第5話 夜空
地面を軽々と抉り取るタイガの攻撃を躱しつつ、攻撃するタイミングを計るコウタ。
そして、タイガの攻撃を躱すと同時に軽トラックに身を隠すことで、タイガがコウタを見失うため、一瞬ではあるがタイガの攻撃に隙が生じる。
それは良いのだが……、
——問題はオレの攻撃だ……。ゾンビはほぼ不死身だと聞く。ボウガンで撃ったところで、大したダメージになる気がしねぇ。
しかし、コウタにはゆっくり思考する暇などなく、すぐにタイガの次の攻撃がくる。
「うごるぁあああ!」
コウタはひらりと身を躱し、軽トラの周囲を回るようにしながら、身を隠す位置をとっていく。
しかし、これを繰り返していけば、それだけ軽トラの周囲は穴だらけになっていくだろう。
——あんまり考える余裕はねぇな……。とりあえず、一発撃ってみるか。
コウタは、タイガが次の攻撃に移る直前に立ち上がり、素早くボウガンを撃ち込んだ。
バシュ!
しかし、ボウガンの矢がタイガの胸に突き刺さるも、タイガは突き刺さったボウガンの矢を気にする様子さえない。
——全然効かねぇじゃねぇか!ちきしょう!
しかも、コウタが立ち上がってボウガンを放つことで、タイガがすぐにコウタの位置を把握してしまい、より素早く次の攻撃へと転じてくる。
コウタはその攻撃をかわすのだが、やはりこのままでは長く持ちそうにない。
——確か、ゾンビは脳の中に寄生虫がいて、ソイツが死なない限りはほぼ不死身だったはず。
コウタは、過去に誰かから聞いた話を思い出した。
人類の秩序と文明を崩壊させた人間のゾンビ化。
その原因となっているのは、異星から持ち帰られたといわれる昆虫型の寄生生物「フレンジーバグ」だ。
その知識は、情報網や通信手段が絶たれてしまったこの時代でも、代々引き継がれてきたものだった。
——ボウガンでは、あのゾンビ野郎の頭を射抜いたところで、その寄生虫を殺せるかは分からねぇ。……頭をカチ割るしかねぇか……。
コウタはその場にボウガンを置くと、腰に差していた鉈を引き抜いた。
——こんなもんで大丈夫か……? けど、今はこれしかねぇよな。
コウタは、タイガのいる位置とその様子を確認し、タイガの頭部に鉈を叩き込む算段を模索する。
——ゾンビ野郎は今、助手席のドアよりやや後ろにいる……。ゾンビ野郎の次の攻撃が来たと同時に、反対側から軽トラの荷台を駆け上がり、ゾンビ野郎の背後から飛び掛かって頭に向かって鉈を叩き込む……
それは、タイガが次の攻撃に転じるまでのわずかな時間……
コウタは思考をフル回転させ、タイガの頭部への一撃をシミュレーションする。
そして……、
「うがぁあああ!」
タイガが不気味な雄叫びを上げる。
次の攻撃が来るのだ。
——今だ! いけ!!
コウタは素早く身をかわし、そのまま軽トラックの荷台へと飛び乗る。
……一息つく暇などない。
コウタはそのまま荷台から跳躍し、タイガの頭部に向かって、ありったけの力をこめて鉈を振り下ろす。
「くたばれや!ゾンビ野郎ぉおお!!」
しかし……、
——え……?
その瞬間、タイガの上半身はありえない方向にひねり、その剛腕で空中に飛び上がったコウタの体を薙ぎ払った。
ドパ!
まるで、水風船を地面に叩きつけるような音とともに、コウタの腹部は引き裂かれる。
コウタは何が起こったのかもわからないまま、激しく地面に叩きつけられた。
そして地面には、コウタのはらわたと、夥しい血液が広がる。
「……どう……なってんだ……? ち……ちくしょう……」
コウタが恐る恐るタイガの方へと視線を向けると、タイガの上半身が180度ねじれている。
「……バケモンが……」
そしてタイガは、ゴキゴキゴキ!という骨が軋む音を立てながら、ねじれた体を元に戻し、ゆっくりとコウタの方へ近づいてきた。
——ダメだ……喰われる……!
しかしその時だった。
ストン!という音とともに、タイガの肩にボウガンの矢が突き刺さったのだ。
「……!?」
そして、コウタの脳髄を喰らおうとしていたタイガは、矢が飛んできた方向へと向き直る。
コウタも、こと切れそうな意識の中で、矢が放たれたであろう方向へと視線を向けた。
すると……、
——神父様……! みんな!!
そこには、神父・クロウが引き連れた、聖幸楽園の住人である男たちが立っていた。
ボウガンや斧、鉈を構え、タイガと戦う体制だ。
「誰だね君は? コウタくんから離れなさい!」
神父・クロウが声を張り上げ、タイガに向かって呼びかける。
しかし、タイガはフゥフゥと息を荒げながら、その呼びかけに反応しない。
——そうか! まずい! この大男がゾンビだという事に、みんな気付いていないのか……!
コウタは、みんなに「逃げろ!」と叫ぼうとするが、腹部が引き裂かれているため、大声を上げようにも力が入らない。
そしてまずい事に、聖幸楽園の住人たちはタイガに次の攻撃を仕掛ける体制に入ってしまう。
神父は再び声を張り上げる。
「動かないのであれば攻撃する!」
その声と同時に数本のボウガンが放たれた。
そして、その動きに反応したタイガは、体に突き刺さるボウガンの矢を気にする様子もなく、雄叫びを上げながら住人たちの方へと猛突進する。
「うごるぁあああああ!」
——みんなやめろ! 散り散りになって逃げるんだ!
コウタは声を張り上げようとするが、やはり裂けてしまった腹では大きな声が出せない。
「うおおおおおおお!」
斧や鉈をもった住人たちは、突進するタイガに果敢にも突撃する。
しかし、脆弱な人間の力ではゾンビであるタイガに適うはずもない。
10人ほどいたはずの住人達は、一瞬にして肉塊へと変わっていく。
コウタの目には、その光景がまるでスローモーションのように映り、とても現実に起きていることとは、理解することができない。
——嘘だろ……? なんだよこれ……?
次々と引き裂かれる住人たちは悲鳴を上げるが、コウタの耳にはその声も聞こえない。
いや、聞こえているはずだが、あまりにも理解しがたい光景を、コウタの脳が遮断している様な状態だった。
「……」
それは一瞬。
あっという間に住人たちは、血と肉塊の溜め池に姿を変えたのだ。
「ハ……ハハ……。 嘘だろ……? バカじゃねぇの? 夢だろこれ……?」
コウタは思考が支離滅裂となり、訳が分からないまま空を見た。
——月や星が美しい。 こんなに綺麗な夜空があるのに、いつもオレが見ていたのは鉄柵の外の闇だったな。
コウタは、あまりの現実を受け止められず、これまでに浮かびもしなかった思考を巡らせる。
しかし、
——こんな綺麗な夜空を、オレは君と見てみたかった……。
そう思った瞬間、錯乱したコウタの思考が、一瞬にして冷静さを取り戻す。
「ユキナ……!!」
そう。
タイガが突進したその先には宿舎がある。
そして、その1階の食堂には、4人の老婆とユキナがいるのだ。
「あ……あのゾンビを……、行かせるわけには……いかねぇ……!」
コウタは力を振り絞り、上半身を起こそうとする。
「立たなくては! 行かなくては! ユ、ユキナを……!」
しかし、思う様に力が入らず、顔を起こす事さえ困難だ。
「ちくしょう! ちくしょう! 動けよ! オレの体……!」
コウタは必死に足掻くが、その前に意識さえ飛んでしまいそうだ。
しかしその時、コウタの元に招かれざる2人目の来訪者が姿を表した。
「こんばんは。」
やって来たその来訪者は、天を仰いだままでジタバタと足掻くコウタを、のぞき込むように見下ろした。
「……やっぱりテメェかよ。 何者だ……? クソガキが!」
殺意をむき出して睨みつけるコウタ。
その眼には、少年の不気味な笑顔が照らし出されるのだった。
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