第6話 取引

「お兄さん、ヤバいね! お腹が破れてるよ?」


 タイガの一撃で腹が裂けたコウタを見下ろすのは、不気味な笑顔でのぞき込むリクトだった。


 そう。


 この聖幸楽園へタイガを送り込んできたのは、まぎれもなくリクトなのだ。


「何者なんだ?お前は……? 何の目的があって……ここへ来た……? クソ! テメェ、ブチ殺してやる……!」


 コウタは息も絶え絶えに、リクトへの怒りと殺意をむき出しにする。



 しかしリクトは……、


「別に・・。 昨日ここへ来たときに、なんか感じが悪かったからちょっとムカついて。」


 こんな惨劇を引き起こしながらも、リクトはどうでも良い理由を口にする。



 コウタは、かつて感じたことのない怒りと憎悪を滾らせる。


「……そんな……、そんな事で……、テメェ……!」


 しかし、その怒りと殺意を向けられても、リクトはなんら気にする様子もない。



「それよりさ、お兄さん。 大陸の東にある“白い山”の麓に、研究施設があるっていう話を知ってる……?」


 リクトは、相変わらずのニンマリ顔で、瀕死のコウタに問いかける。


「この状況で……、何の話を……してやがる? テメェはイカれてんのか……?」


 あまりに飄々としたリクトの態度に、コウタは少し恐怖を感じる。



「知ってるの?知らないの? どっち?」


「………し……知るかよ」


「ふ~ん。あっそ。……じゃぁいいや。」


 そう言うとリクトは立ち上がり、宿舎の方に目をやった。



「あ! タイガ兄ちゃんが宿舎の中に入っていったみたいだ。」


「……なんだと!?」


「あんまり暴れられると、武器や食料が荒らされちゃいそうだなぁ……。」


「おい! そのタイガって奴は・・、あのゾンビの事なのか……?」


「うん。そうだよ。僕の兄ちゃんなんだ!」


「……!!」


 コウタが焦って宿舎の方に目をやると、確かにタイガがその場から姿を消している。


——まずい! マジで宿舎の中に行ったのか……!?


 そして、コウタが焦るその姿を見てなのか……?

リクトは、コウタに追い打ちをかけるような事を口にする。


「ゾンビってさ、人間の脳みそを食べるんだけど、そのための特別な能力があってさ。……何故か生きている人間を探し出すことができるんだよ。」


「なんだと……?」


「不思議だけど、たとえ生きた人間が物陰に隠れていても、不思議と見つけ出すことができるんだ。 それは匂いで探しているのか?、音で探しているのか?、それ以外の特別な感覚で探しているのか?は、わからないけどね。」



——ユキナ……!


 コウタはさらに焦りだすが、やはり思う様に体は動かせない。


 そして、ジタバタと足掻くコウタを尻目に、リクトはその場を立ち去ろうとする。


「じゃ! そういうことで! さようなら、知らないお兄さん!」


 しかし、リクトが一歩踏み出したところで、コウタはそれを呼び止めた。


「ま……待て! 待ってくれ……!」


 リクトは立ち止まる。


「……なに? 僕はタイガ兄ちゃんを、そろそろ止めに行かないといけないんだけど。」


「聞いてくれ! ……あ、あの宿舎の1階にある食堂には今……、お前が昨日話していた女の子が居る……!」


「……ふ~ん。それで?」


「あの女の子は、お前の言う“白い山”の近くにある居住区から、この地へ逃げて来た娘なんだ……。」


「へぇ……」


 リクトはニヤリと笑みを浮かべると、少しだけコウタの方へ振り返った。


「……あ、あのゾンビに、あの娘を殺させないでくれ……!頼む! ……そうすればお前たちに、“白い山”について知っている情報を教えてやるように、オレがあの娘に頼んでやる……!」


「ふ~ん。それはうれしいね。」


「……取引だ! オレはなんとかして食堂に向かう……! だから、早く行ってあの娘が殺される前に、あのゾンビを止めてくれ! 頼む!」


「おっけー! 取引成立だね!」


 そういってリクトはニッコリ笑うと、食堂の方へと走っていく。




 一方そのころ、食堂で息を潜めるユキナと4人の老婆たちの元へ、タイガがゆっくりと迫っていた。


「さっきの悲鳴と大きな物音は……?何……?」


 ユキナは毛布を身にまとい、シゲに寄り添いながらガタガタと震えていた。


 シゲの隣では、他に3人の老婆も身を寄せ合っている。



「悲鳴と音が止まった……。 何が起きたんじゃ……? 皆の者は、どうしたんじゃ……?」


 3人の老婆達も、悲鳴と大きな物音が止んだ不気味な静けさに震えている。



「……血の匂いじゃ! 血の匂いがする……!」


 シゲは冷や汗をかきながら、その恐怖に表情を強張らせた。


「おばあちゃん! 一体、何が起きてるの……!?」


 ユキナはシゲの胸元に顔を埋める。


「シ……! 何かが近づいてくるよ……!」


 シゲが老婆たちとユキナの言葉を制すると、不気味な静けさの中から床が軋む音が聞こえ始める。


ギシ……! ギシ……!


 そして、床が軋む音と共に、何者かの荒々しい息遣いが微かに聞こえるのだった。



「……! 血の匂いが近づいてきおる……! まさか!?」


 シゲはカッと目を見開き、ユキナを抱き寄せる腕に力をこめる。


「ゾンビじゃ! ゾンビがやってくる……!」


「……え?」


 シゲのその言葉に、ユキナと老婆たちは食堂の入り口を凝視する。


 すると……、ギイィィィィ……と音を立てて、ゆっくりと食堂のドアが開かれた。



「……!!」


 皆が言葉を失う。



 そこには、全身に返り血を浴びた、大柄の男が立っている。 ……タイガだ。



「おお。神様……! どうかお助けを……!」


 老婆たちは祈りを捧げる。



 しかし、タイガにとって老婆達は、ただの捕食対象に過ぎない。


 タイガは震える老婆たちを見つけると、息を荒げながらジリジリとにじり寄る。



 その時、「ここはもう、終わりじゃ……」と、シゲは小声でつぶやいた。



 そして、毛布にくるまるユキナをやさしく撫でると、


「ユキナや……。 今、ババがあのバケモノを、ここからおびき出してやるからね……。決して動くんじゃないよ!」


 そう言って立ち上がり、手をたたきながら食堂の入り口の方へと歩いていく。


「ホレホレ!ゾンビや! ババアはこっちへ行くぞ! 追いかけて来んか!」



 シゲは、きっと腰が抜けてしまいそうなほど恐ろしいに違いない。


 しかし、そんな素振りは微塵も見せず、精一杯にお道化て見せて、タイガの注意を引こうとする。



 だが、そんなシゲの努力は空しく、タイガは依然としてユキナと3人の老婆へにじり寄る。


 それを見て次に動いたのは、3人の老婆だった。


「ワシらもシゲさんと一緒じゃ……!」


 そう言って3人の老婆は立ち上がり、シゲと一緒におどけて見せる。



「ホレホレ!こっち来い!こっち来い!」


 シゲと3人の老婆たちは、手をたたきながらタイガをおびき寄せようとする。


 そして、さすがに4人の老婆に注意を惹かれたのか、タイガは老婆たちの方へ向き直った。



「ホレホレ!そうじゃ!こっちじゃこっちじゃ!」


 老婆たちは、タイガの注意を惹いた事を確認すると、一目散に食堂の入り口の外へと走り去る。



「う……うごるぁああああああ!!」


 それを見たタイガは、雄叫びを上げて老婆たちを追いかけていく。


 ユキナは、毛布にくるまったままで、震えながらそれを見ていることしかできなかった。



「やめて!嫌よ……! おばあちゃん……おばあちゃん! 行かないで!!」


 ユキナは、恐怖で声にならない声を張り上げた。



 しかし、ドタドタと暴れる物音がしたかと思うと、老婆たちのお道化る声がピタリと止まってしまう。



「おばあちゃん……? おばあちゃん……!!」


 ユキナは、たまらず毛布を飛び出し、食堂の入り口から外へ出た。



 そこには、微かに月夜で照らされた暗い廊下が広がり……、その床には、さっきまで老婆だったであろう肉塊が、原形を留めず散らばっている。



 そして、帰り血だらけの大柄のゾンビは、ゆっくりとユキナの方へ振り向くのだった。

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