第17話 誓い
サイレンが聞こえる。複数の駆ける音がする。
救急隊員に連れて行かれる際に、秋戸さんは、申し訳なさそうにこちらに告げる。
「ごめんね。迷惑かけちゃった。」
「何言ってるの。私も、一緒に行くよ。」
「あ、ああ。俺も行く。」
それは、彼女の罪悪感を助長させることに他ならない。だから、それに対する返答は、もう予想できる。
「いいよ、みんなは来なくて。迷惑かけて、ごめんなさい。」
「そんな…何言ってるの。」
その発言を、静止して答える。
「じゃあ、こうしよう。2次会だ。岳と桜木さんは、ここでデートの続き。僕と秋戸さんは会場を変える。それでいいでしょ。僕らは僕らで楽しくやるから、二人とも全力で楽しんでて。」
「こ、来なくて良い。」
「僕、一人ぼっちは嫌だから。一緒にいたい。」
呆然と立ち尽くす二人、僕を制止する秋戸さんを振り切り、救急隊員に同伴する旨を伝える。そこから先は、あまり覚えていない。確か、前に秋戸さんが入院していた病院の名前を告げた気はするが…
処置室に連れて行かれる途中、秋戸さんはこちらを向く。
「ここからは、一人で大丈夫。」
何処か、その顔は寂しさを感じさせた。まるで、一匹だけ群れから離れた羊のようだった。
「でも…」
「その気持ちはすっごく嬉しいけど…プライベートな事もあるから…」
「そっか。」
「ここまでついて来てくれて、ありがとう。もう、大丈夫だから。」
誰よりも不安なはずなのに、まだ、そんなことを言っている。
どれだけ、手を伸ばしても、結局、結局、この態度は変わらない。
それでも…
「ごめん。本当に大丈夫になるまで、一緒にいたい。」
ここで、離れるわけには、いかなかった。
「大丈夫だって。」
「デート、まだ終わってない。」
「ごめんね。」
秋戸さんは、処置室に連れられて行った。
僕は、どうしたら良いんだろう。
どうしようもない居心地の悪さを感じながら、じっと処置室の前の椅子で待つ。
ああ、不安だ。
時間ばかりが流れていく。
そう思っていると、長い茶髪の髪を左右に揺らす、ヒールを履いたスーツ姿の女性が、こちらの方に、足早に歩いて向かって来た。女性の目は切れ長で、我が強いように見受けられた。背は、ヒールの分を差し引くと、僕と同じくらいの高さみたいだ。年齢は、40歳前半といったところか。
だ、誰なんだろう。
そう思っていると、処置室の扉が開き、白髪の眼鏡をかけた白衣の男性が姿を現す。目尻にシワが寄っており、優しげな表情だった。背は、とても高く、僕よりも頭2つ分ほど高い。白衣の男性が茶髪の女性に声を掛ける。
「佳奈ちゃんのお母さん、こちらへ。」
そう言われると、その女性は「失礼します。」と一言言って、処置室の中へと入っていく。
佳奈は秋戸さんの名前だったはずだ。そうなるとあの人は、秋戸さんのお母さんなのだろう。
家族まで来たってことは、酷い状態なのかなぁ。嫌な予感が胸を過ぎる。
どうか、秋戸さんが元気でいますように。
さっきまで、処置室から聞こえていた声がめっきり聞こえなくなった。あれからだいぶ時間が経った。まだ、秋戸さんは姿を現さない。
不安ばかりが募る。でも、悩んでばかりじゃいられない。
少し、気を緩めよう。そう思い、息を吐く。
「お待たせしました。」
気付けば、すぐ近くにいた男から呼びかけられる。
「うわぁ。」
け、気配のないところから声がした。び、びっくりした。
「相変わらずですね。ショックです。」
声の主は、目つきの悪い、あの薬剤師の人だった。ええと、名前は…
「久しぶりですね。春谷君。冬崎です。」
「あ、その。お久しぶりです。で、でも何で?」
「話を聞いて、秋戸さんと貴方に謝らなければならない事があったので…」
「な、何を?」
謝られること、何かあったか?
「水分補給についてですね。」
「え?それは、言ってくれてましたよね。」
退院する直前に、こう言っていたのを思い出す。
「まず、それよりも、大事なことは血が固まりやすくなるリスクを下げる事です。水分をとっていないと、血が濃くなってしまい、固まりやすくなります。」
だけら、僕の責任に他ならない。
トイレのことも言われていた。だけど、結びつけて、真摯に考えていなかった。
まるで、風邪の症状が出ているのに、それに全く気付かずに、風邪を引いたことない、と言っている人のように。
馬鹿は風邪引かない、今の状況がそれだ。自分の愚かさに反吐が出る。
「いえ、話はしましたが、こうなったのは私にも責任はあります。」
「いや、聞いていたのに、行動できていなかったので…トイレのこととか。」
「トイレのこと?」
「それよりも、秋戸さん、大丈夫なんですか?ずっと、処置室から出てこなくて…」
「ええ、健康上はそれほど問題ありません。では案内しますね。」
「え?」
健康上は?
「ついて来てください。代わりに案内します。」
「え、ええ。」
白衣の男は、白の背景に溶け込むように道を進む。
「よく救急車を呼びましたね。」
「いや、だってそう言われたから。」
「適切だったと思いますよ。」
「ってことは…」
あの結末を、回避できたのか!
「まあ今回は、運が良く、命の危険が大きいタイプではありませんでしたが…」
ガクッ。その言葉に、つまづいてしまう。
「大丈夫ですか?エレベーターに乗りますよ。」
「え、ええ。それで、原因は何だったんですか?」
「おそらく、脱水が原因で、血の塊ができたからでしょうね。」
「やっぱり、そうだったんですね。」
「やっぱりとは?」
「薬でトイレが近くなるから、水分取らなかった、って言ってましたから。」
「そうでしたか。私の不手際でしたね。」
「え?」
「相手の立場に立てていなかった。それに、あの時薬のことを言うべきでしたね。」
この男は当然そうにそう言い放つ。でも、そんなの言い出したら…
「それは、自分を責めすぎですよ。僕にだって、トイレのこと考えるように、って言ってたじゃないですか。僕だって…」
「ほら、この階で降りますよ。」
「は、はい。」
「問題は今後です。」
「え?」
「ご家族と相談した結果、念のため入院して経過を診ることになりました。」
「え、ええ。」
念のため?
「これは、私の主観ですが、彼女の母親は、娘を健康に産めなかった、という負い目から行動しているように思えます。」
「え?」
どういう意味だろう。
「一方で、娘は母親に対して、迷惑をかけてしまったという思いでいっぱい。このままでは、お互い潰れますね。」
何か、猛烈に嫌な予感がする。
「そういえば、彼女の母親に挨拶はしましたか?」
「い、いいえ。間が悪くて…」
「そうですか。ここが、彼女の部屋です。…個室なのが裏目に出ましたね。」
えと…この個室、厚さ10センチ近くあるのに、中の声、ここまで聞こえてますよ。
「盗み聞きするつもりはないのですが、いやぁ…さっきと内容変わってませんね。」
「やっぱり、寮なんて無理だったんじゃない。」
「ごめんなさい。迷惑かけました。」
「だから私は、最初っから言ったのに。」
「本当にごめんなさい。」
「どうするの?こんな日まで病院で、先生も迷惑だったと思うわよ。」
「でも、寮だとお母さんに迷惑かけるし。」
「何言ってるの。私の責任なのに。」
お互いに救えない会話の押し問答が続いている。
ああ、病気なんて、なければ良いのに。
手術の傷も残さずに、彼女の病気を治せたら…
「だって、だって…」
「佳奈は、もう十分頑張った。生きてるだけで良いの。もう、ゆっくり休みなさい。」
「そんなの嫌だ。」
「何言ってるの。」
「誰かの重荷に、なりたくない。」
気付けば、僕は、扉を開けていた。
「僕が、僕が、秋戸さんの病気を治す薬を作るから。」
「「え?」」
ああ。反応を見て、確信する。やっぱり、この二人は親子なんだ。
秋戸さんは、その場で泣き崩れてしまった。
秋戸さんのお母さんは、消え入りそうな顔でこちらを見遣る。
「な、何よ。貴方は、誰。」
「秋戸さんと付き合っている春谷です。」
「ええ?」
秋戸さんのお母さんは、困惑したままだ。
こ、この後どうしよう。か、考えなしだった。
そう思っていると、後ろから助け舟を出される。
「すいません。薬剤師の冬崎です。春谷君は佳奈さんをここに連れて来てくれました。」
「あ、ああ。ありがとうございます。」
「い、いえ。でも、ご迷惑をおかけしました。」
「いえ、こちらこそごめんなさい。」
やばい、勢いよく飛び出したのはいいものの、間がもたない。
隣の男がポン、と軽く僕の肩を叩く。
「恐れ入りますが、念のため、佳奈さんのお母さんにも、今後佳奈さんが飲む薬の説明をしたいのですが、お時間をいただいてもよろしいですか?」
「え、ええ。だ、大丈夫です。」
「では、こちらへついて来てください。」
「はい。じゃあ、佳奈、ちょっと待っててね。」
「う、うん。」
秋戸さんは、必死に声を抑えて、肯く。
二人が出て行って、さっきとは打って変わって静かになった。
彼女の涙は止まらない。僕にできたのは、そばに駆け寄って、背中をさすることだけだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
「そういうの…嫌だな。」
「ごめんなさい。」
「だから、秋戸さん、悪くないって。」
悪いのは、あくまで病気だ。
「でも…」
「ありがとう、って言って欲しいな。」
「あ、ありがとう。」
「じゃあ、お礼に一緒にデートして。」
「え?でも…」
こんな事があって、いく気力がなくなるのは当然だ。でも、それじゃあつまらない。何より、僕が、面白くない。
「今度は水分、ちゃんととってね。」
「でも…」
「トイレが近くなるなら、僕が、代わりに行くからさ。」
とびっきりの笑顔で、そう答える。
「…意味ないじゃん、それ。」
…バレたか。
「入院、どれくらいかかるの?」
「分からない。でも、1週間もかからないって話になった。」
どうしよう。冬休みは、叔母さん家に帰らなきゃいけない。
「今回は、お見舞い大丈夫だよ。」
「え?」
「お母さん、仕事お休みだから。」
「そっか。」
「ありがとう。」
とびっきりの笑顔だった。でも、それがむしろ切なくて…
「連絡、するから。」
「え?」
「佳奈ちゃん、元気でね。」
足音が近く。多分、帰って来たんだろう。
「それじゃあ、またね。」
「うん。またね。」
そう言って、病室を出る。
そこには、先ほどの二人がいた。
「あら、話は終わった?」
ちょうど帰って来た秋戸さんのお母さんに話しかけられる。
「ええ、お気を使っていただき、ありがとうございます。」
「いえいえ、そんな…紡君だっけ?前に娘が入院していた時に、お見舞いにきてくれた子よね。」
「は、はい。」
「ありがとうね。娘、喜んでいたわ。」
「よ、良かったです。」
「これからも、娘をよろしくね。」
「え、ええ。不束者ですが…こ、こちらこそ。」
ま、間違えた。顔が赤くなる。
「すいません。私は、これで失礼します。」
いたたまれなくなった白衣の男は、早々に立ち去ろうとする。
ぼ、僕も便乗しよう。
「すいません。僕も、これで…」
期せずして、また、冬崎さんの隣を歩くことになってしまった。
「おや、ご家族への挨拶はよかったのですか?」
「か、からかわないで下さい。」
「そうですか…冗談はさておき…」
さておきされた!!冗談って言われた!!
「どういうつもりなんですか?」
「え?何がですか?」
「病気を治す薬を作る、と言ったことですよ。」
「え?おかしな事ですか?」
僕の言ったことが荒唐無稽だって事は分かる。でも、その意図を聞かれるのは、おかしな気がした。
「薬が新しくできるのに、何年かかるか知っていますか?」
「10年?」
多分、動物とか人で実験したりするから、それぐらいだろう。
「ええ、臨床試験を考えるとそれぐらいですね。それで…相手が病気を治したいのは、いつだと思いますか?」
「…今。」
言われて気付く。
『ガラスのショーケース越しに、絶対に買えない高価な指輪を見せるようなもの』
あの例えが頭を過ぎる。僕は、とてつもなく残酷なことを言ってしまった気がした。
「こんな時に、望みを見せるのは良いですが、それが返って相手を苦しめることになることも考えなさい。」
「いや、僕、絶対作るんで。」
それでも、言ったことを後悔してはいけないと思った。成し遂げようと誓った。好きな人の前で言ったんだ。その子の笑顔が見れるなら、何だって出来る。
―ああ、本当に、愚かだ。
「はぁ。」
冬崎さんは、軽いため息をつく。
「そういえば、薬剤師って薬を作る道もあるんですよね。」
あの後、薬剤師に興味が湧いて色々と調べた。批判や中傷もあるが、この人のように誇りを持っている人もいる。ネットの情報だけが全てじゃないと分かった。
「ええ、まぁ。研究室で、そういったところをやるところもありますね。作るだけじゃなくて、すでにある薬の新しい効果をさがすところもありますね。」
研究室、その響きは、とても魅力的だった。けど、それ以上に…
「すでにある薬の新しい効果を探すって、どういう事ですか?」
「…例えば、抗生物質に炎症を抑える効果を見つける、といったようなことですよ。」
「それじゃ、心臓の病気を治す効果を持ってる薬が、知られてないだけで、あるかもしれない、って事ですか?」
「まぁ、否定はできませんね。」
それじゃあ、それを見つければ、臨床試験を短く出来る。だって、元々使ってる薬なんだから。
もう、道は見つけたも同然だ。
「そういえば、貴方は何で薬剤師になったんですか?」
「…最初は、好きな人のためでした。」
「へぇ。」
この堅物に見える男でも、恋をするんだ。そんなことを思っていた。
「でも、大学に入る時には、自殺のために、入っていました。」
「え?」
何かの聞き間違いだと思った。
「では、私はこれで。」
そういって、冬崎さんは、エレベーターの出口で足早に立ち去ってしまった。
********************
俺は、本当に馬鹿だった。
彼女に、病気を治す薬を作る、そういって、結局、その願いは果たせていない。
言った通りだ。本当に。
俺は、彼女にとって一番治して欲しかった時期に、何も出来なかった。いや、何もしなかった。
客観的に見れば、手を差し伸べて、引き上げておいて、もう一度突き落とす、そんな行為と全く変わらない。
久しぶりに会った彼女は、世の中は理不尽だから、そう一言、乾いた笑みを浮かべて言っていた。
俺は、やっぱり、あの時死んでおくべきだったのだろう。
********************
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