オープニング3:寂しい微笑み

 アイリスはこの刺激的な街を、まだ見て回れてはいない。昼間からハイドは常に何かに警戒している様子で、興味を惹かれる物ばかりだというのに何故か、先を急ごうとしていたのだ。

 夜になった今、ハイドが眠っている時間で街を見て回ろうと結論付ける。



アイリス:「……近場に敵影は無し。後をけられた様子も無い」


 念の為だと周囲に因子をばら撒いて索敵するも、網には何も引っ掛からない。


アイリス:「(ハイドはどうやら明日にはこの街を去る腹積もりのようだが、私はもう少し見て回りたい。その上、レネゲイドビーイングに睡眠は不要な物だ。この数時間は私にとって暇以外の何物でもない。本来ならハイドの傍で目を醒ますのを待つべきだろうが……)」


 ふとハイドの寝顔に視線を配る。布の切れ端で暖を取り、死んだように眠る共犯者。


アイリス:「(過労、だな。医療を嗜まない私でも容易に想像が付く。これ以上、彼を私の散策に付き合わせるのはエゴというものだろう)」


 視線の先で眠る彼に、目を細める。


アイリス:「……なら、一人で行く事にしよう」


 廃ビル内に放棄されていた服の中から、適当に見繕う。ハイドの寝るすぐ傍で衣擦きぬずれの音が静かに鳴る。


アイリス:「ハイドは私の服装が目立つようで気が気で無かったようだからな。……うん、これなら多少はマシだろう。少なくとも露出は減った」


 ヒビ割れた姿見には、セーラー服を纏ったアイリスがいくつも映る。元々は服屋のテナントが入っていたのかもしれないが、今はもう見る影も無い。だが逃亡者達にとっては、これ以上を望むべくも無かった。


アイリス:「さて、一人の散策に繰り出すとしようか。どんな未知が私を待ち受けてくれるかな?」


 呟きながら枠組みだけが残る窓に足を掛けた所で、もう一度ハイドを顧みる。


アイリス:「……」


 メモのひとつでも残していくべきだろうか。そんな思考が脳裏を過ぎるも、昼間のぶっきらぼうなハイドの言葉を思い出す。


アイリス:「――……」


 どうしてかズキリと痛んだ心。そのうち、これも解明できる日が来るのだろうか。

 結局、彼女は何も残さず廃ビルの窓枠から飛び降りた。朝に帰ればいいだろう――そんな浅はかな思考に身を任せ、夜の街へ繰り出したのだ。


 夜とはいえ街には至る所に明かりが点いており、昼とはまた違った景色が刺激を与えてくれる。

 昨日、統制機関の中央ビルから脱出する際に行なった『夜空の散歩』よりは点数が低いものの、間近で見る様々な光源。そして仄かにライトアップされた街の景色は、時間を忘れさせるには十分だ。


アイリス:「うん、これはこれで風情というものがある。昼間には見えなかった景色と人間達。時間が変われば人の顔も変わるものだな」


 街を独り言と共に歩く。アイリスにとっては全てが新しく、全てが得難い経験だ。

 夜を歩く人間達の表情は様々で、顔を赤くして『飲み屋街』……という場所へ向かう者。露出の多い服装で背後の店に人を呼び込もうとする者。中には疲れた表情で電車に乗り込むべく『駅』へ急ぐ者までいる。観察対象には困らない。


 ふと、空を見上げる。星のひとつでも見えないかと画策するが、街並みの光に照らされた上、大気汚染の進んだこの街では大して観察できなかった。


アイリス:「……やはり、あの空中散歩は刺激的だったな。初めて、というのもあったかもしれないが、電線を伝って景色が移り変わっていくアレは良かった」


 記録されている光景を鮮明に思い返す。街の光ひとつひとつが流星のように背後へと駆け抜けていく。隣にいるハイドを見やると――


アイリス:「――、……」


 見ても、今は誰もいない。脳裏を過ぎったハイドの顔を端に追いやって、アイリスは散策を再開した。

 歩く内に、公園と呼ばれる場所へと辿り着く。他より少し暗く、点在する街灯だけが寂し気に照らす。

 その灯りの下で、紫色の小さな花束を手に佇む白い服の少女を見付けた。暗い表情で俯く彼女は、明らかに他の人間とは違う目的だろうとは推測できるものの、それが何かはまるで見当も付かない。


アイリス:「(……随分と暗い顔をするものだ。装いから何処かに出掛ける様子だが……はて、何か原因でもあるのだろうか?)」


 夜の挨拶はどうだったか――そんな思考をしながら、白い服の少女へと近付いていく。別に何か目的があった訳じゃない。ただ――


アイリス:「やぁ、こんばんは。こんな夜更けに単独行動とはどうしたのかな?」


 ――ただ、気になった。アイリスの行動理由なんて、それだけで十分だ。

 声を掛けた彼女は俯いていた顔を上げると、涼やかな声で答える。


白い服の少女:「こんばんは。用事があって妹を待っているのだけれど、中々来ないのよ。

 貴女こそ、こんな夜更けに一人で……危ないわよ?」


アイリス:「そうか、待ち人ならば納得のいく所だ。心遣いは感謝するよ。だが心配は要らない。これでも戦闘術には心得があってね。そんじょそこらの悪漢程度ならば返り討ちさ」


 何処か誇らしげに胸を張るアイリスだったが、ふと最初の疑問を思い言葉を続ける。


アイリス:「しかし、暗い面持ちだったが何かあったのかな? その花束も見た事の無い花ばかりだ。綺麗だね」

白い服の少女:「ありがとう。……昨日の昼間に、大切な人が亡くなったの。これから、その人の葬式に行くのよ」


 寂し気で、穏やかな。思い返すような声音で、彼女は付け足した。


白い服の少女:「――優しい人だったわ、とても」

アイリス:「そう、しき……ふむ、初めて聞く言葉だ。すまないが、どんな催事なのだろう?」

白い服の少女:「亡くなった人を、空に還す催事よ。……もっとも、本当に送る訳では無くて、故人をしのぶ意味合いが強いのだけれどね」


 静かに笑みを浮かべ、少女はアイリスに問いかける。


白い服の少女:「貴女、レネゲイドビーイングね? この国で、その年齢で知らない筈がないもの。名前はあるのかしら」

アイリス:「(まさか私達の存在を知る側の人間だったとは……だが、ここで下手に誤魔化すのは不味いだろう。私はハイドではない。下手に嘘を付けばバレる可能性が高くなる。それならば……)」


 数瞬の内に、どう対応するべきか考えを巡らせる。


アイリス:「ああ、ご明察。私の名はアイリス。君の推察通り、レネゲイドビーイングだ。

 しかしそうか……身近で大切だった人が亡くなったのだね。きっと悲しい事だ、私でも容易に想像が付く」


 悲し気な目をした少女に、何か言葉を掛けてやりたい。そう思考するも――


アイリス:「……あぁ、こういう時に無知なのがもどかしいな。哀しみを内包する人間に、私という個はどう声を掛ければいいのだろう。まだまだ知識の蓄積が足りない証拠か」


 ――悲しいかな、その表現と言語をアイリスは持ち合わせていなかった。

 そんな彼女の言葉に、しかし少女は小さく微笑んだ。


白い服の少女:「その気持ちだけで十分よ。でも……そう、“アイリス”――」


 噛み締めるように、ゆっくりとアイリスの名前を口にする。


白い服の少女(以下、メイ):「まだ名乗ってなかったわね。メイ……私の名前よ」


 メイは手元の紫色の花束を見つめながら、小さく呟く。


メイ:「あの人が亡くなった翌日にアイリスに出会う、か。これも、あの人が導いてくれたのかしら。いつまでも悲しんでいるんじゃないぞってね」

アイリス:「メイ、だね。うん、確かに記録を上書きした」

メイ:「ありがとう。……アイリス。社会勉強として、葬式に同席しないかしら?

 人間の行動や感情について、少しは収穫があると思うけれど」

アイリス:「良いのかい? こちらとしては願っても無いお誘いだが、端的に言えば私は箱入り娘だ」


 昼間のハイドが見せた、“苛立った”顔が脳裏を過ぎる。


アイリス:「……何か、気に障るような発言や行動をしてしまうかもしれないよ。もちろん、それを織り込んで誘ってくれるのならば喜んで付いていくが」


 その言葉に、メイは少しだけ考える素振りを見せるも、


メイ:「あの人なら……猫宮サイさんなら、きっとそうする筈。

 参列者には、顔の利く範囲で話しておくわ」

アイリス:「そうか。ならば私も出来る範囲で目立たぬよう努力する事を約束する。

 君の大切だった人の葬式に、私も連れて行ってくれ」

メイ:「決まりね。……妹は遅れて来そうだから、先に行きましょう」


 ここで何かを学べれば、掴めるかもしれない。

 共犯者が浮かべた苛立ちの顔。それが脳裏に過ぎる度に、痛む。

 心に刺さる棘のような、この感覚を言語化する、何かを――。

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