第6話 悪夢

 僕の休学が終わってしばらくしても、秋戸さんはなかなか姿を見せなかった。

 先生も桜木さんも、見舞いに関しては、特に触れてこなかった。

 気が気では無かったが、あれ以上、僕に出来ることはなかった。

 それ程、彼女からあんな目で見られることが、辛かった。

 そろそろ、クラスも変わってしまう、そんな焦りを覚えた2月の中頃のことだった。


 僕の行動は、正しかったのだろうか。


 彼女の欠席が、日常となってきた。今は、あの頃のような焦りはない。

 それが、たまらなく嫌だった。

 もう、HRも耳に入ってこない。興味もなくなった。


「…秋戸さんが退院されました。秋戸さん、入ってきてください。」

 声に合わせて教室の扉が開く。


 今、なんて言ったんだ。


 胸が弾んだ。

 学校に来れるって事は、元気になったんだよな。

 そんな期待が、なかったとは言えない。


 見てられなかった。その足取りは断頭台への歩みを想像させ、その姿はまるで死装束。

「皆さん、ご心配をおかけしました。」

 色のない声での挨拶、教室は何も音をたてられなかった。


 HRが終わり、今まで書いたノートを渡しに向かう。

「秋戸さん。」

 声が、震える。ただただ怖い。

「なあに?」

 相変わらず、色はない。

「これ、ノート。秋戸さんがお休みしてた分の…」

「…あら、ごめんなさい。気を遣わせてしまいました。」

 一瞬、色が戻ったように感じたが、気のせいだったみたいだ。変わらずの声色、全身が悲鳴をあげるのを感じる。このままじゃ、駄目だ。焦燥感だけが渦を巻く。それでも、必死に顔を作る。

「ノートごとあげるから、受け取って。」

「…ごめんなさい、お金、今持ってないの。だから、これ、いらないわ。」

 拒絶を示される、けど、これ以上拒否されたくない。

「大丈夫、先生からノートを貰ったから、受け取ってもらわないと困るよ。」

 そう、笑いかける。周りから見たら、酷く、引きつった笑顔に見えただろう。

「...ええ、失礼しました。」

 さっきよりも、色のない返事だった。何か、まずいことでも、いってしまったのだろうか。

 いや、問題ないはずだ。ちゃんとした事実なんだから。

 いたたまれなくなり、それじゃ、といって自分の席に戻る。


 何が正解で、何が間違いか分からない。


 もう、どう話せばいいか、忘れてしまった。


 何の話をすれば、お互いに笑い合えるか分からない。だって、今までしてきた経験に、あまりに大きな乖離があるんだから。


 幸い、顔色は良くなっていたし、徐々に体育にも出てこられるようになった。

 そうだ、運動少しずつやれるようになったんだ。


 足の筋肉だって、ついてきているみたいだし、

 ―それは本当に筋肉かな?ジャージ越しでも、膨らんでるのが分かるよね。

 息を切らしても、走れているみたいだし、

 ―休ませたほうがいいんじゃない?息切れって、レベルかな?それに、とっても顔が、険しいよ。顔色も、悪くなってない?

 あれ、倒れてちゃった。

 ―最初から、気付いていたんでしょ。あんなにサインがあったのに。


 彼女は中学2年生を迎える前に、亡くなった。


 全部、無くしてしまった。

 最初から、やり直したい。


 布団に顔を押しつけて、現実を押しやる。

 僕は、失ってしまった。今度こそ、全てを。


 もっと、もっと、いくらでもやりようはあったのに。


 気がつくと、僕は、霧に覆われたところに立っていた。

 声が、聞こえた。

「後悔しているの?」

 まるで、牧師のような暖かな声だった。

 声のする方を見遣ると、そこには子供が立っていた。自分よりも頭2つ分ほど背は低いようで、顔は霧でよく見えない。

「ああ。出来るなら、やり直したい。」

「本当に?」

「ああ。」

「君の人生、このままでも良いんじゃない?君に実害、無いでしょう?」

 痛いほどに胸に響く。でも、失ってから、気付いたんだ。

「それでも、僕は、彼女と一緒に過ごしたい。」

 ああ、彼女じゃなきゃ、駄目なんだ。

「そう、じゃあ、チャンスをあげる。」

「え?」

「やり直しのチャンス。」

 これは、淡い夢なのかもしれない。それでも、僕は、それにすがるしかなかった。

「や、やらせてほしい。」

「やり直したいと思っているところじゃないかもしれないけど、それでもやる?」

「ああ。」

 彼女が生きている地点なら何処でも良い。その可能性が1%でもあるのなら。

「それじゃあ、頑張って。」

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