがユキナを守ろうとした故の、残酷な結果なのである。


 その事実に、ユキナの思考は追いつくことができないのだ。



「おばぁ……ちゃん……」


 ユキナは涙を流す事さえできず、受け止められない目の前の現実に、強烈な吐き気を催す。


「う……おえ! げええ!」


 ユキナは身を強張らせ、ガクガクと震えながら嘔吐した。



 しかし、目の前の現実はそれを容赦することはなく……、絶望するユキナへと、血だらけのゾンビがにじり寄る。



「おばぁちゃん……、おばぁちゃん……、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 ユキナの目から、ようやく涙が零れ落ちた。



 そしてユキナは、にじり寄るゾンビへの恐怖がすでに麻痺しており、無残に死んでいった老婆達への罪悪感からか、自らの死を覚悟した。


「おばぁちゃん……、私も一緒に行くよ!」


 しかし、ユキナがそうつぶやいて目を閉じた瞬間だった。


 にじりよるゾンビの背後から、少年の声が聞こえた。



「スイッチオーン!」


 その声と共に、ゾンビは力なく首を垂れて、その場に停止する。


 制御装置のスイッチが入れられたのだ。



 そして、ゾンビの背後から見覚えのある少年が姿を現す。……ユキナが昨日に出会った少年、リクトだ。



「ふぅー。 危ない危ない! キミまで殺されちゃうところだった。」


「……あ、アナタは? 昨日の……」


「こんばんは! 僕の名前はリクトって言うんだ! キミは?」


「……ユキナ。」


「ふぅん、ユキナちゃんね。 よろしく!」


 ユキナは、今起こっていることに理解が追いつかず、半ば放心したかの様な精神状態で、少年の言葉に受け答えする。



しかし……、


「あーあ。 派手に暴れたなぁ、タイガ兄ちゃん。 あっという間にみんな殺しちゃった。 ・・怖い怖い」



 リクトが辺りをキョロキョロとしながら口にしたその言葉に、ユキナに感じたことのない激情が走る。



「このゾンビは、アナタのお兄さんなの……? アナタがこのゾンビを連れてきたの……?」


「うん。そうだよ。」


 リクトは悪びれる様子さえなく、ユキナの言葉に平然と答える。



 その言葉を聞いた瞬間、ユキナは全身に電撃が走り、長い髪が逆立つかの様な錯覚を覚えた。


 そして、いつもは愛らしい顔をしたユキナの表情は、鬼のような形相へと変貌する。


 怒り、悲しみ、憎悪、……そしてリクトへの強烈な殺意。 様々な漆黒の感情が、ユキナの中で渦を巻く。



「殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!」


 ユキナはその激情を堪えられず、床をダンダンと踏みつけながら叫んだ。



「おっとっと……。落ち着いてよ、ユキナちゃん。」


 しかしリクトは、そのユキナの変貌ぶりさえ、大して意に介す様子がない。



「悪魔め!呪われろ! ズタズタに引き裂いてやる!」


 ユキナは、嘗て発したことのない悲痛なカナギリ声で叫び、目の前のリクトに飛び掛かろうとする。



しかし……、


「待て! 待つんだ、ユキナ!」



 リクトとタイガの後ろから、聞きなれた青年の声が聞こえる。


 そして、廊下の壁に寄りかかりながら、瀕死のコウタが這いずってきた。


 コウタは、破れてしまった腹部を上着で締め付け、あふれ出る血を床に零しながら、やっとの思いでそこへやって来たのだった。



「……コウタ!」


 コウタのあまりに凄惨なその姿に、暴走しかかっていたユキナは絶句した。



「ユキナ……、聞いてくれ。 ……この聖幸楽園の人々は、もうみんな殺されてしまった。」


「コウタ……、コウタ……! ダメよ! 今、手当てするから!」


 ユキナはたまらずコウタに駆け寄ろうとするが、コウタは手を前にしてそれを制止する。



「ユキナ!聞いてくれ! ……オレはもう終わりだ。 最後の言葉だ。聞いてくれ、頼む。」


「コウタ……、イヤ!イヤよ!」


「聞くんだ!ユキナ!!」


 コウタは、残り僅かな力を振り絞り、ユキナに向かって声を張り上げる。


 そのあまりに切迫した様子に、ユキナは耳を傾けざるを得なかった。



「いいか?ユキナ……。 この聖幸楽園が壊滅してしまった以上、まだ少女のお前は生きていく事が困難になるだろう。」


「……コウタ」


「だが、お前は生きなくてはダメだ。……オレや、シゲさんやロクさん、神父様。みんなの想いを、愛を背負って、お前は生きなくちゃぁダメだ。」


「……」


「だけど……、お前が生きていくには、身を護る術がいる。 ……この世界は、思っている以上に過酷で……、うぐ、ゲェエ!」


 無理をして話すコウタは、尋常ではない量のドス黒い血を吐いた。



「コウタ……!」


 ユキナは再び駆け寄ろうとするが、コウタはそれを制止する。


「ダメだ! まだ話は終わっていない!」


「……!」


 ユキナは涙を零しながら堪える。



「いいか?ユキナ。お前が生きるため、生き延びるために……」


「……コウタ?」


「……」


 コウタは少しだけ言葉を詰まらせた。


 そして、次に信じられない言葉を口にする。


「このガキとゾンビと一緒に、この聖幸楽園を後にしろ……!」



 ユキナは、頭の中が真っ白になる。


 この惨劇を引き起こした2人を前に、コウタの言葉がまるで理解できないのだ。



「……何を言っているの? コウタ」


「……」


 コウタは、また少しだけ言葉を詰まらせる。



「ユキナ……。オレが信じられない事を言っているのは分かってる。……でも、お前が生きるためには、他に方法が無い。」


「……」


「このガキは、大陸の東にある“白い山”……、その麓にあるという研究施設を目指しているそうだ。お前は、コイツらをそこに連れて行ってやる変わりに、その身を護ってもらうんだ……。」


「……イヤ!イヤよ!!」


「……ああ。わかっているさ。だが、今ここでお前まで殺されてしまったら、オレたちは全員が犬死だ。この悪魔の様なクソガキの、思うつぼなんだよ。」


「……」


「…だからユキナ。お前はこのガキとゾンビの力を利用して、生き延びてくれ……。そして必ず、どこか安住できる場所を……う!うぐぐ!」


 壁に寄りかかって辛うじて立っていたコウタは、そのまま床にずり落ちた。


「コウタ……!」


 ユキナはコウタに駆け寄る。


「ユキ……ナ……。 ごめん……な。 オレが護るって……、言ったのに……。」


「ううん! コウタは護ってくれた!護ってくれたよ!」



 そしてコウタは、リクトの方を睨みつけて言う。


「おい、クソガキ! この娘を連れて、東に向かえ……!絶対に、死なせるな……! いいか? 絶対に……」


 コウタは最後に何かを言いかけたが、そこで息絶えてしまった。


 ユキナは、放心状態でその姿を見つめる。



 そして、少しだけ無言の空間が続いたが、先に口を開いたのはリクトだった。


「……だってさ、ユキナちゃん。 キミは元々、大陸の東からここへ逃げてきたんでしょ? 僕たちを“白い山”の麓まで案内してよ。」


「……」


「あれ? おーい! ユキナちゃーん!?」


 リクトは、ユキナの目前で手を振るが、ユキナはコウタの前にへたり込んだまま、言葉を発することなく放心している。



「……んま、いいや。 僕たちはとりあえず、そこの食堂で寝るからさ。明日の朝になったら出発するよ。」


「……」


「明日の朝までに、よく考えといてね……?」


 そう言うとリクトは、タイガを連れて食堂の中へと入っていった。



「……」


 ユキナは黙ったままコウタの方へ体を傾けると、優しくコウタの頭を撫でて言った。


「愛してる……、コウタ。」


 そしてユキナは、コウタの顔に頬を寄せ、意識を失う様に眠りにつくのだった。

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