第7話 再開

「どうした?」

 前に聞いたことのある声だ。返事はできない。

「悪い。意識はあるようだし、頭を打ったわけでもなさそうだから、君を休める場所に連れて行く。」

 男に抱えられて、他の場所に移される。これ、前にも…てか、抱えられてるわけじゃねえ、引きずられてるだけだ。どれだけ非力なんだ、この男。しかも、息切れまでしてる。

「ここに、座っていなさい。」

 連れてこられたのはラウンジだった。顔を上げると、前に見たことのある、左目に泣き黒子のある、目つきの悪い白衣の男がいた。身長は、屈んでいるため分かりづらいが、僕よりも数センチばかり高いくらい。年齢は30代前後といったところだろうか。男はそばに座り、背中をさすってくれた。いや、だから、それ違うって。


 この瞳を、ついさっき見た気がする。


 時間が経ち、少しずつ今までのことを思い出す。

 悪い夢を、見ていたようだ。それにしては、妙に鮮明な夢だった。


「まだ、苦しいかい?」

「いえ、お陰様で少しは楽になりました。」

「何か、あったのかい?」

 言葉に詰まる。さっきの夢が、蘇る。そんな様子を見かねてか、白衣の男が口を開く。

「すまない。まずは、自己紹介から、始めようか。私は冬崎とうざき。薬剤師だ。薬剤師、って知ってるかい?」

 余り馴染みがないが、薬局にいる人だよな、と思い、告げる。

「薬を渡す人。」

 男は、苦虫を噛み潰したような顔をして答える。

「ああ、そうだね。君は、秋戸さんの、お見舞いに来た、春谷君で、間違いないかな?」

「どうして知ってるんですか?」

「ご家族から、聞いているからね。」

「ああ、理解しました。」

 胸が痛い。

「それで、確認なんだが、今、君は、見舞いに来たら、誰?、と言われて、ショックを受けている状態かい?」

「ええ、そんなところです。」

 状況を客観的に言われ、さらに心をえぐられる。僕、忘れられたのか?

「何で入院しているかは、知っているかい?」

「…心臓の手術で。」

「手術の、直前に、見舞いに、来ましたか?」

「いえ、来ていません。言い訳になるかもしれないですが、知りませんでした。」

 感情が、流れ出す。

 もしかしたら、それで、嫌われちゃったのかも。

「そんなに、思い悩むほど、好きだったんですね。」

 男は水蓮のような微笑みを、こちらに向ける。

「ええ。」

 そうじゃないと、ここまで来ていない。

「今でも、そうですか?」

「はい。」

 自分の言葉が、すぐに出てきたことに驚いた。だけど、それで納得できた。

「だったら、なおさら辛いですね。」

「ええ。」

 まだ、胸の痛みは収まっていない。

「何で、そんなことを、彼女が言ったか、一緒に考えても、良いですか?」

 その表情は暖かかったが、どこか悲哀に満ちていた。

「何で、薬剤師さんが一緒に考えてくれるんですか?」

 男は返答に驚いたのか、難しい質問ですね、といって固まるが、しばしの沈黙の後、こちらに向き直る。

「確かに、原因が、心理的な要因であるならば、薬剤師よりも、普段から秋戸さんに接している看護師さん、もしくは、専門知識を持っているカウンセラーの方が、適切でしょう。ただ、薬が原因の可能性が、捨て切れないので、まずは、それを判断してからです。」

「え?それはどういうことですか?」

 そんな薬、あるのだろうか。

「彼女は、手術の際に、全身麻酔をかけました。麻酔の前後の記憶が、あやふやになってしまうケースが、ごくまれに、あります(*1〜3)。こんな表現をしては、他の同業者から怒られますが、簡単に言えば、お酒で泥酔していると、思ってもらえれば、わかりやすいと、思います。最も、前後の記憶が、とぶほど、お酒を、飲むなんて、未成年の、貴方には、ないでしょうが。」

 それなら、イメージ出来る。いや、お酒飲んだことなんてないですよ。だけど...

「いや、そんなはずはありません。」

「何故ですか?」

「私が、彼女と最初に会ったのは、小学2年性の時でしたから。」

 手術からはだいぶ日にちに隔たりがある。

「そうでしたか...麻酔が、原因ではないと、完全に、断定するのは、困難ですが、心理的な面を、考えていきましょうか。それらが、解決されない限り、また、同じことが、起こるでしょう。何か、思い当たる節は、ありますか?」

 今までの経緯を話した。小学校の中学年当たりから友人と遊ぶように彼女が図ったこと、おそらくその前後に今回の手術を宣告されたであろうこと。死の恐怖の中、一人でいたのが原因だと思う、と告げる。男は間を置いてこう切り出してきた。

「確かにそれも、あるでしょう。ただ、果たして、それだけでしょうか?」

「どういうことですか?」

「病気の苦しみは、死の恐怖、だけではありません。むしろ、死にたいと考える人も、いるくらいです。自殺の動機の第一位は、健康問題です(*4)。こう言えば分かりますか?」

「...運動ができないから。」

「それも、一つでしょう。まだ、ありますよ。小学校の中学年となると、人との比較を始める頃合いです。さて、その中で、手術をするということは、どういう意味を持ちますか?」

「...みんなとその時間遊べないってことですか?」

「ええ、それも一つの答えですね。例えば、本来であれば、恋人や好きな人と、楽しく過ごせるであろう時間を、過ごせない。思春期の、一番楽しい時間を、失ってしまったことは、大きいでしょう。」

「...でも、それは、これから取り戻せばいいんじゃないですか?」

 まだまだ、人生は長いんだ。いくらでも...

「質問を返すようで、申し訳ありませんが、手術をして、それで終わりだと、思っていますか?」

「それは...」

 言葉に詰まる。手術して終わりな訳がない。そんなの、とっくにわかってる。

「手術をした結果、今後、飲み続けなければならない薬が、でてきます。手術の痕が、残ります。心臓の手術となると、何処に、傷が出来るか、分かりますか?」

 もう、これ以上えぐるのはやめてくれ。

「答えられないようなので、私が答えますね。胸に、できます。おそらく、傷の上部は、鎖骨まで、達しているでしょう。どういうことか、分かりますか?」

 懸命に、堪える。ここで流すのは違う。

 男は、そんなことに興味がないかのように淡々と告げる。

「胸元の、開いた服は、着られませんね。それに、お風呂に入る時には、自分の傷が、鏡に映ります。」

 もう、限界だ。潰れるように声をあげる。

「でも、それで、普通の人のように生きられるのなら...」

 息を吐いて、男は今までに見たこともないような冷たい眼差しをこちらに向けて、突きつける。

「何をもって、”普通”と、言っていますか?今後の、経過を、診てもらうために、3〜6ヶ月おきに、通院し、人並みに、運動もできず、周りの人と、見た目は、変わらないために、サボっていると、評価される、それが、”普通“ですか?」

 もう、前が見えない。男は立ち上がり、吐き捨てる。

「その涙は、同情ですか?それとも、憐憫ですか?」

 自分でも、涙の意味が、分からなかった。

「私も、先ほどの光景を見ましたが、あの言葉には、強い拒絶の意思が、感じられました。心の奥底で、何処かで、貴方を、遠ざけたい、と思っているかもしれません。原因は、先述した通りです。端的に言えば、貴方が中途半端に介入することは、ガラスのショーケース越しに、絶対に買えない高価な指輪を見せるようなものです。」

 そんなの、嫌だ。

「それでも、見舞いに、行きますか?今なら、なかったことにすることも、出来ます。下手な同情や憐憫で、あるならば、この場で、お帰りいただいた方が、よろしいかと思います。」

 頷き、声を振り絞って行く旨を伝える。

「分かりました。ここで、待っていてください。」


 自分の思いがわからない。流れ落ちるものを止めることはできなかった。

 ぼやけた視界に病室に入っていく白衣の男が映る。

 僕は...どうすれば、いい。


********************


 俺は、正しいのだろうか。

 彼女が普通だと、接するのが正しいのかもしれない。

 けれども、前を向けていない以上、相手の考える悩みを、普通と捉えるべきではないだろう。


 だけど、それが返って将来相手を苦しめる。

 

 周りが普通と認めなければ、自分が普通だと考えられない。


 それでも、俺は…

 そうだな、真摯に向き合えば、離れなければ、そういう結果には、ならないよな。


 今度は、間違えたくないな。


********************


※この物語はフィクションです。*の表現は、下記を参照した結果、それほど問題がないと判断しました。しかしながら、医療従事者の方々は、患者に適した説明を行ってくださるため、この表現が全てというわけではないとご理解いただけると幸いです。


*1 日臨麻会誌 Vol.35 No.1, 1 〜 14, 2015 麻酔中の意識と記憶 土肥修司

*2 埼玉医科大学雑誌 第30巻 第3号別頁 平成15年7月 吸入麻酔後の健忘に関する行動学的検討 埼玉医科大学総合医療センター麻酔科 (指導:宮尾 秀樹教授) 岡本 由美

*3 公益財団法人 日本麻酔科学会 医薬品ガイドライン

*4 厚生労働省 自殺対策白書 5 原因・動機別の自殺者数の推移

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