第8話 想起

 小学二年の頃だった。


「お父さんとお母さんはお買い物に行ってくるけど、紡も一緒に来る?」

「ううん、いいや。」

 やった。これでお母さんとお父さんに怒られずに、ゲームが出来る。

「じゃあ、お留守番お願いね。宅配の人は来ないから、誰がきても出ないようにね。」

「うん。」

「宅配だったり、水道の人の格好をして来る悪い人もいるからね。どうしても出なきゃいけないことになったら、ドアのチェーンをして出るようにね。」

「うん。分かった。」


 それが、最後の言葉だった。両親は事故に遭い、亡くなってしまった。僕は、叔母さんに預けられることとなった(*1)。今思い起こすと、僕は恵まれていた。でも、居心地が悪かった。いや、それは建前で、本当は忘れたくなかっただけなのかもしれない、あの痛みを。


「今日からここがあなたの家ね。」

「うん。」

「何か欲しいものがあったり、行きたいところがあるなら、いつでも言ってね。」

「うん。」

「流石になんでもかんでもは難しいけど...」

「うん。」

「少しくらいは遊んでも良いのよ。」

「いい、もう遊ばない。」

「そう、でも学校には行かないとね。」

「うん。」

「そうだ、今のうちに鍵を渡しておくね。」

「うん。」

「叔母さんは月曜日から金曜日まで、夜までお仕事で家にいないけど、大丈夫?」

「うん、大丈夫。」


「新しく転校してきた春谷 紡君だ。みんな、仲良くしてするように。」

「よろしくお願いします。」

 形式だけのやりとりを済ませる。自分でも、何故今生きているのか聞かれたら答えられないほど気力が出なかった。


「紡君、だっけ?なあ、一緒に遊ぼうぜ。」

 転校初日の昼休みのことだった。僕は、クラスで常におしゃべりをして先生に怒られている少年に話しかけられた。

「いいや。」

「なんだよ。」

「ごめん、そんな気分じゃない。」

「具合悪いのか?」

「そうじゃない。」

「そうか。じゃあ、そういう気分になったら遊ぼうな。」

「ああ。」

 遊ぶ気なんて、毛頭なかった。ただ、思い返すと、それが夏江 岳との最初の会話だった。


 周りからの呼びかけも、自分の対応に愛想を尽かしたのか、時と共にかすれていく。転校から一週間ほど経った時のことだった。授業が終わり、誰もいない家に、一人で帰宅している途中、後ろから右肩を叩かれる。咄嗟に右に振り向く。右頬に指が当たる。どうやら肩を叩いた手の人差し指を立てて、振り向いた相手の頬に当てるという子供の悪戯をやられたようであった。

 身を引いて、改めて身体ごと振り向く。そこには、コスモスのような笑顔を、こちらに向ける少女がいた。つい、つられてこちらも笑ってしまう。

「なぁんだ。ちゃんと笑えるじゃん。」

 母のこと、父のことを思い出し、何もなかったかのように前へ向き直る。

「ずっと見てたけどさ、何かあったの?」

 沈黙を貫く。ただ、失うのが辛かったのかもしれない。他の人から同情されるのが怖かったのかもしれない。右手をあげ、その場を立ち去る。左腕を掴まれる。

「ちょっと、何処行くの!」

「家に帰るところ、何か文句ある?」

 腕を振り払い、後ろに吐き捨てる。そこには、消え入りそうな悲痛な叫びがあった。

「そんなの、嫌だよ。」

 再び、後ろから左腕を掴まれる。

 何を言っているのか、全く分からなかった。分からなかったが、自然と感情が溢れ出す。

 後ろを向く。両眼に涙を浮かべて、嫌だよ、としきりに言っていた。理解は全くできなかったが、感情は止められなかった。

 気付けば、二人共犬のように泣いていた。


 ひとしきり泣いたせいか、だいぶ落ち着いた。彼女に感謝を述べる。彼女はまだ、泣き止んでいなかった。

「まだ、教えて、もらって、ない。」

 何を?、なんて聞けなかった。流石に根負けした。いや、それも違う。ただ、僕はこの子に自分のことを、知ってもらいたい、だけだったんだ。

「うん、じゃあ泣くのやめたら、話すよ。」

「わ、わかった。泣くのやめる。」

 彼女は顔を強張らせて言う。

「ほ、ほら、これで大丈夫。話して。」

 余りの必死さに、つい笑ってしまう。

「ひ、ひどいよ。でも、やっぱり笑ってた方が、いいね」

 彼女も笑ってくれた。僕は、彼女に経緯を話した。両親が事故に遭っていなくなったこと、叔母さんの家にいること、笑っていると全部忘れそうになること、叔母さんの家にいると迷惑をかけていないか不安になること。

「そっか。やだったね。」

「うん。」

「でもさ、もし逆だったら、どう思う?」

「逆って?」

「もし、自分が死んで、お父さんとお母さんがそうだったら。」

「え?」

「だから、もし、自分が死んで、お父さんとお母さんがずっと泣いてたら。」

「そんなの嫌だ。」

「じゃあ、同じじゃない?」

「え?」

「前、向いていこ。」

 屈託のない笑顔を向けられる。それでも、僕は...

「叔母さんに迷惑かけてるし、僕がそれじゃ...」

 何処かで自分を責めていた。因果関係なんてなかったと思う。それでも、あの時、僕が遊ばずにいれば、こんな事態にならなかったと、思っていたんだろう。

「家にいて迷惑かけてる、って思うなら、中学校は寮のある学校に行けばいいんじゃない?」

「りょう?」

「学校にお家があって、そこで暮らすの。」

「へー」

 そんなこと、知らなかった。

「それよりも、今度、一緒に遊ぼ。」

「う、うん。」

「そういえば、名前は?」

 名前なんて、今まで気にしていなかった。

「つ、紡。」

「いい名前だね。お母さんとお父さんに感謝しなきゃ。私は、佳奈。よろしくね。」

「うん。よろしく。」

 それが、秋戸 佳奈との最初の思い出だった。


 それから、毎日が楽しかった。かくれんぼ、だるまさんが転んだ、走る遊びはしなかったが、一緒にいるだけで楽しかった。途中で岳とも一緒に遊び始めた。学校行事で水族館に行った。バレンタインには生まれて初めて女の子からチョコレートを貰えた。ホワイトデーにあげたゼリーですごく喜んでくれた。

 初めて、家に、遊びに来てくれた。

 最初は、辛いことを思い出してしまうから、両親の写真なんて飾らなかった。それでも、彼女がうちに遊びにきた時に言われて、ひどく怒られた。

「ずっと泣くのは駄目だけど、挨拶くらいちゃんとしなさい。」

 それから、毎日両親への黙礼は欠かしていない。


 そして、小学校三年生になった。僕と岳は同じクラスだったが、彼女は別のクラスになってしまった。

「もう、別々になっちゃったし、遊ぶのやめよ。」

「え?」

「私、走ったりできないから他の子と遊びなよ。それに、私、これから予定が入るから忙しいの。」

「紡、早く行こうぜー。」

「ほら、早く行って来なよ。」

 周りの子は男女で分かれて遊んでいた。だから、恥ずかしさもあったのかもしれない。

「う、うん。」

 こちらを見送る彼女の眼は、何処か寂しげだった。それから、徐々に、徐々に、離れていった。


 そして、僕たち三人は全寮制の学校へ進学して、今に至る。


※この物語はフィクションです。*の表現は、下記を参照した結果、それほど問題がないと判断しました。

*1…厚生労働省 特別養子縁組制度について 1. 概要 〈参考〉普通養子縁組と特別養子縁組のちがい・特別養子縁組の成立件数・参照条文

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