ピアスホール
星冠軍事警察、能力専門部隊、本部室にて。
一人の男が仁王立ちしていた。
表情は、にっこりとは微笑んでいるが、若干暗い影がある。人間とは、自分の感情とは正反対の行為をしたくなるものらしい。例えば恐怖を感じた時、吃驚した時、思わず笑ってしまうように…、
まあ誰が言わずともわかることだろうが、この場合の真逆の感情は、憤怒。だろう。
「いっぺん地獄見とこうか、イービルくんよ」
男は怒気を含んだ声で、そう言い放った。
彼の目の前には、いつものように赤い髪の毛を揺らしたイービルがちょこんと正座している。
「あははは」
棒読みで笑いながら。
「よし、お前死んどこう」
「仮にも軍警が言う台詞じゃないと思います」
「だまらっしゃい」
イービルの頭にズビシッと手刀を落とし、男は大きな溜め息を吐く。
「だぁっ!いてぇよ副部長ぉっ!」
イービルは涙目で目の前の男に訴えた。
この男の名を、ナオトという。
星冠軍事警察、能力専門部隊、副部長。
つまり、この部隊のNo.2になる。服装はイービルと同じく部隊の制服である。背はそれなりに高く、ガタイも良い。腰に下げた日本刀が、物騒な雰囲気を醸し出すものの、それを実際振るうのは余程の時だけだろう。
「副部長ただでさぇ馬鹿力なんだからっ!」
「いちいち任務の度に問題ごと起こすお前よりマシだろがっ」
そう言ってナオトは持った紙をペチペチと叩く。その紙の正体は請求書だ。イービルが今回の任務で破壊した、街の所有物もろもろの修理費の、だ。
「……てへ?」
「可愛くねぇんだよくそがきぃぃいい!!」
反省の色を見せず、ぺろっと赤い舌を出すイービルに思わずナオトは声を荒げた。今でもイービルはナオトに視線を合わさず、部屋をキョロキョロと見渡している。
……恐らく、周りの本棚のタイトルを見てあれどんな本かなぁー、とか、客人用に用意された黒革のソファーに座りたいなぁー、とか、考えているのだろう。……説教を聞き流す為に。
本部室に自分が呼び出された理由さえ、忘れる気満々なのだ。
イービルはこの部隊でも抱える『問題児』だ。もうやだ先生やってく自信なくなっちゃう(ナオト心の声)。『部下の指導不足』だと周りからは言われるかもしれないが、大人の言うことを聞くようなガキンチョではないのだ。イービルという少年は。
「なんだ?体罰か?体罰しねぇとわかんねぇのか?ん?」
「やだなんだか卑猥っ」
「俺ドMなんだけどね。お前がそうしねぇとわかんねってなると俺はドSにもなるよ」
「俺実はちょいS」
「餓鬼のくせにっ」
「うっせードM」
「あぁぁあぁぁああっ。自分の部下にっ、しかも餓鬼に言われてちょっとドキドキしてる…だと?ナオト困っちゃうっ!」
「俺こんな大人にはなりたくない」
子供にドン引きされる大人、ナオト二十四歳。タイプ、M。またの名を変態ハイテンション野郎とも言う。こんなノリの良い会話が出来るのも彼の利点ではあるが、このような真面目な場には当然向かない。
「……はぁ」
そんな子供と大人のやり取りを見て、デスクで頬杖をつき溜め息を吐く一人の若い男。
「その辺にしておけ……ナオト」
ぎしり、と黒い革製の椅子を鳴らし、ナオトに声を掛ける。机に積まれた書類の山の隙間から覗く、金色の髪。
デスクの上に乗る名札には『星冠軍事警察能力専門部隊――本部長』と、書かれている。
「スピリア~…だってよぅっ」
ナオトは情けない声を出してその人物を見た。
星冠軍事警察、能力専門部隊のNo.1の立場にいる人物、スピリアを。
金髪碧眼に白い肌――見た目は軟弱そうにも見える。肩にまで伸びた髪が、若干の女々しささえも感じられる。が、本部長という立場は飾りではない。実力故だ。
スピリアはふぅ、ともう一度溜め息を吐いた。子供に泣かされるという、親友の情けない姿は見たくない。
ナオトとスピリアの二人は、No.1、2という立場であり、更に親友同士の関係だ。それも士官学校時代からの仲。誰よりも性格も実力も熟知している。…だからこそ、呆れつつもフォローしたくなる。
「イービル、…今回も始末書はきちんと提出するように。…誰の助けも借りずにな」
「うぇっ?! ちょ、スピリアのおっさぁん! 一人じゃあの量は無理だって!」
「……始末書十枚追加だ」
「ふぇぇえんっ」
子供の泣き声が部屋に響いた。
スピリアも、「おっさん」とは呼ばれたが、若い。未だ二十代前半だ。ナオトも同様である。
と、いうのも能力者が爆発的増えたのはほんの十年程前からで、能力者は若い者達が多い。少し前までは『魔法』というのは空想だ、ただの昔話だ、と言われていた程だ。本当に星の民など居たのか? と。それほど数が減っていたのだ。
故にこの組織は若者が多い。イービルのような十代前後の者も少なくない。しかし、スピリアも子供を甘やかす程、優しくはない。そうでなければならない立場の人間だった。
グスグスと泣きながら部屋を出ていくイービルの背を見送りつつ、スピリアは再度溜め息を吐く。
「ナオト…」
「う…」
スピリアが何を言いたいのか察したナオトは、思わず身構える。
「情けない」
グサッ、
と、ナオトの心にスピリアの冷たい言葉が刺さった。「言われなくてもわかってます選手権」第一位の言葉だった。
「さーせん…」
しょぼーん、と効果音が聞こえるぐらい落ち込んで、ナオトは素直に謝った。いや、半ばふざけてはいるが。これがナオトの通常なのだから、仕方がない。
クス、と。表情を一切変えなかったスピリアが小さく笑う。ナオトは思わず俯いた顔を上げてスピリアを見た。その笑みは、「仕方のない奴だな」と言って、優しく許してくれる笑みだった。
「…スピリアぁああっ」
「! やめろっ、馬鹿っ!」
大の大人が両腕を広げて飛び付くように抱きつく。最早殺人タックルに近い。しかし、ナオトはそんなことはお構い無しの性格だった。そして、それに振り回されるのはいつもスピリアだ。
スピリアは大型犬のように飛び付いてきたナオトに「止めろ」と抵抗しつつも、心地好い体温に、思わず抵抗の手が止まる。
ナオトだけだ。こんな事を許すのは。
…何故か?
唯一の、友人だから。
そう、唯一の。
「……邪魔したか?」
その時、部屋の扉が再度開かれた。先程の子供とは違い、低い大人の声が響く。
「あ……ユース、さん」
ナオトはその声に振り向き、扉の前に立っていた人物を見て言う。そこにいたのは、厳しい目をした男。髪型をオールバックで固め、黒のスーツに身を包んだその立ち姿からも緩さや甘さが見られない。
ユース、と呼ばれた男は一枚の書類を手に二人に近付くと、デスクにそれを静かに置いた。
「問題は、警察本部にも響いている。……特殊な力故に多少の犠牲は仕方無いが、限度がある事は…わかっているだろうな?」
ユースは低い声でそう言い放った。置かれた書類の内容は、先程のイービルに関するものだ。
能力専門部隊、という組織は、この軍事警察の一部に過ぎない。本体は警察なのだ。
確かに、マインド、という特殊な力を専門とするこの部隊は、多少の犯人の怪我や街の破壊は許されている……許されてはいるが、当然、警察本部自体の威厳や、民の信頼といった社会的な問題があるのだ。
「全ての責任は私が取ります。それが私の仕事ですから」
スピリアは静かに答える。
「スピリアッ」
ナオトが素早く反応する。先程までのふざけた態度は何処へやら、その目は真剣そのものだ。デスクを両手で叩きつけ、前のめりになりながらスピリアを一度見た後、ユースへと視線を向ける。
「ユースさん…っ! イービルは俺の部下ですっ! 俺が責任取りますっ」
「………」
一瞬の沈黙がその場を支配する。
確かに、イービルの部隊である強行班はナオトが指揮している部隊で、責任を取るのであればナオトが適しているのだが。
判断をくだすのはユースだ。
「いや、ここの責任者はスピリアだ。お前が出る幕じゃない」
ユースは今にも泣きそうなナオトの目を鋭く見つめ返し、厳しい口調で言った。ユースは軍事警察本部の幹部だ。その警察本部と能力専門部隊を繋ぐパイプ役を果たしている。
スピリアとナオトも見た目こそ普通の人間だが、特殊な能力、マインドに選ばれた人間だ。スピリアはその体から雷を発する事が出来、ナオトは大岩を軽々と持ち上げる事が出来る程の怪力の能力を持っている。そして、その能力を扱えるのは部隊の人間だけじゃない。犯罪を起こす人間の中にも、力を悪用するものがいるのだ。その犯罪の為に作られたのがこの組織なのだから。
そう、その力は、使い方次第で善にも悪にもなる。
「ありがとうございます、ユースさん。後処理は私が引き受けますが…、イービルに関する教育は引き続きナオトに任せます。彼はまだ幼い、成長してくれさえすれば、このような失態も少なくなると私は信じています」
そんなスピリアの言葉に、「そうだと良いが」とユースがぼやくのも無理はない。
マインドという未知の力は、畏怖の目で見られることも少なくないのだ。事実、イービルは長年自身の力に苦しめられてきた。彼が幸運だったのは、理解者に囲まれて育ってきた。だからこそひねくれることもなく、とも言いきれないが、まあそこまで落ちこぼれることもなく、彼は能力と向き合う事が出来ている。赤色という不気味な色の翼の能力の持ち主でありながら。
だが、そうして明るく振る舞ってくれるのはいいが、能力専門部隊所属という特権を利用して街で暴れ回っているのも事実なのである。飛行能力自体に街を破壊するような力はないが、彼はその能力を活かして素早く逃げ惑い、犯人を煽り攻撃を誘い…といった危険行為をする事も多いのだ。その為実際に街を傷付けているのはイービルではなく犯人側ではあるが、煽った責任というものもある訳で。これは能力云々の問題ではなく、イービルの精神的な問題と言える。
「少しでも、彼の生活が平穏であるように……勿論彼だけではありません。私がこの席にいる限りは、マインドを持つ全ての者達に。手を差し伸べ続けたいと思っています」
その言葉は重く、堅苦しく、息が詰まるような気がした。言葉を聞いてるだけだったナオトの喉がきゅうと絞まる。スピリアはナオトにイービルの教育を任せると言った。現場での指導は勿論だが、心のケアもしてやってくれと、そういう意味であると捉えることは容易い。しかし、その言葉は。
本当にスピリアの本心だろうか。
「ならば、やってみるがいい。お前が潰れるのが先だろうがな」
ぐるぐるとナオトが思考を巡らせていると、冷たい言葉が鼓膜を刺激し、ビクリと肩が震えた。自分でも知らない間に伏せていた顔を上げると、ユースが僅かに怒りの篭った眼差しをスピリアに向けている。
「私達は、国の道具ではありませんから」
臆することなく、スピリアはそう言葉を返す。使い捨てになどなるつもりはないと、そういう意味を含ませながらも彼の手はデスクに放置された書類を捲り、これから始まるだろう地獄の
その言葉を放った張本人は、「勝手にしろ」とでも言いたげに踵を返し、部屋を出て行く、のを、見ていられずにナオトの足が反射的に動いた。
「ゆ、ユースさんっ!」
上擦った声になりながらも、ナオトは必死にその背を追い掛ける。ユースの背はそう高くはない、だが近寄るなと言わんばかりの威圧感がある。それでも臆せずに向かっていけるのは、どうしても胸に渦巻く感情をぶつけたかったから、というのもあるのだろう。
「待って下さいよ!」
「……相変わらずしつこいな、ナオト」
振り向く事もせず、ユースは歩きながら答えた。表情は相変わらず厳しいままだ。だが、あの重苦しい部屋から抜け出し、静かな廊下へと移動したからか若干の気の緩みが伺える。声色も先程までの冷たい印象とは違い、親しげな相手に対するようなものに変わっていた。
「だって…」
そんなユースの変化に安堵したのか、ナオトの反応も幼いものへと変わる。まるで子どもの駄々のようだとわかっていても、既に口に出してしまったのだから仕方無い。視線が下がりそうになるが、期待を込めてユースの背中を見続けていると、重々しい溜め息が吐かれたと同時に、漸くその歩みが止まった。そして振り向きざま、此方を射抜く目と鋭い言葉で体を突き刺される。
「言った筈だが? もう甘える事は許さないと」
「う…」
ぐさぐさと突き刺さる痛みに耐えきれず、ナオトは思わず唸り声を上げ、身を縮こませた。まるで、親に叱られ、何も言えなくなっている子供のように。
事実、この二人の関係は親子のようなものだ。
ナオトが十二歳の頃から十六歳になり自立するまでの四年間、育てたのは他の誰でもない、ユースである。ユースにして見ればナオトは知人からの『預かり物』で、育てたつもりはない、とは言うが。それでもナオトにしてみればユースは父親のような存在であるし、尊敬もしているし感謝もしている。
そして、ユースの自分にも他人にも厳しい性格をナオトは誰よりも知っていたし、ユースは本当は誰よりも優しい性格だということを――ナオトは知っていた。
だからこそ、自分の気持ちもわかって貰えると思っていた。だが、それは『甘え』だと指摘され、ナオトは何も言えなくなる。
「ユースさん、それでも、おれ……」
「ナオト。教えた筈だが? 言葉ははっきり口に出せと」
にこりとも笑わず、眉間に皺を寄せたままユースはナオトを睨むように見続ける。ナオトにはわかっていた。これがユースの優しさだと。甘えるな、と言いながら、ちゃんと自分の言葉を聞いてくれる。待っていてくれる。ナオトは心の中で感謝しながら、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「スピリアが……今、大量の仕事抱え込んじまってるんです。顔には出さないけど、めちゃくちゃ疲れてる。これ以上あいつに負担、かけたくなくて」
それは、ユースも気付いていた。
能力専門部隊トップの仕事はそれこそ寝る暇もない程、量が多い。フォローする役目であるナオトの副部長という立場じゃなくとも、余計な負担をかけたくないものだろう。
そもそもスピリアは無茶をする男なのだ。誰にも文句を言わず、弱音を吐かず、一人で全て抱え込もうとする。例え、自分の体を壊そうとも。そんなスピリアの性格を熟知しているナオトは、ひたすらにスピリアの体を心配していた。
「それは、わかっている」
「なら、どうしてっ。さっきの仕事も! 俺が引き受ければ良かったんすよ!」
ユースにつかみかかる勢いで、ナオトは声をあげた。理解しているなら、何故、と。
「……片耳になったピアスを、まだ捨てられていないようだからな」
ユースは静かに答えた。
これが、相手がナオト以外の人間だったならば、意味が通じずに首を傾げただろう。
だが、ナオトは理解出来た。それ故に、その目を見開いた。そして、顔を歪め、ゆっくりと俯く。
「俺は馬鹿が嫌いだ。未練がましく縋り続けるのなら、そのまま後追いでもなんでもすればいい。」
ユースはそう言葉を続ける。厳しいし、冷酷だ。そういう人だ、ナオトもそれは理解している。
「仕事をしていれば、気が紛れるという考えなのであれば、それは俺も同意はするが」
だが付け足された言葉には、『過労死で死ぬなら勝手にしろ』という意味と、『辛い出来事を思い出さずに済むのならそうしろ』という意味もある。
「なら、俺が、スピリアが死なないように、見張りますから………」
ナオトはそう言葉を返した。それが正解だと思った。ある程度の期間だけとはいえ、親代わりとして接してきたユースの意図を完璧に読み解くのは、まだ、難しいが。
「わざわざ俺と話さなければ、決められない事か? それは」
「〜っ、ですよね! やっぱり俺甘えてました…! ユースさんも仕事中なのにすみません!」
ペコペコと平謝りするサラリーマンのように頭を下げつつ、胸のざわつきが治まってきたのを感じる。少し叱られもしたが、やっぱり追いかけて来て良かったと思う。ナオトは深くお辞儀をした状態で、密かに笑みを浮かべた。ゆっくりと頭を上げて、なるべくその笑顔が歪にならないように、気を付ける。
「……レイの墓参りにも……ちゃんと行きますから」
その言葉に、ユースは表情一つ、変えなかった。無言のまま、その場を立ち去る。ナオトもまた、それ以上の言葉は発さず、もう一度だけユースの方へとお辞儀をしてから自らの仕事場へと戻って行った。
―――
スピリアは本部長という立場である為か、きっちりとスーツを着込み、真面目な身なりを崩さない男だ。だが、ただ一つ、唯一スピリアが身に付けているアクセサリーがある。
スピリアの金の髪から覗く、人工的な輝きを放つ、小さな十字架のピアス。それが、彼の唯一の『不真面目』。
しかし、対である筈のそのピアスは――何故か、左耳だけだ。
「……レイ…」
スピリアは、一人残された部屋で静かに呟いた。その声が、部屋の扉の前で、ドアノブに手を掛けたままのナオトの耳に届いてしまった。静かになってくれた胸が、また五月蝿くざわつき始める。
今日は、彼の命日だ。思い出さずにはいられないのだろう、嗚呼。
ナオトはそのままドアノブから手を離し、ズルズルと這うように後退る。壁に後頭部を押し付け、顔を歪めて目を閉じた。
彼が、望んでいるのは――自分じゃ、ない。
それを思い知らされたような気がした。それでも、自分は彼の傍にいたかった。
例え、代わりだとしても。
かつて、スピリアのピアスの持ち主だった男――レイ。
親友だった。
いつでも、三人一緒だった。
そして、ナオトにとっては、兄弟のように共に育った相手でもある。ナオトがユースの元で育った4年間、両親を亡くしたレイも同じく、叔父のユースの元で暮らしていたのだ。
年齢も近かったから、ナオトとレイは直ぐに打ち解けた。本当の兄弟のように、仲が良かった。
レイは、あの無愛想なユースの甥でありながら、よく笑う男だった。顔は、良く似ていたが。性格はまるで真逆だった。真面目な叔父をからかうように派手な悪戯をして、ナオトと二人揃ってよく怒られていた。
その明るい性格故に、士官学校で先にスピリアに声を掛けたのは、レイだ。
ナオトと二人で大人しいスピリアを連れ回し、良く馬鹿をした。最初こそ、スピリアは戸惑っていたが。
「……お前らといると、楽しい」
と、初めて微笑んで言ってくれた日を、ナオトはよく覚えている。
スピリアの雷のマインドは、彼の感情と直結する。怒りや悲しみといった激情に呑まれると、暴走し、コントロールが効かなくなる。その為、スピリアは自身の能力が暴走し他人を傷付けるのを恐れ、独りで過ごす事が多かったし、なるべく感情を表に出さないようにしていた。そんな彼が自分達に笑ってくれたのだ、嬉しくない筈がない。
「決めた」
「何を?」
「俺、
とある日、レイがそんな事を言い出した。二人を一番近くで見ていたナオトからすれば、能力に苦しんでいたスピリアを救ったのはレイだ、あの笑顔を見た後ということもあるし、そんな思考に辿り着くのも、当然かもしれない。勿論、無茶苦茶だとも思った。だが、彼らしくもあると思った。
「その為には、スピリアを支えなきゃな」
この頃には、スピリアが一番の実力者である事は決まっていた。能力専門部隊とは、能力を持つ者達の犯罪を取り締まるのが本業ではあるが、能力者達への支援や補助、教育も目的である。だとすれば、それら全てを統括する立場になるだろうスピリアを助けて行こうと考えるのも自然の流れだ。
「そうだな。俺スピリアの事好きだもん」
「うん。……うん?」
うっかり流すところだった。ナオトは隣に並ぶ兄弟兼親友の表情をしっかりと確認する。さらっと言いやがったので、これで涼し気な顔をしているのなら、からかいがてら小突く所なのだが。レイはほんのりと頬を赤らめ、目を蕩けさせている。
おや? これは? どう考えても? 友愛からくる“好き”では無いのでは??
ナオトが張り付かせた笑顔に限界を感じる頃には、レイは既に数歩前に歩いていってしまい、完全に置いて行かれた状態になった。
すき?
その二文字に戸惑いこそすれ、ナオトは自分の体が芯からぶわわと熱くなるのを感じていた。そして相反するかのように、心の臓がさーっと冷えてずきずきっと痛みだす。待ってくれ。これは。
恋心の自覚と失恋のタイミングが同時期に来たのでは?
「まじか……」
脳裏に浮かぶのは、スピリアのはにかんだ笑みだ。
そうかぁ、俺はそっちに惚れてたかぁ。長年付き合ってきたからもしかしてレイの方かしらなんて思ったんだけどな〜そっか〜、泣きてぇ〜!
ナオトがそんな風にひっそりと落ち込んだその夜には、レイとスピリアはそういう関係になっていたらしい。スピリアがレイにベタ惚れなのは一番近くで見てたナオトでもわかっていた。故に、恋心の自覚と同時に失恋も察した訳で。
しかし俺も男だ、何よりもあの二人は唯一無二の親友だ。祝福しようではないか。ナオトがそう心に決めて、苦い感情を抱えたまま幾日も過ぎない頃――
何故、
どうして、
一体何がいけなかったんだろう。
嗚呼、同性の恋愛は神様も赦さない事なんだったっけ。
じゃあ――これは罰だろうか。
「レ…イ」
レイのお気に入りの十字架のピアス。かつて、神が磔にされたソレ。それが、スピリアにプレゼントされた、日。
『お前は真面目過ぎるから』と言って、渡して。今度穴を開けてあげる、と約束して――その日が二度と、来なくなってしまった。
スピリアの綺麗な金髪が紅に染まり、見開いた碧眼は硝子のように曇り、脱力した躰は呆然と地に座り込んでいた。
屍を抱いて。
「レイ…レイ……レイぃぃいいっ!!あぁぁああああぁぁあああああああああっっ!!」
普段大人しいスピリアからは想像もつかないほど大きな甲高い悲鳴が響いた。
ナオトも、その場にいた。
発狂にも似た叫びをあげるスピリアと、もうピクリとも動かないレイの躰をその眼に映して。二人の元に駆け寄りたい脚を叱咤して、レイの命を奪った者を追う。
「なんで、どうして…わかんねぇっ!!」
己が薄情な奴だと、ナオトは初めて知った。だが、ナオトの判断は正しいのだ。仲間が撃たれた事に動揺して犯人を逃してはならない。体に染み付いた教えのみがナオトの脚を動かしていた。
「くそがぁああああっ!!!」
細い路地で、遠くなる背中に追い付かないと判断したナオトは、雄叫びを上げながら近くの壁を殴り付けた。力の入ったナオトの手の甲に血管が浮き上がる。ボコり、と嫌な音を立てコンクリートが剥がれ、その巨大な岩と化した壁をナオトは片手で軽々と抱え、逃げる犯人へ投げつけた。
それは、ドカァ!! と派手な音を立てて崩れて砂煙を上げる。同時に、犯人が倒れ込む。
素早く駆け寄り、ナオトはその犯人の顔を殴り付けた。
他の追い付いた仲間が止めるまで――ナオトは、犯人の顔の判断が出来なくなる程、殴り続けた。
嗚呼、馬鹿な事をしたかもしれない。親友の仇をあっさりと捕まえてしまった。殺した方が、良かったかもしれない。
虚無が、襲う。
「大丈夫。俺達はお前の能力を恐れたりしない。一緒に行こう、罪を償えば、お前も俺達の仲間に――」
レイは、犯人にそう言葉を投げ掛けていた。能力に苦しむ人全員を助けたいと、スピリアを支えると誓ったあの時の言葉は偽りじゃないと、証明するかのように。
レイは本気で彼を救おうとしていた。
だというのに。彼は救いたいと願ったその人に殺された。それでも死に顔が満足そうに見えたのは、一番護りたいと思っていただろう、スピリアの事を庇えたからか。だとしても。だとしても!!
「殺されちまったら……! 死んだら…、! 元も子もねぇだろうが!!」
能力で、苦しむ人全てを助けたいっていう、お前の願いは、どうすりゃいいんだよ。
――カシャァアン!―
「!」
部屋の中から聞こえた鋭い音に、ナオトは閉じていた瞼を見開いた。そして扉を破る勢いで開け部屋に入る。
「スピリアッ?!」
「あ……ああ…。ナオト、大丈夫だ」
部屋に入ると、呆けた顔をしたスピリアがいた。手には、割れたティーカップを持っている。カーペットの染みを見る限り、珈琲の入ったそれをうっかり床に落としたのだろう。
それほど、疲れているのだろうか。
そう感じたナオトはスピリアに近寄ると、割れた破片を手際良く拾い始める。
「あ、ナオト、構わない。私のミスだ」
そう言ってスピリアはナオトに制止を促すが、ナオトは聞く耳をもたずにヒョイヒョイと全ての破片を拾い上げゴミ箱へ捨てた。幸い大きい破片ばかりだったので全て拾う事が出来た。後はカーペットに作ってしまった染みだが、こればかりは仕方ない。後で清掃員にでも頼もう。
「スピリア…少し休めよ」
疲れが目に見えてる。スピリアは自分が倒れるギリギリまで溜め込んでしまう男だ。それを熟知してるナオトは、小さな声で呟くように言った。しかし、スピリアは首を横に振る。
「ハァ…」
ナオトは大袈裟な溜め息を吐いてから、素早くスピリアの体を肩に担ぎ上げた。それはもう、抵抗する隙すらも与えない程スムーズな動きで。
「なっ…!?」
「うわ、軽」
スピリアは驚愕して目を見開いたが、ナオトは怪力の能力の持ち主。成人男性を片手で持ち上げる事など容易いのだ。スピリアは少々軽すぎるようだが。
「なっ…ナオト…下ろせ…!」
とは言うものの、スピリアの疲れきった体はぐったりとしており、手足をばたつかせる元気も無い。ナオトのように能力を使い抵抗する事も可能だが、スピリアの雷の能力は精神力とも関係する為かそれも難しい。体が疲れていれば精神も疲労する。元よりコントロールが難しい力だ、加減出来ずにここで二人丸焦げ――だなんて笑えないし、流石にそこまでして逃げ出したいとも思えない。
「うわっ…」
どさ、と落とされた先は客用のソファー。座り心地の良いソレは、寝心地もまた良かった。スピリアがこんな所で昼寝などした事がないが、『不真面目』なナオトは寝心地が良いことを良く知っていた。故にそこにスピリアの体を下ろした。
「はい上着脱いでー、皺になるから」
「なっ…ナオトッ!! 私は…っ」
テキパキとスピリアの上着を脱がせてから、ナオトはその煩い口に人差し指を押し付けた。
「休め!!」
そしてそう叫ぶ。
その真剣な表情に、スピリアはぐっと言葉を呑んだ。彼もわかってはいるのだ。大事な人に心配を掛けていると。
「すまない…」
俯き、小さな声でスピリアは呟いた。その言葉を聞いたナオトは表情を和らげ、にっこりと笑顔を見せる。漸く大人しく横になったスピリアの頭を優しく撫でて、ナオトは毛布の代わりに脱がせた上着をその体に掛けた。
暫くの間、子供をあやすように撫でてやれば、やがて閉じる瞼と、聞こえてくる寝息。
ふう、とナオトは溜め息を吐く。
親友の綺麗過ぎる寝顔に、思わず苦笑が漏れた。レイが、惚れた、というのもわかる。
スピリアの左耳に輝る十字架のピアス。未練の現れ。
対だった片割れは既に壊れているのだ。それでも、スピリアは残った片方を外す事はない。外したら、彼を。レイを、忘れてしまうような気がして。そんな風に呟いた彼を知っている。
知っているからこそ、ナオトは何も言えなかった。レイが死んだ後、ナオトも知らないうちにスピリアは耳に穴を開け、両の耳にそのピアスをしていた。
ピアスの片方が壊れた時も、まだ手放せない、と大事そうに両手で包み込んで。その姿は痛々しくもあり、もういい加減にしろ、と言いたくなる姿でもあり。それでも、レイを忘れてほしい、なんて、ナオトは言えない。ナオトにとっても彼等は何処までも大切で、愛しくて。引き剥がそうなんて考えにもならない。
それでも。
「俺じゃ……駄目かな」
ナオトは小さく呟いた。殆ど無意識に。
傍にいたい――ただ、それだけなのに。
「スピリア、好きだ」
本当に好きだ。友人としても、特別な意味でも、好きだ。傍にいたい。守ってやりたい。笑顔を、見たい。幸せになってほしい。願いが、溢れて、胸が押し潰されそうになる。
俺じゃ、駄目なんだ。
わかってる。わかっているんだ。誰よりも女々しいのは己だと。未練がましいのは己だと。
死人に、囚われて。
「……嫌だ…」
「え?」
てっきり眠っていると思っていたスピリアの声に、ナオトはビクッと肩を揺らした。
「嫌だ、ナオト」
瞼が開いて、碧い瞳がナオトを見る。
「私は、お前まで失いたくない」
「スピリア……」
ナオトは悲しげに顔を歪め、スピリアを見た。傷付けて、しまった。わかっていた筈なのに。レイが、死ぬ前に、スピリアに何て言ったか。恋人として結ばれた、その直後に……目の前で死んだのを、スピリアは見たのだ。だからだろうか。寝惚けているのもあるのかもしれないが、嫌だ、と反射的に答えたのは。お前まで死んでしまうのか、なんて発想に、辿り着いてしまったのかもしれない。
「ごめんな」
ナオトは言葉を吐き出す。
「好きになって、ごめん。それでも、俺は本気なんだ。お前の傍にいたいんだ……」
例えお前の一番が、レイ、だとしても。
「俺をお前の一番にしてくれよ、スピリア」
ナオトは泣きそうな顔をして、言う。スピリアの困った顔が目に浮かんだから。守りたい、なんて思っていても、結局は自分の都合で相手を傷付けて。最低だな、と、思っていた。
「……答えられない」
暫くの沈黙の後。当然の、返事だった。彼は更に苦悩しているように見えた。ナオトは思わず目を逸らす。これ以上彼の顔を見ていられなかった。次に紡ぐ言葉を考えていると、先に口を開いたのはスピリアだった。
「だが、それでも。私の傍にいてくれるなら。」
どこか力強く感じられる声だった。その声に、一度は逸らした視線を戻す。スピリアのその表情は、先程までの悲しげな表情とは違い、部下を前にして凛々しい振る舞いを見せる時のような、真剣そのもので。
「いつか、私が。片耳のピアスを捨てられる時が来たら。その時は、お前のものになると、誓う」
スピリアの、その言葉に。ナオトは軽く目を見開いた。芯の強さを感じられながらも、まだ、未練を、レイを、断ち切れないのだと言っているような。これは、振られたのか、それとも、本当に、その時を待っていれば良いのか。ぐるぐると思考が巡ったが、ナオトの結論としては、
「……それでも、いいよ。ずっと、傍に、いるから。待つから。」
それしかないのだった。
例え振られたとしても、ナオトはスピリアから離れるのは嫌がるだろう。何よりナオトが一番目を離せないと思っているのはスピリアだ、それは恋愛感情だけでなく、庇護欲のような、そんな感情を満たしたいが為のものかもしれない。儚げな笑みを見せる、片耳のピアスを捨てられない彼の傍に、いたいと願うのは。結局は自己満足なのかもしれない。
「死なないでくれ、ナオト」
「……生きて、傍にいるよ、スピリア」
そうだとしても、彼がそう願ってくれるのなら、叶えてやりたいと思う。自然とスピリアの右耳に視線が行く。そこにはもう、ピアスホールはない。既に塞がってしまっている。でもやっぱり、まるで。
空いた隙間を埋めるかのように、その関係を求めているようにも感じる。
それでも、良いかな。許してくれるか、親友よ。
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