第16話 転機

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「うわぁ。」

 今日は待ちに待った水族館。イルカとかペンギンはいるかなぁ。

 サメのいるところもあるって話もあったけど、ここはどうなんだろう。

 同じグループの皆も、はやる足を抑えられないみたいだ。

「秋戸さん、早く、始まっちゃうよ!!」

「う、うん。」

 息を切らして走る姿。目的地まではだいぶ距離があるように思えた。

 僕は…

「先に行ってて、僕、クラゲが好きだから。」

 秋戸さんを見て、そう告げる。

「紡、グループで行動しないと駄目だ、って先生が言ってたぞ。」

「トイレに行ってる、って言えばいいだろ。」

「え?」

「先にいけ、必ず後で追いつく!」

「そうだな、分かった。先に行く。」

「わ、私も、紡君と一緒に見てる。」

 駆け出す音が次第に遠ざかる。

「ご、ごめんね。」

「いや、僕、本当に好きだから。」

 全部、口からの出まかせ。このままでは、まだ弱い。

「こういう風に、のんびり過ごしたいね。」


********************


「おい、紡!いつまで寝てるんだ。」

 背中に音が走る。

「おわ。」

 音にびっくりし、ボーッとする頭のまま、顔をあげる。


 そうか、今日は…

 待ちに待ったクリスマス。秋戸さん、桜木さん、岳と水族館に行くことになったんだっけ。いまいち実感が湧かない。

「紡、前日は楽しみすぎて寝られなかったのか?」

「あ、ああ。」

 そ、そりゃあ、デートなんて、初めてだし。

「早く支度して、行くぞ。」

 そうだ。最寄りの駅で待ち合わせ、ってことになったんだっけ。

 

「岳、ソワソワしすぎだろ。」

「だってよお、ワクワクがとまらねぇんだよ。」

 まだ待ち合わせの30分前だ。

「あー、早く来ねえかなぁ。」

 相変わらず、岳は落ち着きがない。彼女達が来るであろう寮の方向を見ながら、身体全体で揺れている。

「なあ、どんな服着てくるか、賭けしようぜ。」

「えええ。」

 こいつ、マジで何言ってんだ。

「俺は、ミニスカポリスがいいなぁ。」

 一度、病院で診てもらった方が良いのかもしれない。

 そんな事を考えていると、後ろから声がした。

「ねぇ、何の話してるの?」

「おわぁ。」

「うお。」

 一番驚いているのは岳だった。無理もない。30分も前に来て、彼女達は見当たらなかったんだから。すっかり油断していた。

 僕は、変なこと言ってないよな。後ろを振り向きながら、そう自分に言い聞かせる。

「なーに、そんなに驚いて。」

 そこには、いかにも《あざと可愛く》こちらに微笑む桜木さんと、恥ずかしそうにそれに隠れる秋戸さんの姿があった。

 桜木さんは、清純さを感じさせる白のボリュームニットと落ち着いた雰囲気を演出する黒のコーデュロイフレアスカート、それを包み込む大人っぽい茶色のジャケットを合わせた、いうなれば《綺麗な女性》といった出立だった。靴は白のスクエアトゥパンプスでニットと合わせているのだろう。

 …ちょっとくらくらしてきた。

「ど、何処にいたの?」

「そこ、売店の中。」

 そういって指差す先には売店があった。

 盲点だった。

「それよりも、何の話してたの?ミニスカポリスとか賭けとか…」

「凄い、めっちゃ可愛い。」

 わ、話題を逸らした!

「う、うん。あ、ありがと。」

「ほら、紡も、なんか言えよ。」

 そ、その方針で行くつもりか。岳。だいぶ無茶があるぞ…

 まあ、それに乗るしか方法はない。少し、ドキドキするけど…

「そうだね。可愛…」

「待って、待って。ほら、秋戸さん、見せなくて良いの?」

「え、あ、うん。」

「恥ずかしがってないで、ほら。」

 桜木さんに促され、辿々しく前に出てきたその姿は、まるで雪山を駆ける兎のようだった。

 暗いピンクのジャギーニットに白色のボアジャケット、淡いピンクのプリーツスカートといった出立だった。ただ、靴だけは対照的に黒のスクエアトゥパンプスと落ち着いた色合いだった。

「…」

 声が出なかった。胸の鼓動が自分の中で跳ね回る。顔が上気するのを感じる。

「や、やっぱり。」

 そういって、秋戸さんは桜木さんの後ろに隠れてしまう。

 無言でいたためか、誤解させてしまったみたいだ。

「ち、違う。」

「うぇ?」

「す、凄い可愛くて、見惚れちゃってた。」

 そういって、笑って告げる。

「ほら、良かったね。」

 横で見ていた桜木さんも、そう笑いかける。

 でも、照れてしまったのだろうか。また、元の場所に戻ってしまった。

「あ、あれ?春谷君に見せなくて良いの?」

「…恥ずかしい。」

「じゃ、これぐらいにして早く行こうぜ。向こうで、いっぱい話そう。」

 そういって、岳は駆け出す。

 皆、一様の返事をして、それについていく。


「お、あと10分したら、ペンギンショーだってよ。見に行く?」

 岳は、水族館に着くと、もう手がつけられないほどのはしゃぎようだった。まるで遊園地で、全部の乗り物に乗る、と息巻く少年のようだった。

「面白そう、行こっか。」

「へー。」

 入り口からその場所へは、少々遠い。もっとゆったり行きたかった。

「それは、色々と見てから最後にしないか?」

「ああ、まぁそれもそうだな。」

「その次は、2時間後くらいだね。じゃあ、ゆっくり見ようか。」

「うん。」

 最初に見えてくるのは小型の魚、カクレクマノミなどの色鮮やかな熱帯魚。皆、一つとして、同じ模様はないように見えた。

「綺麗…」

「桜木さんの方が100倍綺麗。」

「もう。」

 ああ、やると思った。

「綺麗だね。」

 そう、秋戸さんに呼びかけられる。

「ああ、そうだね。この中で言うと、どれが一番好き?」

「うーん、全部。」

 ああ、僕は、この笑顔を見るために、生まれてきたんだ。そう思えた。


 そんなやり取りをしているうちに、クラゲの入っている水槽が目に入る。少しだけ、胸が疼いた。

「あ。」

 秋戸さんの目に、その水槽が映る。その瞳は、じっと水槽を捕らえる。その姿は、まるで、海の生き物と話の出来る人魚姫のような佇まいだった。

 一体何を考えているんだろう。そう思いながら、見惚れていると、一言。

「美味しそう。」

 共食いが始まる。

 見なかったことにしよう。聞かなかったことにしよう。おっけー?

「…クラゲ、好きなの?」

「え、いや、その…うん。コリコリしてて美味しい。」

「そっか。じゃあ、今度食べに行こっか。」

「う、うん。」

 恥ずかしそうに同意する姿に悶えそうになりながら、ふと、桜木さんと岳がいないことに気付く。

「あれ?」

 秋戸さんも、それに気がついたようだ。もしかしたら、二人は僕らに気を使ってくれたのかもしれない。ここは、好意に甘えよう。

「はぐれちゃったみたいだね。うーん。ペンギンショーの前で待ち合わせってことにしようか?」

「う、うん。」

「じゃあ、連絡しておくよ。」

「あ、ありがとう。」

「ずっと立ってて、ちょっと疲れちゃった。少し、休まない?」

 そういって、手を差し出す。

「うん。私も、ちょっと疲れちゃった。」

 二人で並んで歩く。秋戸さんは、何処か動きが辿々しかった。

 緊張してるのかな。そう考えると、こっちも何処か気恥ずかしさを覚えてしまう。

 歩いているうちに、ベンチが見えてくる。お手洗いも、そこから見える距離にあった。

「どっこらしょ。」

「ふふ、お爺さんみたい。」

「ほら、おいでや。婆さん。」

「はいはい。」

「最近腰が痛くてのぉ。」

「そうですかい、お爺さん。私は足が痛くてねぇ。」

 そういって、秋戸さんは左足のふくらはぎをさする。

「え?」

 何か分からないけど、嫌な感じがした。まるで、百足に胸を這われるような感覚を覚える。

「じ、冗談だよ。」

「そ、そう。冗談か。そういえば、お手洗いは大丈夫?」

「大丈夫だよ。そんなに水、とってないし。」

 そこでハッとする。そういえば、秋戸さんが水筒を出している姿を見ていない。

「私、薬のせいで、水分とると、トイレ近くなっちゃって…」

 

 ある言葉が胸に浮かぶ。

「理解はしていても、実行できるかは別の話です。トイレの事など、気にしてくださいね。」


「ごめん。足、見せてもらって良い?」

「え?」

「痛いところ、見せてくれない?」

 セクハラとか、そんな事を気にしている場合じゃない。

 強引に迫り、足を見せてもらう。


 左足が、右足と比べると腫れていた。この光景を、前に見たことがある。僕が、見なかったふりをして、ほっといて…

 このままじゃ、また…

「あれ?なんで?なんで?」

 一番不安なのは、秋戸さんだ。必死に頭を冷やす。

 どんな手段を使っても、この場を乗り越える。

 どんな、どんな手段を使っても。

「大丈夫。ちょっと腫れてるだけ。待ってて。」

 まだ、彼女の震えは治らない。

「水筒、ある?」

「う、うん。」

「じゃ、それ飲んで。」

「うん。」

 問題なく上半身は動かせている。今のところは大丈夫。息切れもない。

「下手にいじらないで、じっとしててね。」

 駄目だ。まだ、目が泳いでる。何て、何て言えば…

 不意に、ある言葉が浮かぶ。

「信じて。」

「わ、分かった。待ってる。」


 急いで水族館内を走り回りながら、電話をかける。なんて言ったかは、もう覚えていない。異常を察して駆け寄ってくれた二人に、水族館の前で待機して、救急隊員が来たら案内するよう頼み、秋戸さんの元へ帰る。

 秋戸さんは震えもせず、ただ、じっとそこで待っていた。


 僕が、そうさせたんだ。

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