第5話 喪失
答えの出ない自問自答を繰り返し、あれからだいぶ日にちが経った。
みんなは、どうしているのだろうか…
部屋の電話が鳴る。
「春谷君、今大丈夫?」
何だ、先生か。
「別に問題ないですよ。」
「秋戸さんのお見舞いですが、ご家族からも許可が出ました。」
「そうですか。」
「桜木さんは、難しいと言われました。」
ああ、僕のやったことは、間違いなんかじゃなかったんだ。
その言葉だけでも、自分の努力が認められたような気がした。
「分かりました。一人でも大丈夫です。」
支度をして、先生から教えてもらった病院へ向かう。
時間はもう11時を回っていた。受付に用件を伝え、聴取した彼女の入院している病室に向かう。少しは期待していたのかもしれない。ひょっとしたら、体調も良くなって、明るい性格に戻っているかもしれない。胸は、少しばかり弾んでいた。
病室のドアを開ける。
彼女には、生気はなかった。胸が、痛む。潰れるような肺の苦しさを抑えながら、彼女のもとへ進む。視線が合い。会釈して話しかける。
「誰?」
時間が止まった。何を言われているのか分からなかった。もう、ろくに呼吸もできない。僕は、その場で蹲ることしかできなかった。彼女の視線が突き刺さる。これは、マスクをしているから分からない、といった次元を超えていた。明確な拒絶の意思が感じられた。
「どうした?」
知らない人の声だ。返事はできない。
「悪い。意識はあるようだし、頭を打ったわけでもなさそうだから、君を休める場所に連れて行く。」
男に抱えられて、他の場所に移される。
「ここに座っていなさい。」
連れてこられたのは、ラウンジだった。顔を上げると、そこには、左目に泣き黒子のある、目つきの悪い白衣の男がいた。男はそばに座り、背中をさすってくれた。いや、それ違くないか。
時間が経ち、少しずつ冷静さを取り戻す。
「まだ、苦しいかい?」
「いえ、お陰様で少しは楽になりました。」
「何か、あったのかい?」
そう言われて、もう一度、今までのことを思い起こす。
ああ、僕のやって来たことは...全部、無駄だったのかもしれない。
「...ごめんなさい。一人にして下さい。」
暫し悩んだ後に、白衣の男は切り出す。
「そんな状態の、君を放っておくわけにはいかない。」
誰かに話す、余裕なんてないんだ。
「いいから向こうへ行けよ。」
つい、口調が荒ぐ。もう、冷静な判断なんて出来ない。
「それは、出来ない。」
それでも強く断られる、がそう告げた白衣の男は、状況を察した周りにいた看護師達に、連れられてしまった。
その代わりに、看護師が来る。
「どうしたの?男の人には話しにくいこと?」
そんなんじゃない。明確な拒絶を示し、向こうへ追いやる。
もう、いいや。全部、どうでも良い。
心の何処かで感謝されたい、という気持ちがなかったとは言わない。
見舞いに来たことを喜んで欲しい、という期待がなかったとは言えない。
得られたものは単なる拒絶。
僕の行動は、何だったんだろう。
感謝されるために、やったわけではない。
ただ、笑っていて欲しかった。
帰ろう。
もう、何もかも壊れてしまった。
寮に戻ると、A4程のサイズの1枚の紙を持った岳が、僕の部屋の前にいた。
「何が用か?」
岳はこちらを見ると、ギョッとしたように目を丸くした。
「どうしたんだよ。酷い顔だぞ。」
「いや、すまない。」
巻き込んでおいて、何の成果も得られなかった。
「秋戸さんはどうだった?」
話すことは躊躇われた。伝える言葉は、一言だけ。
「悪い、分からない。」
「なんだよ、それ。」
「悪い、一人にしてくれ。」
もう、余裕なんてない。迷惑をかけたあげく、こんな有様じゃ、顔向けなんて出来ないさ。
「嫌だね。」
「何でだよ。」
「お前の分の飯、買ってあるから。」
「えええ。」
あまりのことに素っ頓狂な声がでる。
「部屋で待ってろ。すぐに取ってくる。」
相変わらず、勝手な奴だ。だけど、今は、それがありがたかった。
インターホンを鳴らされ、扉を開ける。
「はぁはぁ、持ってきた。」
そう言って、一杯に詰め込まれた袋を渡される。袋は少しばかりひんやりしていた。
「そんなに急がなくても。」
そういいつつ、袋の中を見遣る。
「…腹減ってて。」
手渡された袋の中には、卵 1パック、ニラ 1束、じゃがいも 1個、人参 1個、玉ねぎ 1個が入っていた…おいおい。
「お前、食べてなかったのかよ。しかも全部調理が必要な奴じゃねえか。」
「だってお前最近野菜ろくに取ってねぇんだろ。」
「いいだろ、野菜ジュースで。」
「やなんだよ、そんな現代っ子。」
「えええ。」
訳がわからない。
「ほら、調理しようぜ。」
「いや、うちコンロねえだろ。」
男子寮に、コンロはない。
「食堂にレンジあるだろ。それで作ろう。」
「えええ。」
超めんどくせえ。
岳に逆らえず、結局一緒に調理からやってしまった。
テーブルの上にはニラ玉と蒸した野菜、パックのご飯、サバの味噌煮が人数分置かれている。
「悪いな。野菜しか頭になかった。」
「いくらかかった?」
値段としての釣り合いは、取れてはいないだろう。
「内緒、てか俺もパックのご飯と味噌煮奢ってもらってるし、気にするなよな。」
「いや、そういうわけには…」
言い切る前に岳に遮られる。
「それよりも、秋戸さんはどうだった?」
もう、はぐらかすことはできなかった。
ことの経緯を伝える。
見舞いに来たら、誰?、と言われたこと。そこに、明確な拒絶が感じられたこと。もう、気力がなくなってしまったこと。
長い沈黙の後、岳は意を決したように話し始める。
「もしかしたら、さ、紡に弱っている姿を見られたくなかったんじゃないかな。だから、退院してからに、しよう。」
それが、正しいと感じた。それによくよく考えたら、弱った自分と見舞いにきた僕を比較したくないから、拒絶されたのかもしれない。
「ああ、そうだな。」
「じゃあさ、休学の間、一緒に遊ぼうぜ。」
「いや、それは、出来ない。」
流石に、あの姿を見てしまった以上、そんなことはできない。
「分かったよ。でも、たまには一緒に飯食おうな。」
「ああ。」
「…楽しいこと、考えようぜ。」
「...すまねぇ、お前まで巻き込んで...」
「俺が煽った結果、ああなっただけだ。むしろ俺は怒られる側だね。」
そうだったな。こういう奴だった。それじゃあ、僕としての誠意は…
「そうだな、じゃあ、飯食うか。」
今まで通りに振る舞おう。
「え、まだお前、食ってなかったの?」
岳はもう、全部食べてしまったようだ。
相変わらず、マイペースな奴だ。だけど、それに救われてる。
「それじゃあな。」
「ああ。その、ありがとな。」
「また、明日も来るからな。」
「マジかよ。」
「嫌か?」
「いや、助かる。」
「またな。」
「またな。」
飯を食べ終わり、明日の約束を取り付けて、手を振りあって別れる。
そうか、焦る必要なんて無かったんだよな。
そう思って眠りに落ちる。
今日は、疲れたな。
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