第3話 真実

 起きた時に、岳の姿はなかった。

 重いまぶたをこすり、学校へ向かう。メッセージに夢中で、宿題を全くやっていなかったことが災いした。もってくれよ!そう自分の身体に激励を送る。

 学校に着き、職員室に向かう。

「失礼します。」

 こちらに手を振る朝賀先生の元へ行き、紙を渡す。

「これで桜木さくらぎさんも出したし、全員分揃いました。これで、責任を持って出しに行くからね。」

 桜木?そんな人いたっけと思い返し、昨日の子犬のような眼をした、自称学級委員を思い出す。そういえば、桜木さくらぎ 響香きょうか、って名前の人が学級委員になっていた気がする。

「はい、よろしくお願いします。で、桜木さん、って学級委員の人ですよね。いつ来ました?」

「昨日の夕方かな。」

「何か言われましたか?」

「いや、特に何も。何で?」

「実は、見舞いに行くことを考えていて、クラス全員は無理でしょうけど、2・3人だったら認めてもらえないかな、と思い...」

 先生は首を傾けて考えたのちに、顔を上げる。

「実は先生も、お見舞いは考えていて、ご家族にお話ししたんだけど、余り良い返事は貰えていないの。」

 それは当然だろう。菌やウイルスのことを考えない見舞いの人だったら他の患者の迷惑にもなりかねない。

「分かりました。では、もしご家族から許可が出たら、先生としては生徒が行っても問題無いですか?」

 おそらく、必要なのはその配慮があるかどうかだ。正直、連絡で済ませればいいと言われればそれまでだが、彼女の連絡先を知らないし、直接会って話したいこともある。あの時のお礼も、まだ言えてない。

「それは問題ありません。ただ、報告だけはしてくださいね。」

「ありがとうございます。」

 感謝を伝え、教室に向かう。


 朝早いためか、教室にはまだ数名ほどしかいなかった。ただ、流石は学級委員といったところか、桜木さんは教科書を広げて勉強をしていた。不意に目が合う。彼女はこちらに向かって手招きした。

「おはよう。」

 彼女が笑いを堪える。え?いや、何か可笑しかったのか?

「ごめん、何だか挨拶されるのが新鮮で、つい笑っちゃった。おはよう。」

「ああ、おはよう。」

 また笑いを堪えている。これ無限に続かない?

「ごめん、何度も。もう、メッセージは考えついたの?」

「ああ、お陰様で。」

「そっかー。私のアドバイス、役に立ったんだー。」

 くそ、また墓穴を掘った。

「それは、否定できないね、ありがとう。」

「どういたしまして。」

 彼女が柔和な微笑みを向ける。その姿に、ドキッとしてしまう。心臓に悪いな、これ。

 心臓への圧迫感を堪えて言葉を紡ぐ。

「それで、お見舞いのことを話したいんだけど、時間大丈夫?」

 そういってから、気付く。彼女の机の上には、教科書とノートが広げられていた。彼女の開いていた教科書のページを見るに...それって...

「ごめん、まだ宿題終わってない。」

「ごめんね。じゃあ、また話すよ。」

「うん。またね。」

 その場を後にして、自分の席に着く。まだ時間あるし、寝ていよう。

 宿題のノートを、机の上に出してうつ伏せになる。


 HRを告げるチャイムで目を覚ます。机の上のノートがなくなっていることを確認しつつ、自分に喝を入れる。

 さて、今日は、二人分、頑張りますか。頭の悪い奴は、それだけやらないと。岳、ノート3限までには返してよ。


 睡魔との戦いを終える鐘が響く。慣れていないことをしたせいか、肩が少し痛む。

「よっしゃあ、飯食いにいこーぜ。」

 元気よくそう話しかけられたのは良いが、その前に、朝の話の続きをどうするか、確認しないといけない。

 取り巻きに囲われている桜木さんを見遣ると、こちらの視線に気づいたのか目配せし、申し訳なさそうに小さく合掌して礼をした。軽く手を振り肯く。僕も、昼の時間は難しい。朝に言っておくべきだった。反省しないと。

 ところで、岳、何でこっちを向いて、金魚のように口をパクパクさせてるの?

「え、そんな関係なの?え?え?」

 弁明は後でする、と告げて、岳と共に食堂へ向かう。値段で食い物決めたくねー、と嘆きつつもワカメそばを頼む岳に合わせ、同じものを注文する。

「俺に合わせる必要ないぞ。」

「いや、これから何かと入り用で。」

 そうか、とそっけなく返事をする岳に、桜木さんとの経緯を説明する。

「なるほどな。これからどうするつもりだ?」

「何とか、家族に納得してもらわないといけない。」

「方法は考えているのか?」

「ああ、多分大丈夫だと思う。」

 ただの体調不良なら、少人数のお見舞いは許して貰えるだろう。

「そうか。もし手が必要なら、俺も力を貸すよ。」

「ああ、ありがとう。」

「そういえば、昨日帰ってこなかったみたいだけど、どこ行ってたんだ?」

「ああ、言うべきだったな。先輩のところに厄介になってんだ。」

「スペース、あるのか?」

「その先輩、二人部屋に一人だから全然問題ない。一緒に筋トレしてんだ。」

 その先輩...もしかして

「これじゃないよな。」

「違うわ!」

 お前がその気なら、応援するぞ、岳。


 飯を食べ終わり、岳と別れ、教室へ向かう。桜木さんの姿は見当たらない。

 まぁ、もうちょっと待ってるか。

 午前中の授業で神経を使ったせいか、疲労が溜まっている。少し、うつ伏せになろう。


 不意に、耳元で囁く声がする。まだ、眠い。

「紡、紡。」

 耳元がこそばゆい。そんな、近距離で囁かなくても。

「何だよ。」

 こちらも、その囁きに合わせて話す。

「授業、始まってる。」

「え?」

 気付けば、先生が黒板いっぱいに板書しているところだった。ヤバイ。

 慌てて、鞄からノートを引っ張り出して、写す。これ、清書するの大変だ。


「し、死ぬかと思った。」

 終業を告げるチャイムが鳴り、帰りのHRとなる。ノートを取るので精一杯で、内容が全く分からない。多大な不安に頭を抱える。もう、次の試験受かる気しねぇよ。ギリギリ赤点じゃない点数、桃点目指すわ。

 先生が教壇に立ち、淡々と伝達事項を告げる。それが終わり、ひと段落したところで神妙な面持ちに変わる。

「秋戸さんの入院でもし、お見舞いに行きたいという人がいれば、手を上げてください。」

 あまりの出来事に、呆気にとられる。ここで手をあげたいが、周囲にからかわれたりしては一番彼女に迷惑がかかる。どうすればいい、そう思い悩むと一人の女子生徒が挙手し、声をあげる。声の主は、桜木さんだった。

「私、行きます。せっかく一緒のクラスになったんだもん。」

「分かりました。桜木さんですね。」

「でも、あまり付き合いがない私だけが行っても、仕方ないと思うので、誰か小学校一緒だったりした子はいませんか?」

 そういって桜木さんは、こちらに視線を投げかける。あからさまな振りだった。

 確かに、この流れなら勘繰られるようなこともないだろう。

 手を挙げて答える。

「小学校一緒だったので、他の人よりかは面識があるので、自分行きますよ。」

「では、桜木さんと春谷君は放課後に職員室に寄ってください。」

「「分かりました。」」


 掃除を終えて教室に戻る。女子生徒と談笑している桜木さんと視線が合う。

 桜木さんは周囲に、ごめんね、といってこちらに来る。周りの子も理解してくれた様子だった。

「ごめん。気を使わせちゃった。」

「さっきの?別にいいよ。ちょうど良いタイミングだったし。」

「いや、それもそうだけど、さっきのこと、お見舞いのこと、気遣ってくれてありがとう。」

「うん、良かった。それじゃ、行こうか。」

「うん。」


 二人で職員室に向かう。職員室に先生の姿はなかった。

「どうしよっか?」

 そう呼びかけられる。僕一人だったら教室に戻れるけど…

「すぐに戻ってくるだろうけど、教室に戻るのも気まずいね。」

 なにぶん、さっきのやり取りがあった後だ。

「そうだよねー。」

「でも、どこかに行くと言っても、食堂、図書室、そのどっちかになっちゃうね。」

「うーん。そうなっちゃうねー。」

「話をするなら食堂。勉強するなら図書室ってところだね。」

「勉強は嫌だなー。」

「じゃあ、決まりだね。」

 

 二人で食堂へ向かう。売店ではコロッケ等を売っていた。

「何か食べたりする?」

 しまった。空気に流されて、金もないのに言ってしまった。

「うーん。どうしよっかなー。お腹減っちゃったねー。どれにしよっかー。」

「え。」

 やばい、お金はあまり使いたくない。でも、昨日のノートのノートのこともあったし、仕方ない。

 明日から、僕の食事は腐葉土と水になります。気分はまるでカブトムシ。甲虫王者、目指します。

 そんな僕に気を使ったのかは分からない。彼女の答えは、理解に苦しむものだった。

「うーん、私、ダイエット中だから。」

「はい?」

「もう、聞き返さないでよ。」

 服の上からでもわかる。BMIは絶対に20を超えていないだろう。たまらず叫ぶ。

「嘘つけぇ。」

「え、ええ?」

「そのスタイルでこれ以上痩せたら骨と皮だけになるぞ!」

「そ、そんなことないってば。こう見えてもお腹ぽよぽよだし。」

「嘘つけぇ!!」

 女性を怒鳴りつけるような奴は最低だと思う。だけど、これは許してほしい。妥協はできない。ダイエットは、BMIが24を超えてから考えてほしい。

「じゃあ、実際に触ってみてよ!!」

 そういって彼女は、自身のワイシャツをめくり上げようとする。うおぉ、と反射的に声を上げて、即座に後ろを向いて告げる。

「僕が悪かった。」

「何でそっちむくの!こっち向いてよ!!そんなに酷いの!?」

 いつもの穏やかな雰囲気ではなかった。そこにはただ、気迫があるのみだった。もう二度と女性に体重の話題は出さないようにしよう。

 ヒートアップした彼女も、周りの視線に気づいたのか、大人しくなった。彼女に向き直り、謝罪にならない謝罪をする。ごめん。でも、君がいくら否定しようと、僕は良いスタイルだと思うので自分を卑下しないでください。はい。

 彼女はもう知らない、と頬を膨らませてふてくされる。そんなに悪いことしたかな?

「えと、本題に戻すけど、見舞いの件本当にありがとう。」

「ドウイタシマシテー。」

 完全なる棒読みだ。だめだ、機嫌戻ってない。めげずに、感謝の念を手を合わせて真剣に伝える。

「桜木さんがいなかったら、みんなから隠れて見舞いに行くことになってたよ。桜木さんのおかげだよ、本当にありがとう。」

 彼女がこちらに向き直る。

「そう、良かった。実はね、お昼に先生と話したの。」

「何の話?」

「放課後のやり取りをさせてくれないかってこと、お見舞いのこと。お見舞いに関しては、結局先生が上手くご家族に提案してくれるみたい。」

「そっか。やっぱり動いてくれてたんだ。ありがとう。」

「それから、秋戸さんがお休み中の時のノートのこと。」

「ああ。それなら...」

「知ってる。授業中にノート2つも書いてるなんてね。」

「何でわかった?」

「だって、机からはみ出てるんだもん。色々。」

「ああ、なるほど。」

 迂闊だった。でも、そんなに目立ってた印象ないんだけどな。

「先生も昨日ノートを買っていたみたい。彼女が休みの間のノートを書いてくれないか、って頼まれてね。」

「ああ、そうか。」

「ノートを買ったときの領収証は持ってる?」

「もう、ない。」

 でも、何でそんなこと聞くんだろう?

「秋戸さんの入院中の分も、ご家族は学費を払ってるんだから、ノート代は学校が出すってさ。」

「ああ、そういうことか。」

 学費のことなんて、すっかり忘れていた。

 よく考えれば、授業を受けていないのに学費を払うなんておかしな話だ。

 まあでも、離れた場所で一緒に授業なんて、出来ないしなぁ。

「じゃあ、それも含めて相談しようか。」

 他にも念のため、聞いておかないといけないことがある。

「ああ。それと、もし、ウイルスとかに感染してないことを証明するために1週間休まないといけないことになっても、お見舞いに行ける?」

 リスクを下げて、潜伏期間中も自粛していたら、大丈夫だろう。インフルエンザの潜伏期間は、確か1〜3日間(*1)だったはず。

「?別に今の所は問題ないかな。」

「ありがとう。そろそろ先生いるだろうし、行こうか。」

「うん。」


 先生は、職員室に戻っていた。失礼します、といって先生の元に向かう。

「わざわざ来てくれてありがとう。」

「お見舞いのことと、ノートのことですよね?」

「ええ。まずはお見舞いのことからにしましょうか。」

 二人で顔を見合わせて答える。

「「はい、お願いします。」」

「秋戸さんはまだ手術したばかりで、ICUってところにいるみたいなの。」

 あまりの言葉に、茫然自失とする。あいしーゆー、ってドラマで見る奴じゃないよな。命に別状はない、って言っていたはずだ。

 桜木さんが口を開く。

「I see you?」

「Intensive Care Unitの略称でICU。日本語で言うと集中治療室。弱っている人を、24時間体制で看護師さんだったりが看てくれる病室っていうと分かりやすいかな。」

「そんなに、病気の状態は良くないんですか?」

 口が乾く。喉が焼けているような感じがした。

「?いえ、心臓の手術なので、そういう部屋に入るのは普通だと思うけど...」

 おかしい。話が違う。あいつはそんなこと言ってなかった。

「手術が必要なくらい、酷い状態だったんですか?」

 思わず声を荒げる。先生は首を傾げる。

「?確か、元々手術が予定されていた、って伝えたはずなんだけど...聞いてなかった?」

 え?それは、つまり...

「ええと、春谷君その日遅れてしまって、聞き逃して、わ、私が間違って伝えてしまったんです。」

「いえ、自分が聞いていなかっただけです。話を止めてしまって申し訳ありませんでした。」

 湧き上がる感情を抑えて応対する。もう、周りを気にする余裕はない。

「ま、まあ今のところ命に別状はないということですし、心配しなくて大丈夫ですよ。」

「そうなんですかー。よかったー。」

 そういう問題じゃあない。

「ええ、なので安心して授業を受けてください。」

「授業といえばノートのことなんですけど、春谷君がもう買ってくれてたみたいで...」

「ええ、そうだったの?領収証はまだ持ってる?」

「いえ、もうありません。ですが、先生の購入されたノートを全ていただければ問題ありません。」

「え、ええ。そうしましょうか。」

「これで話は大丈夫ですよね。失礼します。」

 そう言い残し、その場を去る。二人とも異様な空気を察したのか、何も言ってこなかった。

 焦る心を落ち着ける。今日はもう帰ろう。


 よく理解した。あいつは前から知っていた。先生の話が事実なら、彼女はあいつに頼んで僕を引き離し、死の恐怖から一人で怯えていたことになる。それを僕に伝えずに、事実を知りながらそんな行動をした奴は許せない。

 それに、事情がだいぶ変わった。心臓の手術で入院したのであれば、同じ入院患者のこともある。見舞いの条件はより厳しくなるだろう。今は冬だ。インフルエンザも巷では流行っている。もう、行動しなければならない。

 僕の手段は、一つしかなかった。


 彼女がやってくれたあの行動は、もしかしたら…

 彼女は、誰よりも優しい人だった。自分よりも、他人を優先する人だった。

 そんなことは、分かってた。だから、もっと早く気付けたのかもしれない。

 後悔は止めどなく湧きあがる。


 でも、幸い手術で亡くなってはいない。

 まだ、いくらでも取り返しは効く。


 ―本当にそうだろうか。

 とめどない罪悪感に苛まれる。どんな罰なら、許してもらえるだろうか。



※この物語はフィクションです。*の表現は、下記を参照した結果、それほど問題がないと判断しました。しかしながら、医療情報は日々更新されていくため、この表現が全てというわけではないとご理解いただけると幸いです。


*1…NIID 国立感染症研究所 インフルエンザとは

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