第3話 花

「今日はどうされるんですか?」

「別に何もしないわよ」

「そうなんですか? 今日はお休みなんですね」


 もう結構お腹いっぱいなんだけど、目の前ではパクパクと口の中に箸を運んでいる。ブラックホールでもあるんじゃないかしら。


「まあ、私が出て行かなきゃいけないような魔物が、ほいほい出てたら困るでしょう」

「そうですね。怖いです」


 戦う力なんてないものね。


「アンタは?」

「私は、午前中は整理の続きをします。昨日終わらせられなかったので。午後はアルバイトに行きます」

「ふーん、手伝ってあげるわ」

「え?」


 こんなことで驚くなんて、本当に反応が大げさね。


「暇だもの」

「いえいえ、蓮華さんに手伝ってもらうわけには……」

「それに、いつまでもバタバタされてたら迷惑だわ」

「あっ、それは、ごめんなさい……」

「というか、業者呼べば?」

「いえ、その、金銭的な問題が。まだ給料日前なので……」

「どこで働いてるの」

「フラワーショップです」


 フラワーショップ……フラワーショップ? 確か……


「草売ってるところよね」

「まあ、広く言えばそうですね」

「そういうの持ってきてるの?」

「家で育ててたものは、一応部屋にあります」

「部屋じゃなくてベランダ使えばいいじゃない」

「いえ、邪魔になるかと思ったので……」

「使ってないし、自由に使っていいわ」

「そ、そうですか?」

「いいにおいのするやつがいいわ」

「……」

「何よ」


 一日に何回驚いた顔を見せられなきゃならないのかしら。


「興味あるんですか?」

「香水とかに使われてるでしょう? いいにおいは好きよ」

「香水、つけるんですね」

「どこかに呼ばれたときとかね」

「普段はつけられないんですか」

「結構つけるわよ」

「そうなんですね。意外、ってわけでもないですね。かっこいい女の人はつけてそうなイメージです」

「アンタは、つけなくてもいいにおいがしそうよね」

「え、そうですか?」

「なんとなくね」


 頭の中花畑っぽいし。


「食べ終えたなら、始めるわよ」

「あの、食器洗ったりしなきゃいけないので……」

「別にしなくていいわ」

「洗い物溜まってしまうので……」

「ああ、言ってなかったかしら。掃除とか、業者がやるわ」

「そ、そうなんですか……でも、次にいらっしゃるまで溜まってしまうので」

「今日も、というか毎日来るわ」

「ま、毎日ですか!?」

「ええ、だから気にしなくていいわ」

「でも、申し訳ないですし……」

「そんなもの、仕事を奪うことに対して感じなさい」

「そ、そう言われてしまうと……」

「まあ、払う金額は変わらないから、仕事は楽な方がいいでしょうけど」

「も、もったいなくないですか?」

「必要経費よ」

「そうですか……?」

「ほら、やるならさっさと始めるわよ」

「は、はい」


 アイカの部屋に入る。昨日から考えてもまだ半日くらいしか使っていないはずなのに、私の部屋とは違う匂いがする。そして、その一角は緑で埋まっている。


「これなんですけど、どうですか?」

「なにこれ」

馬酔木アセビって言うんですけど、私のアルバイト先で元気がなくなっちゃったということで、いただいたんです。今は無事元気になりました」

「ふーん」

「ペットは禁止されてたので、ペット代わりといいますか」

「飼いたいなら飼ってもいいわよ」

「いえ、馬酔木にはその、毒があるので、ペットが食べちゃったりすると危ないです」

「これ、毒あるの?」

「食べない限りは大丈夫です。ちょっと触るくらいは全然問題ないので」

「ふーん。結構いい匂いね。私は好きよ」

「本当ですか? 私も好きです! 私の場合は育てたっていう分の贔屓が入っちゃってるかもしれないんですけど」

「これ、どうするの?」

「許していただけるなら、ベランダに出してあげたいです。結構自生してたりもするので、やっぱり外に出してあげるのがいいかなと」

「そっちは?」

「お花はこれだけなんです。後は野菜です」

「野菜?」

「はい。トマトやキュウリです」

「ほとんど食べ物じゃない」

「あの、大食いじゃありませんからね!」

「なにも言ってないじゃない」


 バランス悪いとは思ったけど、これが普通なのかしら。


「まだ増やすつもりなら、屋上とかの方がいいかしら?」

「屋上があるんですか?」

「そっちの方が広いから、そっちを使うのがいいわね。運ぶわよ?」

「は、はい。すみません、お願いします」


 重量的には大した重さではないけれど、大事に育てているようだし、無理に持って枝が折れたりするとかわいそうだわ。


「わあっ!」


 エレベーターで屋上に出ると、アイカが声を上げた。


「すごいですね。ここ!」

「そうかしら」

「そうですよ! お風呂まであるなんて……!」


 久しぶりに来たが、ここも掃除をしてくれているらしく、汚れはない。


「ここなら一日中陽が当たってくれますね!」

「喜んでるならよかったわ。残りも運ぶわよ」

「はい!」



***




「蓮華さん、ありがとうございました」

「暇だから手伝っただけよ」


 十二時を少し過ぎたわね。


「時間もいいころですし、お昼ご飯作るので、少し待っていてください」

「え、いらないわ」

「駄目です」

「でも、お腹すいてないわ」

「それでも駄目、とは言えませんね……どうしてそんなに小食なんですか?」

「動けば当然、お腹もすくけれど、今日のは動いたうちに入らないわ」

「……そうですか。じゃあ、あの、私の分だけ作りますよ?」

「ええ、そうして頂戴」


 キッチンに向かうその背中は少し寂しそうに見えた。私はソファに寝そべって、テレビを付けた。別に何か見たい番組があるわけじゃない。ただ、そのままじっとしているのが嫌だっただけ。


 背後からトントンと音が聞こえてくる。そっとそちらを見れば、真面目な顔をして包丁を振っていた。


 そういえば、冷蔵庫に何か入っていたかしら? もしかしたら自分の家から持ってきたのかもしれない。その点は気になったけれど、そちらを気にしないように、テレビに意識を向けた。




 テーブルの方から音がした。いつの間にか、作り終えていたらしい。椅子を引く音も聞こえ、小さくいただきますという声が聞こえた。それには気づいたけど、私の視線はテレビの画面に向けられたままだ。内容は面白くないけど。

 芸人が全く笑えない芸をしているのを見ていると、足音が近づいてきた。視線だけそちらに移せば、お盆を両手で持ってこちらに歩いてきていた。


「なに?」

「その、こちらで食べようかと思って」

「そ」


 ソファに囲まれた低いテーブルもある。なんでこんな高さなのかは知らないけど、ソファに座ったままだと食べづらい。床に座った方が高さ的に食べやすいはず。

 そんなことを思っていると、私の目線の斜め前、テレビを見ていれば自然と目に入る位置に座った。


「いただきます」


 もう一度、そういって、食べ始めた。が、食べ始めてからもちらちらとこちらを見てくる。


「はぁ……なによ?」

「あの……少しでも食べませんか?」


 本当に面倒だ。特にコイツのような悪意のないおせっかいは。


「わかったわよ」

「本当ですか、今……」

「あ」

「………………え?」

「さっさとしなさいよ」


 いつまでも口を開けさせたままにしないでもらいたい。


「え、あっ、はい!」


 料理を挟んだ箸が近づいてくる。一口分がでかいのよ、と言いかけたがやめておいた。案の定、口の端にそのタレか何かが付いたので、口元を隠しながら咀嚼する。正直、これが何なのかわからない。でも。


「美味しいわ」

「ほ、本当ですか!」

「ええ、ありがとう。ごちそうさま」

「は、はい!」


 これで満足でしょう。そう思って口元をぬぐいつつ見てみれば、想像以上に満足そうな顔をしながらそれを食べていた。……まったく。

 なんとなく、食べ終えるまでその顔を眺めていた。





「ごちそうさまでした」

「はいはい」


 お盆ごとキッチンの方へ持って行った。そして、すぐに戻ってきた。


「蓮華さん、何見てるんですか?」

「さあ」


 内容に集中してなかったので何もわからないわ。


「あー、いろんなご飯屋さんに行く番組ですね」

「へぇ、そうなの」

「ここで出てきた料理をその日とか次の日に作ろうかな、とか考えて見てます」

「……」


 無言で、楽しそうにくつろぎ始めたアイカの目を見てしまう。


「も、もしかして大食いだと思われてますか? 今食べたばっかりなのにって。それとこれとは別ですからね? 今食べたいとかじゃなくて献立の参考にって」

「違うわよ。あと、そんなに早口で否定すると本当みたいよ」

「もう! じゃあ、何を考えてたんですか?」

「アンタ、バイトあるって言ってなかった?」

「はい。でも、家からそんなに離れてないので大丈夫です」

「アンタの家この近くなの?」

「……え?」

「いえ、だから、アンタの元の家から近くても、ここから近くなければ意味ないじゃない」

「あ……ああ!?」

「その様子だと、気づいてなかったみたいね」

「あ、あの! 私すぐに出ないと」

「いいから待ちなさい。あわただしいわね」


 ポケットから携帯を取り出す。


「蓮華」

『電話口の最初はもしもし、だろう』

「はいはい、で、車出して」

『ん? どこかに向かうのか?』

「私じゃなくてアイカがバイトに遅れそうなのよ」

『ほお……』

「なによ」

『いや……そうか。……そうか』

「人の話聞いてた? 急いで」

『わかった。今すぐ向かわせる』

「そ」

『イクサガミ』

「だから」

『バディはいいだろう』

「……さあね」


 電話を切る。


「そのうち来るから支度を済ませなさい」

「あ、ありがとうございます」

「お礼なんて言ってる場合かしら」




*****



「ありがとうございました」


 私を送ってくださった運転手の方に頭を下げます。運転手の方は帽子をとって反応をくださって、すぐにどこかへ去っていってしまった。

 初めてあんな車に乗ってしまいました。黒塗りの高級車って実在したんですね……


「愛花ちゃん、愛花ちゃん! いったいどうしたの? さっきの車は何!?」

「あ、店長さん。いろいろありまして」


 少しだけ事情を話しました。


「あ、愛花ちゃんが、い、イクサガミ様のパートナーに!? ほ、本当に!?」


 そうですよね。初めて聞いたときは私も心臓がバクバクしてました。これが自然な反応ですよね。


「ど、ど、どどど、どうすれば? な、何かないか!?」


 店長さんが裏に引っ込んでしまいました。話し声が聞こえてきます。きっと奥さんと話しているのだと思います。私も制服に着替え、といっても、ここはかなり服装の指定が緩くて、とげだったりが引っ掛からない私服でしたら、その上にエプロンを付けるだけで大丈夫です。


「ほ、ほ、ほほほ、ほんとなの!? 愛花ちゃん!?」


 奥さんの方が飛び出してきました。今日は業務にならないかもですね。

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