第11話 気力
「んあ。」
寝ぼけ眼を擦り、身体を起こす。
時間はもう9時を回っていた。
やっべえ、何で?
焦るが、昨日の出来事を振り返る。
疲れてたんだな、僕。
ぐっすり寝られたおかげか、疲労は残っていない。
「よし、やるか。」
息を吐き、気合を入れる。
足取りは軽やかに、病院へ向かう。今までの辛さが嘘のようだった。
病院に着き、よし、と小さく気合を入れて病室へ向かう。
病室が視界に入る。やるぞ、と小さく息を吐く。病室からはちょうど看護師さんが出てきたところだった。髪型はショートボブ、顔立ちはいわゆるタヌキ顔といったタイプで、佇まいは穏やかであるものの、何処か幼さを感じさせる人だった。背は、僕よりも数センチほど低いくらいか。歳は、20代前半のように見える。
「こんにちは。」
「こ、こんにちは。」
慌てて挨拶を返す。さっきの独り言、聞かれてないよな。
「春谷君だっけ?私は、看護師の
良かった。
「ありがとうございます。」
「そういえば、薬剤師の人から酷いこと言われてない?帰れとか言われてなかった?」
ああ、やっぱりあの人、そういう誤解受ける人だったのか...
「いえ、むしろ助けて貰いました。」
「そう、良かった。悪い人じゃないけど、言い方がキツいから話半分で聞いてあげてね。」
「え、ええ。分かりました。」
えええ、医療者でそれは無理があるだろう。大丈夫かなぁ、あの人。
気を取り直して、病室に入る。
扉を開けると、秋戸さんがこちらに手を小さく振り微笑む。
その姿に気が緩む。
「やあ。」
しまった。気が緩みすぎて、砕けた挨拶をしてしまった。
彼女は、しばし目をパチクリさせた後、やあ、と返してくれた。
二人で笑い合う。
ああ、良かった。元気になってくれたみたいだ。
「来てくれて、ありがとう。でも、学校はいいの?」
しまった。この時間に来るのは間違いだった。
「僕、今日休みなんだよ。体調は良くなった?」
嘘は...言っていない。勢いで押し切る。
「...うん、だいぶ良くなった。」
「そっか、良かった。」
「そういえば、学校はどう?」
何と答えれば良いか分からない。彼女は、どこまで知っているのだろう。
休学のことは、黙っていよう。
「相変わらずだよ。朝賀先生は変わらず、からかわれてる。」
「えー、まだみんなそんな状態なのー。」
違和感を覚える。覚えているのか?
「...クラスメートって誰か覚えている人、いる?」
「小学校から一緒にいる夏江君でしょ、学級委員の桜木さんでしょ、それから…」
口に酸っぱさを感じる。この話は、駄目だ。
「そういえば、ゼリー、また買ってきたんだ。」
耐えられず、話題を変える。
「わぁ、ありがとう。美味しかったよ。」
「同じのだけど、飽きてきてない?」
「ううん、でもなんだか懐かしい感じがした。」
前に、一緒に食べたもんな。
「そっか。」
胸に、ほのかな暖かみを感じた。もしかしたら、思い出してくれるかもしれない。
「ああ、大事なことを忘れてた。」
「何?」
「君が休んでいる間の授業のノート、一昨日の分までしかかけてないけど、見る?」
そういって、ノートを取り出す。
「え、すごい可愛いノートだね。」
そう言われ、心臓がキューっと絞られるような感覚に陥る。
「違う。僕のじゃない。」
「え、じゃあ誰の?」
「君の。」
「え?私のじゃないよ。私の持ってるの、違うポーズのやつだし。」
なんて説明しよう。てか、よく見たらポーズなんてあんのか。知らんかった。
「えーと。ノートごとあげることになった。」
「え?お金...どうしよう?」
「?何のお金?」
「ノート代。」
「どうもしないよ。先生から貰ったし。」
「じゃあ、先生に…」
てい、軽く頭に触れるぐらいの力で叩く。
「秋戸さんの家族が、学費払ってるんだからもっとわがまま言っていい。僕だったら病院に来て授業しろ、って声高々に言ってるね。それか、学費返してもらって懐に入れとく」
「でも...」
「そう思うなら、お礼にしたら。」
「え?」
「秋戸さん、悪いことやってない。」
「うん。じゃあ、お礼にする。」
「だから、自分のペースで良くなって、また学校に来てね。」
「...うん。」
妙な間があった。
「嫌なこととか、ない?」
「...ないよ。大丈夫。」
彼女は、以前に見たことのある笑顔を作る。誤魔化した時の、笑顔を。
僕は、まだ彼女からの信頼を得られていないようだった。
身のない話を続ける。一番大事なのは人間関係を作ること。温度は、同じにしなければならない。
ノートは、1日おきに渡して返してを繰り返すことになった。彼女の反応がある分、全てを書き写してから渡すよりもモチベーションを保てそうだ。
時計をふと見ると11時30分を回っていた。今の僕は、ただのクラスメート。強く自分に言い聞かせる。
「じゃあ、そろそろ行くね。」
「うん。」
病室から出る。
かなり、しんどかった。昨日は精神的なショックもあり、そこまで注視していなかったが、彼女は点滴に繋がれていた。
軽く息を吐く。どういえば、一番良いのだろう。
「大丈夫ですか?」
心臓が、飛び出るかと思った。気配や足音を全く感じなかった。
野太い悲鳴を上げて、声のした方を向く。
急に動いてしまったため、声を上げた人にぶつかってしまう。
鋭い金属音が響く。
そこには昨日話をした、薬剤師の人がいた。
男は、転んだ反動から彼が落としてしまったであろう、消しゴムほどの大きさの黒い金属の板がついた、キーホルダーのようなものを拾い上げ、こちらに向き直る。
「そ、そんなに驚かなくても...」
「お、驚きますよ。びっくりしました。」
「ショックですね。泣きそうです。」
「えええ。」
真顔でそんなことを言われても。
「冗談はさておき、場所を変えませんか?」
「え?」
言われて気付く。病室の扉の前では邪魔になってしまう。慌てて移動する。
「何か、思い悩むことでも、ありましたか?」
「全部、です。」
「例えば、どういうところですか?」
「点滴が繋がれているのを見て、苦しかった。自分以外の人の記憶があるみたいで、辛かった。」
自分の感情を吐露する。
「ええ、大変でしたね。まずは、一つずつ、やっていきましょう。」
「はい。」
「まず、最初の点滴ですが、何が心配ですか?」
「...それだけ、点滴をするだけ、体調が悪くなっているってことですよね?」
「いいえ、今回は、全くそのケースには、当たりません。あの点滴の、中身は、抗生物質、簡単に言うと、菌を殺す薬です(*1)。」
「それじゃあ…」
「ええ、簡単に言えば、手術の傷に、菌が繁殖して、膿んだりしないように、するためのものです。体調が、悪くなっているわけでは、ありません。」
「でも、それでも辛いなぁ。」
「ええ、そうですね。ただ、点滴も、順調にいけば、3日後には、外れるはずです。」
「3日ですか...」
長いなぁ。
「確かに、長い期間です。そばで、寄り添ってあげてください。」
「はい?」
そんな、精神的なことを言われるとは思わなかった。
「一人だと、この期間の記憶は、暗いものとなります。」
「また、忘れるかもしれない、ってことですか。」
「ええ、その可能性も、否定できません。」
そっか。じゃあ、僕のやっていることは...間違っては...ないんだな。
「分かりました。それじゃあ、今後も来ます。」
「ええ、お願いします。それと、他の人の記憶があるとの話でしたね?」
「はい。」
「他の人とは、どういう人ですか?」
言われて気付く、今までのことを思い起こす。
おそらく、記憶がなくなったことは、あの時まで周りの人は知らなかったはずだ。
「クラスメートです。」
「そうでしたか。」
「これって...」
「ええ、いよいよ、心理的要因の方が、濃くなってきましたね。」
こんな想像はしたくない。でも...
「...僕って、嫌われているんでしょうか?」
「何故、そう思うんですか?」
あの時の、拒絶するような眼を思い出す。
「だって、手術することに気付かなかったわけだし、薄情な奴だって、忘れるほどに憎かったんじゃないかって。それに…」
「それに?」
「僕に、好きな人がいる、って言ってから手術受けてたし。」
もしかしたら、その好きな人のことを考えて、手術を受けたからかもしれない。
男は、はぁ、と小さく息をつき、答える。
「もう一度、病室に来たあなたに対し、彼女は、何て、言っていましたか?」
「え?」
予想と違う答えに驚く。
白衣の男はこちらを静かに見つめる。
今一度思い起こす。
「…謝られました。」
「なんて言って、謝られましたか?」
「私なんかのために...」
「自分の価値を、低く見ている人が、誰かを憎むと、思いますか?」
「いえ、それは...」
ただの詭弁だ。誰かに嫌がらせをされて、自分の価値を低く見つつも、心の奥底ではその相手を憎む。そんなケースもあるだろう。
「憎まれるだけの心当たりは、ありますか。」
「…彼女を、見捨てたこと。」
「…彼女の入院を、知らなかった、という話ですよね。」
「…ええ。」
それでも、違和感はあった。もっと最善の方法があった。
「…彼女は、貴方から見て、どういう人でしたか?」
言葉に詰まる。
「そういえば、どうして、彼女を、想うようになったのですか?」
話すべきではなかったのかもしれない。だけど、つい話してしまった。
自分が両親を喪って、前を向けなかった時に助けてくれたこと。
本当は、全部全部分かってた。
「もう、答えは出ているじゃ無いですか。」
そう、こちらに微笑む顔は、何処か哀しさを感じさせた。
「それに、好きな人がいる、って言われて貴方は諦めるんですか?」
「え?」
「いいですか、男が引くときは①相手に彼氏がいる時②相手に拒絶された時、両方を満たした時だけですよ。」
そう言われて肩を叩かれる。
ふと、昨日の贈り物を思い出す。
「そういえば、昨日売ってもらったソープフラワーって、誰に渡す予定のものだったんですか?」
暫しの重い沈黙ののちに、男は口を開く。
「こんなことを言うのも、憚られますが…好きな人に渡したかったんです。」
男の目には強い後悔が映っていたものの、何処か割り切っている様子だった。
勇気が出なかった、と言っていたことと先ほど言っていたことを考えると、これ以上は触れない方が良いと感じた。
「すいません、嫌なことを思い出させてしまいました。」
「いえ、嫌なこと…ではないですね。ただ...相手に迷惑をかけてしまったことなので...」
目つきは悪いものの、この男が故意に他人に迷惑をかける人でないことは分かる。
首を突っ込むべきではなかったのだろう...けれども自分がされたように、力になりたいと、思ってしまった。
「何をやったんですか?」
「中途半端に、手を出して、途中で、投げ出してしまいました。」
僕は、何も言えなかった。
いくらでもそれを擁護する言葉は浮かんだ。けれども、それ自体を拒んでいるように、感じてしまった。
それを察したのか、彼はこちらの背を叩く。
「私のことよりも、大事なのは貴方のことです。」
「え?」
「貴方は、私のようにならないで下さいね。たとえ、どのような状況になっても、諦めてはいけません。」
あまりにも、重い言葉だった。
彼女から受けたものを再度思い起こす。
よし、大丈夫。
「分かりました。」
僕がそう告げると、彼は安堵の表情を浮かべ、階段の方へ立ち去る、がすぐに戻り病室へ向かう。
僕と話をして肝心の仕事を忘れてしまったようだった。
だいぶそそっかしいな、などと思いつつ、その場を後にする。
今日のことを思い起こす。彼女は少しずつ元気になっている、それだけで胸の奥が暖かくなる。退院したら、何処かに誘おうかな。
胸は弾む。
この時の僕は、まだ『病気』を理解していなかったのだろう。
※この物語はフィクションです。*の表現には、語弊があります[マクロライド系抗菌薬という種類のタイプは静菌作用(菌が増えないようにする作用)により効果を発揮するため]。私の年齢が若かったことや伝えたかった本質から外れてしまうために、この表現をされたのだと思います。ご理解いただけると幸いです。
詳しくは下記をご参照下さい。
*1 服薬指導のツボ 虎の巻 第3版 杉山正康 編著 日経ドラッグインフォメーション
編 p.25
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